第百六十一話:苦悩
部屋から出てきたばかりのカグラを再度寝室で寝かせ、義人達は政務室へと足を運んだ。大勢の人間が連れ立って政務室に入ってきたため、アルフレッドが不思議そうに首を傾げる。
「揃いも揃ってどうしたんじゃ? あと、コユキは何をしておる?」
義人にしがみ付いたままの小雪を見て、アルフレッドが義人に対して問いを投げた。義人は小雪をあやしつつ、疲れた表情を浮かべる。
「ちょっと、カグラがな……小雪はまあ、俺が泣かしちゃって」
義人がそう言うと、小雪は義人に顔を見せないままで首を横に振った。それを見た義人は小さく笑い、小雪の頭を優しく撫でる。
「カグラが? 何があったんじゃ?」
沈痛な表情を浮かべるサクラや、開いた扉から気遣わしげな視線を送ってくる兵士達に、アルフレッドの中で嫌な予感が膨らんでいく。
―――まさか、またカグラがヨシト王に対して凶行を?
昨日のことを知るアルフレッドとしては、そう考えるのは妥当だった。しかし、それを見て取ったのかサクラが首を横に振る。
「違います、アルフレッド様。カグラ様は、その……」
「俺が説明するよ」
説明をしようとしたサクラを遮り、義人が口を開く。
“自分が手に入れた”薬でカグラが視力を取り戻したこと、そして、その後に起こった出来事を。さすがに小雪に対する話は省いたが、それでも事の重大さを感じ取ったのだろう、アルフレッドは椅子に背を預けながら深いため息を吐く。
「そうか……それで、カグラをどうするつもりじゃ? 昨日のことといい、このままにしておくわけにもいかんじゃろう?」
「ああ……本当は、今からカグラを交えてその話をしようと思ってたんだがなぁ」
義人はそう言って頭を掻こうとするが、今は小雪を抱きかかえているためそれもできない。するとそれに気づいたのか、優希が義人に抱き着く小雪へと手を伸ばした。
「ほら、小雪? そのままだと、おとーさんが困っちゃうよ?」
なだめるようにそう言うと、小雪は優希が伸ばした手に捕まって今度は優希へと抱き着く。優希はそんな小雪を優しく抱きしめると、小雪の髪を優しい手つきで梳きながら柔らかな笑みを向けた。
「義人ちゃんも怒ってないから、ね? 小雪はおかーさんと一緒にご飯でも食べに行こうか?」
「……うん」
袖口で目元を拭きながら頷く小雪。優希はそんな小雪にもう一度笑みを向けると、義人に向かって右目でウインクをした。義人はそんな優希の仕草に頷きを返すと、声に出さず一言だけ『小雪を頼む』と口を動かす。優希は心得たと言わんばかりに頷くと、小雪を抱きかかえながら政務室から退室していった。
アルフレッドはそんな義人と優希のやり取りをどこか眩しそうに見ていたが、重要な話をしていたためすぐに表情を引き締める。
「それで、どうするんじゃ?」
カグラのこと、これからのこと。それらを含めての問いに、義人は今度こそ頭を掻く。その動きはどこか苛立たしげであり、今の事態に対して良くない感情を持っていることを窺わせた。
「そうだな……俺個人としては、これ以上カグラに何かしらの罰を与えるつもりはない。でも、“国王”としては、な……」
ある意味、先ほどの出来事はカグラにとってはこれ以上ないほどの罰である。今まで信じていたものが瓦解し、思わず意識を失うほどに。だからこそ、義人は個人的にはこれ以上の罰を望まない。しかし、カグラの上に立つ人間としてはそうもいかないだろう。何より、カグラは宰相にも並ぶ『召喚の巫女』だ。その『召喚の巫女』が国王を殺しかけたなど、笑い話にもならない。
「減俸と謹慎……だけだとやっぱり甘いよな」
義人は頭を抱えて、どう裁くか思案する。
『召喚の巫女』という特性上、死罪などとは言えないのが実情だ。国王を『召喚』する『召喚の巫女』を殺すなど、例え義人が許可を出しても臣下が納得しないだろう。無論、義人も死罪を口にするつもりはなかったが。
「ヨシト様……」
沈黙した義人を見て、サクラが一歩前に出る。義人の口から重罰が出てくることを恐れたのか、その足取りは普段よりも重い。
「どうした?」
考えごとに没頭する義人は、サクラの方を見もせずに答えた。その雰囲気がいつもの陽気なものと異なることを感じ取り、サクラは小さく息を呑む。だが、すぐに決意のこもった視線を向けると、サクラは義人に対して膝をついて頭を下げた。
「お願いいたします! カグラ様にこれ以上の罰は……このサクラ、一生の願いです! わたしに口を出す権利がないことはわかっています! ですが、カグラ様にこれ以上の罰は与えないでください!」
突然土下座を始めたサクラに、考え事をしていた義人もさすがに目を見開く。そして『お願いします』と繰り返すサクラに慌てて向き直ると、片膝をついてサクラの肩に手を乗せようとする。
「―――控えんかサクラッ!」
だが、アルフレッドから飛んだ怒号が部屋を震わせ、義人はサクラの肩に乗せようとした手を止めた。そしてアルフレッドに視線を向けると、アルフレッドは鋭い視線でサクラを見据えている。
「お主が土下座をして頭を下げたところで、ヨシト王の心労を増やすだけじゃ! 何故それがわからん!?」
義人が今まで見たことのないようなアルフレッドの剣幕に、義人はおろかサクラも表情を硬くした。しかし、サクラはそんなアルフレッドの視線を真っ向から見返すと、噛み付かんばかりに口を開く。
「しかし、このままではカグラ様があまりにも報われません! 罰ならもう十分でしょう!? それに、カグラ様が今の状態に陥ったのは、カグラ様一人の責ではありません! カグラ様を止めることができず、シアラちゃんの提案にも納得していたわたしにも責があります!」
床に手をついたままで、それでもサクラは強い口調で言い募る。だが、そんなサクラの言葉を聞いた義人は首を横に振った。
「サクラは本来メイドで、俺の護衛で臣下だ。そのサクラが罰を受けると言うのなら、それは上司である俺の責任でもある。まあ、カグラも俺の臣下だから、これは自業自得ってことなのかね……」
そう言って義人は苦く笑うと、床に手をついたままで見上げてくるサクラに視線を落とした。
「それに、サクラは自分の意思でカグラを止めようとしてくれた。カグラが衰弱するのを防ぐために、魔法人形が俺の姿を真似てカグラに接するのも、止めないでいてくれた。それを罰することはできないよ」
静かに、どこか疲れたように義人が呟く。そして自分用の椅子に座ると、背もたれに体を預け、茫洋とした視線を天井に向けた。
「はぁ……何が悪かったのかなぁ……」
以前カグラに乞われた時、拒まずに抱けば良かったのだろうか。『召喚の巫女』という役職に囚われていた、カグラと言う名の少女を。
“カグラ”が向けてきた国王に対する感情を、拒まず、思いやらず、望むままに応えてやれば良かったのか。優希に向けるような慕情を伴わせず、娼婦でも相手にするかのように。
だが、“元の世界”で平和に学生として生活していた義人にとっては、カグラ自身の感情もあっただろうが『召喚の巫女』として、その務めとして国王に抱かれることをどうしても許容できなかった。
カグラが抱いたであろう感情を、それは間違いだと否定する権利など義人にはない。それは『召喚の巫女』という役職が根底にある感情だと、断定することもできない。
慣習が異なり、常識が異なり、法すら異なる“こちらの世界”で、カグラの取った行動や抱いた感情が間違っているなどとは、口が裂けても言えなかった。
それでも、今まで培ってきた義人自身の感情が訴えるのだ。
――カグラの行動を許容できない、と。
「ヨシト王……」
「ヨシト様……」
今までになく悄然とした様子の義人に、アルフレッドとサクラが戸惑うような声を上げる。それを聞いた義人は力なく片手を上げると、天井に視線を向けたままで気だるげに口を開いた。
「……ああ、わかってるよ。ひとまず、カグラの件は保留する。カグラが意識を取り戻して、話をしてから決める」
義人とて、今のカグラを必要以上に罰しようとは思えない。そのため、まずは意識を取り戻したカグラと話をしてから罰を決めるつもりだった。もっとも、これ以上に罰を与える心づもりもなかったが。
精々、先ほど口にした減俸と謹慎程度で済ませることになるだろう。
そして、それとは別に、カグラとは話をする必要がある。
今日のカグラの様子を見る限り、おそらくは、本人にとってこれ以上ないほどに残酷な話を。
この日、カグラが目を覚ますことはなかった。
気が乗らない頭で政務を片付けていた義人は、夜になってもカグラが目を覚ましていないことを確認すると、自室へ引き上げてベッドへと寝転がる。
両腕を枕替わりにして天井を見上げ、最近癖になってきたため息を吐いた。
「本当に、何が悪かったのかね……」
そう言って義人が思い浮かべるのは、かつてのカグラの姿だ。共に話し、共に笑い、時には怒られ、毎日のように政務を一緒にこなした少女。
カグラが義人達を『召喚』したことは、今でも納得はできない。今でこそ自分の意思で“こちらの世界”に戻ってきたが、それでも腑に落ちないものがあるのは確かだ。しかし、カグラは『召喚の巫女』としての職責を果たしただけであり、『召喚』を行わなければ今頃カーリア国は瓦解していただろう。
少なからずこの国やそれを支える臣民に愛着が湧いている義人にとっては、その点については否定をするつもりはない。それでも、今回の件はまた別の話だ。
人の感情など、理屈で語れるものではない。カグラが抱いた感情を、他人の義人が否定することはできないだろう。できるのは精々、拒否するだけだ。
「はぁ……」
いっそ自分の感情を偽ってでも、複数の女性を愛せるように“見せかける”べきか。表面上だけの薄っぺらい感情で、カグラと向き合うべきなのか。それでカグラが納得するならと義人は思うが、それはカグラにとっても義人本人にとっても採るべき手段ではない。
どうしたものかと義人が思案していると、不意に扉がノックされる。それはどこか遠慮がちな小さな音だったが、静寂の中ではやけに大きく響いた。
「……誰だ?」
知らず、疲れたような声が出る。すると、その声を聞いて戸惑ったのか、相手からの返事はなかった。
「…………?」
一体誰がきたのかと義人が身を起こすと、返事がない代わりに扉が少しだけ開く。そして僅かに開いた隙間から顔を覗かせたのは、小雪だった。どこか戸惑うように、怯えたように、無言で義人を見つめてくる。
「小雪か……どうしたんだ?」
そんな小雪の姿を見て、義人は意識して優しい声を出した。昼間に泣かせてしまって以来、ロクに顔を合わせていない。今となっては反省するしかない義人は、表情を和らげると寝台の上で胡坐をかく。
「……おとーさん、おこってない?」
扉から半身を覗かせながら尋ねてくる小雪に、義人は破顔した。
「怒ってないよ。少なくとも、小雪を怒ることはないさ。ほら、そんなところにいないでこっちにおいで」
手招きしながらそう言うと、小雪は両手に枕を抱えながらとことこと歩み寄ってくる。
「今日は本当にごめんな。もう一度、謝らせてくれ」
傍まで歩み寄り、しかし、それでもどこか戸惑っている小雪に義人は頭を下げた。すると、小雪はもう一歩だけ義人に歩み寄り、義人の頭に小さな手を伸ばして怖々と撫でる。
「おとーさん……だいじょうぶ? どこか、いたいの?」
「……え?」
思わぬ小雪の言葉に、義人は驚きを覚えながら視線を上げた。小雪はそんな義人の視線を受け止めると、泣きそうな顔をする、
「だって、おとーさんつらそう」
そう言って、小雪は義人の頭を撫でる。いつも義人が小雪にするように、優しい手つきで、義人の頭を撫でる。
そんな小雪の行動に、義人は思わず涙腺が緩みかけた。しかし、それと同時に嬉しさを感じ、小雪を抱きかかえる。
「ははは、大丈夫だよ小雪。小雪のおかげで、元気になった」
それまで感じていた暗い感情を吹き飛ばして、義人は笑った。小雪は義人の笑顔を見ると、ようやく安心したのか同じように笑顔を浮かべる。
「ありがとうな小雪。おとーさんを慰めにきてくれたのか?」
「うん! あと、おとーさん“も”いっしょにねよ?」
「おう。俺も一緒に……え?」
小雪の言葉に違和感を覚え、義人は小雪の言葉を反芻した。
「俺“も”?」
義人がそう呟くと同時に、ゆっくりと扉が開く。そして開いた扉から姿を見せたのは、優希だった。
「こんばんは、義人ちゃん」
「優希……」
寝間着の上に上着を羽織った姿で歩み寄ってくる優希に、義人は驚いたような声を漏らす。優希はそんな義人に苦笑を向けると、小雪の頭に手を乗せた。
「小雪が『おとーさんと一緒に寝たい。でも、嫌われたかもしれない』って言うから、すぐそこまでついてきてたの。わたしはそんなことないって言ったけど、なかなか信じてくれなくて」
「あー……そっか。悪いな」
「ううん、いいよ」
義人の謝罪に笑顔で首を振る優希。そんな優希に笑みを浮かべると、小雪が義人のベッドへと潜り込んでいく。
「おとーさん、おかーさん、はやく!」
そして、自身の両側を手で叩いた。それを見た義人は小さく笑みを浮かべ、優希は上着を脱いでから小雪の傍へと歩み寄った。
ベッドの左側に優希、真ん中に小雪、右側に義人と、三人はまるで川の字のように並んで横になる。
「えへへ……」
義人と優希に挟まれた小雪は、とてもご満悦だった。両手で義人と優希の手を握り、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。今まで義人や優希と一緒に眠ることはあったが、それはどちらか片方だけだった。だが、今日は二人と一緒に眠ることができる。それが、とても嬉しかった。
「おやすみ、おとーさん、おかーさん」
「ああ、おやすみ小雪」
「うん、おやすみ小雪」
就寝の挨拶を口にして、小雪は目を閉じる。すると疲れていたのか、小雪は一分とかからずに眠りの世界に落ちた。
義人はそんな小雪の寝顔を見つめると、無意識の内に頬が緩む。
「ねえ、義人ちゃん」
「ん?」
そんな義人に、小雪を起こさないよう小さな声で優希が話しかけた。それまで小雪の寝顔を見ていた義人は、似たような笑みを浮かべていた優希に目を向ける。
優希は小雪の頭を優しい手つきで撫でると、微笑みはそのままに義人へ言葉を投げかけた。
「義人ちゃんが悩んでいること、わたしには全部は理解できないけど……わたしは、後悔する義人ちゃんだけは見たくないな」
「……そうか」
穏やかにそう告げる優希に、義人も穏やかに応える。
「ありがとうな、優希」
きっと、それを伝えるために小雪と一緒に来たのだろう。それがわかったからこそ、義人は礼の言葉を口にする。
「ううん、気にしないで。それじゃあ、おやすみ義人ちゃん」
「おやすみ、優希」
小雪と同じように、優希も眠りにつく。義人はそんな二人を交互に見ると、自身も眠るために目を閉じた。
「そうだよな……迷うことは、なかったんだ」
最後にそう呟き、義人も眠りへと落ちた。