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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百三十八話:忍び寄る影 その3

 時を僅かにさかのぼる。

 小雪が優希によって昼寝から揺り起こされたのは、つい五分ほど前。ノーレを両腕で抱え、いつも浮かべている柔和な笑顔を引っ込めた優希を見て、小雪は昼寝で寝惚けそうになっていた頭をすぐに覚醒させた。


「ついてきて」


 言葉少なくそう告げ、優希は背を向ける。小雪は状況を掴めなかったが、優希が意味もなくそんなことを言うはずもない。小雪は疑問を飲み込むと、すぐさま優希の後を追うべくベッドから降りる。すると、優希が抱きかかえたノーレから小雪に対して声が届いた。


『ユキの話を聞いたところ、“こちらの世界”に魔物が現れたらしいんじゃ。ヨシトは今、一人で魔物の相手をしておる』

「まもの?」

『うむ。じゃからコユキ、お主は義人がどこにいるか探るんじゃ。魔力でも匂いでも良い』

「ん……やってみる」


 ノーレの言葉を受け、小雪は義人がどこにいるかを探す。魔力や匂い、他にも手掛かりになるものを探し、歩きながらも精神を集中する。しかし、いくら集中してもすぐに義人の居場所がわかるわけではない。

 風龍ならば、すぐに風に乗った義人の匂いを見つけることができただろう。あるいは、カグラほどに魔法の腕に長けていたならば、遠くからでも義人の魔力を察知することができたかもしれない。


「う……うう……わかんない……」


 泣きそうになりながら、小雪は首を横に振る。“もとの姿”に戻れば話は別だが、“こちらの世界”では人の姿でいるよう注意もされていた。


『難しいか……む?』


 小雪の言葉を聞いたノーレがどうしたものかと困ったような声を漏らすが、優希の様子を見て戸惑った声を上げた。


『ユキ、お主どこに向かっているんじゃ?』

「義人ちゃんのところだよ」


 短く答え、優希は急ぎ足で進んでいく。ノーレを抱えているため少しだけ足取りが怪しいが、それでも迷いのない歩調だった。


『ヨシトの場所? コユキでもわからぬのにどうやって……』

「知らないよ、そんなの。でも、義人ちゃんはこっちにいる」


 確信の響きを込めた声。それを聞いたノーレは、続けようとした疑問を飲み込み、どこか納得がいったような声を発した。


『そうか、やはりお主は―――』

「あ、いたよ! おとーさんのまりょく!」


 ノーレの言葉を遮り、小雪が叫ぶ。弱いが、それでもかなり近い位置に義人の魔力を感じ取ってすぐさま駆け出した。それと同時に、優希も駆け出す。

 駆け出した優希と小雪の姿を見たノーレはかけようとした言葉を止めると、ため息混じりに声を吐き出した。


『……まずはヨシトの無事を確かめてから、じゃな』


 その声に応えたものは、誰もいない。優希と小雪は先を争うように走り、塀に囲まれた日本家屋の入り口へと到着する。開け放たれた扉を潜り、周囲に視線を走らせ、ノーレは思わず絶句した。

 気絶しているのか、それとも死んでいるのか。壁の近くに倒れている二匹の犬型の魔物。そしてだいぶ離れた位置にいる、四つ腕の化け熊。毛皮のあちこちが血濡れになっているが、それでも二本の足で立ち、同じように血濡れの義人の前で腕を振り上げている。

 義人の怪我も、酷いものだった。化け熊の鉤爪で抉られたのか、血が溢れる左頬。服のところどころが裂け、そこから見える擦過傷。そして、半ばで腕骨が見えている右腕。よく見れば左半身に痛みがあるのか、体の重心も右側に寄っている。

 死んではいないが、間違いなく重傷だった。


「おとーさんっ!」


 義人の危機を見て取った小雪が地面を蹴る。

 その一動作で、小雪は弾丸のように飛び出す。そんな小雪が見据える先にいたのは、今にも化け熊によって命を絶たれそうな義人(おとーさん)だった。

 龍種としての身体能力に、膨大な魔力を使っての『強化』。その二つを以って駆け出し―――それでも、届かない。小雪が駆け寄るよりも、化け熊が義人へと腕を振り下す方が早い。

 一瞬、魔法を使うべきかと小雪は迷う。しかし、その考えはすぐさま消え失せた。

 感情に任せて魔法を使う、それは良い。火球を生み出す、氷の矢を放つ、風の刃を作り出す。それはすぐにも可能だ。だが、威力を絞って化け熊だけに命中させられるかと聞かれれば、答えは否だった。確実に義人を巻き込み、小雪自身の手で殺めることになりかねない。

 それ故に、小雪は地を蹴って走るしかない。届かないと悟っても、それでも自身の足で駆けるしかない。

 義人(おとーさん)が死ぬという絶望からか、小雪の目に映るものすべてがスローモーションになる。振り下される化け熊の腕も、今にも崩れ落ちそうな義人の姿も、後ろに流れる風景も、全てがゆっくりと動く。


「…………?」


 そんな緩やかな視界の中で、“何か”が動いた。“それ”は、『強化』を使って走る小雪の横を滑るようにして追い抜いていく。しかし、足が速いというわけではない。単純な速度だけを見るならば、小雪の方が速いだろう。だが、その“何か”―――優希は、小雪が一歩を進む間に五歩先へと進んでいた。


「おかー……さん?」


 ノーレを両腕に抱え、自身を追い抜いた優希を呼ぶ。しかし、その声を発する間に優希はさらに先へと進み、一直線に義人の元へと駆け抜けていく。

 緩やかな時間の中で、それに縛られないような足取りで、常人と変わらない速度で、全力で走る小雪を追い抜く。

 傍目から見れば、それは異様な光景だっただろう。全員がスローモーションで動く中、それを意に介さず、いつもと変わらない動きで走っているのだから。

 優希は周囲の状況を気に留めず、一直線に義人へと駆け寄り、そして―――。








 化け熊に命を絶たれそうになっていた義人は、振り下された化け熊の腕を見ながら内心でどこか苦笑するような心地で思考していた。


 ―――なんだ、死ぬ間際だっていうのに、走馬灯なんて見ないじゃないか。


 そんなことを思考し、僅かな既視感を覚える。

 振り下された化け熊の腕は、ひどくゆっくりだ。見ている光景がスローモーションになり、時間が引き伸ばされたように感じる。時間の流れが緩慢で、義人は似たような光景をどこかで見た気がした。


 ―――そうだ、あの時。


 ぼんやりと、“向こうの世界”に召喚されて間もない頃に起こった事件を思い出す。その当時の財務大臣が画策した、義人(じぶん)の暗殺事件のことを。

 その際、義人はサクラの姿を真似た『お姫様の殺人人形』に襲われた。そしてあと一歩で殺されるというところまで追いつめられた。


 ―――あの時、俺を助けてくれたのは……。


 化け熊の腕が、義人に届くまであと僅か。しかし、義人の中で死への恐怖が急速に薄れていく。諦観か、そとも恐怖が一定の域を超えてしまったのか。そのどちらかと考え、義人は否定する。

 それは、自分が死なないという確信にも似た予感を覚えたからだ。


「義人ちゃん!」


 横からの衝撃。抱き着くようにして地面へ押し倒され、それと同時に今まで義人の頭があった部分を化け熊の腕が通過する。

 義人は自分を押し倒した人物―――優希へと目を向け、痛みも忘れたように笑った。


「“今回”は、優希が怪我しなくて良かったよ」

「でも、義人ちゃんが怪我をするほうが嫌だよ」


 義人の言葉に、優希は困ったように微笑む。

 血濡れの義人を抱き締めたせいで、優希も服が血で汚れたが気にした様子もない。ただ、純粋に義人の無事を喜んでいた。

 優希は義人の左頬に手を添えると、傷口から溢れる血を手に付けながら僅かに眉を寄せる。


「ごめんね、義人ちゃん。来るのに時間がかかっちゃった」


 そこまで言って、優希は義人を押し倒した状態から体を起こす。そして、“突然”現れた優希を見て動きを止めた化け熊へと向き直った。

 義人へと腕を振り下した状態でいた化け熊は、視線を向けてくる優希を見て再度腕を振り上げる。誰かは知らないが、仕留めようとした獲物を逃がされたのだ。その怒りを以って腕を振り上げ―――硬直する。まるで、金縛りにでもあったかのように。

 義人に致命傷を負わされ、その怒りで満たされていた化け熊の目に理性の色が戻る。しかし、それはすぐに違うものへと色を変えた。



「―――義人ちゃんに怪我をさせたのは、あなた?」



 問いかけ、優希は一歩前へと踏み出す。それを見た化け熊は、隠しようのない恐怖を浮かべながら一歩後ろへと下がった。

 化け熊も“向こうの世界”で何度か人を襲ったことがあり、その中には優希と変わらない年齢の少女が含まれていたこともある。男性と比べれば小柄で、魔法使いでもなければ非力な存在。例え死に掛けの体だろうと、少女一人ならば恰好の食料だ。

 それだというのに、化け熊の足は勝手に後ろへと下がる。もしも体が万全ならば、背を向けて全力で逃げていたかもしれない。

 同じ恐怖を感じたのか、それとも違う理由からか。駆け寄っていた小雪も足を止め、困惑したように優希を見ている。走る途中で放り出されたのか、地面を転がるノーレも声を発することはない。

 一歩一歩と歩を進める優希と、一歩一歩と下がる化け熊。


「どうして逃げるの?」


 不思議そうな顔をしながら、優希は歩み寄っていく。化け熊はそんな優希を見てなおも後ろに下がろうとするが、義人に致命傷を負わされていたためか、それも叶わず足から力が抜けて地面へと倒れ込んだ。しかし、それでも四本の腕を使い、地面を這うようにして優希から遠ざかろうとする。


「ァ……ガ、ァ…………」


 最早声を出す力もないのか、化け熊は喘ぐような声を漏らす。優希はそんな化け熊を無感動な瞳で眺めていたが、足を止めた小雪が視界へと入ったためそちらへと視線を向けた。


「小雪、何をしてるの? 早く義人ちゃんを治療しないと」

「あ、う、うん」


 優希の言葉を聞き、金縛りが解けたように小雪が駆け出す。そして義人の傍まで駆け寄ると、すぐさま傷口に手を当てて『治癒』を発動した。例え幼くとも、小雪は『再生』を司る白龍である。見る間に傷口が癒え、それを確認した小雪は次の傷口へと手を当てる。

 優希はそんな小雪の姿を見て、化け熊へと視線を戻す。視線を外した間に化け熊が移動したのは一メートルほどで、優希は化け熊が必死の思いで稼いだその距離を事もなげに無視して化け熊へと歩み寄った。

 そして、膝を折り、死に掛けの化け熊の耳元へと顔を寄せる。


「―――――」


 小さく、優希が何かを呟く。すると化け熊は僅かに身を震わせ、それまで逃げるために使っていた四本の腕すべてから力が抜けた。


「…………ァ……」


 化け熊の瞳から生気が抜け落ちる。体を起こす気力すら失い、完全に地面へと倒れ伏す。優希はその様子を見届けると、踵を返して義人の方へと歩き出した。

 義人は化け熊が完全に動かなくなったのを見ると、次いで歩み寄ってくる優希へと視線を向ける。

 優希が何をしたのか、聞きたいことは山ほどある。しかし、多量の出血と魔力の枯渇で意識が遠退き始めた。『治癒』によって怪我の傷口はふさがってきているが、疲労まで抜けるわけではない。それでも、なんとか意識をつないで義人は優希に苦笑を向ける。


「悪いな、優希……服、汚れてるぞ?」

「別に良いよ。義人ちゃんの血だもん」


 そういう問題ではないと思った義人だが、口にする余裕もないので伝えたいことだけ伝える。


「小雪、悪いけど、治療が終わったらあっちの犬二匹と熊を……」


 そう言って、義人は化け犬が倒れているであろう方向へと視線を向けた。そして、思わずため息を吐く。


「逃げてるし……やっぱり死んでなかったのか……」


 かなりの勢いで壁に叩きつけたので、無傷というわけではないだろう。おそらくは人を襲う余裕もないはずである。そう判断した義人は、回復したら探しに行こうと内心で呟く。


「熊の死体は……とりあえず、門を閉めれば人目につかないか。あとで森にでも埋めに行こう」


 魔法を使ったせいで庭のあちこちが惨状と言って良い状態になっているが、それもいずれは直す必要がある。この時ばかりは、家を空けて全国を旅している志信の祖父に感謝したい義人だった。


「あと、は……魔物に、注意しといてくれ……」


 例え再度魔物が襲ってきたとしても、小雪がいればなんとかなるだろう。しかし、何が起きているのか詳細もわからない以上、警戒するに越したことはない。

 義人は他に伝えることはないかと考えるが、さすがに限界が来たらしい。急速に意識が遠退き始める。


「ごめん……ちょっと寝る……あと、よろ……しく……」


 両親達への誤魔化しに苦労するかもしれないが、それは起きた時にでも謝罪しようと思いながら義人は徐々に意識を手放していく。


「うん。おやすみ、義人ちゃん」


 義人を抱き締めた際に付着した血を拭うことなく、優希は微笑んで応える。

 そんな優希の姿を見て、義人は張っていた気を抜く。

 情けないなぁ、と最後に呟き、義人は気を失うのだった。


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