第百五十八話:ミレイ=シーカー
ミレイの再度の名乗りを聞き、寝室の中は沈黙に満たされる。
それでも義人は口を開くと、戸惑いを露わにしながら問いを投げかけた。
「……白龍って、本当か?」
しかし、口から出たのはそんな当たり障りのない問いかけである。それでもミレイは気にすることなく頷く。
「ええ。さすがに、人間が六百年以上生きることはできないでしょ?」
ミレイの肯定。それに対して、義人は声を震わせながらミレイを指差す。
「それじゃあ、パッと見たところ若いけど、実際はおばうぁっ!?」
働かない思考で良からぬことを口走りかけた義人の懐へ滑り込んだミレイが、笑顔でその顎を打ち抜く。そして倒れそうになる義人を捕まえて片手で持ち上げると、笑顔のままで顔を近づけた。
「んん? なんて言おうとしたのかな? おねぇさん、よく聞こえなかったなー。おば……何?」
言葉の最後に言い知れぬ気迫を込めて、ミレイが尋ねる。義人は生まれたての小鹿のように足を震わせると、音が立つ勢いで首を横に振った。
「なんでもないです! ミレイさんの気のせいです!」
「あら、そう?」
全力で言い逃れる義人を追撃せずに、ミレイは手を離す。義人はミレイの手から逃れると、すぐさま顎を押さえながらうずくまった。
ちくしょう、ノーレといいミレイといい、口が滑ったぜと内心で後悔し、状況にそぐわない発言をしたと凹む。それでも驚愕から抜け出すことはできたと前向きに考え、顎をさすりながら義人が立ち上がった。
「おー、いてぇ……顎が割れたらどうするんだよ」
「男前になって良いじゃない。それで、話を戻すけど」
義人の冗談を流し、ミレイは話を元に戻そうとする。しかし、それよりも早く志信が小さな呟きを漏らした。
「白龍ということは、小雪と同族なのか」
ミレイと義人の話を聞いていたのだろう。志信としてはその言葉自体はそこまで大きな意図を込めていなかったのだが、ミレイは思いの他大きく反応する。
「小雪って?」
小雪の名を聞き、ミレイは首を傾げた。そんなミレイに、義人はいまだに痛む顎をさすりながら答える。
「ミレイと同じ白龍だよ。『龍の落とし子』で、この国に卵が降ってきたんだ。それで、生まれるなり俺と優希……俺の、まあ、恋人なんだけど、俺達二人を両親だと思ってこの城に住みついているんだ」
「ああ……道理で同族の匂いがすると思ったわ。てっきり、うちのばばあが様子を見に来たのかと思ったけど……しかし、あの年になってもまだ子供を産むなんて、元気が良すぎるわ」
見えない誰かに向かって悪態を吐くミレイに、義人は苦笑した。
「ばばあって……口悪いなぁ。というか、その人……じゃない、白龍が小雪の本当の母親かどうかわからないだろ?」
ミレイという白龍が目の前にいることを考えれば、他にも白龍がいてもおかしくはないだろう。そう思って義人が言いなだめようとすると、ミレイは首を横に振った。
「ばばあはばばあよ。わたしなんか目じゃないってぐらい生きているんだから。なにせ、千年単位で歳を重ねているのよ? そして、この辺りはあのばばあの領域でもあるわ。そんなところで白龍の子が生まれたっていうのなら、余程の例外がない限り他の白龍が親ってことはあり得ないわね」
ないないと顔の前で手を振るミレイに、義人は納得がいかないものの頷く。ミレイが嘘を吐く理由もないが、今はもっと別に話すべきことがあるのだ。
「それじゃあ、ミレイがこの国に訪れた理由はあの亀裂を塞ぐのが目的ってことで良いんだな? そして、俺のところにきたのは亀裂を守っている兵士が邪魔だからどけてほしいと」
「ええ。それと、カグラに協力してほしかったんだけどね」
義人がまとめるように言うと、ミレイは一言付け足しながら頷く。
「そうか……でも、そもそもミレイはなんでこんな時間にきたんだ? 昼にでも来れば良かっただろ?」
今はまさに草木も眠る丑三つ時だ。義人としては、さすがにそろそろ眠らないと翌日の政務に支障をきたす時間である。ミレイ自身も非常識な時間に訪れていることを理解しているのか、どこか申し訳なさそうにしながら肩を竦めた。
「そうしたかったんだけど、わたしぐらいの力を持っていると気軽に人間側に干渉できなくてねぇ。うちのばばあに見つかると大目玉だから、こうやって人目を忍んできたのよ」
まあ、どうせわたしが来たことには気づいているでしょうけど、などと付け足すミレイ。それを聞いた志信は、納得がいったとばかりに頷く。
「なるほど、たしかにあなたほどの力を持った者が人間に干渉すれば大事になる。例え一国を相手にしても勝てそうだ」
「そういうこと。でもあなた……えーっと、シノブって言ったかしら? あなたは筋が良いわね。それとも師が良かったのかしら? 掠る程度とはいえ、そんなわたしを相手に一撃入れた人間は十人もいない。誇っていいわよ」
相手を下に見たような発言ではあるが、その言葉に含まれていたのは紛れもない称賛。永き時を生き、その間に磨き抜いたその武に、志信は僅かなりとも手が届いた。その偉業に対する称賛だった。
「そうですか……では、誇らせていただきましょう」
故に、ミレイの賛辞に頭を下げることで応える。そんな志信の姿を見て、ミレイは純粋に笑みを浮かべた。
「斯くも人間は素晴らしい、か。相変わらず、人間というのは大きな可能性を秘めているわねぇ……」
志信が賛辞を受け取るのを見て、義人は冗談交じりに片手を上げる。
「俺は?」
「あんたは真正面から斬りかかってきただけじゃない。それこそ指一本で倒せるわよ」
しかし、敢え無く撃沈されて義人はうなだれた。ミレイはそんな義人の姿を見て笑うと、咳払いを一つ零す。
「さて、話を戻すわね。さっきも言った通り、強力な魔物が人間に強く干渉することは禁止されているのよ。相手が個人ならまだ良いけど、国家が相手だとなおさらね」
「ああ、そう言えばアルフレッドも似たようなことを言ってたな……」
以前そんな話を聞いたと義人が思い出していると、ミレイが首を傾げる。そんなミレイの動きを見て、義人は先んじて口を開いた。
「アルフレッドっていうのはこの国で宰相を務めているエルフのことだよ」
「エルフが宰相? ……まあ、エルフならぎりぎり大丈夫かしらね。でも、この国も奇妙な国ね。魔物が宰相に就くなんて」
首を傾げるミレイだが、また話が逸れていることに気付いたのだろう。小さなため息を吐くと、話の方向を修正する。
「そういうわけで、今夜わたしがここに来たのは秘密にしてほしいわ。特に、他国の人間に知られちゃ駄目よ?」
「え? なんでだ?」
他国の人間という言葉に、義人は首を傾げた。何故そこで他国の人間が出てくるのかと、疑問に思ったのである。
「白龍っていうのは希少な種族だからね。それに、その血肉は魔法的な価値が高いし、長生きしたい人間にとっては長寿の薬にもなる。だから、その存在を知られると余計なちょっかいをかけられるわよ」
その言葉には確信がこもっており、ミレイ自身、自分が口にした環境に陥ったことを窺わせた。そのため、義人も真剣な表情で疑問をぶつける。
「ということは、小雪も狙われるのか?」
「んー……そこまで大きな魔力は感じないから、まだ生まれたてでしょう? 巣立ってもいないのに狙ったりすれば、それこそうちのばばあが襲ってきかねないわ。でも、わたしは別なのよ。何百年も生きているから、人間に狙われるのも自己責任ってわけ」
「そうか……」
安心したような、そうでないようなため息を義人は漏らす。小雪の魔力が大きくはないという点に突っ込みを入れたかったが、相手は何百年と生きた白龍である。それこそ、小雪と比べれば大人と子供ほどに差があるのだろう。
そこで、義人はミレイが語った内容から気にかかる点を拾い上げる。
「今、白龍の血は長寿の薬にもなるって言ったな?」
「言ったわよ? あ、でも、その小雪って子から血をもらったりしたら駄目だからね」
「……何かまずいのか?」
もしかすると、今のカグラを治療するヒントになるかもしれない。そう考えた義人は、ミレイの言葉に食い下がるように尋ねる。
「人に法があるように、白龍にも掟があるの。それはきっとうちのばばあが教えに……いえ、なるべく早く教えたほうが良さそうね」
義人の表情を見て、ミレイは眉を寄せた。悪事に利用はしないだろうが、それでも白龍の血に手を出しそうである。
「今度またお邪魔しにくるわ。その時に、小雪ちゃんに色々と教えてあげる。だから、絶対に手を出しちゃ駄目よ?」
念を押すように言うと、義人は不満そうに頷いた。もっとも、それは小雪の血が利用できないからではない。
「小雪は俺と優希の“娘”だぞ? 頼まれてもそんなことするかよ」
ヒントになるとは思ったが、それでも小雪にそんなことを頼むつもりは微塵もなかった。頼めば喜んで血を差し出しそうだが、義人も“父”としてそれを受け入れることはできない。
義人が望むとすれば、眼前のミレイから血を分けてもらえないかという希望だけである。しかし、ミレイの様子を見る限り難しそうだ。
「それが無理として、ミレイなら『治癒』で失明ぐらい治せるんじゃないか? たしか、白龍って『再生』を司るんだろ?」
それほど期待せずに義人が尋ねると、ミレイは頬に手を当てて視線を宙に飛ばす。その頬を手に当てる仕草はカグラにそっくりで、義人は思わず目を瞬かせた。
「……そう、ね。相手がただの人間なら難しいけど、“カグラ”ならどうにかできると思うわ」
「やっぱり無理か……って、できるのか!?」
ミレイの仕草に目を取られていた義人は無意識の内に頷き、すぐにミレイの言葉に反応する。そんな義人の表情の動きを見たからか、ミレイは薄く笑みを浮かべた。
「まあ、本来は駄目なんだけどね。でも、わたしの“血族”が相手なら少しぐらいは干渉しても良いかな」
そして、特に気にすることもなく、義人にとっては聞き捨てならない発言をする。
「……え? 血族って……まさか」
「“今のカグラも”わたしと見間違うぐらい似ているんでしょ? だったら間違いないわ。その子、間違いなくわたしの血を引いているわね。子、孫、ひ孫、玄孫……あれ? 十代以上離れた孫ってなんて言うのかしら? あ、ちなみにこの付近で白龍の子を産んだ例外って、わたしのことだから」
呼び方がわからず首を傾げるミレイだが、こともなげに告げられた言葉の内容を理解できず、義人は思考を停止させた。
「え、と……本当に? ということは、カグラは白龍の血を引いているのか……」
「そのはずよ。その子、『治癒』が得意なんじゃない? あと、風魔法も得意じゃないかしら?」
そう言われ、義人は肯定するように頷く。
「どうして……」
「『治癒』が得意なのは白龍の特徴だからね。風魔法が得意なのは……」
そこまで言って、ミレイは義人を見つめる。
「あの子が『召喚の巫女』だから、ね」
そう言って、ミレイは傍に置いてあった水差しを手に取る。そして陶器製の水差しに水が入っていることを確認すると、右手を口元に持って行き、人差し指の腹を軽く噛み千切った。
「ちょ、何してるんだ!? 血は駄目だったんじゃないのか!?」
「ん? 言ったでしょ、血族が相手ならって。さすがに薄めずに飲ませるのは危ないから水で薄めるけど、魔力の欠乏で失くした視力ぐらいなら回復すると思うわ。魔力の方は……その子次第ね」
水差しに数滴の血を落とし、ミレイは軽く水差しを振る。そしてそれを元あった場所に置くと、注意するために口を開く。
「一応言っておくけど、あんた達が飲んだら駄目だからね? また今度様子を見に来るけど、もしもあんた達がこれを飲んでいたら―――」
そこで言葉を切り、ミレイは噛み切った部分に『治癒』をかけて傷を治す。そして瞬く間に傷を塞ぐと、言葉の続きを言うことなく扉に向かって歩き出す。そして義人達に背を向けた状態で片手を振ると、背中越しに言葉を吐き出した。
「まあ、そんなことはしないと信じておくわ。それじゃあ、兵士の件はよろしくね。あと、カグラにもよろしく」
それだけを言うと、ミレイの姿が文字通り消える。義人のように『加速』で高速に移動したわけでもなく、まるで煙のように姿が見えなくなった。一体どんな芸当だと、志信は首を傾げる。
義人はミレイの姿がなくなったことを認識すると、志信に視線を向けた。
「……どう思う?」
「嘘ではないだろうな。俺には、嘘をついているようには見えなかった」
そう言って、志信はミレイが血を垂らした水差しに目を向ける。
「飲むか?」
「飲まないよ。今からカグラに……って、寝てるか。朝になったら飲ませに行くさ」
「毒かもしれんぞ?」
自分は信じてもいない口調で志信が言うと、義人は疲れたようにため息を吐く。
「……どの道、このままだと手詰まりだしなぁ」
そう呟いて、義人は頭を掻く。不思議と、ミレイの言葉に嘘はないと信じている自分に驚きを感じながら。
「そうか……それでは、俺も今日のところは部屋に戻ろう」
「ああ。訓練しているところだったんだっけ? 途中で切り上げるのか?」
「そういうことになるが、さすがに今から訓練をやり直すわけにもいかんしな。今日のところは素直に休むとするさ」
それだけを言い残し、志信も義人の寝室から出ていく。
そんな志信を見送ると、義人は突然の来訪者の姿を思い出してからもう一度だけため息を吐くのだった。