表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
151/191

第百四十八話:忍び寄る影 その8

 翌日、目を覚ました義人は“いつも通り”に朝食を摂り、自身の体調を確かめて一つ頷いた。


「まあ、なんとかいける……かな?」


 不調を感じるものの、体調は最悪ではない。『強化』を使えば行動に支障はないだろう。そう判断し、義人は昨日の内に荷物をまとめたリュックを手に持つ。

 そんな義人を見て、義人の両親は何かを言いたげだった。義人は両親の視線に気づくと、不安をかき消すように笑う。


「大丈夫だって。ちゃんと“向こうの世界”に戻って、魔物が“こちらの世界”に来ないようにするよ」


 そうは言うものの、両親が気にしているのはそのことではない。義人はそれを察し、頬を掻いた。


「義人、絶対に無理はするんじゃないぞ?」


 真剣な表情でそう口にした自身の父に、義人は頷いて応える。


「もちろん。無理をしたら優希が心配するしね」

「……そうね。優希ちゃんを泣かせたら駄目よ?」

「ははっ、わかってるって」


 両親からの言葉を心に刻みつけ、義人は傍に立てかけていたノーレを背負った。そして玄関に向かい、靴を履いて靴ひもを固く結ぶ。すると、それと同時にチャイムが鳴った。義人がそのまま扉を開くと、義人と同じようにリュックを手に持つ優希や小雪が姿を見せる。その後ろには、優希の両親の姿もあった。


「義人ちゃん、準備は良い?」

「こっちは大丈夫だよ。そっちも……問題なさそうだな」


 そう言って、義人は玄関から外へと出る。空を見上げてみれば、雲一つない快晴。幸先が良いのか、悪いのか。そう考え、雨の降る中で戦う必要がなくなったことに安堵もした。


「さて……それじゃあ、行きますか」


 視線を空から戻し、義人は自身の両親や優希の両親へと視線を向ける。


「義人君」


 そんな中で、優希の父が一歩前へと出た。続いて、義人の両肩に手を乗せてくる。


「優希のことを、頼むよ」


 その言葉に込められた感情は、一体なんだろうか。しかし、詮索する余裕もなく義人は頷く。


「……はい」


 義人の表情を見た優希の父は、満足そうに微笑む。そして義人の肩を叩くと、今度は優希の方へと視線を向けた。


「優希……義人君に愛想が尽きたら、こっちに戻ってくるんだぞ?」


 さらりと、何気に酷いことを口走る。思わず義人が突っ込みを入れようとするが、それよりも早く優希が満面の笑みを浮かべながら首を横に振った。


「尽きないから大丈夫だよ」

「……そうか」


 その回答に複雑そうな顔をすると、優希の父は一つ頷いて後ろへと下がった。


「小雪ちゃんも、また来なさいね?」


 そんな優希の父の後ろでは、優希の母が小雪の頭を撫でながらそう口にした。小雪はくすぐったそうに撫でられ、笑顔で頷く。


「うん! おじーちゃんとおばーちゃん、またね?」


 小雪がそう言うと、両親達は相好を崩した。義人はそんな小雪の頭に手を乗せると、両親達に向き直る。


「それじゃあ……」


 義人が優希へと視線を向けると、優希も頷き返す。


「いってきます」


 そして、万感の想いを込めて、そう口にしたのだった。








『あれで良かったのか?』


 自宅を離れ、十分ほど歩いたところでノーレが小さく呟いた。義人に背負われたノーレは、布などで覆ってはいない。人目に付けば問い詰められるかもしれないが、すぐさまノーレを抜けなければ突発的な事態に対応できないため、隠していないのだ。

 ノーレの言葉を聞いた義人は、朗らかに笑う。


「良いさ。二度と会えないわけじゃないし、会いに来ないわけでもない。“向こうの世界”で一段落したら、“こちらの世界”に戻れるようにまた頑張るさ」


 上手くいけば、優希の力を借りて“こちらの世界”へ再度戻ってくることもできるだろう。そう思っての義人の言葉に、優希も義人の隣で頷く。


『そうか……ならば、何も言わぬよ』


 ノーレはそう言うと、意識を切り替えるように話を変える。


『では、これからのことを考えるか』

「そうだな。まずは、“こちらの世界”に来た時に最初にいた場所を目指そうと思ってる」

『その理由は?』

「“向こうの世界”から“こちらの世界”に来た時に最初にいた場所だからだよ。もしかしたら、“向こうの世界”に“一番近い場所”かもしれないし」

『なるほど』


 義人の言葉に、ノーレは納得したような声を漏らした。しかし、続いて僅かに声色を変える。


『しかし、その途中で極力魔物を倒しつつ進むとなると、長丁場になりそうじゃな。それに、ユキは非戦闘員……そこはどうするんじゃ? お主やコユキが守りながら進むのか?』


 優希は特殊な方法で魔法を使えるものの、基本的には戦うことができない。それを指摘したノーレに対して、義人は小雪へと視線を向ける。


「小雪、元の姿に戻れば優希を乗せて飛ぶことはできるか?」

「おかーさんを?」


 義人の言葉に、小雪は優希を見る。そして義人を真似たのか、小さな腕を組んで首を傾げた。


「……たぶん、できるよ」

「そうか……なら、小雪は元の姿に戻って、優希と一緒に空からあの場所を目指してもらおうかな。あと、俺の真似をして腕組みをするのはやめなさい」


 女の子なんだから、と義人が呟くと、小雪は不思議そうな顔をしながら頷いた。


『ふむ……召喚魔法を使うのはユキじゃしな。魔力を温存しつつ、身の安全も確保するにはそれしかないか。コユキが元の姿に戻れば、手を出す魔物も少ないじゃろうしのう……その分、お主が危険な目に遭うが、な』

「百も承知だよ。それに、優希を危険な目に遭わせるくらいなら、俺が危険な目に遭ったほうが良い……絶対に守るって言ったしな」


 そう言って、義人は軽くノーレを小突く。


『……それならば、精々妾も協力するかのう』

「そうしてくれると助かる」


 ノーレの言葉に頼もしさを覚えつつ、義人達は道を歩いていく。そしてしばらく歩を進めると、“こちらの世界”に戻ってきた際に森から出てきた地点へと到着した。

 平日だからか人も車も姿が見えず、義人は好都合と言わんばかりに森へと足を踏み入れ―――すぐに足を止めて周囲を見回した。

 森は不気味なほどに静まりかえっており、飛び立つ鳥の姿も見えない。それでいて奇妙な圧迫感を感じ、まるで猛獣の檻の中にでも入ってしまったかのようだった。

 その感覚に、僅かに義人の肌が粟立つ。森から感じる気配に、義人は表情を厳しくしながら呟いた。


「……いるな」

『うむ。それも、一匹や二匹ではないな。少なくとも二桁はいるようじゃ』

「三桁以上いなけりゃいいんだけど……」


 ノーレの見立てに軽口で返し、義人は周囲を警戒しながら小雪へと話しかける。


「小雪、元の姿に戻ってくれ」

「……ここで?」

「ん? ああ、ここで」


 義人がそう言うと、小雪は物言いたげな顔で優希を見上げた。すると、優希は苦笑しながら茂みを指差す。


「リュックに洋服を入れるスペースはあるから、ね」

「うん、わかった」


 義人には理解できない会話をすると、小雪はリュックを背負ったままで茂みへと入っていく。そして優希がその後ろへと続き、義人も思わずその後ろを追おうとした。


「あ、義人ちゃんはそこにいてね」

「え?」


 動くなと言わんばかりの優希の笑顔に、義人は足を止める。すると、ノーレが呆れたような声を漏らした。


『……すぐ近くに魔物はおらんから、少しその場で待っておれ』


 ノーレの言葉に、義人は不承不承と言わんばかりに頷く。そしてすぐに衣擦れの音が聞こえ、その後に小雪がいるであろう場所が発光した。


「……ああ、そう言えば元の姿に戻る時は服を脱いでたっけ」


 以前、“こちらの世界”へ戻ってきた際にも同じようにして小雪が元の姿に戻っていたことを思い出し、義人は得心がいったと頷いた。しかし、すぐに首を傾げる。


「あれ? でも、前は俺が近くにいても気にしなかったような……」


 もしかして、近くにいてほしくないのだろうか、などと考え、義人は僅かに動揺した。まるで、年頃の娘に疎ましがられた親父ような感覚である。


「……もしかして、もう少ししたら小雪に『お父さん、うざい』とか言われるようになるんだろうか……」


 時と場所を忘れ、義人は膝を突きそうになる。しかし、膝を突くよりも早く優希と小雪が義人の元へと歩み寄ってきた。


『おとーさん、どうかしたの?』

「い、いや、なんでもないぞ? うん」


 取り繕うように義人が答えると、小雪は不思議そうに首を傾げる。だが、優希はそんな義人の動揺から何かを読み取ったらしい。すぐに義人の傍へと歩み寄ると、苦笑しながら口を開く。


「小雪、こっちにいる間にちょっと羞恥心を感じるようになったみたいで」

「なん……だって……?」


 思わぬ優希の話に、義人は目を丸くする。


「あ、別に義人ちゃんの傍で着替えるのが恥ずかしいわけじゃないみたいだよ? ただ、場所が場所だから……ね?」

「そ、そっか……」


 “娘”に嫌われたわけではないと、義人は安堵した。すると、ノーレが呆れたような声を漏らす。


『お主、絶対に親馬鹿じゃろ』

「ぐ、ぬぅ……最近、否定できないんだよなぁ」


 自覚がある義人である。しかし、今はあまり気を抜いてもいられない。意識して深呼吸をすることで気を引き締め直すと、リュックを優希へと差し出す。


「優希、荷物を頼むよ」

「うん、わかった」

『それじゃあ、こゆきとおかーさんはそらからいくね?』

「ああ。もしかしたら空を飛べる魔物が襲ってくるかもしれないから、その時は小雪が対応してくれ。なんなら、地面に叩き落としてくれても良い」


 一通り会話すると、優希が小雪の背へと乗る。現在の小雪の体長は、約一メートル五十センチ。割と小柄な方である優希でも、背に座るとやや窮屈に見える。それでも小雪は優希を落とさないように翼を羽ばたかせ、ゆっくりとではあるが宙へと浮かび始めた。


「飛べるか?」

『かぜまほうをつかったら、なんとか……』


 そう言うと同時、突風が小雪の周りに発生する。突然発生した風に義人が目を細めると、今まで僅かに浮いていた小雪が一気に高度を上げて空へと飛び上がっていくのが見えた。そして加速するように旋回し、姿を隠すために森の木々の隙間を縫うようにして飛行する。


「木にぶつからなければいいけど」

『大丈夫じゃろう……と、早速出てきおったぞ』

「え?」


 ノーレの言葉に、義人は首を傾げる。しかし、不意に頭上を飛び去る巨大な影に気付き、そちらへと目を向けた。


「……おいおい」


 いつか見た、紫色の怪鳥が空を舞っている。おそらくは、縄張り付近で空を飛ぶ小雪を警戒しているのだろう。それを見た義人は、背中からノーレを引き抜く。


「叩き落とせるか?」

『難しいことを言うのう……じゃが、そんな暇はなさそうじゃぞ?』


 からかうように、それでいて真剣な声を出すノーレ。その声を聞いた義人は、意識を地上へと戻す。


『一、二、三……ふむ、十はおらんか』


 数を数えるノーレに、義人は気を引き締めて周囲に視線を向ける。

 物音や足音などは聞こえないが、それでも僅かに感じられる気配。義人を窺うように、それでいて獲物を捕食する猛獣のように、“何か”の気配が近づいてきている。

 頭上では小雪が怪鳥と空中戦を繰り広げており、その騒ぎに引き寄せられたのか。義人はノーレを正眼に構えつつ、『強化』を発動する。


 待つか、打って出るか。


 僅かな逡巡。そして、その逡巡を突くかのように気配が動く。


「っ!?」


 茂みから弾丸の様に飛び出す五つの影。それは、先々日にも義人が襲われた犬の魔物である。黒に近い灰色の毛を威嚇するように逆立て、一直線に義人へと突っ込んでくるその姿はまさしく獲物を狩る猛獣そのものだ。大きく口を開き、人体程度ならば難なく噛み砕けそうな牙を鳴らしながら疾駆してくる。

 それに対して、義人は意識して冷静に動いた。最初に四足で跳ねて飛びかかってきた化け犬の牙と爪を半身開くことで避け、続いて飛びかかってきた化け犬は再度半身開くことでかわす。真上から見れば独楽でも回すように、くるり、くるりと回ることで化け犬の攻撃をやり過ごした。


「はっ!」


 攻撃を避けきると同時に、回った勢いを乗せてノーレを横薙ぎに振るう。相手は自身の命を狙う魔物であり、“こちらの世界”に住む人々を脅かす存在でもある。それならば、心中で謝罪はするものの容赦はしない。


「ギャッ!?」


 ノーレの切っ先が、化け犬の一頭の首元を深く斬りつける。刀ならば物打ちと呼べるであろう部分での斬撃は、切断に向かない両刃剣でもそれなりの切れ味を発揮する。首元を斬られた化け犬はすぐに間合いを取るが、それでも傷が深かったのだろう。四足で体を支えることができずに地面へと崩れ落ちる。


「―――次ぃっ!!」


 魔物と言えど、生き物が苦しむ姿と“肉”を斬った感触に義人も思うところがないわけではない。だが、今そういった感傷に意識を割けば、喉笛を食い破られて地面に転がるのは自分自身になる。


『後ろじゃっ!』


 ノーレの言葉に反応し、義人は振り向きざまにノーレを下段から掬い上げるようにして振り抜く。飛びかかっていた化け犬はそんな義人の動きに反応できなかったのか、下顎から縦に切り裂かれてそのまま地面へと崩れ落ちた。


「あと三匹っ!」

『六匹じゃっ!』

「なんでだよ!?」


 五匹いた化け犬を二匹倒したので残り三匹と計算した義人は、ノーレの言葉に怒鳴り返しながら地面を蹴る。すると、そんな義人の疑問に答えるかのように頭上から猿に似た魔物が二匹飛び降りてきた。続いて、離れた場所にあった茂みから角が二本生えた巨大な兎が姿を見せる。

 猿に似た魔物は、“こちらの世界”にいる本物の猿とは顔のみが似ていた。首から下は筋肉質な肉体が覗いており、人間程度なら腕だけで絞め殺すことも可能だろう。

 兎の魔物は中型犬ほどの体躯に、木すら貫通しそうな鋭利な角を生やしている。正面から突進を食らえば、その威力を自身の身で味わうことになるだろう。


「……どれだけの魔物が“こちらの世界”に来てるんだよ……」

『まったくじゃな……っ、突っ込めヨシト!』


 ノーレの言葉に反射的に地を蹴り、義人は魔物の群れへと直進する。それを見た魔物達が身構えようとするが、そのすぐ傍に怪鳥が落下してきて体を硬直させた。


「隙あり―――ってなぁ!」

『あまり調子に乗って失敗するでないぞ!』


 小雪が怪鳥を地面へ叩き落としたことを察していたのだろう、ノーレから激が飛ぶ。

 義人は魔物の群れに飛び込むなり、一番近くにいた猿の魔物へと上段からノーレを振り下した。それを見た猿の魔物は正気に返ると、身を逸らすことで即死を免れる。だが、避けきれたわけでもなく、肩から胸にかけて裂傷を負った。


「逃がすか!」


 猿の魔物が後ろへ飛ぼうとしたのを見切り、義人はもう一歩前へと踏み込んでノーレを突き出す。体重を乗せて繰り出した刺突は猿の魔物の胸板を貫いて絶命させ、それと同時に、義人に己の失態を悟らせた。

 絶命した猿の魔物の体が脱力して地面へと倒れる。それと同時に、胸板に突き刺したノーレが抜けないことに気付いたのだ。


『後ろに体を倒せ!』

「づぁっ!?」


 ノーレの警告を聞き、義人はノーレから左手を離しながら上体を後ろへと逸らす。すると、上体を逸らすと同時に兎の魔物の角が頬を掠めた。もしもノーレの警告に対する反応があと半瞬遅ければ、顔面で角を受けることになっていただろう。

 義人は死の気配が体を舐めたことに恐怖を覚えるが、すぐさま我に返って上体を逸らしたままで猿の魔物の死体へ前蹴りを放つ。そして胸板を蹴って強引にノーレを引き抜くと、崩した体勢を隙と見た化け犬へと視線を向けた。


「ノーレ!」

『うむ!』


 義人の意を汲み、ノーレが義人の周囲に竜巻状の突風を発生させる。それと同時に鎌鼬を三回放って二匹の犬の魔物を切断すると、鎌鼬を外してしまった化け犬の間合いへと踏み込んでノーレを振り下した。


「グガッ!?」


 一刀両断に、頭蓋を叩き斬る。義人は化け犬をすべて倒したことに僅かに安堵し―――背後から迫る気配に、体を真横へと投げ出した。


「キキッ!?」


 猿の魔物が繰り出した横殴りの一撃が空を切る。義人はそれを目の端で捉えながら左手で地面を突き飛ばして体を回転させると、足から着地して木を背負いながらノーレを構え直した。


「はっ……はっ……はぁ……志信相手に訓練してなかったら、死んでたな」


 気息を整え、自身を落ち着かせるようにそう呟く。眼前で威嚇の体勢を取っている残りの魔物を見ながら、兎の魔物に角で抉られた頬を袖口で拭った。幸いと言うべきか、傷口は深くない。頬の内側まで貫通はしておらず、出血もそれほどではなかった。


『ヨシト、なるべく魔法は使うでないぞ』

「わかってるよ。『強化』に回す魔力がなくなれば、詰んじまうしな。でも、使うべき時には使うぞ」


 そう口にした義人の視線の先で、闘争の気配に惹かれたのか新たに魔物が姿を見せていた。

 姿形をそのまま巨大化させたようなムカデに、角の生えた豚。化け犬に化け猿と、続々姿を見せている。


「……多いな」

『そうじゃな。しかし、これだけの魔物が人里に下りていれば大事じゃった。それよりも早く叩けることを喜ぶしかあるまい』

「そうだな……下級の魔物ばかりみたいだし、俺でもまだどうにかなるか」

『無傷では厳しかろう……コユキ、撃つんじゃ!』


 数の不利を悟ったノーレが小雪へと何がしかの指示を飛ばす。義人が何事かと驚いていると、それを遮るように風切り音が耳に届いた。

 魔物を警戒しつつ、義人は頭上を見上げる。すると、魔物目がけて大量の氷の矢が落下してくるのが目に映った。ノーレの指示で小雪が飛ばしたのだろう。その数は膨大で、およそ百は超える。一撃で一殺を狙うのではなく、下手な鉄砲も数を打てば当たると言わんばかりの氷魔法の乱射だ。

 援護と同時に空中戦を繰り広げている小雪は、さすがは白龍と言うべきか余裕のある戦いをしている。膨大な魔力量に物を言わせて怪鳥を叩き落としており、落下した怪鳥が地面で痙攣していた。

 義人は雨霰と降ってきた氷の矢が魔物達を刺し貫いていくのを確かめ、それでも撃ち漏らした魔物がいればそちらへと向かってノーレを振るうのだった。








「はぁ、はぁ……こりゃ、きついな……」


 周囲に魔物の気配がなくなっていることを確認し、義人は息を整える。

 義人達は魔物を倒しながら先へと進んでいるのだが、魔物の数は多い。そして、倒したことによって積み重なる魔物の死体の数も多い。できれば死体は焼却したいところだが、そんな暇もなかった。多少は森の奥に入った場所で魔物に遭遇したので、運が良ければ人目に付くことはないだろう。もっとも、本当に運が良ければこれほど多くの魔物と戦うことにはなっていないが。

 内心で愚痴を呟き、義人は両手に持ったノーレへと目を向ける。ノーレの刀身は血と脂で濡れており、切れ味はなくなりつつあった。『強化』を使っているとはいえ義人も全身に疲労を感じており、洋服のあちらこちらに返り血がついている。


「手入れができれば一番なんだけど、っと」


 刀身の切れ味がなくなりつつあることに懸念を抱いた義人は、ノーレの刀身の周りに風を発生させて血と脂を吹き飛ばす。魔力は温存すべきであり、それで切れ味が元通りになるわけではないが、何もしないよりはマシだろう。このままでは、刺突にしか使えないのだ。


『おとーさん、だいじょうぶ?』


 そんな義人の様子が見えたのか、頭上から小雪が声をかけてくる。

『大丈夫だ。そっちはどうだ?』

『おかーさんもこゆきもだいじょうぶだよ』

『そうか……あともう少しで目的地だし、油断はしないようにな』


 そう言って、義人は前を見る。

 森―――山に入ってすでに二時間。魔物と戦いつつも先へと進んだ結果、“こちらの世界”へ戻ってきた際に最初にいた場所まではあと少しの地点まで来ていた。


『戦いに惹かれてほとんどの魔物が集まっておったようじゃのう……この付近に魔物の気配は感じぬが……む?』

「ん? どうした?」


 ノーレの言葉尻が気にかかり、義人は疑問を向ける。


『この気配は……なんじゃ?』


 すると、ノーレは悩むような声を漏らした。しかし、その声色から良い知らせではないことを感じ取り、義人は気を引き締める。そして、不意に遠目に気にかかるものが見えてそちらへと目を向けた。


「……あれは?」


 義人が向けた視線の先。そこには、空中に入る巨大な黒い亀裂があった。まるで周囲の風景を無視するように浮かぶ、巨大な亀裂。大きさは三メートル以上あるだろうか。


「あんなもの、あったか?」


 “こちらの世界”へと戻ってきた時が深夜だったことを差し引いても、気付かないわけがない。見た目もそうだが、全身に感じる強烈な違和感。いくら義人と言えども、ここまで違和感を覚えるものが傍にあれば気付いたはずだ。

 それならば、あの亀裂は義人達がこの場を去った後にできたと考えるのが自然である。そう考えた義人は、しかし何故あんなものができたのかと思考しかけ、


『戯け! どこを向いておる!? 来るぞ!』

『おとーさん! そっちにへんなのがいった!』


 叫ぶようなノーレと小雪の声に、強制的に思考を打ち切られた。


「何が……え?」


 ノーレ達の声に周囲を見回し、思わず、義人の口から間抜けた声が漏れる。

 義人が視線を向けた先にいたのは、一言で言えば巨大な獅子だった。しかし、通常の獅子とは違う点がいくつも見られる。

 体長はおよそ三メートル。金色の毛並みに、口元から覗く鋭い牙。ここまでならば、通常の獅子でもまだあり得る。だが、尻尾が三本あり、四肢の間接から先を覆う黒く光る外殻。そして、極め付けは首が二つあることだろう。その額には二本の角が生えており、獅子とは違う生き物であることを物語っている。

 獅子は背の低い木々や雑草を圧し折りながら義人へと歩み寄り、威嚇するように睥睨する四つの瞳は暴虐の色を孕んでいた。


「お……い、おい。こりゃ……なんの冗談だよ……」


 それまで相手にした魔物とは桁違いの威圧感。“向こうの世界”にいた際にも見たことがない、強烈にして圧倒的な死の気配を振り撒く魔物。

 そんな化け物を前にして、義人は音を立てて唾を飲み込む。



 ―――倒せるのか……こんな化け物……。



 下級の魔物とは比べ物にならないその威風に、義人は知らず一歩後ろへと下がる。


『中級の……それも上位の魔物じゃな』


 ノーレは唸るようにして相手の力量を判断する。すると、それに応えるようにして獅子の魔物が口を開く。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!」


 獣の咆哮が、森の中に響き渡るのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ