第十三話:北城優希
生来、北城優希は酷く内向的な少女だった。
その上激しく人見知りをしていたため、幼稚園に入園させる際に彼女の両親が被った苦労は一言では言い表せない。
ならば入園させなければ良かったのだが、それでは優希の将来が危ういと心を鬼にして入園させたのだ。
当然、優希はそれを拒んだ。何とか引きずるように幼稚園の門まで連れていったが、そこから先に進めない。
嫌だと叫び、泣き喚く。必死に両親の足にしがみつき、力の限り抵抗する。そのあまりの拒否っぷりに、幼稚園の先生も困り顔だった。
門の前で駄々を捏ねること五分。優希の両親と幼稚園の先生の顔に諦めの表情が浮かび出した頃、一人の少年が通園してきた。
そしていまだに泣き叫ぶ優希を見ると、感心したような表情を浮かべて近寄ってくる。
「おまえ、げんきいーな」
第一声が、それだった。
今までは駄々を捏ねて泣く自分をあやしたり、泣くなと叱られたことしかなかった優希は、『駄々を捏ねて泣くことを褒められる』という事態に一瞬思考が停止する。少年は泣き声が止まったのを見ると、嬉しそうに笑った。
「おれ、たきみねよしと! おまえ、なまえは?」
「ぐずっ……ゆき……。ほうじょう、ゆき」
「そっか。じゃあゆき、いっしょにあそぼーぜ」
そう言うなり、優希の右手を取って歩き出す。その強引さに優希はまた泣こうとするが、それより早く少年……義人が振り向く。
「あんまりないて、とうちゃんとかあちゃんこまらせるなよ。わらったほうがとうちゃんもか
あちゃんもよろこんでくれるぞ?」
非難するわけでもない、ただ真っ直ぐな言葉。
それを聞いた優希は泣こうとしていたのを止め、マジマジと義人を見る。そして両親へと振り返って、両親の浮かべる表情を見た。
両親はほっとしたような、それでいて嬉しそうな顔をしている。
「いってらっしゃい」
次いでかけられた声に、優希は嬉しさを覚えてはにかんだ。
「……いってきます」
空いた手で手を振ると、両親の笑みが深くなる。それがさらに嬉しく感じて、優希は自分でも驚くくらいの大声を上げた。
「いってきます!」
それが、北城優希と滝峰義人、二人の出会い。
その後、二人とも同じ幼稚園を卒園して同じ小学校へ入学。これも同じように卒業すると、中学、高校と道を同じくする。
義人は優希の両親にも気に入られ、同じように義人の両親も優希を気に入り、互いの家に泊まったことも何度もあった。現在はさすがにそんなことはしないが、家に上がってお茶をご馳走になることもザラである。
優希は義人に感化されたかのように明るい性格になり、人見知りも次第になくなっていった。
そして、時間の経過に比例するかのように義人への依存が強くなっていったことは当の本人しか知らず、彼女にとっては現在進行形での初恋である。
だが、それは初恋というにはあまりにも強すぎる感情だった。好きという感情を飛び越え、愛情すら抱いていたかもしれない。
幼い故の友愛ではなく、思春期に起こりがちな勘違いでもなく、愛情と依存心が混ざり合った感情。ひどく一途なその感情は、妄信とすら呼べたかもしれない。
義人が楽しいことは優希にとっても楽しく、義人にとってつまらないことは優希にとってもつまらない。
義人が言うことならば何でも信じるし、義人のすることならば何でも喜んで許容する。義人の困ることはしないし、困らせるものがいたら容赦はしない。
義人に望まれるなら、例えどんなことでもやってみせる。
長年かけて育まれた歪んだ感情は優希の奥深くに根付き、本来他人の機微に聡い義人でも緩やかすぎるその変化に気づくことはできなかった。
義人が愛情や慕情などの方向にだけはとことん鈍かったのも原因だろう。もっとも、そのおかげで今まで平和に過ごせてこれたと言っても過言ではないのだが。
優希とて、何度か思いを告げようとしたことがある。しかし、告げれば義人は困った顔をして悩むに違いない。もしかしたら即決で返事をくれるかもしれないが、本気で悩むのが目に見えていた。
そして、優希は自分の言葉で義人を困らせることが出来ず、今も幼馴染みとして日々を送っていたわけだが、ここで変化が訪れた。
そう、異世界への召喚である。
志信というおまけもついていたのだが、義人にとって志信は大事な親友。ならば、例え優希にとって苦手なタイプの人間でも許容する。自分とは違って荒事にも向いているし、義人を支えられるならその存在は有益だ。
この世界でなら、遠巻きに義人を眺めて騒いでいた女子連中もいない。義人と親しくするなと圧力をかけられることもなく、思う存分アプローチできる。そう、思った。
だがしかし、突然王様という馬鹿げた事態にもかかわらず、義人が楽しそうだったために過度のアプローチは控えることとなる。
今も義人はカグラに手伝ってもらい、政務をこなしているだろう。義人とカグラが二人で一緒にいるというのは少々癪だが、義人は王でカグラは臣下だ。その関係が発展することはないだろう。それが理解できているから、優希は義人の元を離れていられる。
義人が今の状況を楽しんでいるのなら、優希はその邪魔ができない。
だから、自分に出来ることで義人を支えることにした。
義人付きのメイドであるサクラと共に、優希はいくつかの布を前にしていた。
王家御用達の服飾製作担当の者もいるにはいたが、義人の指示は『制服じゃなくても良い。いつも着ていたような服を作ってほしい』というものである。この世界の人間はどんな服かわからず、まずは優希が型紙を作ることになった。
この世界の布地は現代の布地と比べて、まったく化学物質が使われていない手織りの布である。優希はそれを手に取り、表面を撫でるように触れた。
「うん、良い生地。これなら義人ちゃんの気に入る洋服が作れるかなー」
惜しむらくはミシンがないことだが、全て手で縫ったほうが義人は喜んでくれる気がする。 優希は早速定規を使って、鼻歌を歌いながら型紙に線を引き始めた。それを見たサクラが慌てて口を開く。
「そ、そういえばヨシト様の体の寸法を測ってませんでした……すぐに測ってきます!」
「あ、別に良いよ。わたし知ってるし」
事も無げに告げ、さらさらと紙に筆を走らせる。迷いなく線を引いていく優希に、サクラは僅かに首をかしげた。
「ほ、本当ですか?」
「うん。身長に体重、肩幅や胴回り、足の長さもばっちり。中学生の時と違って、最近は成長が緩やかだから誤差はほとんどないはずだよ」
顔を上げた優希が笑顔で告げる。
サクラとしては何故知っているのかが聞きたかったのだが、義人と優希が親しい間柄ということがわかっているのでそのおかげだろうと納得する。
そうやってサクラが妙な感心を抱いていると、優希の腕が止まった。
「これで良し。あとは縫い方と細かいことを書いてー……義人ちゃんは落ち着いた色の方が好きだから色は派手じゃないやつ……あ、窮屈な服は嫌いだから少し余裕を見て作ったほうがいいかな。あと、よく動くからなるべく頑丈に、と」
完成ー。と嬉しそうな声をあげ、型紙を広げる。それを覗き込んだ服飾担当のケーリスという女性が感心したように頷いた。
「すごいですね……これだけわかりやすく書いていただければ、すぐにでも作ることができますよ」
「わたしも作るからね。あ、藤倉君の服はお願い。この型紙より少し大きめに作れば大丈夫だと思うから、多分」
多分、というところに義人との扱いの差を感じたケーリスだが、王とその客人の差だろうと納得する。本当はまったく違うのだが、それは気づかないほうが幸せだ。
早速テキパキと動き始めるケーリス達と、それを見回りながらアドバイスをする優希。
ケーリス達は流石本職というべきか、その手際は早い上に正確だ。優希も時折混じって形やデザインなどを整えていく。
そうして、優希は日が傾くまで服作りに没頭していた。