第十五話:王様業務、初日終了
日も山際へと差し掛かり、徐々に夜の帳が下り始めた頃。相変わらず王印を押していた義人は色々と限界を迎えていた。
「あだだだだ! ちょ、腕つった!?」
押印するだけの単純作業だったが、それがずっと続けばきつい。義人はこった肩をぐるりと回し、思いっきり背伸びをする。すると、執務室の扉がノックされて外から守衛の兵士の声が響く。
「ヨシト王! シノブ様がお目通りを願っていますがどうされますか?」
「ああ、うん。通してくれ。というか、志信や優希はそのまま通していいから」
「はっ!」
兵士の返事が聞こえ、次いで扉が開いて志信が入ってくる。
「おっす、志信。いやー、王様って腕が疲れる仕事だったんだな。って、どうしたんだ? なんか、ずいぶんと落胆してるけど」
冗談混じりに話しかけてみるが、志信の表情がいつもと違う。付き合いの浅い者ならばいつもの仏頂面でまったく気づけなかっただろうが、義人にとっては当たり前のように表情が読み取れた。
志信は言うか言うまいか僅かに迷い、口を開く。
「義人の言う通り、この国の兵の様子を見てきた。城の裏手にいない部隊もいたが、少し遠くで演習をしていると聞いてそこも見てきた……が」
これまた珍しいことに、志信は苦悩の表情を浮かべ、そんな志信に義人は嫌な予感がした。
「も、もしかして……駄目だったか?」
「騎馬隊と魔法剣士隊はまだ良い。魔法隊は魔法の威力の基準がわからんから除外する。だが、歩兵隊と弓兵隊の練度が低すぎる。アレでは、もし他国に攻め込まれたら数日で負けるだろう」
「……マジで?」
「ああ、本当だ」
志信が嘘を吐く理由がなく、義人が志信を疑うこともない。義人は何度か宙に視線を巡らせると、自身を鼓舞するかのように口を開いた。
「でも、騎馬隊と魔法剣士隊は良かったんだろ?」
多分に期待を込めた問い。志信はその質問が来ることを予想していたのか、首を横に振る。
「歩兵隊などに比べれば、な。戦力として考えるなら魔法剣士隊。兵の練度だけで見るなら騎馬隊が上だが、他国の兵士がどれ程のものかわからん。それに、その二つの隊の中にも実戦を知らない者が何人もいるように見えた」
「ということは……」
「この国の軍は弱小、と言えるだろうな」
歯に衣着せぬ志信に、義人は頬が引きつるのを感じた。さらに、志信は追撃を加える。
「それと、魔法剣士隊のミーファだが……あれは少々拙いな」
「拙い?」
「ああ。おそらく、今まで負けという負けを経験していないのだろう。多少の過信が見える」
「過信か。どれくらい?」
「ある程度の自信を持つことは必要だが、あれはいきすぎだろう。騎馬隊の隊長は中々出来た人物のようだが」
義人はため息を吐く。
「財政は破綻寸前。臣下の中には税金を横領している奴がいる可能性が高い。その上、兵は弱く、それをまとめる隊長は過信気味ときたか……カグラ、早く魔力を回復してくれないかなー」
「だが、今すぐ元の世界に戻れたとしてもこの国の人間を見捨てることになる。義人はそれで良いのか?」
志信の言葉に、義人は苦笑する。
「自分や友達の身の安全と、見知らぬこの国の人間を秤にかければ、どっちに傾くかは簡単なことだろ?」
苦笑する義人に、今度は志信が薄く笑う。
「『秤を傾かせずに全てを良い方向に持っていこうとする』。それが滝峰義人という人間だ。まして、カグラが魔力を回復するまで時間がかかる。その間、手をこまねいているお前ではあるまい」
「買い被りだよ。答えは前者に傾くさ」
そう言って義人は肩を竦めるが、志信はそれが嘘だとわかっている。
義人はこの国を動かせる立場にあり、実際に動かそうとするだろう。もし王という権力のある立場でなかったら前者の考えだっただろうが、それでも出来る範囲で何とかしようとしたに違いない。
そんな真っ直ぐな信頼に、義人は参ったと言わんばかりに両手を上げた。
「はいはい、どうせ俺の考えてることなんて簡単ですよー。期間限定で、この国を良くしてみようかと思ってますよー。シミュレーションゲームみたいで面白そうとかちょっぴり思ってますよー」
投げやりに答えつつ、王印を机に置く。そして、椅子に背を預けて軽く息を吐いた。
「正直さ、この国が戦争とかやってたらすぐに逃げ出したよ。俺の命令で人が大勢死ぬなんて状況だったら、迷わず優希と志信を連れてこの国から逃げただろうさ。だけど、幸いこの国は平和……とも言えないか。でも、少なくとも戦争中ってわけじゃない。そして、俺の行動次第ではこの国の人間が幸せになれる。そしてこの国の現状は気に入らない。だったら何を迷うよ?」
椅子から身を起こし、義人は不敵に笑う。
「こんな体験、したくても出来ることじゃねえ。元の世界に戻るまで、この国をもっと良い国にしてやるさ」
魔法が使えて、魔物と戦う世界。日常からかけ離れた、非日常。
それは、子供なら誰しも空想に思い描いたこと。そんな世界で魔物相手に戦い、旅をする。
そして、それが絵空事に過ぎないことは誰でも気づき、歳を取れば一笑に付すだろう。
だがその絵空事が実現したなら?
冒険は出来そうになく、魔物だけでなく人間と戦う可能性もある。だが、それでも王という非日常な日常だ。
義人という人間は、それを簡単に投げ出せるほど童心を捨てていなかった。
「まあ、このままだと戦争とかで人が死ぬ前に、飢饉でも起きて多くの人が死にそうだけどな。親父やお袋達は心配してるだろうけど……って、それが一番のネックか。向こうの世界に戻ったら何て説明するかなー」
今度は困った顔になり、真剣に悩む義人。突然自分の子供がいなくなれば、家は大騒ぎだろう。せめて、無事だということでも伝えられればいいのだが。
「んー……魔法で手紙だけでも送ることってできないかねぇ? 人を元の世界に送るよりも楽だと思うけど」
「それはカグラにでも聞いてみなければわかるまい。俺もカグラに聞きたいことがある」
「お、スリーサイズ?」
「何でも、俺達には『強化』という魔法がかかっているらしい。身体能力を向上させる魔法らしいのだが、何故かかっているかわからん」
「カグラって優希よりはスタイル良さそうだよな」
「後々何か悪影響が起きては拙い。早急に聞いておくべきだ」
「でも、多分ミーファのほうがスタイル良いか」
「魔法のことについて、さらに深く聞く必要もあるだろう」
「そういやサクラって何歳だろ? ちょっと幼く見えるけど」
「戦闘において、どれほど魔法に有利性があるのかも知りたい」
「全部スルーされた!? ちくしょう! やるじゃないか!」
もちろん義人も志信もお互いの話は全部聞いている。だが、全てスルーされてしまっては寒いどころかイタい。
今の空気を払拭するため、ごほん、と一度咳払いする。
「しかし、魔法がかかっているからいつもより体が軽く感じたんだな。今なら陸上競技の世界記録を簡単に塗り替えられそうだ」
「義人、女性にスリーサイズを聞くのはいささか以上に失礼だと思うが……」
「今更!? このタイミングで混ぜっ返しますか!?」
今更咎めるような志信に、義人は突っ込みを入れて笑い声を上げた。すると、その笑いを遮るように執務室の扉が開く。
「義人ちゃん、洋服できたよー。って、どうしてそんなに笑ってるの?」
両手に服を抱えた優希が、不思議そうな顔で聞いてくる。
義人は『いやいや、なんでもない』と言おうとして、
「スリーサイズを」
「待て待て待て! ちょっと待ちましょう志信さん! それを言ったら血が流れるって! 主に俺が!?」
慌てて志信の台詞を大声でかき消した。
優希が持ってきた服を広げると、義人は感嘆の息を漏らす。
「おお……中々良いじゃないか」
良い布を使っているのか、非常に肌触りが良い。その上頑丈な縫い方をしているので、多少激しい動きをしても大丈夫だろう。
「そうでしょ? 頑張って作ったんだから」
褒めて褒めて、と表情で語る優希。もしも尻尾が生えていたら、ブンブンと大きく振っているだろう。
志信も服を手に取り、軽く引っ張って強度を確かめている。
「これなら鍛錬の際に着ていても問題なさそうだな」
「あ、藤倉君の服はケーリスさん……服飾担当の人が作ってくれたんだよ」
「そうか、会ったら礼を言わねばな」
さすがに制服は作らなかったが、下着にTシャツに羽織るタイプの上着、それとジーパンらしきものがある。色は黒や紺など、落ち着いたものが多い。
「あれ? 優希の服は?」
そこで洋服が全て男物であることに気づいた義人が尋ねると、優希は小首を傾げる。
「スカートとか下着とかを少し作ったけど……見たい? 義人ちゃんが見たいなら持ってくる
よ?」
「いや、いい。てか、そこは恥らおうぜ?」
優希なりの冗談だと受け取った義人は軽く突っ込みを返し、服に使われた布を軽く撫でる。
「こういった布って、高いのか?」
「質によると思うよ? これは義人ちゃんが着る服だから良い布を使ってるけど、普通の人が着る服の布はそんなに高くないみたい」
「ふーん。産業はそこまで悪くないのか? いや、油断は禁物だな」
国に関する情報が書かれた紙を手に取り、ブツブツと呟く。
「他国の情報があれば比較できてわかりやすいんだけどな……カグラかアルフレッドに聞いてみるか。資料くらいならありそうだし」
と、そこまで言ったところで義人はあることに気づいた。
「そう言えばこの国、いや、この世界って情報とかはどうやって調べてるんだろうな」
義人がそう言うと、優希と志信は僅かに考え込んで口を開く。
「魔法?」
「やはり、間諜ではないか?」
情報というのは時として金よりも価値があるものであり、国を運営する上では必要不可欠なものだと言える。最低でも国内における情報網がしっかりしていなければ、有事の際非常に危険だろう。
さすがにこれはあとで聞くという気にはなれず、守衛の兵士にカグラを呼んできてもらった。
「情報、ですか? それはその……」
呼ばれたカグラは、質問に対して僅かに目を逸らす。そんなカグラの様子に、義人は断定口調で頷いた。
「これも駄目らしい」
「はい……わが国の情報機関では、国内の情報を得るので精一杯です。他国の情報となると、そこまで得ることができません。この国は攻め込まれることがないということで、前王が国内の情報を集めるだけに止めていましたので」
「ちなみに、得られた情報は信用できるものなのか?」
肩身が狭そうなカグラに、今度は志信が突っ込みを入れる。
「……多分」
「よーし。とりあえず、前王の墓を壊しに行こうぜ」
はっはっは、と笑う義人だが、目はまったく笑っていなかった。
どうやらこのカーリア国、予想していたよりもさらに危険な状態らしい。
「まずは情報網を万全にしないとな……でも、それをどうにかするには金がいる、と」
何をするにも先立つものが必要なのは、どこの世界でも変わらない。
「そういえばカグラ、『強化』という魔法を知っているか?」
そんな義人の横で、志信がカグラへと質問をぶつける。
「『強化』ですか? 自分、もしくは他者の身体能力を向上させる魔法です。自身の身体能力を向上させる『強化』は、魔法の中では基礎の基礎と呼べるぐらいに難易度が低い魔法ですね。他人に『強化』をかけるのなら中級魔法に分類されます。他人に『強化』をかけられるようになったら一流の魔法使いと言えますね」
「それが俺たちにかかっているらしいのだが」
そう言われ、カグラが不思議そうに首を傾げた。
「かかってますけど……言ってませんでしたっけ?」
「言ってないっすよ!?」
さらりとぼけるカグラに、義人が慌てて突っ込みを入れる。カグラはそうだった、と手を合わせ、申し訳なさそうに頭を下げる。
「正確には『強化』とは違うのですが、向こうの世界からこちらの世界に来る際必ず起こる現象らしいです。歴代の王も同じ状態だったとの記録もあります。召喚の術を使った際に、対象者に強制的に魔力が送り込まれて『強化』と同じ状態になると教えられています。それも、かなり長い間効果が続くみたいですよ?」
「長いって、どのくらい?」
「記録によると大体十年ってところですね。今回は三人召喚したので、三年ぐらい効果が続くのではないでしょうか?」
「へぇー、便利だな。優希とかは非常に助かるんじゃないか?」
「そうだねー。わたしって、よく転ぶし」
えへへ、と笑う優希。
そのことに義人は笑いを返すと、ひとまず解散することにした。