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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百三十九話:作り物の幸福

 義人達が姿を消して、既に二ヶ月以上の時が過ぎた。その日々を長いと見るか短いと見るか、それは人それぞれだろう。

 そんな中で、志信にとっては時間の流れが非常に緩やかに感じられた。国王代理として書類と格闘する日々は、志信にとって拷問に近い。以前は飛ぶ矢のような速さで流れていた時間が、今では遅々として進まないのだ。

 志信はその原因である、机に山のように積まれた書類へと視線を向けた。

 よくもこれだけの書類を捌いていたものだ、と“こちらの世界”にはいないであろう親友に向けて苦笑し、志信は軽く息を吐きながら椅子の背もたれに背を預ける。


「疲れが溜まっているようじゃのう」


 そんな志信に声をかけたのは、隣の執務机で書類を片付けていたアルフレッドだった。本来ならばカグラが座っているはずの席につき、志信の何倍もの速度で書類の山を片付けている。それを見ながら、志信は僅かに苦笑を浮かべた。


「俺には体を動かすことぐらいしか能がないので……義人のようにはいかないですね」


 勉強は自分の方ができたが、頭の“出来”という点では劣っていたのだろう。飲み込みが悪いというわけではないが、突発的な事態に対応する能力は義人に数歩も劣ると自己分析する。そして志信は冷え切った湯呑に手を伸ばすと、苦みが感じられる緑茶を飲み干してかすかに顔をしかめた。

 そんな様子の志信を見て、アルフレッドは苦笑を向ける。


「それでも以前に比べれば進歩しておるよ。なに、儂とて最初の数年は失敗続きだったんじゃ。気にすることはないわい」


 志信を励ますためか、おどけるように言ってアルフレッドは笑う。それを見た志信は相好を崩し、傍に置いていた急須に手を伸ばして眉を寄せた。すると、そんな志信の動作を見て一人の少女が傍に寄ってくる。サクラと同じくメイド服に身を包んだその少女は一礼してから急須を受け取ると、お湯を注ぐためか静かに執務室から出て行った。

 サクラの同僚であるが名前も知らないその少女を見送り、志信は視線を窓へと向ける。


「……カグラは?」


 その問いを聞いたアルフレッドは、書類に走らせていた筆を止めて視線を宙に向けた。


「相変わらずじゃよ。いや、むしろ酷くなっておるか……最近など、あまり食事が喉を通らんようじゃ」

「そうですか」


 珍しくため息を吐き、志信は机に積まれた書類に手を伸ばしながら脳裏にカグラの姿を思い描く。

 以前の健康的な輝きなどない、ベッドに臥せるその姿。現在はサクラが付きっ切りで身の回りの世話をしているが、それでも良くなる兆しがない。

 魔力をすべて消費し、それだけでも足りず、命すら削って召喚魔法を行使した代償。視力を失い、精神的なものが原因なのか食事が喉を通らず、日に日に衰弱していくカグラを見れば、志信とて思うところがないわけではない。

 己の職責を放り出し、“この世界”から姿を消した義人を求めた結果として現在(いま)がある。愚かと言えば、そうなのだろう。しかし、それほどまでに義人を想ったカグラの心情を思えば愚かだと断じることはできない。

 それほどの感情―――激情を、志信は持ち合わせていないのだ。故に、志信にはカグラを愚かだと断じることはできない。

 巡り合わせが悪かったのか、惚れた相手が悪かったのか。おそらくは両方か、と言葉を飲み込み、志信は意識を切り替えて仕事を再開するべく机に積まれた書類の山を見る。

 いくら片づけても次から次へと書類が届き、一向に減る様子がない書類の山。片づけた傍から新しい書類が積まれるのはある種の悪夢染みている。ただでさえ、アルフレッドと同等に仕事をこなせるカグラが抜けているのだ。義人が国王を務め、カグラがその補佐につき、手の回らないところをアルフレッドが補っていた頃に比べれば、格段に効率が落ちてしまうのも仕方がない。

 現状ではアルフレッドには仕事が集中し、その上で志信の補佐を行う必要もある。志信もアルフレッドの補佐を受けながら国王代理として仕事を片付けているが、いつ仕事が終わるとも知れない現状は志信に多大な精神的ストレスを与えていた。

 それでも、志信は鍛えた精神力で不満を抑え込むと、次々に書類に目を通していく。ロクに体を動かすことができない点も志信にとっては苦痛であり、今のところは早朝と深夜に軽く鍛錬を行うぐらいしかできないのが悩みの種である。

 国王代理としての仕事に、カグラの体調。先行きの見えない現状について打開策を頭の隅で考えるものの、志信には良い案が思い浮かばない。精々が、今の生活が破綻することを少しでも遅らせるぐらいのことしかできなかった。


「……ん?」


 そうやって志信達が政務をこなしていると、執務室の扉を叩く音が室内に響く。その音で作業の手を止めた志信は、顔を上げて扉の方へと視線を向けた。


「誰だ?」

「……失礼、します」


 短く誰何の声を上げると、それに遅れて返答の声が小さく響く。そしてゆっくりと扉が開くと、紺色のローブを身に纏ったシアラが入室してきた。一応は礼儀を守るつもりがあるのか、常ならば被っている三角帽子を手に持っている。


「シアラか、どうした?」


 何かの報告だろうか、と志信は姿勢を正す。すると、それを見たシアラは首を横に振った。


「……報告じゃない」

「む……そうか」


 シアラの言葉に頷くと、志信は僅かに首を捻る。報告でないのなら、シアラがこの場を訪れる理由がわからないのだ。その疑問を込めて志信がシアラを見つめると、シアラは居心地が悪そうに目を逸らす。


「……報告じゃない……けど、相談がある」

「相談? 珍しいな」


 そう言いつつ、志信はアルフレッドに目配せをする。それを見たアルフレッドは、一度だけ咳払いをした。


「儂は席を外した方が良いかの?」


 わざわざ執務中のところに相談にくるほどだ。重要な相談ではとアルフレッドが腰を浮かしかけるが、シアラはそれを制するように首を横に振る。


「……アルフレッド様も、一緒が良い……この国に関わる、大事な話だから」

「ふむ、それならば同席しようかのう」


 浮かしかけた腰を落ち着けると、アルフレッドは意識して微笑みを浮かべた。


「それで、相談とはなんじゃ?」


 少しでも言いやすいようにと、雰囲気すら和らげるアルフレッド。そんなアルフレッドの態度に僅かに感心しつつ、志信も傾聴の姿勢を取る。

 シアラはそんな二人の視線を受けてどこか言いにくそうにしていたが、覚悟を決めたのか、茫洋とした瞳の中に覚悟にも似たような輝きを覗かせた。そして、端的に言葉を紡いだ。


「……このままだと、カグラ様は遠くない内に命を落とす」

「―――――――」


 相談、と前置きした割に物騒な話の切り出しに、志信とアルフレッドは静かに視線を合わせる。


「……サクラからもそう聞かされているし、典医の見解も同じ。それに、だいぶ時間が経つのに魔力も回復してない」


 淡々と言葉を紡ぐシアラ。感情を抑えているのか、それとも素なのか、話すその姿は普段と変わりがない。

 口にしている内容は物騒だが、カグラの容態が思わしくないのは志信やアルフレッドも気にかかっていたことだ。


「……多分、精神的なものが原因。魔力が回復しないのは気になるけど、まずは体調を戻すことが先決。でも、カグラ様はご飯を食べてくれない。だから衰弱する一方」

「ああ、それは俺もわかっている……が、手だてがない」


 義人がいないことが、原因だろう。しかし、義人は“こちらの世界”にいない可能性が高く、会おうと思って会えるものでもない。今も捜索は続いているが、志信としては義人は“向こうの世界”に戻ったものと捉えているのだ。


「精神的なものが原因だとして、どうやって精神を治療する? いくら魔法が存在する世界と言えど、そんな魔法はないだろう?」

「……これ」


 そう言って、シアラはポケットから小さな人形を取り出した。木で作られたと思わしき、人の造形を真似た人形。数度とはいえ見覚えがあった志信は、僅かに目を見開いた。


「それは……」

「……『お姫様の殺人人形』。これは壊れているけど、ちゃんとしたものを使えばなんとかなる……と、思う」


 それは、使用者が思い浮かべた人物の姿を真似る魔法人形。以前シアラが修理の練習用に借りた人形は直せていないが、壊れていないものも存在する。


「……ヨシト王のことは、シノブが一番知ってる。だから、シノブに使ってほしい」


 そう言って、シアラが魔法人形を示して見せる。小さな手に握られた魔法人形を見据えた志信は、小さく眉を寄せた。


「人形で義人の身代わりを作れば、カグラが持ち直すと?」

「……今のカグラ様は、目が見えない。多分、魔法や魔力を感じ取ることもできない。なら、声だけでも真似ることができれば」



「―――ふざけるな」



 シアラの言葉を、志信の声が遮る。それは普段の彼なら出すことのなかったであろう、酷く冷たい声。それを聞いたシアラは、思わず身を強張らせる。


「それで何が解決する? カグラが気付いたらどうする? いや、遅いか早いかの違いはあるだろうが、義人が“こちらの世界”にいないのならばいずれは気付かれるだろう。その時はどうするつもりだ?」

「…………」


 志信の問いに、シアラは沈黙を以って応えた。シアラとて、自分の出した案が時間稼ぎにしかならないことはわかっている。義人が“こちらの世界”にいなければ、いずれは破綻する嘘だ。加えて、カグラが嘘に気付けば今以上に事態が悪くなるだろう。

 それこそ、悪くなるという言葉では済まないぐらいに。


「……たしかに、一つの手ではあるのう」


 それまで言葉を挟むことがなかったアルフレッドが、沈黙を破るように呟く。


「アルフレッド殿……」


 思わぬ賛同の声に、志信は知らず険のある視線を向けた。しかし、その視線を受けたアルフレッドは揺らぐことなく首を横に振る。


「志信殿、お主の言いたいことはわかる。懸念も(もっと)もじゃ。しかし、“この国”を存続させるなら『カグラ』を死なせるわけにもいかん。次代の『カグラ』もおらんしのう」

「……次代の『カグラ』がいれば、今のカグラは必要ないと聞こえますが?」


 舌鋒鋭く尋ねる志信に、アルフレッドは苦笑染みた表情を浮かべた。


「違う、と言いたいところじゃが、そういった側面があるのも事実。しかし、カグラに死んでほしくないという気持ちが最も強いのも確かじゃ。“あの子”は、儂にとっては孫のようなものじゃからな」


 それに、と言葉をつなげ、アルフレッドは表情に僅かな疲れを滲ませる。


「まだ、ヨシト王の召喚が失敗したという確証もない……望みは、極めて薄いがのう」


 それだけを言うと、アルフレッドはシアラへと視線を向けた。


「して、カグラにはどう説明するつもりじゃ?」

「……カグラ様の召喚は成功していた。でも、最初の時みたいに違う場所に召喚されたことにする。だから見つけるのに時間がかかった……そう言えば良い、と思います」

「それでカグラが納得すると? 最初に気付く可能性もあるが?」

「……多分、それはないと思う。目が見えない、魔力も感じ取れないのなら、気付きようがない」


 そう言って志信を見るシアラの視線には、どこか窺うような色がある。だが、その視線を受けた志信は目を閉じて椅子に背を預けて沈黙した。言葉にはしないが、シアラの案を拒絶しているのだろう。

 シアラはそんな志信の姿を見ると、少しだけ視線を床に向ける。


「……例え嘘だとしても、精神的な支えが必要。それに……カグラ様に、死んでほしくない。カグラ様の気持ちは、少しわかるから」

「ふむ……」


 顎に手を当て、アルフレッドは交互に志信とシアラに視線を送った。アルフレッドとしては、シアラの案に賛成する気持ちが強い。志信は反対のようだが、声に出して否定するつもりはないのか沈黙を続けている。そんな志信を視界の隅に捉えつつ、アルフレッドは宙に視線を向けた。


「ヨシト王の姿を人形に真似させたとしても、カグラの世話をさせるのが精々、か……ヨシト王が見つかったと言っても、魔法に長けた者が見れば魔法人形だと気付く可能性が高いしのう。しかし、カグラが持ち直す可能性もあると」

「……城のみんなにも、必要最低限の情報は伝えておいた方が良い。あと、カグラ様に気付かれないよう協力が必要……だから、シノブ」


 協力を、と願い出るシアラ。そんなシアラの声を聞きながら、志信は椅子に背を預けたままで沈黙を続ける。

 そうやってどれだけ時間が過ぎたのか。志信は小さくため息を吐くと、閉じていた目を開けた。


「俺は協力しない。たしかに、“こちらの世界”では俺が義人を一番知っているだろう。だが、いや、“だからこそ”協力はしない」


 本当ならば、力尽くでも止めたいところである。しかし、そうしないことはせめてもの妥協だろう。


「……わかった。それなら自分でする」


 それだけを口にすると、シアラは一礼して退室する。その姿を見送ってから再度ため息を吐く志信に、アルフレッドは気遣わしげな視線を向けた。


「シノブ殿なら力尽くで止めると思ったんじゃがのう」

「このままだと何も変わらないのも事実ですから」


 シアラが去ったあとも執務室の扉に視線を向け続ける志信からは、何を考えているのかすら窺い知ることはできない。ただ、最後に小さく、疲れたような呟きを漏らした。


「変わるとしても、良い方向に転ぶとは思えませんが、ね」








「カグラ様、お加減はいかがですか?」


 両手で盆を持ったサクラが、小さな声でそう尋ねる。盆の上には湯気の立つおかゆが載っているが、カグラがそちらに視線を向けることはない。寝台から身を起こした体勢で、宙を見据えるだけだ。

 カグラが寝起きをする寝室は、他の部屋に比べてどこか暗い印象を受ける。外の光が差し込まないというわけではないが、部屋全体に澱んだ“何か”が沈殿しているような雰囲気があった。


「サクラ……ヨシト様は、まだ見つからないのですか?」


 碌に食事を取っていないからだろう、サクラよりも小さく、力ない掠れた声でカグラが尋ねる。それを聞いたサクラは、カグラからは見えないとわかっていても首を横に振った。


「……はい、まだ、です」


 この問答も、何回繰り返したのか。何回か、何十回か、それとも何百回か。さすがに千回は超えていなかったかな、とサクラは心中だけで愚痴のように呟く。

 ことあるごとに繰り返される問答。日に何十回も同じことを尋ねられれば、サクラとて愚痴の一つは言いたくなる。それでも、うわ言のように義人の名を繰り返すカグラの姿を見れば、実際に愚痴を口にすることもできなかった。精々、親友であるシアラに話すぐらいしかサクラにはできない。

 目が見えていないためか、カグラの空中に視線を投じる瞳もどこか虚ろだ。以前に比べれば頬も痩せこけ、全体的に体が小さくなったような印象を受ける。

 病床に就く、盲目の少女。その言葉だけを耳にすれば、儚げな印象を与えるだろう。しかし、ただ宙を見据えるその姿を実際に目の当りにすれば、儚さよりもどこか狂気染みた印象を抱かせた。


「カグラ様、お食事ですが……」


 そう言いつつも、サクラには答えがわかっていた。カグラはサクラの問いに首を横に振ると、『食欲がない』と掠れた声で呟く。そんなカグラを見て、サクラは作ったような笑みを浮かべた。


「そう言われましても、ヨシト様が戻られた時にカグラ様がそんなご様子では驚かれますよ?」


 義人の名を出すと、僅かにカグラの視線が動く。それまで宙へと向けていた視線をサクラに向けると、ぎこちなく笑ってみせる。


「そう、ですね……それは嫌です」



 そう言って、カグラはサクラに対して手を伸ばした。それを見たサクラは、笑顔を崩さないようにしながらカグラの傍へと腰を下ろす。そして木製のレンゲでおかゆを一掬いすると、十分に冷ましてからカグラの口元へと差し出した。


「どうぞ、カグラ様。今日は昨日よりも薄味にしているので、食べやすいと思います」

「ん……」


 カグラは差し出されたおかゆを口に含み、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。それを機械的に繰り返しながら、サクラは僅かに意識を遠くへと飛ばした。



 ―――いつまで続くのかな……。



 心中で呟き、サクラは現状に思いを馳せる。

 カグラの体調もそうだが、その他にも懸念すべきことは多い。城中の雰囲気もどことなく険しく、城下町の活気も以前に比べればなくなっている。兵達も苛立っており、些細なことから喧嘩をする者が絶えないという状況だ。

 メイドであるサクラにできることはほとんどないが、それでも懸念は膨らむばかりである。

 そうやってサクラが考え事をしていると、コンコン、という扉を叩く音が小さく響いた。それを聞いたサクラは意識を浮上させ、カグラに一声かけてから扉の方へと歩み寄る。


「どちら様ですか?」


 ミーファかシアラだろうと当たりをつけながら、サクラは扉越しに尋ねた。そして、


「俺だよ、サクラ。義人だ」


 ひどく聞き覚えのある声が、名を名乗った。その声を聞いたサクラは数秒ほど忘我し、続いて、呆けたような声を上げる。


「…………え?」


 小さく声を漏らしながらも、体が勝手に動く。ドアノブを捻り、サクラはゆっくりと扉を開けた。


「ヨ、シト……さま?」


 扉を開けた先にいたのは、二か月以上前に姿を消した義人だった。“向こうの世界”から“こちらの世界”に来た際同様、学校の制服に身を包んだその姿をサクラが見間違えるはずもない。


「ああ。久しぶり、サクラ」


 事態を飲み込めないサクラに、義人は柔らかく微笑んだ。

 サクラはそんな義人の笑顔を見て安心と喜びの感情を覚え―――次いで、冷えた感情が浮かび上がる。


「あなたは―――誰ですか?」


 そう尋ね、サクラは目を細めた。そしてゆっくりと腰を落とすと、右手を前に出して臨戦態勢を取る。それと同時にサクラの周囲の温度が下がり始め、宙にいくつもの氷の矢が生み出された。それを見た義人は、困ったように微笑む。


「おいおい、どうしたんだよサクラ」

「……もう一度だけ問いましょう。あなたは誰ですか?」


 たしかに、見た目や声は義人そっくりだ。しかし、纏う雰囲気が明らかに違う。

 本物の義人ならば、サクラが殺気を出しながら詰め寄ったらすぐさま取り乱すだろう。


『ちょ、サクラさん!? なんで怒ってんの!? 俺何かしたっけ!?』


 そんな幻聴と、慌てふためく義人の姿を幻視して、サクラは歯を噛みしめた。しかし、目の前の義人はそれに気づかず不思議そうに首を傾げる。


「え? だから、義人だってば。何を言ってるんだよ」


 サクラが見せる殺気を前にしても、相変わらず義人は笑っている。その様子にどうしようもない怒りを覚えながら、噛みしめるようにサクラは呟いた。


「わたしが、仕えるべき主人を見間違うとでも?」


 呟くと同時、サクラが地を蹴る。一瞬で右手に氷の刃を生み出し、首を叩き落とすべく義人の懐に飛び込みながら体を捻って腕を振るい―――突然差し込まれた木製の杖が、その一撃を防いだ。


「……駄目」


 サクラの一撃を防いだシアラが呟く。それを聞いたサクラは、僅かに戸惑いながら距離を取った。


「―――シアラちゃん。一体、どういうこと?」


 僅かに視線を鋭くしながら、サクラが尋ねる。それを聞いたシアラは、相変わらず笑みを浮かべたままの義人の前に立って小さく首を横に振った。


「……カグラ様のため」

「カグラ様の? それってどういう―――」

「サクラ? 何をしているんですか?」


 さすがにただ事ではないと気付いたのか、カグラが寝台から降りてゆっくりと歩み寄ってくる。その足取りは非常に不安定で、思わずサクラは手を貸すべく前へ出ようとした。しかし、それよりも早く義人が扉を潜り、カグラの元へと歩み寄っていく。


「あ、ちょっと」


 咄嗟に止めようとするが、それを見越したようにシアラがサクラの肩を掴んだ。サクラはシアラに視線を向けるが、シアラは首を横に振る。


「サクラ? ……あっ」


 案の定というべきか、バランスを崩してカグラが転びそうになる。しかし、カグラが地面へと倒れるよりも早く、抱きかかえるようにして義人がカグラを支えた。


「ふぅ……大丈夫か?」

「え……ヨシト……さ、ま?」


 声から判別したのだろう。呆然と、それでも義人の名を呼ぶカグラ。そんなカグラに対して、義人は相変わらず薄い笑顔で微笑む。


「ああ、そうだよ。久しぶり、カグラ」

「なん、で……え……本当に、ヨシト様……ですか?」

「おいおい、俺を忘れたのかよ。ひどいなぁ」


 いっそ朗らかに、義人が笑った。その声を聞いたカグラは、自身を支える義人の腕を震える手でつかむ。


「わ、わす、忘れるなんて……あるわけないじゃないですかっ。わ、わたしが、ヨシト様を忘れるなんて……」


 そこまで口にして、カグラは目の端に涙を浮かべた。そして、震える手で義人の服を握り、表情を隠すように胸板へ頭を押し付ける。


「忘れるなんて、できるわけないじゃないですか!? ずっと、ずっと会いたかったんです! ずっとあなたに謝りたかった! でも、あなたは……」


 そこまで口にして、カグラの言葉が途切れた。それを不審に思った義人がカグラの様子を確かめると、カグラは目を閉じたままで動きを止めている。


「カグラ?」


 肩を揺すってみるが、反応はない。どうやら義人に再会できたことで安堵したのか、意識を失ったらしい。

 そのことに苦笑を浮かべると、義人―――人形(よしと)はカグラの体を抱き上げて、寝台へと寝かせるのだった。


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