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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百四十話:崩壊への一歩

「ん…………」


 寝台で眠っていたカグラは、ゆっくりと目を開く。そして瞬きを数回すると、その段階になってようやく自分が眠っていたことに気付いた。

 カグラはバランスを崩さないよう注意しながら身を起こすと、相変わらず墨で塗り潰したような視界に若干辟易としながら頭を振る。眠る前の記憶は曖昧で、眠ったというよりは突然気を失った感覚に近い。


「わたし、なんで……」


 いつの間に眠っていたのだろうか、と一人呟く。

 最近は食欲もなく、眠りも浅い日が続いている。カグラ自身も体調が思わしくないことを自覚していたが、さすがに突然気を失うようなことはなかった。

 目が見えなくなってから時間の感覚がおかしくなりつつあるが、それでもサクラなどと話をしていれば最低限の時間の感覚は保てる。

 カグラは一度だけため息を吐くと、気を失う直前のことを思い出そうとして、


「お、やっと起きたか」


 そんな声が、耳に滑り込んできた。


「……え?」


 ひどく、聞き覚えのある声。それはここ最近、直に聞くことのなかった、カグラが常に聞きたいと思っていた声だった。


「ヨシト、様?」


 掠れた声を漏らし、カグラは聞き間違いかと己の耳を疑う。しかし、気を失う前にも同じ声を聞いていたことを思い出してカグラは口を開いた。


「ヨシト様……なんですか?」


 カグラは一瞬、自分の体が幻聴を聞くほどの変調をきたしているのかと心配になったが、さすがにそこまでではないと自ら否定する。

 ならば、今自分が話している相手は本当に―――。


「ああ、義人だよ。しかし、まいったまいった。また召喚されたと思ったら、今度はカーリア国からけっこう離れた場所だったからなー。コモナ語を覚えてなかったら、ここに戻ってこられなかったよ」


 陽気な声が、浮かびかけた疑念を吹き飛ばす。その声色に、カグラは考えることを放棄した。

 考えるのは後でも良い。例え今話している相手が幻聴だろうと、義人と言葉を交わすことができるのだから。


「その、ヨシト様……」


 そんな破綻した考えに気付かず、カグラは義人へと話しかける。最近の不健康な生活が祟っているのか、声が出にくいが構わない。己の体調よりも、今は優先すべきことがある。何を置いてでも、言うべきことがあった。


「申し訳、ありませんでした……わたしは、その、再びヨシト様を」


 召喚してしまった。

 そう口にしようとして、言葉が止まる。否、義人達が姿を消す昨晩に、義人自身から向けられた言葉や感情が言葉を止めた。

 怒気混じりの声に、怒りを湛えた瞳。今は見ることも叶わないが、再び同種の声と視線を向けられたらと思うと、カグラは続きの言葉を口にすることができない。義人自身が召喚されたことを口にしたが、その事実をカグラ自身が口にすることは憚られた。


「カグラ? どうしたんだ? もしかして、体調が悪いのか?」


 しかし、まるでそんなカグラの心情を無視するように優しげな声がかけられる。カグラの身を案じる、心配そうな声。その声を聞いたカグラは、何故義人がそんな優しい声をかけるのかと不思議に思った。


「あの、ヨシト様……」

「ん? 何?」


 聞いて良いものか。それとも、聞かずにおくべきか。

 僅かな逡巡。しかし、深い葛藤を堪えてカグラは言葉を紡ぐ。


「……怒って、いないのですか?」

「怒る? 俺が?」


 何故そんなことを聞くのだろうと、心底不思議そうに声が応える。次いで、納得したような声が響く。


「いや、カグラだって、この国のためを思ってもう一度召喚したんだろ? なら、“国王”である俺は、むしろ礼を言うべきだよ」


 そう言って、義人は小さく笑った。カグラには見ることができないが、その表情に嘘偽りはない。本当に、“何も思っていないような”笑顔だ。

 しかし、カグラにとって予期せぬ返答である。

 “元の世界”に戻りたいと願い、それが叶ったであろう義人を“こちらの世界”に召喚するという行為は、間違いなく怒りを買うだろう。口汚く罵倒され、最悪義人自身の手にかかることすら考えていた。それだというのに、義人の声からは怒りの感情が感じ取れない。

 そんなカグラの戸惑いを感じ取ったのか、かけられる声が一段と優しげなものへと変わった。


「カグラの言いたいこともわかるさ。でも、“元の世界”に戻って、色々と考えてみたんだ。“向こうの世界”での生活に、“こちらの世界”での生活。両親に無事を伝えることができた後、その二つを比べてみてさ……最後には、“こちらの世界”に戻りたいって気持ちが残ったんだよ」


 だから怒っていないと、義人が―――人形(よしと)が告げる。実に耳心地良く、さもカグラを慰めるように。


「ほ、本当ですか?」


 故に、カグラにはその言葉を信じることしかできなかった。本当に“元の世界”と“こちらの世界”を秤にかけ、“こちらの世界”を選んでくれたのだと。純粋に、カグラ自身の願いも相まって、その言葉を信じる―――信じて、しまう。


「ああ、本当だよ。だから、カグラには感謝してるぐらいさ」


 そんなカグラの心中を肯定するように、義人が答える。そして、そんな義人の言葉を聞いたカグラは、安堵のためか大きく息を吐き出した。

 失敗したと思っていた召喚の成功。それに加えて、その行為を咎めない義人の言葉。

 まるで夢のようだと、そこまで考えたところでカグラの脳裏に一つの疑問が浮かぶ。

 一度目の召喚の際には、優希や志信が共に召喚された。それならば今回はどうなのかと、疑問と“とある感情”から口を開く。


「あの、ヨシト様……」


 それでもどこか言い難そうに、カグラは視線を下げる。視力がない以上意味のない行為ではあるが、カグラの心情を表すという点では無意味ではない。事実、視線を下げたことで、義人からはカグラの表情を窺い知ることができなくなっていた。


「……ユキ様は、どこにいらっしゃいますか?」


 続いて、小さな声で尋ねる。その声の質を不思議に思った義人がカグラを見るが、カグラは視線を下げたままだ。

 そんなカグラの様子に疑問を覚える―――ようなことはなく、人形(よしと)は答える。


「“こっちの世界”に召喚されたのは、俺だけみたいだ。優希や小雪、ノーレは“元の世界”にいる……と思う」


 いきなり召喚されたからな、と苦笑混じりに言うと、それに釣られたようにカグラも薄く微笑む。


「そう……ですか」

「ああ。きっと、“向こうの世界”で元気に過ごしているだろうさ」

 

 小雪が暴れていなければ良いけど、と他人事のように付け足す義人。しかし、すぐに考えることを放棄したのか、カグラへと目を向ける。


「まあ、そんなわけで帰ってきたって報告だよ。とりあえず、カグラはゆっくり養生してくれ」


 そう言って、義人はそれまで腰かけていた椅子から立ち上がった。すると、それを音で察したのかカグラが慌てたような声を上げる。


「ど、どちらに行かれるのですか?」


 それは義人がいなくなることへの不安だったのか、カグラは衰弱した体を恨めしく思いながらも体を起こし、義人の声のする方へと手を伸ばす。


「ん? ちょっと食堂に行ってカグラ用の食事を作ってもらおうかなって。カグラ、ちゃんと食事を取ってないんだろ?」


 そうやって慌てるカグラをどう思ったのか、義人は苦笑しながらカグラが伸ばした手を握った。そして、まるで壊れ物でも扱うようにゆっくりと、優しく指を絡めていく。


「こんなに痩せて……まったく、体は労われよ? “この国にとって”、大事な体なんだから」

「は、はい。申し訳ありません……」


 突然手を握られたことに戸惑いながらも、カグラは頭を下げる。下げた際に覗いた頬が僅かに赤みがかっていたのは、単なる羞恥からではないだろう。心臓の脈打つ速さが徐々に早くなってきていることを自覚して、カグラはより頭を深く下げるのだった。








 そんな二人のやり取り……正確には一人と一体のやり取りを、サクラは苦虫を噛み潰したような表情で見つめていた。そして頭を振ると、隣に立つシアラへと視線を向ける。


「……それでシアラちゃん、本当に、あれでカグラ様が元気になると思うの?」


 カグラに聞こえない程度の声量で、サクラはシアラへと尋ねた。その声に込められた感情は複雑だが、一番強いものは怒りだろう。親友であり、異母姉妹でもあるシアラには向けたことのない感情を込めて、サクラは声を発する。

 カグラは義人との会話に集中しているのかその声に反応することはなく、人形(よしと)はそもそも二人に気を払うこともない。


「……元気には、なると思ってる」


 対するシアラの声色は、どこか固い。

 そもそもが自分の言い出したことではあるが、それでも塞ぎ込んでいたカグラがすぐさま笑顔になるとは考えていなかった。最初こそ疑問や恐怖に近い感情を抱いていたようだが、今ではそれもない。人形(よしと)の言葉を信じているのだろう、見せる表情は明るくなりつつあった。

 そんなカグラの姿を見て、サクラは大きくため息を吐きたくなるのを堪える。

 魔法人形が義人本人であると本当に信じているのか、それとも、信じるしかなかったのか。そのどちらかと考え、すぐさま後者だろうとサクラは思考する。

 予期せぬ事態に、予期せぬ言葉。

 おそらくは、カグラにとって義人との再会は大きな願いだったのだろう。しかし、それと同時に大きな不安もあったに違いない。

 会いたい―――が、会えば再び拒絶される。そんな希望と恐怖があったはずなのに、人形(よしと)が告げたのはカグラにとって都合の良い、都合の良すぎる言葉ばかりだ。

 無論、サクラは義人とカグラの間に何があったかは詳細には知らない。正鵠を射ることはできないが、おおよその出来事を想像できる程度でしかなかった。それでも、カグラの様子を見ていればその想像が的外れではないと断言できる。


「ねえ、シアラちゃん」


 眼前の光景を眺めつつ、サクラが口を開く。相変わらず小さな声で話しかけたが、シアラはそれを聞き漏らすことなく応じた。


「……なに?」

「あの魔法人形には、どんな指示を出したの?」


 それは、僅かな興味からの問い。以前、義人の暗殺に使われたように、あの人形には何かしらの指示を与える必要がある。それがどんな指示なのか、サクラはある程度予想しながらも尋ねた。

 その問いに対して、シアラは三角帽子を目深に被りながらサクラと同じように小さな声で答える。


「……カグラ様が喜ぶ対応をするようにって」

「……ああ、なるほど」


 シアラの言葉に、サクラは頷いて納得を示す。

 たしかに、ある意味効果的な指示だ。効果的で、カグラにとっては残酷とも言える。


「シノブ様は、納得していたの?」

「……シノブは、反対した。本当は、シノブにあの人形を使ってもらうつもりだったけど……」


 気落ちしたようにシアラが呟く。それを聞いたサクラは呆れを滲ませながらため息を吐くと、隣に立つシアラへと視線を向けた。


「シノブ様なら反対するよ。うん、わたしでも反対するもの」


 サクラがそう言うと、シアラは視線を床に向けて押し黙る。おそらくは、シアラも己の取った行動が正解ではないと気付いているのだろう。それでも行動したのは、シアラの目から見ても現状が危機的に過ぎるからである。

 沈黙したシアラを見て、行動できなかった自分が責めるのもお門違いかとサクラは頭を振った。カグラを止めようとしたが止めきれず、その後も事態が動くままに任せている。

 


 ―――このままでは、本当に……。


 

「サクラ」


 思考が危うい方向へと転びそうになった瞬間、そんな声が響いた。聞こえた義人の声に、サクラはそちらへと顔を向ける。すると、義人はどこか申し訳なさそうな顔をしながら小さく頭を下げた。


「悪いんだけど、カグラの食事を用意してもらってもいいか?」


 その表情と仕草は、確かに義人に似ている。先ほどは自分で食事を取りに行く素振りを見せていたのに、カグラの反応から傍にいることを選んだのだろう。そのカグラに対する気遣い振りは、たしかに『カグラの喜ぶ対応』である。しかし、本人ではないと知っているサクラからすれば、その気遣いは違和感を覚えるだけだ。

 先ほど浮かびかけた感情に蓋をすると、サクラは一度だけ深呼吸をした。


「はい、わかりましたヨシト様」


 そして、人形(よしと)の笑顔にサクラも作った笑顔で応える。

 カグラが食事を取り、元気になってくれるのはサクラとしても望むところだった。このまま時間が経てば、カグラは遠からず命を落とした可能性が高く、それを防げるのならば多少のことには目を瞑ることができる。

 現状、カグラの体調が悪いのは精神的な部分が大きい。人形(よしと)の存在が支えになるのならば、それも一つの手だ。そう強く思いながら、極力音を立てないように扉を開けて退室する。


「はぁ……」


 廊下に出ると、隠しきれなくなったため息を一つこぼしてサクラは目を閉じる。


 たしかに、人形(よしと)は一つの手ではある。



 サクラは自分にそう言い聞かせるが、その結果に待ち受ける未来が、明るいものだと思うことはできなかった。


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