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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
165/191

第百六十二話:心の在り処-カスミ-

 少女―――カスミと言う名を授けられて生まれた少女は、幼い頃から不遇な立場にあった。

 父は前代の国王で、母は当時の『召喚の巫女』。国の最高権力者である国王に、それに次ぐ権力を持つ『召喚の巫女』が母だ。

 それだけを聞けば、とても不遇な立場とは思えなかっただろう。事実、重税で貧困にあえぐ民草に比べれば、毎度の食事に困ったことはなく、安眠できる寝台で眠れ、着る服とて毎日清潔なものだ。その点だけを見れば、他の子どもに比べても幸福と言えた。

 しかし、幼いカスミの記憶の中には、父である前代国王の記憶はない。顔を合わせて話したことがないわけではない。だが、その回数があまりにも少なすぎて、記憶に残すことができなかったのだ。何故なら、前代国王にとってカスミは数多くいる子供のうち一人であり、生まれたカスミに名を付けることすらしなかったのだから。

 その代わりというわけではないが、母である前代のカグラや、宰相であり師であるアルフレッドのことはよく覚えている。幼い頃にアルフレッドを『おじいちゃん』と呼んだ時など、普段から優しいアルフレッドが、満面の笑みを浮かべるほどに喜んでいたことは印象に深い。

 そんな幸せな記憶がある一方で、やはりと言うべきか父親との暖かな記憶はなかった。

 記憶に残っているのは、臣下に対しては暴虐非道で、重税で苦しむ民草を顧みることがなく、己が遊興のために国庫を浪費する施政者としては最低とも言える公の面。

 そして、見目麗しい女性ならば相手の都合を斟酌せずに手を出すという醜悪な私の面。酒色に溺れるその様は、幼いカスミには到底受け入れがたいものだった。

 公私に渡ってそんな有様だったが故に、臣下によって暗殺されたのだろう。幼心にそれを理解していたカスミは、父の死を重く見てはいなかった。無論、悲しさがなかったわけではない。腐っても実の父だ。涙の一つは零れたと、そう記憶している。

 だが、国王が暗殺されたという事態はそれだけに留まらない。愚かだったとはいえ、国の頭である国王が死んだのだ。その影響は様々な方向へ波及し、その収拾に師であるアルフレッドは奔走することになる。

 そう、奔走したのだ、アルフレッド“だけ”が。共に奔走するべき『召喚の巫女』である前代のカグラが、既に亡くなっていたために。

 『召喚の巫女』としての職責に、前代国王の苛政。その上娘であるカスミに見向きもせず、次から次へと女性へ手を出す前代国王の行状。それらは前代カグラの心身を蝕み、二十の半ばを迎えることなくこの世を去ることになる。

 元々、“カグラ”の家系は早逝する者が多かった。それが人間に見合わぬ魔力を持ったためか、他の理由があったのかは今もわかっていない。ただ、家系図を紐解いてみれば、“2代目以降の”カグラは皆若くして命を落としている。早ければ二十程度、長生きしても四十まで生きた者はいなかった。これは、平均寿命がそれほど長くない“こちらの世界”でも異例のことである。

 母を亡くし、父を亡くしたカスミは、しかし、悲しみに暮れる暇もない。

 幼い頃から膨大な魔力を有していたカスミは次代のカグラとして扱われ、研鑽を積む必要があった。

 アルフレッドに師事して魔法技術、戦闘技術、政治、農業、工業、商業について修め、将来の国を背負って立つ必要があったのである。

 カスミとて、そのことに抵抗がなかったかと聞かれれば、首を横に振ることになるだろう。他の子どもと同じように何の気兼ねもなく遊びに行ける境遇ではなく、来る日も来る日も『召喚の巫女』になるべく研鑽を積む日々。

 異母姉妹であるサクラ、親友であるミーファ、そして師であるアルフレッドがいなければ、早い段階で投げ出していたに違いない。文字通り血を吐く研鑽の末に、『召喚の巫女』として、気負いなくカグラと言う名を名乗れるようになったのだ。

 そうやって迎えた『召喚の儀式』。“カグラ”としては喜ばしいことであり、“カスミ”としては喜び難かった。

 父であり前代の国王である男の行状を覚えているが故に、どうしても抵抗があった。しかし、国の腐敗と摩耗は既に危険なところまで及んでおり、このまま時が立てば遠からぬ内にカーリア国はその長い歴史に終止符を打っていただろう。

 それに何より、『召喚の巫女』として逃げるわけにもいかなかった。召喚した相手から罵倒され、その身を汚されることになろうと、逃げるわけにはいかなかったのである。

 そして召喚されたのは、前代未聞とも呼べる三人の少年少女だった。多少の手違いがあったものの、王城に現れたその三人の姿を見て、内心で冷や汗をかいたのは秘密だ。

 それでもカグラは―――カスミは、国王となる一人の少年と出会ったのである。

 滝峰義人と名乗るその少年は、カスミが当初考えていた新国王の人物像からかけ離れていた。

 性格は明るく、文句を言いながらも政務をこなし、上下の立場を問わずに臣民と交流するその姿は、脳裏に染みついた前代国王の醜態とは似ても似つかない。時折馬鹿なことを仕出かすが、それも慣れてしまえば楽しく思えた。

 そんな義人の姿を見て、カスミはあることに気付く。直截に言えば国王に、否、男に対して偏見を持っていたということに。

 アルフレッドは例外としても、カスミが知る男性は前代国王のみ。周囲の人間は『召喚の巫女』としてカスミを扱うため、基本的に低姿勢である。そのためカスミの中で男性と言えば、アルフレッドと前代国王という、ある意味二極で分類されていた。そして、国王になるのなら義人も後者だと。

 それを良い意味で打ち砕かれたカスミは、この国王になら身を委ねても良いと思えた。口では『我が身を捧げます』と言ったが、心まで捧げても良いか、と。

 しかし、そんなカスミの感情は、義人自身によって粉々に打ち砕かれる。義人はカスミが迫っても、手を出すことなく退いて見せたのだ。

 自分には手を出す魅力がないのかと、女性としての自信が砕かれたカスミではあるが、諦めることはなかった。義人が望む様な女性……それを意識して、それまでは口うるさくしていた説教を止めた。もちろん言うべきことは言ったが、些細なことで目くじらを立てることはなくしたのだ。その際、義人は不思議そうな顔をしていた。『怒らないのか?』と言いたげな顔で。



 それでも、義人の隣に立つ女性―――優希のようには、扱ってもらえなかったけれど。








 翌日、サクラからカグラが目を覚ましたという報告を受けた義人は、それまで片付けていた政務の手を止め、ゆっくりと立ち上がる。そして、どこか緊張の面差しのサクラを引きつれてカグラの部屋へと向かった。


「あの、ヨシト様……」

「ん?」


 穏やかに、しかし、どこか決意の色が見える声色で、義人がサクラの声に答える。そんな義人にサクラは僅かに息を呑むが、すぐに気を取り直した。


「カグラ様のこと、よろしくお願いします」

「ああ、わかってるよ。でも、カグラとは二人きりで話をさせてほしい」


 頭を下げるサクラに笑って頷き、義人はカグラの部屋へとたどり着く。そしてノックをすると、部屋の中から動揺したような気配が伝わってきた。


「カグラ、俺だ。入るぞ」

「…………はい」


 有無を言わせない口調で用件を告げ、部屋の中から小さく返事が返ってくるなり義人は扉を開けて部屋へと入る。そして寝台で上体を起こしたカグラを視線に捉えると、そんな義人の視線を感じたのだろう、カグラは震えるようにして顔を俯かせた。


「気分はどうだ?」

「……は、はい、その……」

「え? どこか悪いのか?」


 見たところ、体調が悪いようには見えない。しかし義人は医者ではないため、外見から判断できることはほとんどなかった。怪我はないようだから体の不調かと首を捻る。


「……いえ、体調は、その、悪くないです……」


 おどおどと、義人の視線から逃げるようして、カグラはあちらこちらへと視線を彷徨わせた。その違和感を覚える行動に、義人は内心でさらに首を捻る。


「体調が悪くないなら良いけど……」


 そんなカグラのことを不思議に思うが、それ以上は踏み込まずにカグラの元へと歩み寄っていく。するとそれだけでカグラは体を震わせ、義人から逃げるように寝台の上で身じろぎする。


「カグラ?」

「……ひ」


 引きつるような呼吸音を漏らして、カグラは身を震わせ続ける。さすがに様子がおかしい―――いや、おかしすぎると判断した義人は、震えるカグラに観察の視線を向けた。

 自分の肩を抱きながら、寒くもないのに震えるカグラ。時折窺うように、盗み見るように義人へ視線を向けるが、目が合いそうになるとすぐに視線を逸らしてしまう。



 ―――怯えている? いや、でも、何に?



 自分が起こした凶行に対する処罰を恐れているのだろうか。しかし、カグラの態度から窺えるのは、それよりももっと深刻なものに見える。


「……どうして……ですか?」

「え?」


 震えながらも、カグラが小さな呟きを漏らす。聞き取れはしたがその意味まではわからなかった義人は、カグラの言葉を反芻した。


「どうしてって?」


 何のことだと、義人は尋ねる。カグラはそんな義人を前にして、数回呼吸してから口を開いた。


「……どうして、国王に選ばれたのがヨシト様だったんですか……」


 それは、国王が選ばれる基準のことだろうか。義人はそう自問し、そうではないと自答する。

 何故義人が国王に選ばれたのか、ではない。何故国王に選ばれたのが義人だったのか、カグラはそう問うていた。しかし、その問いに対する答えを義人は持っていない。

 カグラも、義人の答えを期待していなかった。どこか虚ろな目で義人を見据え、次々と口を開く。


「……ねえ、ヨシト様。なんでですか? なんで、あなただったんですか? ……いえ、あなたが『召喚』されたことは、間違いなくこの国にとっては良いことでしょう。でも……ねえ、ヨシト様。あなたは、何故“そう”なんですか? 何故、わたしはあなたの目に映らないのでしょうか?」

「カグラ……」


 無表情に、どこか悲しみのこもった声でカグラが義人へと尋ねる。

 何故、何故と。何故わたしは義人(あなた)の目には映らないのか、と。

 カグラはそれまで震えていた体を止めると、不意に笑みを浮かべる。それは、傍から見れば儚く見えただろう、穏やかな笑み。


「ヨシト様、わたしは……あなたのことが好きです。自分でも、驚くぐらいに」


 そう言ったカグラは、今まで見たことないほどに綺麗な笑みを浮かべていた。きちんと言葉にして伝えたのは初めてだが、義人もそれを悟ってはいただろう。それでも、ここまできて、ようやく言葉にして伝えることができた。

 だが、義人から見ればその告白は尋常のものではない。何故この場、このタイミングでと、内心で驚きながらも表には出さなかった。

 それでも、今の言葉はカグラの本心だ。それを感じ取った義人は、答えを返すべきだろうと口を開く。


「ごめん、『カグラ』。俺は、カグラの気持ちに応えることはできない」


 真摯に、義人は頭を下げてカグラの願いを否定する。その義人の答えをどう思ったのか、僅かにカグラの喉が引きつった。


「……何が、悪いんですか?」


 震える声で、カグラが呟く。


「ユキ様みたいな髪型が良いのなら、わたしも髪を切りますよ? 性格だって、ユキ様と同じようになります。ユキ様のように、ヨシト様のことを理解します。他の女性に目を向けても我慢します」


 だから、とすがるような視線を向けるカグラ。義人はそんなカグラの目を真っ直ぐに見返すと、ゆっくりと首を横に振った。


「違う……カグラ、違うんだ」

「愛してほしい、とは言いません。ただ、好きでいさせてください。ただ、傍にいることを許してほしいんです」


 壊れた蓄音機のように、カグラはそう繰り返す。好きなのだと、壊れかけた想いを、義人にぶつけていく。


 カグラの言葉を聞いた義人は、心底後悔した。

 この場に来るのではなかった―――などということではない。何故もっと早くにカグラの想いを聞き、そして、それを断ち切らなかったのか、と。

 カグラ本人の、紛れもない感情。しかし、その根底には『召喚の巫女』としての感情もあっただろう。

 義人は以前、カグラに押し倒された時に『酔っている』と言ってその願いを退けたことがある。あの時点で、気付けてはいたのだ。カグラの中にある、捻じれた感情を。


『ま、なんとかなる……いや、なんとか“する”か』


 そう口にした自身の言葉を、義人は思い返す。時間をかければどうにかなると思っていたが、打つ手を間違えたらしい。その結果として、眼前のカグラの姿がある。

 カグラのことを思えば、この場はカグラの言葉に頷くべきだったかもしれない。カグラの願い通りに行動していれば、カグラもここまで思いつめることはなかっただろう。いや、そもそも、カグラに迫られた時に『召喚の巫女』として、“カスミ”という一人の少女として、義人が抱きでもすればここまで話は絡まらなかった―――かも、しれない。

 それは、今考えても詮無き『IF』の話。

 そして、例え今のカグラを慰めるために気持ちを受け入れたとして、遠からず今と同じような、もしくは今以上の事態に陥ったはずだ。

 『召喚の巫女』に対する処分の話など、今はどうでも良い。かつて抱いた“カグラ”への謝罪も、それは後でもできることだ。“そんなこと”よりも、優先するべきことが目の前にはあった。


「“カスミ”」


 だから。


「―――俺さ、優希のことが好きなんだ」


 遅くなってしまったかもしれないが、今この場で『カグラ』の妄執を断ち切るべきだろう。

 義人の言葉を聞いた“カスミ”は、呆然とした表情で義人を見る。

 そんなカスミを前にして、義人は頬を掻きながら照れたように、それでもどこか誇らしげに、『カグラ』の心を切り刻む言葉を投げつけていく。


「多分、ガキの頃から惚れてたんだ。気付いたのは最近だけど……うん、やっぱりいくら考えても無理だ」


 そう言って、義人は『カグラ』の妄執を断ち切るべく言葉を続ける。


「優希以外の女性を、俺は“優希のようには”見れないよ」


 だからすまない、と義人は頭を下げた。どうやっても『カグラ』の想いは受け取れないと、言葉と態度にして。

 部屋の中に沈黙が下りる。耳が痛いほどの静寂が続き、それでも、義人は頭を下げ続けた。

 もしも数日前のカスミだったならば、義人の言葉を理解できなかっただろう。いや、理解しようとしなかった、と言った方が正しい。

 ようやく戻った視界が映した、義人と優希、小雪のありふれた、しかし幸せなやり取りを見ていなければ、義人の言葉を素直に受け取れなかっただろう。それまでの感情を否定し、カスミの中にあった“芯”を容赦なく叩き折った、あの光景を見てさえいなければ。

 カスミは、不意に無性に笑いたくなった。

 共に過ごし、その人柄を知り、いつしか惹かれた義人という男性は、“初めから”優希という女性を選んでいたのだから。

 最初から勝ち目がなかったのかと、カスミの胸に諦観が去来する。


「もし……もしも、ですが」


 頭を下げた義人を前にして、カスミが小さく声を発した。


「わたしがヨシト様の幼馴染みで、ユキ様が『召喚の巫女』だったら……ヨシト様は、わたしを選んでくださいましたか?」


 その問いかけに、どれほどの意味があったのか。だが、カグラの声色は真剣なもので、義人は僅かに空想に耽る。

 幼馴染みとしてカスミと過ごし、『召喚の巫女』として義人達を召喚する優希。そして“今回”と同じように、様々な出来事を経て仲を深めていく。

 そうやって義人の隣に立つのは―――。


「ごめん、カスミ。それでも俺は、優希を選んだよ」


 幼馴染みという立場でも、ずっと傍にいたという境遇でもなく、優希だからこそ惚れたのだと、義人は断言した。


「―――そうですか」


 その答えを予期していたように、カスミは小さな頷きを返す。続いて義人から視線を外すと、膝を抱えて顔を押し付けた。


「カスミ……」

「……申し訳ありません、ヨシト様。今は、一人にしてもらえますか?」

「ああ、わかったよ」


 これ以上の話は無理だと判断して、義人は退室する。最後に一度だけ振り返ってカスミの様子を確認すると、音を立てないようにして扉を閉めた。

 部屋の扉が閉まり、一人になって、カスミはポツリと呟く。


「ひどい人……想いを寄せることも駄目だなんて」


 その声は涙で掠れていたが、それまでの濁った感情はない。

 カスミは涙が裾を濡らすのを感じながら、一人泣き続けるのだった。








 そうやってどれほどの涙を流したのか。カスミは時間を確認しようと窓へと視線を向ける。

 義人と話していたのは昼だったが、太陽は既に沈みかけており、いつの間にか数時間が経過していたようだ。このまま泣き続けていたいが、枯れてしまったのか涙が出てくる気配はない。

 鼻をすすりながらこれからどうしたものかとカスミが思案を始めると、その考えを遮るように扉がノックされた。

 さすがにサクラが様子を見に来たのかと声を返そうとするが、涙と一緒に喉も枯れたのかすぐには声が出ない。しかし、相手はカスミが部屋にいることを確信していたのだろう。迷いなく扉を開き、部屋へと入室してくる―――が、入ってきたのは、カスミが予想もしなかった人物。


「……ユキ、様……」


 部屋に入室してきた人物―――優希の姿を見て、カグラは呆然とした視線を向けたのだった。


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