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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百五十話:ノーレ

「ノーレ……」


 半ばから折れた剣を片手に、義人は呆然と立ち尽くす。その視線の先には、地面に突き刺さった刃先。今も、地面に刺さった衝撃でヒビが入っていた部分がぽろぽろと崩れ落ちていく。

 ノーレを盾にして防御を選択したのは、あの場では最良の判断だった。『加速』を使うには間に合わず、体捌きだけで避けられるような攻撃でもない。かといって、ノーレを使わずに自身の体だけで防御していれば、今頃物言わぬ死体と成り果てていただろう。


「……ノーレ!」


 しかし、だからといって、ノーレを失うのならば違う選択肢を取るべきだった。義人は残った柄を強く握り絞めながら、内心でそう呟く。


『おとーさん!』


 そんな義人の元に、小雪からの声が届いた。切羽詰まったその声に、義人は弾かれたように視線を上げる。


「ガアアアアアアァァァッ!」


 いつの間に距離を詰めていたのか、眼前に獅子の魔物が迫っていた。それを阻止すべく小雪が火球を撃ち出しているが、他にも相手をするべき敵が空にはいる。

 我に返った義人は咄嗟に真横へと転がって獅子の突進を回避しようとするが、ノーレが折れたことによって『強化』に回していた集中力が途切れており、現状の義人には通常の運動神経しかない。そのため、辛うじて突進こそは避けたものの、次いで迫る獅子の尾まで避け切ることはできなかった。


「くそっ!」


 ノーレを折られた苛立ちを込め、鍔元から二十センチほど残っている刀身を尾の一本に叩きつける。それと同時に残った二本の尾が義人の体を捉え、そのまま後ろへと殴り飛ばされた。

 手に伝わる、尾を断ち切る感触。そして、肋骨と右足に走る激痛。それらをすべて理解するよりも早く、義人は地面を一度二度とバウンドする。


「ぐ……あ……」


 その勢いが止まると、義人は呻くような声を漏らした。志信ほど体を鍛えていないため詳細にはわからないが、肋骨の何本かが折れた感触がする。右足は大腿骨の辺りに痺れるような痛みがあり、こちらも状態は芳しくない。


「く、そ……」


 それでも、義人は痛みを無視して立ち上がろうとする。激痛で悲鳴を上げたくなるが、“そんなこと”は後でもできると言わんばかりに、立ち上がろうとした。握り締めていた剣の残骸は手放しておらず、獅子に向ける視線は射殺さんばかりに鋭い。

 そんな義人に対して、獅子は尾の一本を断ち切られた痛みに咆哮を上げながらゆっくりと近づいてくる。雷を撃つよりも歯牙にかけることで確実に義人を仕留めることを選んだのか、その足取りに油断はない。だが、不意にその足が止まった。

 獅子は何かを警戒するように周囲を見回し、二つの首を巡らせる。そんな獅子の動きに義人は眉を寄せるものの、この場で獅子が気にかけるようなものは空を飛ぶ小雪ぐらいだろう。その小雪も、義人を救うべく近づこうとしているが、僅かに距離がある。

 義人は今の内に『強化』をかけ直すと、左足だけに体重を乗せながら立ち上がった。そしてゆっくりと右足に体重をかけ、痛みがあるものの骨が折れていないことを確認する。

 これなら少しぐらいは動けそうだと判断する義人だが、正直なところ戦闘を継続するのは難しい。下手に動けば折れた肋骨が内臓を傷つけるだろう。しかし、義人はそれでも戦うことを決意する。

 攻撃を凌ぐためとはいえ、盾として扱ってしまったノーレ。彼女のことを思えば背を向けて逃げてでも生き延びるべきだが、大人しく逃げ出せるほど義人は人間が出来ていない。頭に血が上っていると指摘されれば、否定はできないだろう。この場は小雪と協力して切り抜けろと、ノーレも言っていた。

 小雪に気を引いてもらい、その隙に『加速』を使って懐まで飛び込み、全力で風魔法を叩きこむ。そんな無謀ともいえる作戦が頭の隅を掠め、しかし、義人は敢えてその方法を取ろうとした。


「…………?」


 不意に、そんな義人を包むように一陣の風が吹き抜ける。春先らしい、どこか暖かな風。それでいて怒りに滾る心を落ち着けるような、清涼さも併せ持つ春風。

 その風は落ち葉を巻き上げながら、獅子の方へと―――正確には、獅子の足元へと集まっていく。


「なん……だ?」


 痛みを堪えながら、義人が呟く。獅子も困惑しているのか、集まってくる風を避けるように後ろへと下がった。風は渦を巻くようにして一か所に集まり出すと、その中心にあった物を持ち上げる。


「―――え?」


 風が持ち上げた物を見て、義人は呆けたように声を漏らした。渦を巻く風の中で浮かび上がるのは、折れたノーレの刀身。そして、それに共鳴するように義人の手元からも風が吹き出す。義人が慌てて目線を下げると、そこには剣のもう半分があった。

 風の勢いに、義人は思わず手を離す。すると、半ばから折れた剣は意思でも持つかのように宙を飛び、折れた刃先の元へと向かう。そして刃先の元までたどり着くと、まるで小さな竜巻の様に刀身を包み込み、周囲の枯葉を巻き上げながら一つの形へと収束していく。

 吹き荒れる台風のような強風を前にして、義人は眼前に腕をかざした。一体何が起こっているのかと、飛んでくる枯葉を気にかけず目の前で起こっている現象を見つめる。獅子は突如発生した暴風を警戒して距離を取るが、義人にそれを気にする余裕はない。

 渦巻く風は徐々に勢いを増し、それと同時に義人は違和感を覚えた。


「これは……魔力?」


 風の勢いが強まると共に、魔法の扱いに長けていない義人でも感じられるほどの魔力が風の中心に集まり出す。中級魔法を超え、上級魔法を使用する直前のような巨大な魔力の集中。“向こうの世界”にいた頃の義人が全力で魔法を行使しても届かないような、大きな魔力の量。さすがに小雪や優希、カグラには届かないだろうが、それでも自身を倍するような大きな魔力に、義人は息を呑む。


「っつ!?」


 さらに強い風が吹き荒れ、折れた刀剣を覆っていた風と落ち葉が周囲へと弾け飛ぶ。義人はその風の激しさに目を閉じ、急に風が凪いだのを感じて目を開けた。そして、驚愕に目を見開く。


「―――――」


 そこにあったのは―――否、そこにいたのは、一人の少女だった。目を閉じた一人の少女が、暴風が凪ぐと同時にゆっくりと地面に降り立ってくる。

 背は優希よりも僅かに低く、その体躯は一言で言うならば華奢。幼さが残るものの整った目鼻立ちをしており、その相貌にはどことなく気品が漂っている。背中まで真っ直ぐ伸びた髪は銀糸に似た輝きであり、身に纏うは純白のドレスにも似たワンピースだった。そして、それ以上に目を引くのは、少女が“半透明”という一点に尽きるだろう。少女の体は半ば透け、その体の向こうに不透明な風景が見える。

 少女がゆっくりと目を開き、自身の姿を見下ろす。続いて、呆然とした様子の義人と、距離を取って警戒する獅子に視線を向けた。


「―――“こうなった”、か……まさかのう」


 少女の口から、凛とした声が漏れる。その声色にはどこか遠くを想うような含みがあり、少女は小さくため息を吐く。


「やれやれ、人の生とは真に不思議なものよのう……」


 少女は一度だけ悲しげに目を伏せるが、それをすぐに振り払う。そして義人の傍まで歩を進めると、不思議そうな顔で首を傾げた。


「む? ヨシト、何を呆けておるんじゃ?」


 首を傾げる少女に名を呼ばれ、そして、その口調に思い当たる節があった義人は震えるような声を発する。


「お、お前……まさか……ノーレ、か?」


 解答を見つけたものの、確証は持てずに半信半疑で尋ねる義人。


「ノーレ?」


 一瞬、何を言われたのかわからないように少女が瞳を瞬かせる。しかし、すぐさま納得したように微笑んだ。


「……ああ、そうじゃな。そうじゃった。うむ、妾はノーレじゃよ」


 答えは肯定である。それを聞いた義人は、体の痛みも忘れて口を開いた。


「って、え、ちょ、え? い、いや、ノーレは、ほら、剣だろ? え?」


 現状を忘れ、義人は理解が追いつかないとばかりに混乱する。そんな義人に対して少女―――ノーレは微苦笑を零すと、表情を引き締めて獅子へと視線を向けた。


「それについては後で語ろう。まずは、あやつをどうにかせねばな」

「どうにかって……どうやってだよ?」


 ひとまずは混乱を落ち着かせ、義人は改めて獅子の方へ視線を向ける。獅子は人の姿で突然現れたノーレを警戒しているのか、唸りながらゆっくりと近づいてくる。そして一定の距離まで近づくと、額の二本角に紫電を集め始めた。


「あれは……ノーレ、俺の背後に隠れろ!」


 そう言うと同時に、義人は魔力を集中させ始める。ノーレに問いたいことはいくらでもあるが、それも眼前の敵をどうにかしなければ不可能だ。

 全力で魔法を行使すれば、一撃ぐらいは防げるだろう。義人の行動はそう判断してのことだったが、ノーレは呆れたように、それでいてどこか嬉しそうに首を横に振った。


「戯け、その体で何を言うか。お主こそ、妾の背から出るでないぞ?」


 ノーレは義人に背を向け、その背に庇うようにして獅子と対峙する。それと同時にノーレの前面に風が集まり始め、それを見た義人は驚きを露わにした。


「魔法を使えるのか?」

「むむ? おかしなことを言うやつじゃなぁ。妾は“最初から”魔法を使っておったじゃろう?」

「いや、そりゃ確かに剣の時から魔法を使ってたけどさ……」


 ノーレの言葉に頷くものの、それでも黙って背中に隠れるわけにもいかない。しかし、自身の状態とノーレが放つ魔力の量を考えれば、大人しく従った方が良いだろう。義人は僅かに逡巡したものの、ノーレの言葉に従う。


「ゴアアアアァァァァッ!」


 獅子の二本角から、紫電が迸る。生身の人間が受ければそのまま炭化しかねない威力を秘めたその一撃は、さながら落雷だ。だが、獅子の魔法を見たノーレには焦りも不安もない。

 獅子が雷魔法を放つ瞬間、ノーレは体の周囲に発生した風を地面に向けて叩きつける。そして落ち葉と一緒に地面の砂と土を巻き上げると、自身と義人の前面に砂塵混じりの風を展開した。巻き上げられた砂や土は即席の壁となり、獅子から放たれた雷を遮ると、音を立てながら電気を受け流していく。

 事もなげに土を風で巻き上げたノーレに、義人は内心で驚愕の声を上げた。地面から土を巻き上げる風の力強さに、土を含んだ状態の風を操作するという魔力の扱いの巧みさ。それらは同じように風魔法を使う義人では成し得ない、熟達した魔法使いのものだ。


「ふむ、中々の威力よ。しかし、妾には届かぬな」


 獅子の雷魔法を凌ぎ切ったノーレは、当然の結果と言わんばかりに口の端を吊り上げる。そして僅かに振り返って義人へと視線を向けると、未だに落ち着かない義人へ口を開いた。


「周囲に他の魔物がいないとも限らんし、ヨシトはそこで警戒しておくんじゃ。怪我も浅くはあるまい?」

「……まあ、かなり痛いけどさ……ノーレは?」

「妾はアレをどうにかしよう」


 さらりと、何でもないように言い切ってノーレは獅子に向かって歩き出す。その足取りは悠然としたものであり、威圧感があるわけでもない。しかし、獅子は何かしらの脅威を感じ取っているのだろう。唸り声を上げながら少しずつ後ろへと下がっていく。


「ほう……さすがは獣よな。彼我の力量差はわかるか」


 そんな獅子の様子を見たノーレは、どこか感心したような呟きを漏らしながら歩いていく。そのノーレの姿を見た獅子は自身を奮い立たせるように大きな咆哮を上げると、地面を蹴りつけて一足飛びにノーレへと飛びかかった。


「……ふん」


 ノーレは動かず、鼻を鳴らす。それと同時に右腕を振るうと、義人にも伝わるほどの魔力が迸った。

放たれる、風の刃。それも、義人がそれまでに見たことがないような、切断力に優れた鋭利な風魔法だった。ノーレを利用して義人が放つものと比較しても、今しがたノーレが放った風の刃の方が鋭いだろう。即座に理解させられるほどに隔絶した魔法の冴えを感じ取り、義人は内心で何度目かの驚愕の声を上げた。

 放たれた風の刃は、狙い違わず獅子の右前脚へと命中する。視覚には映らない上に、気配を感じないほどに研ぎ澄まされた風の刃だ。外殻ではなく肉体に命中した風の刃は、まるで抵抗などないかのように獅子の右前脚を切断する。


「ガアアアアアアアアアアアアアァァァッ!?」


 ノーレへと飛びかかった獅子の魔物が、痛みで悲鳴を上げた。そして足が一本切断されたことで地面へと倒れ込み、苦痛と怒りに染まった視線をノーレへと向ける。ノーレは獅子の二つの顔が向けてくる視線を見返すと、再度鼻を鳴らす。


「ふん、悪いが、妾の使い手を傷つけられては加減もできん。それに、この場から逃がすわけにもいかん」


 そう言うと、ノーレはゆっくりとした動作で右腕を頭上へと上げる。そして痛みに悶える獅子の魔物へと視線を向け、僅かに憐憫の情を瞳に浮かべた。


「苦痛を長引かせるのも不憫か……すまぬな」


 謝罪の言葉と共に、ノーレが右腕を振り下す。それと同時に再度風の刃が放たれ、狙い違わず獅子の二つ首を同時に斬り落としたのだった。








 獅子の魔物を倒したノーレの背中を見ながら、義人は言葉を探す。何と声をかければ良いのか、何を尋ねれば良いのか。獅子の魔物の脅威は去ったものの、問題は山積みだ。


「あー……ノーレ?」

「む? なんじゃ?」


 周囲の気配を探っていたノーレが、義人の声で振り向く。義人は振り向いたノーレの不思議そうな顔を見て、額に手を当てた。


「ノーレは、その、魔物か何かなのか? それとも、妖精とかそういった類の生き物なのか?」


 ひとまずそう尋ねると、ノーレはきょとんとした様子で首を傾げる。そして義人の言った言葉を飲み込むと、幼い容姿には不釣り合いな苦笑を浮かべた。


「その問いに答えるとするなら、おそらくは人間で合っているんじゃろうな」

「……おそらくって?」

「それは……っと、ヨシト、その話はひとまず後じゃ」

「え?」


 話を打ち切り、ノーレが空へと視線を向ける。すると、その視線の先には義人の元へと滑空してくる小雪の姿が見えた。小雪の背に乗っている優希は小雪が風魔法で防御しているのか、向かい風に煽られる様子もない。

 小雪は義人の傍に立つノーレの姿を見ると、警戒するように口を開いた。


『……だれ?』

「妾じゃよ、コユキ。ノーレじゃ」


 ノーレがそう言うと、小雪は僅かに首を傾げる。そして、真偽を問うような視線を義人へと向けた。


「本当だよ小雪。こいつ……この子はノーレだ」


 言葉を直し、義人はノーレの言葉を肯定する。小雪はそれでも警戒を解かないが、一応は納得したのだろう。地面に降り立ち、優希を下してから体を『変化』させる。


「それでコユキよ、空にいた魔物はどうしたんじゃ?」


 幼い少女の姿に化け、優希から渡された衣服を着始めた小雪にノーレが尋ねた。すると、小雪は服を着ながら口を開く。


「おそってきたのはぜんぶたおしたよ」

「ふむ、そうか……」


 小雪の言葉を聞き、ノーレは目を閉じる。そして体の周囲に風を発生させると、全方位に向けて風を放った。


「……何してるんだ?」

「これか? いやなに、風を使って索敵しているんじゃよ」

「へぇ、そんなこともできるのか……って、痛たたた……」


 感心する義人だが、脇腹に走った激痛で身を折る。すると、それを見た小雪が慌てて義人の元へと駆け寄った。


「おとーさん、だいじょうぶ?」


 そう言うなり、小雪は義人が手で押さえていた部分へと自身の手を当てる。そして意識を集中させると、『治癒』を発動させて義人の傷を治し始めた。


「ああ……大丈夫だよ、小雪」


 心配そうな顔をしながら治癒魔法をかけてくる小雪の頭を撫で、義人は小さく微笑む。徐々に痛みが引いていく感覚はややくすぐったくもあったが、今はそれよりも気になることがある。


「それで、ノーレに詳しい話を聞きたいところだけど……」

「この場に留まって話すのは危険じゃろう。先ほどの魔物を倒してから他の魔物が出てこないとはいえ、いつその亀裂から“向こうの世界”の魔物が出てこないとも限らぬ」

「亀裂?」


 ノーレに言われ、義人は先ほど見つけた黒い亀裂へと視線を向けた。獅子の魔物と遭遇したために忘れていたが、その脅威が去った今となってはこの場で一番気になるものだろう。周囲の風景を無視するように浮かぶ、巨大な亀裂。三メートル以上ある大きさと、全身に感じる奇妙な感覚。寒気がするような、それでいてどこか懐かしいような感覚に、義人は首を傾げた。


「なんだこれ?」

「どうやら、“これ”が魔物が現れた原因のようじゃな。“向こうの世界”の魔力を感じる」

「……どういうことだ?」


 ノーレの言葉に不穏な響きを感じ取った義人が尋ねる。すると、ノーレは険しい視線を亀裂へと向けた。


「この亀裂が“向こうの世界”と“こちらの世界”をつないでいるんじゃろう。そして、今までの魔物達はこの亀裂を通って“こちらの世界”にきた……そう考えれば話がつながる」

「マジかよ……」


 ノーレの推測を聞き、義人は亀裂の様子を窺う。まるでブラックホールのように中が見えないが、この亀裂を通って魔物が“こちらの世界”へ来たと聞かされれば、それと同時に浮かぶ考えもあった。


「ということは、この亀裂を使えば“向こうの世界”に戻れるのか?」


 魔物が“向こうの世界”から“こちらの世界”に来たと言うのなら、“こちらの世界”から“向こうの世界”に行くことも可能だろう。もちろん、無事に“向こうの世界”へイケるという保証もないが。


「その可能性は高いが……どうするんじゃ? 妾ではこの亀裂を塞ぐ術を知らぬ。コユキでも無理じゃろうし、ユキでもおそらくは無理じゃろう」

「ノーレでも無理なのか?」


 ノーレの風魔法の腕を見た義人としては、その言葉は意外だった。しかし、当のノーレはどこか不機嫌そうに視線を遠くへと飛ばす。


「妾は補助魔法と風魔法以外はからきしでな。そのような魔法は使えぬよ」

「そ、そうか。それで、索敵は?」


 やや強引に話を変える義人。ノーレはそんな話題の変更に気付いていたが、敢えて指摘せずに頷く。


「この周辺には魔物はいないようじゃな。木々に邪魔されておるが、今しがた倒した魔物ほどに強い気配を放つものもいない」

「そうか……」


 周辺に魔物がいないと聞いて、義人は僅かに考え込む。すべての魔物を倒せたかと聞かれれば、素直に頷くことはできない。かといって、すべての魔物を探して倒そうとしても、その間に新しい魔物が亀裂を通って出てくる可能性が高いのだ。その危険性を考えるならば、“向こうの世界”に戻って“こちらの世界”に魔物が来られないようにすることが先決である。“こちらの世界”にきたすべての魔物を探すとしても、全部で何匹来ているかもわからない以上は堂々巡りになってしまう。

 思考をまとめた義人は、小雪の治癒魔法でだいぶ楽になった体で一歩踏み出すと、リュックを両手に抱えていた優希へと向き直る。ノーレに尋ねたいことも多々あるが、それも状況が落ち着いてからでも良いだろう。中身のない鞘だけを背負い直し、義人は優希へと言葉をかける。


「それじゃあ、優希」


 必要以上の言葉はなく、義人と優希は意思を疎通する。優希はそんな義人の言葉に頷くと、義人へリュックを一つ手渡しながら口を開いた。


「義人ちゃんは、本当に“向こうの世界”に戻りたいんだよね?」


 それは、本当に最後の確認だったのだろう。ここまで危険な目に遭って、それでも、さらに危険な“向こうの世界”へ戻るのか。そんな優希の問いに、義人は深呼吸をしてから頷く。


「―――ああ。俺は、“向こうの世界”に戻りたい」

「……そっか。うん、じゃあ、それを叶えられるよう、わたしも頑張るよ」


 その答えを聞き、優希は集中するように目を閉じる。自分の意思で魔法を使うことはできないが、義人が望むのならばその願いを叶えたい。今までは無意識にできていたであろうことを、優希は意識して実現させようとする。

 ノーレの推測は正しく、優希が魔法を使う際の引き金は義人の願いだったのか、少し離れた場所にあった空間の亀裂が大きく揺らぎ始めた。それまでに義人が見たことがある円形状の穴ではなく、元ある亀裂をそのまま利用したのか、形は多角形。しかし、亀裂から感じるのは“こちらの世界”へ戻ってきた時と同種のものだ。


「……いってきます」


 そう呟いたのは、義人か優希か。それを確かめる間もなく、漆黒の亀裂が広がって義人達を飲み込むのだった。








「あー……なんでこんなの見張らないといけないんだよ」


 愚痴のように呟き、一人の兵士が傍にあった木に背を預けた。すると、それを見た同僚の兵士が笑いかける。


「仕方ないだろ。調査を命じたのはアルフレッド様だし、何かあるんだろ?」

「そりゃそうだけどさ……」


 そう言いながら兵士が視線を向けた先にあったのは、一メールほどの大きさの亀裂だった。近場の村から歩いて五分ほどの場所にある雑木林の中で見つかったその亀裂は、他に報告のあった亀裂の中でも小さい方だ。地面から二メートルほどの高さにあるその亀裂は、何をするでもなくその場にあり続ける。


「しかし、聞いたかよ。最近、カグラ様の容態が快復に向かってるって」


 兵士―――第二魔法剣士隊に所属するその兵士は、欠伸混じりに同僚へ話しかけた。それを聞いた同僚は、片眉を上げる。


「へぇ、たしか、失明しかけて……っ!?」


 不意に、至近で音が聞こえた。それも、自身の背後。まるで人間が着地したような音が、背中越しに響く。見れば、木に背を預けていた兵士が驚愕に彩られた顔をしていた。


「な」


 首筋への衝撃。何事かと言いかけ、兵士の同僚は気を失う。それを見た兵士は腰の刀に手をかけ、一息に引き抜こうとする。しかし、それよりも早く“ソレ”は懐へと飛び込んでいた。


「がっ!?」


 腹部への衝撃に、兵士の口から苦悶の声が漏れる。意識が朦朧とし、それでも、兵士は倒れながら疑問を口にしようとし、


「な……ぜ……カグ……」


 その半ばで、意識を失った。








 その五分後、見張りの交代に来た兵士二人は、地面に倒れ伏す同僚二人の姿を見つけた。そして、それと同時にその傍に立つ人影にも気付く。


「何者だ!?」


 片方の兵士が誰何の声を上げ、腰の刀を抜き放ちながら一気に接近する。しかし、人影に接近するよりも早く、その人影は地面を蹴って林の中へと姿を消した。その速度は尋常のものではなく、刀を抜いた兵士は追跡してもすぐに逃げ切られると判断して舌打ちする―――が、逃げ去る人影の後ろ姿を見て、疑問を覚えた。


「逃げられたか……隊長に報告に行かないとな」

「あ、ああ……」


 片方の兵士の言葉に、刀を抜いた兵士は不思議そうな顔をしながら頷いた。その様子を不思議に思ったのか、片方の兵士が尋ねる。


「どうかしたのか?」

「いや、あの後ろ姿は……」


 刀を抜いた兵士が見た後ろ姿は、カーリア国では知らない者がいない少女のものだった。腰まで伸びた絹のような黒髪が、その記憶を肯定する。しかし、服装も違えば身に纏う雰囲気も違う。そして何より、何の前触れもなくこのような場所には来ないだろう。

 気が動転して見間違えたか。そう思考するが、ある場所に視線を向けて兵士の思考が止まる。


「……あれ?」

「ん? どうしたんだよ?」

「いや……さっきまであったはずの亀裂がなくなってるんだけど……」

「え?」


 そう言われ、もう片方の兵士はそれまで黒い亀裂が走っていた空間へと視線を向けて息を呑む。




 ―――それまで確かに空間にあった亀裂は、まるで最初からなかったかのように消え失せていたのだった。




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