第十四話:滝峰義人
幼い頃から無自覚に友達を作るのが上手で、人見知りもせず、学校などの新しいクラスでも短い期間でクラスの中心になっていたことなどザラだった。
もっとも本人にそんな気はサラサラなく、ただ自分の好きなように動いていたらそうなっていただけだ。
頭を働かせるのは好きだが、将来使うことのなさそうな知識を学ぶ勉強は嫌いで、常に中の中から下の上ほどの成績を行き来していた。そのくせ役に立つ可能性がある雑学は好み、その手のテレビ番組に目がない。
運動神経は高く、一部の例外を除いてスポーツで負けることはなかった。一部の例外に藤倉志信という名前が含まれているのだが、ここでは割愛することとする。
他人の感情の機微には聡いくせに、自分に向けられる好意の類にはとことん鈍かった。いや、無頓着と言い換えても良かったかもしれない。
下駄箱に入っていたラブレターに宛名がなかったため、入れ間違いだろうと隣の下駄箱に突っ込んでそのまま帰ったことは本人の知らないところで語り草になっていたりする。その話を聞いた優希が義人ちゃんらしいと笑っていたらしいのだが、それもまた割愛させていただく。
また、曲がったことは嫌い、いじめや不正、差別をする者に対してよくちょっかいを出していた。それらを目撃すれば潰そうと首を突っ込み、解決することもあれば更なる問題に発展したこともある。
そこで再び志信の名前が挙がったりするのだが、以下略。いずれ語る機会もあるだろう。
それでも嫌われないのは、分け隔てなく誰とでも接していたからか。それとも首を突っ込んだ結果が全て最終的には上手い方向に転んだからか、わからない。
ただ、首を突っ込む理由がその人のためではなく、『自分が気に入らないから』ということを知っているのは優希くらいなものだ。だが、必要悪は気に入らなくても許容する。清濁併せ呑む側面が義人にあったことも嫌われなかった理由の一つかもしれない。
そして、そんな滝峰義人は今―――屍と化していた。
目の前にうず高く詰まれた書類の山を前についに撃沈。力尽き、真っ白になって机に倒れ伏している。
「すまん、優希、志信……俺は元の世界に戻れそうにない。俺が死んだら静かな場所にひっそりと埋めてくれ……」
筆と一緒にカグラに渡された王印を放り出し、義人は疲れを込めて呟く。
「何言ってるんですか、ヨシト様。ほら、まだまだたくさんありますよ?」
そんな義人に書類を押し付けるカグラ。その表情が爽やかな笑顔ということに、義人は軽い殺意を覚える。
「カグラ、一つ言わせてくれ……」
「はい? なんですか?」
小首をかしげるカグラに、義人は大きく息を吸い込む。
「多すぎだろォーーーー!!」
叫び、書類の山を一山叩く。そして、書類が崩れて紙の雪崩に飲み込まれた。
「ぎゃああああああ! 重っ! てかやっぱ量多すぎ! 過労死しますってマジで!」
紙の海でバサバサとクロールしつつ、切実に訴える。
駄々っ子のように全身で訴えるあたり、イイ感じにテンパってきたらしい。
そんな義人に苦笑しつつ、カグラが崩れた書類に向けて手を振った。すると一陣の風が吹き、書類を集めて再び机の上に乗せる。
「前王の死後十年間、臣下で決めることができるものは決めました。しかし、王にしか決められないこともあり、その結果がこの書類の山です。本当はこの五倍くらいあったんですけどね?」
「五倍て……でも、それは十年間でやったんだろ? これって一日二日で終わる量じゃないぞ」
「一ヶ月もあれば終わるんじゃないでしょうか?」
「すっごい不思議そうな顔で言わないで!? それ絶対適当だろ!?」
「一ヶ月より早くなるか、それとも遅くなるかはヨシト様次第ですよ。王印を押すだけのものもあれば、各大臣や文官武官と協議して決めるものもあります。休みなしで行えば二週間もかからないと思いますよ?」
嘘ではなく、本当に休みなしならば二週間もあれば終わるだろう。もちろん、休みなしというのは寝ないという意味だ。しかも、終わるのは今までの分で、これから発生する問題も片付けていかなくてはならない。
「……過労死して死後五十年今のままにしちまうぞ?」
「大丈夫です。ちゃんと途中で魔法を使って回復させますから」
「なんて生殺し!? ていうかそんなことで魔法を使うより、早く魔力を回復して俺達を元の世界に返してくれよ!」
「あ、さっきの書類を集めるために使った風の魔法で、魔力を使い切っちゃいました」
「っておーい!? 早く回復してください!」
昨日よりも大分くだけてきたカグラと会話のキャッチボールをこなしつつ、王印を押すだけの書類を片付けていく。
「というかですね、王印を押すだけなら誰でもできるっしょ!?」
「いえ、実は王印も王剣と一緒で魔法が施してありまして……」
そう言いつつカグラが王印を持ち、書類に押し付ける。そして王印をどけてみるが、そこには何の印も打たれていない。
「この通り、王以外の者が押しても押印されないんです。王印だけに」
「笑えねぇ!? 他人が聞いたら笑えるかもしれないけど、何千何万枚と押さなきゃいけない俺にとってはまったく笑えねぇ!」
どんな魔法が働いているのかわからないが、朱肉がなくても押印できるこの王印。まさかそんな高度な偽造防止機構が組み込まれているとは思わなんだ。
義人はひたすら王印で押印しながら、愚痴るように口を開く。
「というか、この国のことなんだからやっぱりこの国の人間が決めるべきだとボクは思うんですよー」
「それは説明しましたよ? それが建国以来の」
「だからそれ洗脳だって。例えば選挙で決めるとかさ、カグラかアルフレッドが王を務めるとかさ」
「それでは民が従いません。この国の王は他国の王と違い、異世界の人間であり、その王が持つ異世界の知識の恩恵を受けて生活できていると教えられているのですから」
「それ、なんて選民思想?」
とりあえず突っ込みを入れるが、押印する手は止まらない。
自分は他国の人間とは違うということを生まれてからずっと刷り込み、不満や苦労があってもある程度緩和できる。中途半端に取り入れられた異世界の知識はこの国の様式を独自なものへと変え、それがまた市民にとって『他国とは違う』と思わせる要因になったのだろう。
だが、この召喚国主制には重大な欠点がある。
「異世界の知識の恩恵を受けるって言ってもさ、もう無理じゃないか? こっちの技術力じゃ再現するのは無理だろうし」
それは、技術力の差である。
刀や日本語などはある程度時間をかければこちらでも使えるが、車を作れと言われても作ることはできない。仮に材料があったとしても、専門知識がなくてはどうやっても作れない。頑張れば自転車くらいは作れそうだが、道が綺麗に舗装されていないこの世界では作っても意味がないだろう。
その上、『異世界の知識でこの国を発展させる』ために、『最も王に相応しい者を召喚する』というのが義人の頭に引っかかっていた。
「……まあ、いいや」
今はまだ情報が揃っていない。そして、考え事をするには適した状況ではない。
さすがに押印しながら考えごとをするのは無理だ。
だから今は、聞ける情報を聞いておこうと義人が口を開く。
「そういえば、なんでこの国の公用語が日本語なんだ? いや、理由は予想がついてるんだけどさ」
そう尋ねると、カグラは苦笑する。
「多分、予想の通りだと思います。初代の王を召喚した時、最初に訪れた難関は言葉の壁でし
た。この世界に存在する国の大半は世界共通の言葉を使っているのですが、肝心の王が何を言っているかわからず、こちらが何を言っているかも理解してもらえません。それでは駄目だと、身振り手振りでお互いのことを知り、なんとか王の言葉……ニホンゴを理解できるようになったそうです」
「へぇー……そりゃ大変だっただろうな。そんで、公用語や書類にまで日本語を使っているのは召喚される王のためであり、他国の使う言葉とは違う言葉を使っているということを市民に浸透させ、他国の民とは違って自分達は特別であると思わせるためか」
事も無げに正鵠を射る義人に、カグラは開いた口を閉口して表情を笑顔に変えた。
「……やはり、ヨシト様を召喚して正解でした」
「いきなりなんすか。褒めても……褒めてるのか?」
「褒めていますよ。そして、嬉しいです。この国の現状は厳しく、仮に前王が没したのが二十年前だったらこの国は崩壊していたでしょう。ですが、ヨシト様がこの国の王ならば今まで以上の発展があるとわたしは思います」
心底嬉しそうな笑顔を浮かべるカグラに、義人は頬を掻いて目を逸らす。
「買い被りだっての」
「買い被りですか……ミーファも同じようなことを言いそうですね。ですが、少なくともわたしは買い被りではないと思っていますよ?」
しばし沈黙が下り、紙に押印する音だけが響く。
公私を分けているのか、ミーファはちゃん付けではない。
義人はそんなどうでも良いことを気にしながら、やけに嬉しそうな笑顔で見てくるカグラの興味を逸らせないかなー、と考えたところで先程のカグラの発言に危険な部分があったことを思い出した。
「そういえば、今しがた仮に前王が二十年前に没していたらこの国は崩壊していたっていってたけどさ、それってどういう意味で?」
そう尋ねると、カグラは笑顔を引っ込めて真剣な表情を作る。
「言葉通りの意味で、崩壊です。財政が破綻し、国としての形を取れなくなっていたでしょう。内紛が起き、国の人間同士で争うことになったかもしれません」
「財政が破綻して、ねえ……昨日からこの国が財政的に危険だって聞いてたけど、この国にはどれくらいの国家予算があるんだ?」
義人の言葉に口頭で答えようとしたカグラは、それを止めて書類の山に手を突っ込む。そして数枚の紙を取り出すと、義人の前に並べた。
「細かい数字などはここに記載されています。一度で覚えることができる量ではないので、この紙に書かれていることを追々覚えてください。まず、この国の全予算は約十五億ネカです」
十五億と言えば大金に聞こえるが、国を運営するには明らかに足りない。義人は激しい絶望
感に包まれつつ、手元の紙に目を落とす。
「えーっと……約七割は税金で、残りは輸出物による収益……なんてアバウトな。輸出物は鉄? それと他の鉱山資源が少々ねぇ……」
しばし眺めていたが、途中でパサリ、と紙を放って義人は笑顔を浮かべた。
「うん、無理。財政破綻まっしぐら」
「多少は良質な鉄が採れるので、それを軸に輸出を行っています。あとは金と銀、鉱石などを輸出しています」
義人の発言を華麗にスルーするカグラ。義人はその流しっぷりに思わず拍手を送りたくなったが、カグラの『真面目にやってください』という視線に負けて真面目な表情を作る。
「輸出国は?」
「主にレンシア国です。レンシア国はカーリア国と比較的友好な関係ですので、交易を行うことができています」
「良い国か?」
「国王のコルテア=ハーネルン王の下、兵や市民が一致団結した非常に良い国です。また、コルテア王は賢帝と呼ばれており、市民のことを考えた善政が評判ですね。以前アルフレッド様と一緒にお会いしたことがありますが、コルテア王自身も気さくな方でした」
「……俺がカーリア国の市民だったら、迷いなくそっちの国に逃げるな」
思わず呟くが、カグラは首を横に振った。
「兵や市民が一致団結するという点では、わが国も負けてはいません」
「一部を除いて、だろ?」
一部という単語に、カグラが反応して僅かに目を細める。
「どういうことですか?」
目を細めたカグラに対して、義人は机の上の書類を人差し指で叩く。
「これは俺の予想なんだけど、臣下の中に税金を横領してる奴が何人かいるだろ? そいつらがいる限り、一致団結とは言えないさ」
「……何故、横領している者がいると?」
「んー、勘かな」
勘、とは言ってみても、カグラには義人が確信に近いものを抱いているように見える。そして、横領をしている者がいるという確信を抱いているのはカグラも一緒だ。
「勘で横領されていると判断されては、その疑いをかけられた者が困りますよ? それに、お金を管理している文官達にお金の流れを掲示してほしくても、王の許可がなくては無理だと何回も突っぱねられましたから」
だから、わざとおどけるように明るく釘を刺す。自分では調べる権限がない。行動を起こすのなら、慎重に動くべきだという意味を込めて。
「はははは、そうか。じゃあ、それらしい証拠を集めてからにしよう」
それを聞いた義人は一度笑った後、口の端を吊り上げて命じる。
「十年前前後から現在に至るまでの国家予算の使い道を調べることを許可する。必要ならそれ以前も調べてくれ。文官が使い道の提示を渋るなら、それだけで怪しいしな。もし不透明な金の使い方をしていることがわかったら、逐一報告してくれ」
「はい。わかりました」
義人の言葉に満足な笑みを返し、カグラは執務室を後にした。