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異世界の王様  作者: 池崎数也
最終章
163/191

第百六十話:カスミ その2

 視力を取り戻したカスミは、その足で義人の政務室へと向かっていた。

 ここ最近ロクに体を動かしていなかったため多少体が重く感じられるが、義人の用意した“水薬”を飲んだら視力に加えて魔力も多少回復したため、『強化』を使用して不調を補っている。

 そうやってどこか軽い足取りでついてくるカスミに、義人は心配そうな視線を向ける。


「病み上がりなんだから、今日ぐらいはゆっくりしていても良いんだぞ?」

「いえ、体調の方は問題ありませんし、視力の方もヨシト様のおかげで治りました。だから問題はありません。それに、早くヨシト様のお手伝いがしたいんです」


 心底嬉しそうな笑顔を浮かべながらそう告げるカスミに、義人は愛想笑いを返すにとどめた。そんな二人の後ろでは護衛の兵士やサクラが続いているが、突然回復した上にこの上なく上機嫌なカグラの様子に首を傾げている。

 しかし、当のカスミはそんな視線に気づかないほど喜びに満ち溢れていた。

 “元の世界”に戻ったはずの義人が“自分のために一人で”戻ってきてくれたこともそうだ。そして、視力を失った自分のために薬を用意してくれ、その薬によってこうして再び光を取り戻すことができた。魔力がほとんど底をついているのが難点だが、それも時間が経てば回復するだろう。以前購入した『魔石』を使えば、回復を早めることも可能だ。

 これからのことを思えば、カスミが笑顔になるのも無理はない。目の前にかかっていた闇が取り払われ、傍に義人がおり、その傍に優希もいない。

 まずは溜まった政務を義人と一緒に片付けよう。ここ数ヶ月分の政務が溜まっているだろうが、それも義人の傍で片付けるのならば苦にもならない。

 視力が戻り、魔力も回復の兆しを見せているのなら、鈍った体を元の状態に戻す必要もある。魔力さえ戻ればどうにかなるが、このままでは義人のことを十分に守ることができない。

 そんなことを考えていたからだろう。進む先に立つ人影に、カスミが気付けかなったのは。


「あ、カグラさん、元気になったの?」


 そうやって声をかけてきた人物―――優希の姿を、カスミは最初理解できなかった。治った視界に映るその姿を、カスミはよく理解できなかったのだ。傍には小雪もいて、義人に対して何やら着ている服を見せている。


「みて、おとーさん。おかーさんがつくってくれたんだよ!」


 そう言って、小雪はオールインワンタイプの洋服をよく見せるように、軽く回ってみせた。活発でよく動く小雪のことを考えたのか、スカートではなくズボンで作られたその服は、普段スカートを好んで履く小雪とは違った印象を義人に与える。


「おお、ズボンも似合ってるじゃないか。可愛いぞ、小雪」

「えへへ……おとーさん、だっこ!」


 義人の言葉が嬉しかったのか、小雪が義人に抱っこをせがむ。それを聞いた義人は柔らかい笑みを浮かべると、小雪を抱きかかえた。


「まったく、小雪は甘えん坊だなぁ」

「あまえんぼー?」

「そう、甘えん坊。それにしても、やけに早かったな。服を作るっていうから、もうちょっとかかるかと思ってたんだけど」


 幸せそうに抱き着く小雪の頭を撫でながら、義人は優希へと話を振る。それを聞いた優希はカスミから視線を外すと、義人に笑顔を向けた。


「“元の世界”に戻る前に作りかけていた服があったの。だから、今日はそれを仕上げただけだよ」

「そっか……良かったな、小雪。おかーさんが服を作ってくれて」

「うん!」


 小雪は笑顔で頷く。しかし、すぐに表情を曇らせると、窺うようにして義人を見た。


「でも、おじーちゃんとおばーちゃんがかってくれた“おようふく”が……」

「優希が作ったものと交互に着れば良いさ」


 些細な心配で表情を曇らせる小雪に、義人は穏やかに笑ってみせる。優希も手を伸ばして小雪の頭を撫でると、優しい口調で語りかけた。


「そうだよ、小雪。別に、わたしが作った服だけを着る必要はないんだから。お父さん達……小雪のおじーちゃん達が買ってくれた服も、大事に着てくれれば、それで良いよ」

「……うん!」


 義人と優希の言葉に、小雪は笑顔を取り戻す。義人はそんな小雪をもう一度だけ撫でると、ゆっくりと床に下した。これから政務室に行き、そこにいるであろうアルフレッドとカグラのことについて相談する必要がある。それに、昨晩訪れたミレイとの約束を守るために、空中にできた亀裂に魔物が入らないよう配置した兵士達を移動させなければならない。

 その前に優希や小雪と話せたのは、義人にとって良い清涼剤だった。優希が小雪の手を取ると、今度は優希へと小雪が抱き着く。優希は苦笑しながらそんな小雪の頭を撫で、義人はそれを見て穏やかに笑う。

 それは、傍から見れば幸せな親子だった。夫と妻、そしてその子ども。その三人が幸せそうに笑い合い―――故に、それを見ていたカスミは、眼前の光景が理解できなかった。いや、理解したくなかった、という方が適切だろう。震える声で、何かにすがるように義人へ一歩近づく。


「どうして……ユキ様がいるんですか?」

「……え?」


 突然の呟きに、義人がカスミに視線を向ける。反対に、義人はカスミの言った言葉が理解できない。何故優希がいるのかと聞かれても、すぐに言葉を返すことができなかった。


「ユキ様は“元の世界”にいると、そう仰ったではないですかっ!?」


 そんな義人に、カスミは声を荒げながら詰め寄る。襟をつかみ、顔を近づけて、眼前の光景を否定するように。

 突然激高したカスミに、義人は戸惑いの声を上げた。


「ちょ、カ、カスミ? いきなりどうしたんだよ? 優希がなんでここにいるかのかって……別におかしいことじゃないだろ?」


 何故カスミがそんなことを言うのか。それがわからず、義人は詰め寄るカスミをなだめるようにそう言った。


『“こっちの世界”に召喚されたのは、俺だけみたいだ。優希や小雪、ノーレは“元の世界”にいる……と思う』


 そうやって“カスミにとって都合が良いこと”を魔法人形が口にしたことを、義人は知らない。

 志信も知らず、その発言を聞いていたのはサクラとシアラだけだ。故に、サクラがカスミをなだめようと口を開きかける。しかし、この場を収め、カスミを納得させる言葉が見つからず、口をつぐんだ。

 戸惑う義人を見て、カスミは他にも疑問な点が思い浮かぶ。

 たしかに、“カグラ”はカスミという名を呼んでほしいと願った。だが、それは二人きりの時だけだ、と。けれど、義人は今もカスミという名で“カグラ”を呼んでいる。

 覚えていないのか。それとも、昨日のように偽者なのか。しかし、偽者なのに自分の本当の名前を知っている。しかし、以前聞いた言葉に偽りがある。しかし、眼前にいる義人は偽者にも見えない。

 そうやって、しかし、と繰り返すカグラ。義人と優希、それに小雪が繰り広げる光景がそれまでの偽りの、幸せな日々を否定していく。


「ヨシト様、あなたはっ……」


 ずきずきと、頭が痛む。眼前の光景を否定できず、さりとて幸せな記憶も否定できず。カグラの中にある記憶(うそ)と、確かな現実が相反する。


「あなたは……」


 意識が明滅する。突きつけられた現実に、脳が理解することを拒む。どちらが嘘でどちらが真か、判断することを拒む。

 “カスミ”は言う。目の前の光景は嘘だと。

 “カグラ”は言う。目の前の光景は現実だと。

 もしも目の前の光景を否定するなら、どこからが本当で、どこからが嘘なのか。

 もしも目の前の光景を肯定するなら、どこからが嘘で、どこからが本当なのか。

 知りたい―――が、知りたくない。

 “元の世界”から一人で戻ってきた義人。カグラの行動を許し、カスミと言う名を呼んでくれた、幸せな記憶。だが、カグラが知る義人は、優希や小雪、ノーレを“元の世界”に置き去りにして、それでも笑うような人間だったか。

 “向こうの世界”に戻る手段はないと激高し、何故騙したとカグラを糾弾した義人が、“元の世界”に戻ってくるなり“人が変わったように”考え直したからと笑いかけるような人間だったか。

濁り始めてはいたが、それでも明晰なカグラの頭脳が一つの答えを導き出す。



 ―――答えは否だ、と。



 カグラの瞳が大きく見開かれる。それまでの剣幕を失い、襟から手を離し、震える足で義人から一歩距離を取る。


「……カスミ?」


 突然震えだしたカグラを見て、義人は戸惑いながらも“カグラ”の名を呼ぶ。しかしカグラはそれに答えず、唇すら震わせながら、口を開いた。


「いつ……ですか?」

「……え?」


 不意の問いかけに、義人は首を捻る。


「ヨシト様は……いつ、“こちらの世界”に戻られたのですか?」


 その問いに、義人は僅かに表情を強張らせた。事実を言うならば、“こちらの世界”に戻って一週間も経っていない。正確に日を数えるなら、六日といったところか。だが、それをこの場で、カグラに伝えて良いのか。

 義人は逡巡し、なんとかこの場を収めるための言葉を考える。しかし、それよりも早く、小雪が口を開いていた。


「むいかまえだよ」


 無邪気に、残酷に、小雪が答える。何故カグラがそんなことを聞くのかと、心底不思議そうな表情で。


「小雪っ!」


 思いがけない小雪の発言に、義人は反射的に鋭い声を上げた。怒鳴るようなその声に、小雪は全身を震わせて呆然と義人の顔を見上げる。


「お、とー……さん?」


 雷に打たれたように、小雪は震えながら義人のことを呼ぶ。生まれてからこれまで、義人や優希に怒鳴られたことはない。そのため、義人の怒声にも似た声を聞いて、小雪は言い知れない感情―――恐怖に近い何かを感じた。

 その途端、小雪の両目に涙が溜まり始める。意識をしないのに鼻の奥が痛くなり、しゃくりをあげるように喉が震える。

 それを見た義人は、自身の取った行動に気付き、慌てて小雪の前で膝を折った。


「ご、ごめんな小雪。今のは……」


 小雪に当たった形になった義人は、心底の申し訳なさを感じながら小雪へ頭を下げる。小雪はそんな義人の行動に嗚咽を漏らすのを堪えると、作ってもらったばかりの服の袖で涙が零れないように何度も両目を擦る。


「っ……う、ううん……こゆきが……わるいことを、したんだよね?」


 そうでなければ、義人(おとーさん)が怒るはずがない。

 小雪にとって、義人は優しい父であり、小雪は優しい母だ。だから、義人が怒るのなら、きっと自分が悪いことをしたのだろうと、幼心に悟る。だが、それでも涙がこみ上げそうになるのを止めるのは難しかった。


「ああもう、違うんだ小雪。今のは俺が悪かった。ごめん!」


 カグラの様子も気になるが、今にも泣きそうな小雪を放っておくこともできない。義人は小雪を抱きかかえると、あやすようにして頭や背中を撫でる。そうすると、小雪は泣き顔を隠すように、甘えるようにして義人の胸に顔を押し付けた。

 そんな、義人と小雪の姿を見て、カグラは急速に理解する。

 眼前の義人は本物であり、小雪の言うことも本当であり、今まで自分に優しくしていた義人こそが偽者であり―――昨日、カグラが手を出した相手が、本物の義人だったのだと。


「あ……はは……」


 偽者だと判断して繰り出した貫手が、義人の首筋を掠めた感触が(よみがえ)る。

 義人が避けなければ、それは致命傷になっただろう。そして、カグラが自分の手で、何よりも求めた義人本人を殺すことになっていた。いや、避けたと言っても、貫手が掠めた感触からして軽傷ではすまなかったはずだ。動脈は外れたのだろうが、それでも多量の血を流す程度には深手だったと、カグラの経験が結論付ける。

 そのことに思い当たり、カグラは自分の中で“何か”が軋む音を感じた。

 乾いた笑い声を上げて、カグラは一歩ずつ後ろへと下がっていく。しかし、すぐに背後にいたサクラにぶつかり、そちらへと視線を向けた。


「……サクラも、知っていたんですね?」


 感情のない声色で、カグラが尋ねる。


「……はい」


 それに対し、沈痛な表情でサクラは頷いた。『召喚』後にカグラが衰弱していたことを理由にもしない。それを改善するためにとシアラが取った行動を、責めることもできない。サクラとて、過程はどうであれ、カグラが元気になっていくことを喜んでいたのだから。

 カグラは空虚な眼差しで、もう一度義人に視線を向ける。そうして小雪を抱きかかえる義人、そしてその傍に寄り添う優希の姿を見て、軋んだ“何か”がひび割れ、崩れていくのを感じ取った。

 崩れていく“何か”―――幸せだった偽りの日々が、音を立てて砕け散る。それまでの記憶など幻想だったと嘲笑うかのように、粉々に砕け散る。


「は……あはは……あははははははははっ!」


 突然笑い始めたカグラに、義人やサクラが驚きの視線を向けた。周囲の兵士達も、驚いたようにカグラに目を向ける。

 カグラはそんな義人と目が合うと、一切の表情を消し、糸が切れた人形のように意識すらも失って倒れたのだった。


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