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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百四十三話:少女

 窓から差し込む春らしい柔らかな日差しが視界に入り、それまで政務のために動かしていた筆を止めて志信は窓の外へと視線を投じた。


「……ふむ」


 非常に良い天気である。

 こんな日は日差しの下で体を動かし、鍛錬を行いたいものだ。そんな欲求が頭の片隅から浮かんでくるが、それを表に出すことなく飲み下す。

 窓から視線を政務用の机の上へと戻すと、そこには山のように(まつりごと)に関する書類が積まれていた。紙のものもあれば、羊皮紙のものもある。挙句には木簡らしきものまで置かれており、志信は無表情で頭を掻いた。

 多少は政務に慣れてきたが、それでも一日に片づける量よりも増える量の方が多い現状である。隣に座るアルフレッドが大部分を肩代わりしているが、それでも量が多い。国王代理を務め始めた頃に比べれば一日経つごとに増える書類の量も減っているが、机の上の書類をすべて片づけることができるのはまだまだ先になるだろう。

 頭を動かすよりも、体を動かす方が楽でいい。そんなことを思いながら、志信は三度、視線を動かす。

志信が視線を向けた先には、椅子に腰を掛けた義人の姿があった。執務室の隅に置かれた椅子に座り、無表情で虚空を見つめている。

 無論、義人本人ではない。魔法人形が義人の姿を真似ているだけであり、決して本物ではなかった。

 そんな志信の視線の動きに気付いたのか、政務を行っていたアルフレッドが顔を上げる。


「そろそろカグラの部屋に行く時間ではないのか?」


 アルフレッドがそう言うと、それまで無言で椅子に座っていた義人が立ち上がった。そして、見た目だけは義人にそっくりな表情を作ると、片手を上げて扉の方へと歩き出す。


「じゃあ、カグラのところに行ってくる」

「……ああ」


 義人(にんぎょう)の言葉に頷き、志信はその背を見送る。そしてその姿が見えなくなると同時に小さくため息を吐いた。


「……やはり、気に入らぬか?」


 そんな志信の様子をどう思ったのか、アルフレッドが気遣わしげに声をかける。志信はアルフレッドの気遣いに首を横に振って応えると、義人が出て行った扉へと視線を向けた。


「そういうわけではないのです。賛成こそしませんが、必要だというシアラの言葉も理解できる」


 そう言いつつ、志信は最近見たカグラの様子を思い浮かべた。食事をきちんと取り、一時期に比べれば血色も良くなったその姿は健康体に近づきつつある。

 結果だけを見るならば、カグラの体調は回復へと向かっていると言えるだろう。視力こそ戻っていないものの、このまま行けば遠くない内に床払いできるというのがカグラの治療に当たっている医師の言葉だ。医術の心得はないが、カグラの様子を見れば志信もそれに同意見である。

 そのこと自体は、望ましい。素直にそう思い、しかし、と志信は思考を続ける。

 カグラが健康になるのは良いが、そうなると今度は義人(にんぎょう)の扱いをどうするべきか。それが志信を悩ませる。

 現状ではカグラの精神の安定に一役買っているが、今後はそれだけで済む話でもない。

 文官や武官には話を通してあるが、正式な国王である義人本人がいないというのは不安なのだろう。最近は詰まらないことで諍いを起こすことがあり、それを仲裁するためにアルフレッドが出る始末である。

 それに加えて、城下町の民の間に『国王がいない』という噂が広がりつつあるという報告が近衛隊から入ってきていた。現在その情報を漏らしたのが誰なのかを調査中だが、近衛隊は人数が少ないため進展していない。



 ―――さて、どうしたものか……。



 現状を打破する方法を考え悩むが、良い案は出ない。

 志信にできることは、少しでも現状が崩壊するのを先延ばしにすることだけだった。 








 コンコン、という扉を叩く軽い音が聞こえ、カグラが弾かれたように顔を上げる。それを見たサクラは内心でため息を吐きながら、ゆっくりと扉へと足を向けた。


「どちら様ですか?」

「サクラか? 俺、義人だよ」


 そして扉越しに聞こえる声を確認し、扉を開ける。すると義人―――少なくとも、外見だけは完全に義人そっくりな魔法人形が室内に足を踏み入れてきた。


「ヨシト様、今日の政務は良いのですか?」


 そんな義人に、表面上は笑顔で話しかけるサクラ。そんなサクラの言葉に、義人は小さく笑って答える。


「ああ。ある程度はアルフレッドが肩代わりしてくれているからね。それに……」


 そこで一度言葉を区切ると、義人はカグラの傍へと歩み寄っていく。そして寝台の傍に置いてあった椅子に腰かけると、穏やかな声色で告げた。


「今は、カグラのことが気になって政務が手につかないしね」


 その言葉を聞いたカグラは、気恥ずかしそうに頬を染めて視線を下へと向ける。もっとも、視力を失っているためその行為自体に意味はない。しかし、それでも恥ずかしさが勝ったのだろう、カグラは布団を強く握り締め、照れ隠しのように笑った。


「も、もうっ、ヨシト様ったら、いつからそんな冗談を言うようになったんですか?」


 冗談交じりにカグラが怒ってみると、義人は心外だと言わんばかりに両手を上げた。


「おいおい、ひどいな。俺がカグラの心配をしたらおかしいか?」


 おどけるように尋ねた義人の様子が見えたわけではないだろう。しかし、雰囲気から察したカグラが口元に手を当てて小さく笑う。


「でも、以前はそこまで気にかけてくれなかったじゃないですか」

「むぅ……こいつは手厳しい」


 そう言って、義人とカグラは笑い合う。そんな二人の様子を見て、サクラは作った笑顔を浮かべた。


「それでは、わたしはシノブ様達にお茶を淹れてきますね」


 それだけを告げて、カグラの寝室から退室する。扉を閉め、続いて扉の傍に立っていた兵士達にカグラの護衛を頼むと、僅かに視線を伏せながら歩きだした。そして、廊下を数メートルほど歩いてからサクラはため息を吐く。

 カグラの体調もだいぶ回復してきたが、一体いつまでこの状態が続くのか。

 ある意味志信と同種の懸念を抱き、そして志信と同じく打つ手がないことを実感する。

 サクラは国王付きのメイドであり、日常の世話と同時に護衛も兼ねている。だが、国王である義人、宰相であるアルフレッド、『召喚の巫女』であるカグラのようにカーリア国における破格の権限を有しているわけではない。

 魔法剣士隊の隊長であるミーファや魔法隊の隊長であるシアラよりも権限は低く、精々有事の際に兵士に指示を出せるぐらいだ。もっとも、国王の傍仕えであり、アルフレッドやカグラ、シアラとも親しいため様々な面で他のメイドよりは優遇されているが。


 ――しかし、それだけだ。


 今のサクラにできることは、視力を失ったカグラの身の世話程度。政務に口を出すこともできない。


「どうすればいいのかな……」


 気分が滅入っているからか、肩の辺りがひどく重く感じる。城の中の雰囲気もどこか暗く、それが一層サクラを気落ちさせる。


「……ううん。まずは、自分にできることをやらないと」


 サクラは小さく握り拳を作り、自分を励ますように呟く。

 まずは、志信達にカグラの様子を報告に行こう。そう思い、サクラは前を向くのだった。








 サクラが退室し、部屋の中にはカグラと義人だけが残される。椅子に座った義人は寝台の上で上体を起こしたカグラの顔色を見ると、嬉しそうに笑った。


「だいぶ血色が良くなってきてるね。もう体は大丈夫?」

「はい。食事もきちんと取っていますし、最近はよく眠れるようになりました」

「そっか。それは良かった」


 義人がそう答えると、カグラは僅かに眉を寄せる。


「しかし、相変わらず視力と魔力は回復しません……」


 そう呟くカグラの声は、僅かに震えていた。体調は回復してきているが、目は見えず、魔力も回復していない。

 カグラが特に気にしていたのは、魔力がまったく回復していない点だった。最初は無理を重ねたため魔力の回復が遅いのだろうと思っていたが、二度目の『召喚の儀』を行って既に二ヶ月以上経っている。

 魔力の量、魔力の回復速度共にカグラはこの国の中では群を抜いている。回復速度が段違いの義人、魔力量が大きい優希などは“こちらの世界”の人間ではなく、小雪は龍種であるため例外だが、二ヶ月もあれば多少は魔力が回復するはずだった。しかし、一向に魔力が回復する様子がない。

 限界まで、いや、限界を超えてまで召喚魔法を行使した影響だろうか。そんな疑問が浮かぶものの、それを悠長に考える余裕はカグラにはない。

 『召喚の巫女』が魔法を使えなくなるなど、六百年のカーリア国の歴史の中でも聞いたことがなかった。代を重ねるごとに徐々に魔力の総量が減ってはいるが、それでも人間としては破格の魔力量である。それがなくなったとあっては、カグラも平静ではいられない。

 目が見えず、魔法も使えない『召喚の巫女』。

 このままいけばそう呼ばれるのは確実であり、カーリア国の盾であり矛でもあった『召喚の巫女』が戦えないと他国に知られればそれだけで侵攻されかねない。同盟国のレンシアはまだしも、好戦的なハクロアや他の小国が侵攻してくる危険性があった。

 それが自分の招いた危険であり、義人を“こちらの世界”へと連れ戻した代価。


「カグラ、どうかしたか?」


 表情の険しさを見たのだろう、義人が心配を含ませた声で尋ねる。


「……いえ。なんでもないです」


 義人に心配をかけたことを悔み、それと同時に、心配してくれたことに喜びを覚えながらカグラは首を振った。すると、カグラの内心をわかっているのかいないのか、義人が明るい声を出す。


「大丈夫、視力がなくても、魔力がなくても、カグラはカグラだよ。気にすることないって」


 そう言われ、カグラは僅かに言葉をなくす。


「……その、ヨシト様」

「ん?」

「ヨシト様は、もしわたしがこのままでも……」


 良いのか、とは聞けない。カグラとしての価値がなくなったと見限られているのか、それとも同情か。もしくは、本心で気にするなと言っているのか。そのどれかと考え、カグラは迷うこともなく義人の本心だろうと判断する。

 見限っているのならば、そもそも顔を合わせようともしないだろう。“向こうの世界”に戻す方法をなくしたカグラの様子を見に来るとしても、魔力が回復したか確認するだけで済む。

同情ならば、それが声に出るだろう。義人も多少は腹芸ができるが、すべてを騙しきれるほど芸達者なわけではない。

 そうなると、残るは義人が本心から言っているという点だ。“向こうの世界”に戻って生活し、それでも“こちらの世界”に戻りたいと思った、と義人は言った。それはカグラにとっても嬉しい言葉である。義人が自発的に“こちらの世界”に戻りたいと言い、突然召喚したことにも腹を立てた様子がない。

 元いた世界に戻れないと知った際、激怒していた義人が、である。それがまるで“人が変わったように”優しく接してくれる。

 “向こうの世界”に戻って家族と会えたことで考えが変わったのだろうか。そこまで考え、カグラは思考を打ち切る。


 ――正確には、思考を止めた。


 そこから先を思考することを、カグラは無意識の内に拒否していた。


「ん? どうした?」


 義人の声が聞こえ、カグラは笑みを浮かべて首を振る。


「……いえ」


 政務が片付けば様子を見に来てくれ、自身の身を案じ、気安く話しかけてくれる。カグラはそのことに喜び、義人の好意に甘える。

 これで体調も魔力も万全ならば、公私に渡って“カグラとして”義人の補佐ができたのにと思わないでもないが、現状に文句も浮かばない。

 そこまで考え、ふと、カグラは今しがた自分が考えたことを反芻する。

 カグラとして義人の補佐をする、それ自体は問題ない。歴代のカグラと同様の責務であり、カグラ自身も望むことである。

 だが、歴代のカグラ全員が心底から望んで国王の補佐を行ったのかと聞かれれば、首を横に振らざるを得ないだろう。『召喚の巫女』といっても、人間である。好悪があり、愛憎の感情があったはずだ。それでもカーリア国のためにと尽くし、現在(いま)があるのだ。

 『召喚の巫女』として、国王の補佐を行う。幼少の頃から刷り込みのように教え込まれたその“建前”を想起し、故に、カグラは自問する。



 ―――ヨシト様を補佐するのは、それが役目だから? わたしが“カグラ”だから?



 その問いに、即座に自答した。



 ―――違う。ヨシト様を支えたいと思うのは、“わたし”の意思。



 そのはずだ。そう結論付け、カグラは頭を振る。“カグラ”としてではなく、一人の“少女”として、義人を支えたい、頼ってほしいと思っているのだ。

 そして、そう思うと同時に、カグラは口を開いていた。


「お願いが、あります」

「お願い?」


 一体何か、と義人は首を傾げる。もっとも、疑問を覚えただけで義人(にんぎょう)にカグラの願いを断るつもりもない。


「わたしには、母がつけてくれた名前があるんです」


 しかし、続いた言葉にさすがの魔法人形も僅かに虚を突かれた。


「……へぇ、そうだったんだ。てっきり、カグラが本名かと思ってたよ」


 僅かに言葉が遅れた義人を疑問に思う余裕も、今のカグラにはない。胸に手を当てて、自身の気持ちを整理するだけで手いっぱいだった。


「いえ、それも間違っていません。わたしの本当の名前を知っているのは死んだ母と、アルフレッド様ぐらいですから。他の方々はわたしの本当の名前は知りませんし」


 そこに父親である前代の国王が含まれないのは何故か。そんな疑問も、義人(にんぎょう)は口にしない。ただ、話の先を促すのみである。


「……それで、カグラの本当の名前って?」


 義人がそう尋ねると、カグラは言いよどむように口を閉ざした。しかし、自分から言い出したことなので答えないわけにもいかない。

 何度か深呼吸をすると、カグラは“本当の”自分の名前を口にした。


「―――カスミ、です」

 

 その名を聞いた義人はどう思ったのか、一度だけ視線を宙に向ける。そして一拍の間を置いてから笑みを浮かべた。


「カスミ……カスミかぁ。うん、似合ってる。良い名前だな」

「そ、そうですか? お世辞ではなく?」


 ここ数年どころではなく、そう呼ばれた記憶はほとんどない。そのため、カグラは義人の言葉に半信半疑だった。


「おいおい、今お世辞を言ってどうするんだよ」


 そんなカグラの様子に苦笑し、義人は座っていた椅子の背もたれに背を預ける。しかし、まだ“お願い”を聞いていないことに気付いて片眉を上げた。


「で、お願いっていうのは?」


 義人がそう言うと、カグラは困ったように表情を変える。目は見えないが顔をあちこちへと向け、落ち着かない様子だった。


「それで、お願いというのはですね……」


 それでも言葉を紡ぎ、カグラは自身の願いを口にする。


「二人きりの時は、カスミと呼んでほしいです……なんて」


 カグラとしてではなく、一人の“少女”として義人を補佐したい。そう思ったが故の願いだった。表面上はできる限り平静に、しかしその実不安で心臓を高鳴らせながら、カグラは義人の返答を待つ。

 義人(にんぎょう)はそんなカグラの葛藤に気付かず、至極あっさりと頷いた。


「わかったよ、カスミ」


 義人はカグラの―――“少女”の名前を呼ぶ。少女は義人の返答を聞いた瞬間、見えない目を見開いた。そして数秒ののち、何かを堪えるように何度も頷く。

 名前を呼んだは良いが、返答はない。そのことにどうしたのかと義人が視線を向けると、少女は目の端に涙を溜めて俯いていた。

 それは嬉し涙か、それとも別の理由があったのか。少なくとも、それは少女(カスミ)にしか知り得ないことだった。


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