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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
166/191

第百六十三話:心の在り処-優希-

 少女―――優希と言う名を授けられて生まれた少女は、幼い頃から平凡な少女だった。

 家庭は中流であり、父も母も特別な職に就いているわけではない。それでもごく普通の家庭であるように、両親の愛情を受けて育った優希は、すくすくと成長した。

 そんな優希の人生―――人生と呼ぶにはあまりにも短い期間ではあったが、それでも、人生の転機と言うべき人物に巡り合ったのは、優希が幼稚園に通い始めた、まだまだ幼い頃だった。

 優希が彼、滝峰義人と出会ったのは偶然だったのか、それとも必然だったのか。幼い頃に出会った優希と義人はその出会いだけに終わらず、幼稚園、小学校、中学校、高校と、人生の大半を共に過ごすことになる。

 世間一般で言えば、仲の良い幼馴染みだっただろう。事実、優希も義人も、互いの両親に自分の子どものように可愛がられ、いつしかそれを当然だと思うぐらいには親しくなっていた。

 学校でも家でも、互いに顔を合わせては他愛ない雑談に花を咲かせる日々。途中で義人に志信という親友ができたが、その関係が変わることはない。

 義人は優希を幼馴染みとして大切に思い、優希は義人を幼馴染みとして、そして、一人の男性として大切に想っていた。しかし、そこで優希が義人に対して想いを告げることはなかった。

 義人が自分の気持ちに応えてくれないかもしれないという恐怖があった―――わけでは、ない。優希は自分の感情を義人にぶつけることで、逆に義人を苦しめることこそを恐怖していたのだ。

 それは、義人に慕情が届かないことを恐れるのではない。少しでも自分のことで義人を苦悩させることが、優希にはできなかったのである。

 その当時の義人は優希に対する感情を自覚しておらず、優希もまた、それを確かめることをしなかった。陽気で気さくな義人に想いを寄せるクラスメートから相談されたこともあるが、それに対して嫉妬を覚えたことも、正直に言うならばない。

 選択するのは義人であり、その判断に優希が手を加えては義人自身の意思を曲げることになる。故に優希は、いつも義人の傍で穏やかに笑うだけだった。

 無論、優希にも義人と結ばれたいという感情はある。誕生日はプレゼントと共に祝い、バレンタインデーにはチョコも渡していた。だが、どうしても自分の感情を義人にぶつけることはできなかった。

 その行動と思考が世間一般からずれていることを、優希自身も薄々は自覚していた。自覚はしているが、できるのは精々、時折やきもちを妬いて“みせる”、幼馴染みの範疇を超えない程度に義人にアプローチをして“みせる”程度だ。義人が優希に求めていたのは、幼馴染みとしての立ち位置だったがために。

 そうやって過ごす内に訪れたのは、異世界に召喚されるという非日常的なもの。常識も法律も異なる世界で、義人や志信と共に過ごす生活だった。

 義人はカーリア国の国王として。優希はそれを支えるための、“元の世界”とは違った日々。

 そんな生活を送る中でゆっくりと、しかし確実に義人との仲が縮まっているのを優希は感じていた。だが、それでもやはり、義人の行動を束縛しないように幼馴染みとしての範疇を超えない振る舞いをしていたのは、長年の癖のようなものだ。

 そうして優希にとってはいつも通りの、優希の人生を俯瞰して見ることができる者からすれば異端の日々が終わりを告げたのは、春先の日のこと。

 義人が『戻りたい』と願ったから戻った“元の世界”で、義人から告げられた告白の言葉。


『好きだ、優希』


 緊張からか顔を赤くして、それでも真剣な瞳で。


『幼馴染みとしてでもなく、友達としてでもなく、一人の女の子として好きだ。これからもずっと、優希と一緒にいたい。ずっと、傍にいてほしい。また間違いかけたら、正してほしい。だから―――』


 震えそうな声を隠しながらも、精一杯の感情を込めて告白の言葉を紡ぐ義人とその情景を。


『俺と、付き合ってください』



 ―――きっと優希は、一生忘れることはない。



 晴れてと言うべきか、義人と恋仲になった優希はそれまでの“癖”をなくしていた。義人が望んだからというのもあるが、優希自身も望んだのである。今までよりも一歩ずつ近い、恋人の距離を。

 穏やかで、幸せな時間。小雪も交えて語らうその姿は、傍から見れば夫婦にすら見えただろう。あくまで義人と優希は恋人同士だが、義人が先の関係までを望むのなら優希も迷わず頷いた。


『娘さんを、優希を―――俺にください』


 そうやって実際に、義人が優希の父に優希へのプロポーズ紛いの発言をした時とて、驚きはあれど拒否する感情は微塵もなかったのである。優希自身が口にしたように、ずっと一緒にいたいと、心底から思っていたが故に。

 義人が望み、優希も望んだその関係。しかし、それでも優希の根底にある感情は変わっていなかった。

 義人がしたいことなら許容し、義人が行くところならば異世界だろうとついていく。それを、義人が拒否しない限り。義人が、望むままに。

 だから、優希は“この日”に訪れたのだ―――義人が立ち去ったあとの、カスミのもとへと。



 己の中にある、一つの疑問を携えて。








「……ユキ、様……」


 部屋に入ってきた優希を見て、呆然とした呟きを漏らしたのはカスミにとっては当然だった。何故、優希が自分の部屋を訪れるのかと、泣き続けて鈍った頭で思考する。しかし、すぐには答えが出ず、自然と優希の出方を窺う形になった。

 優希はカスミの泣き腫らした様子を見ると、手に持ったお盆をすぐ傍の机へと置きながら苦笑する。そしてお盆の上に置いてあったおしぼりを手に取ると、カスミへと手渡す。


「カグラさん、顔、拭いた方が良いよ? けっこうすごいことになってるから」

「……え、あ……はい……ありがとう、ございます……」


 差し出されたおしぼりを受け取りつつ、カスミは反射的に礼の言葉を口にした。そして、優希の言葉を反芻して顔を赤くする。

 何時間も泣き続けたのだ。目は赤くなり、頬には涙の跡がつき、鼻水すら出ていただろう。いくら同性とは恥ずかしさを覚え、カスミはおしぼりで顔を拭く。優希はその間におしぼりと共に持ってきていた湯呑にお茶を注ぐと、顔を拭き終わったカスミへと差し出した。

 泣き続け、慟哭し続けたカスミは喉が乾ききっていたため、これも素直に受け取る。喉が枯れていることを察していたのか、お茶の温度は適度に温い。カスミは喉を潤すようにお茶を飲むと、一心地ついてほっと息を吐いた。

 そして、一心地ついたところで、固まっていたカスミの思考が動き出す。それと同時にカスミの思考を埋めたのは、『何故?』という疑問だった。

 何故、優希がこの部屋に来たのか。それも、おしぼりやお茶など、まるでカスミの状態を知っているかのように。


「……何故、ユキ様はここに?」


 気付けば、その疑問を口にしていた。カスミがそう問うと、優希は困ったように苦笑する。


「ここ最近の義人ちゃんの様子から、ちょっとね。“昨夜”もそんな雰囲気があったし」

「……っ」


 昨夜という単語にカスミが反応してしまったのは、義人の口から優希への想いを聞いたからか。そして、それに思い至った途端に、心の底から湧き上がってくる感情があった。


「それは……わたしがヨシト様に振られることがわかっていた、と?」


 カスミが、何度も抱いたことのある感情。とても暗く、黒く、精神を張り詰めさせるその感情は、嫉妬と言う名前をしていた。


「んー……義人ちゃんって一途だから、可能性としては高いかなぁ……って」


 何かしらの考え事をしているのか、優希は宙に視線を向けながら首を捻る。そんな優希の仕草を余裕と捉えたカスミは、口元が引きつるのを感じた。

 義人が一途だから、優希のことを想っているから、だから、自分(カスミ)に靡くことはないと、カスミはそう解釈する。


「それで―――わたしを笑いにでもきましたか?」


 底冷えのような冷気を言葉に宿して、カスミは低い声で尋ねた。それはどんなに鈍い人間でも、カスミの抱く感情を悟らせるほどの激情。

 八つ当たりに近い、嫉妬という醜い感情だとカスミもわかってはいたが、それを止める術を持っていなかった。


「笑いに? どうして?」


 そんなカスミを前にして、優希はいつも通りの表情で不思議そうな声を出す。全く予期していなかったことを聞かれたと言わんばかりに。優希は、カスミの言葉を繰り返す。


「わたしがカグラさんを笑いに……」


 どうしてそうなるんだろう、と優希は心底不思議そうに首を傾げる。そんな優希の様子に、カスミは馬鹿にされているのかと、怒気を募らせていく。しかし、優希はそんなカスミの様子に気づかないのか、気付いて無視しているのか、再度首を傾げた。


「えと……なんで?」

「っ!」


 怒気が殺気に変質し、優希へと殺到する。カスミは無意識の内に腰を浮かし、優希を明確な“敵”として捉えようとして。


「―――“それ”は、困るなぁ」


 そんな優希の声を、“背後”に聞いた。


「なっ!?」


 咄嗟に背後へ振り返ると、そこには今まで目の前にいたはずの優希の姿がある。優希はカスミの視線を受け止めると、納得がいったとばかりに頷いた。


「あ、なるほど。でも、違うよ。わたしは、そんなことのためにここに来たわけじゃないから」


 自分の行った行動を意識もせず、カスミとの話を続ける優希。カスミはそんな優希を驚きの眼差しで見ると、僅かに震える口を開く。


「どうして……」

「うん? ああ、“それ”をしたら、“義人ちゃんがすごく怒っちゃうから”ね」


 そんな答えになっていない答えを返し、優希は寝台の横に移動してカスミの傍へと腰かけた。



 ―――高速で移動した? いえ、わたしの目にも映らないほどの速度で移動するなど……そもそもユキ様は魔法が使えないはず……。



 優希の行動に混乱しながら、カスミは眼前で起きた事態を理解しようとする。しかし、納得のいく答えが出ず、寝台に腰を掛けた優希に警戒の視線を向けた。


「……? カグラさん、どうしたの? 怖い顔をしてるよ?」


 カスミの鋭い目つきを見て、優希は何度目になるのか首を傾げる。そんな優希の仕草を見て、カスミはそれまでの怒気が萎んでいくのを感じた。そして、それと同時に湧き上がってくる別の感情がある。

 それは、優希と同じように疑問という感情だ。


「わたしを笑いにきたのではないというのなら……一体何故、ここに来たのですか?」


 話が見えないと言わんばかりにカスミが尋ねる。優希はそんなカスミの疑問を受け止めると、自分の考えを整理しながら答えた。


「カグラさんは、義人ちゃんのことが好きなんだよね?」

「……それは、ヨシト様から聞いたんですか?」

「ううん。わたしだって女の子だもん。カグラさんの様子を見ていればわかるよ」


 そう言って、優希は穏やかに笑った。場の雰囲気など、微塵も気にしていないかのように、カスミの記憶にある優希の笑顔と寸分違わず笑うのだ。


 ――そのことに、カスミは恐怖に近い寒気を覚える。


「だからね、わたし、カグラさんに聞きたいことがあって来たんだ」


 そうして優希は疑問を、心からの疑問を、カスミにぶつけた。


「義人ちゃんのことが好きなのはわかったんだけど―――どうして、そうやって自分の気持ちを押し付けるのかな?」

「―――え?」


 何を言われたのか理解できず、カスミは呆けたような声を漏らす。しかし優希はそんなカスミに構わず、視線を宙に向けながら話を続けた。


「わたしも、義人ちゃんのことは好きだよ。うん、大好き。愛してるって言い換えても良い。でも、カグラさんみたいに体ごと、気持ちごと義人ちゃんにぶつかっていくのが“理解”できなくて」


 本当に疑問に思っているのだろう。優希の声は、教師に答えを求める生徒のようなものだった。


「少しなら良いけど、過ぎればそれも義人ちゃんの“負担”になるでしょ?」


 だから、わたしにはわからない。だから、あなたの気持ちを教えてほしい。優希は見えない答えを求めるように、そう言う。


 そんな優希の問いにカスミは呆然とし、続いて我に返り、そして、問いの内容を理解して―――激高した。


「でもそれが……それが当たり前でしょう!? 好きな人に振り向いてもらいたい! 好きな人に、自分だけを見てもらいたい! 他の女性を見てほしくない! 恋い焦がれたのなら、そう思うのが“普通”でしょう!?」


 それまでの敬語を忘れ、カスミは優希の言葉を否定するように叫ぶ。

 なんだそれは、と。その考えは、一体何なんだ、と。疑問をぶつけられていたはずなのに、今は逆に疑問をぶつけている。


「でも、わたしは義人ちゃんの気持ちを一番尊重したいな」


 カスミの言葉を認め、しかし、その上で優希は言った。視線を宙に向け、遠くの景色を見るように目を細めて、自分の考えを整理するように呟く。


「ボタンの掛け違えみたいに、“何か”が違っていれば、義人ちゃんの隣にいたのはカグラさんだった。ううん、もしかしたらサクラちゃんだったかもしれない。もしかしたら、ミーファさんだった、ということもあったよね」


 それでも、と優希はつなげる。



 ―――それでも、義人ちゃんが幸せなら、わたしはそれで良いのだ、と。



 例え義人の隣に立つのが自分でなくとも、それで義人が幸せならそれで良い。

 そう笑顔で言い切る優希に、カスミは驚愕から目を見開く。


「ユキ、様……あなたは、一体……」


 未知の生き物に遭遇したと言わんばかりに、カスミは身を震わせた。それまでの嫉妬も、疑問も、今浮かんだ感情を前にすれば些細なものだろう。

 人は、理解できないものに遭遇した時にこそ本当の恐怖を覚える。そういう意味で言えばカスミが覚えたのは紛れもない恐怖だった。

 思わず後ずさったカスミを見て、優希は困ったように微笑む。そして話は終わったと言わんばかりに立ち上がると、扉に向かって歩き出した。


「うーん……やっぱりわたしがおかしかったのかぁ……」


 そんな呟きを漏らしながら扉へと向かい、ドアノブに手をかけたところで動きを止める。そしてカスミへと振り向くと、常と変らぬ表情で口を開いた。


「わたしが何を言いたかったかっていうと、カグラさんが義人ちゃんのことを好きでもわたしは気にしないってこと……かな? 義人ちゃん、表面上は何でもないように見せるけど、カグラさんを傷つけてしまったことは後悔しちゃってるから」

「……それは」

「うん。義人ちゃんが望むのなら、カグラさんのことを好きになってもわたしは気にしないよ。少し、胸が痛むだろうけどね」


 反対に言えば、それだけで済むのだと優希は言う。

 義人がこれから先にカスミの気持ちを受け入れることがあっても、義人が望むのならそれを許容すると。

 その言葉の意味を理解して呆然とするカスミを見て、優希は小さく笑う。


「それじゃあ、またねカグラさん。明日からは、いつものカグラさんに戻っていてくれるとわたしも嬉しいな」


 そんな一言を残して、優希は部屋から出ていく。足取りはよどみなく、本当にこれ以上の用はないのだと物語りながら。


「は……あはははっ!」


 優希の姿が見えなくなってから、カスミは寝台に倒れ込んで笑い声を上げた。

 本当になんだったのだ、と。以前から優希に対してどこかしら違和感を持っていたが、今しがたの話し合いでそれをカスミは理解した。

 何のことはない。カスミは義人と接するうちに自分という存在を壊してしまったが、優希は最初から義人に対して“壊れて”いたのだと。

 敵うべくもなかったのか、とカスミは一人で笑い続ける。そしてひとしきり笑い終え、それでも優希の言葉を脳裏に繰り返した。


「ヨシト様の幸せ、か……」


 思えば、自分は義人に感情をぶつけるだけだったのだろう。どうして義人は応えてくれないのか、何が悪いのかと、一方的に言い寄っていた。そうするうちに義人の気持ちは優希へと固まり、すでにカスミへ振り返ることはない。


「でも、それでも……ヨシト様に、“わたし”を見てほしかったなぁ……」

 未練は呟きに。

 悔いは枯れたはずの涙に。

 それぞれ一つずつ零してから、カスミは一度だけ深呼吸をする。

 義人が振り向くことはないだろうけれど、その瞳に自分の姿を映すことぐらいはできる―――かも、しれない。

 優希にはできず、『カグラ』である自分だからこそできることがある。ただ、それを行ってしまえば、今度こそ『カグラ』は義人の前から消えることになるだろうが。


「でも、いいか……」


 ――義人と優希の幸せな姿をこれからも見続けるほど、心が強くないから。


 決意を胸に、カスミは顔を上げる。





 その瞳には、未来を望む光が―――なかった。


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