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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百三十四話:光

 そこは暗い―――真っ暗な空間だった。

 上下左右のどこにも光はなく、自分がどこにいるのかもわからない。それでいて全身が浮いているようにも感じられた。まるで水に浮く木の葉のような感覚を覚えながら、“少女”は虚ろに思考する。



 ―――ここは?



 思考しただけで、声には出ない。自分が目を開いているのか、それとも閉じているのか。それすらもわからない。現実感すらないあやふやな世界で、“少女”は一人暗闇に身を浸していた。時間の感覚は希薄で、どれだけの時が過ぎたのかもわからない。既に一ヶ月近い時が流れた気もすれば、まだ一時間も経っていない気もする。



 ―――わたしは、何を……。



 靄がかかったように晴れない思考の中で、“少女”は自問した。しかし、中々自答することができない。

 そうやって悩み、どれだけの時が過ぎたのか。“少女”は心中で小さく呟く。



 ―――何か、大切な“何か”があった気がする……。



 そこまで考え、“少女”の心が僅かに震えた。

 そう、自分は“何か”を忘れている。自分の職務も、地位も、役割も。すべてを投げ打ってでも、成し遂げたい“何か”があった。例えその“何か”が叶っても、自分の望んだ未来は訪れないかもしれない―――それでも、叶えたいと思えた“何か”。



 ―――なんだった、かな……。



 徐々に鮮明になっていく思考の中で、“少女”は絡まった記憶の糸を解いていく。頑丈に、幾重にも絡まった記憶の糸を解きほぐすのは容易ではなかったが、それでも頭に引っ掛かっている“何か”を思い出していく。

 温かい思い出があった。

 冷たく、悲しい思い出があった。

 何気ない日常の中でも積み上げた、小さな思い出があった。

 ぼんやりとした輪郭しか見えない思い出達。しかし、それでもしっかりと胸に伝わってくる感情がある。



 ―――思い出さなきゃ。



 それらはとても大事なもので、今の“少女”を形作っている一部。たった一年足らずだというのに、それまで過ごした年月よりも大切で、充実した日々の記憶だ。

 “少女”が幼い頃から予想していたものとは、まったく異なった未来。決して心の底から笑うことはないだろうとすら思っていた、暗くて重いだけのはずだった未来。けれど、それは予想外に楽しく、哀しい未来だった。



 ―――そう、だ。わたしは……。



 “少女”がそこまで考えた時、それまで暗闇しかなかった空間に僅かな光が差す。そして、その光の傍に人影が見えた。何故か顔の部分だけ真っ暗でよく見えないが、背格好から年頃の少年であることが伺える。しかし、その“少年”の姿を見た瞬間“少女”の胸が大きく高鳴った。

 知っている。その“少年”のことを、“少女”は知っている。“少女”にとってこれ以上ないほどに大切で、焦がれるほどに想い、求めた“少年”。

 相変わらず顔の部分だけ真っ暗になっているが、“少女”はそれがすべてを投げ打ってでも求めた人物であると断言できる。

 “少年”と出会うことができたのは“少女”にとって幸運であり、不幸でもあった。もしも出会ったのが別の人間だったならば、こうはならなかったかもしれない。

 “少女”は一歩分だけ“少年”へと近づく。しかし、“少年”は動かない。

 “少女”はもう一歩分だけ“少年”へと近づく。しかし、“少年”の顔は相変わらず見えない。

 そして“少女”は“少年”のすぐ傍までたどり着いた。それはあと一歩、手を伸ばせば届く距離。

 “少女”はおそるおそる手を伸ばし―――触れるよりも早く、その“少年”の姿が粉々に砕け散った。


「―――――あ」


 思わず、声が漏れる。そして、その声は大きく震えていた。

 “少年”の姿が砕け散る瞬間、僅かにその表情が見えた。明かりが差すように、それまで影が差して見えなかったのが嘘のように表情が見えたのである。


 “少年”―――義人が、見たこともないほど穏やかな笑顔を浮かべているのを。








「ヨシト、様……」


 そんな呟きが口から漏れ、カグラはゆっくりと目を開けた。そして数度瞬きをすると、ゆっくり上体を起こす。

 周囲は暗い。いや、暗いと言うよりも視界が真っ黒に染まっており、カグラは思わず首を傾げた。


「……真夜中なんでしょうか?」


 燭台に火がついていないのか、それとも月明かりが差さないほどに天気が悪いのか。そう思いながら、カグラは周囲を見回す。


「……カグラ様?」


 そんなカグラのすぐ傍で、聞き覚えのある声が聞こえた。暗がりから声が聞こえたカグラは僅かに驚きつつ、その声の持ち主の名を呼ぶ。


「サクラ? どこにいるんですか? いえ、そもそも何故あなたがわたしの部屋にいるんです?」

「……え?」


 カグラの言葉に、サクラは呆然とした声を返す。その声を聞いたカグラは内心で不審なものを感じたが、それを無視して気になっていたことを確認する。


「そんなことよりも、ヨシト様は?」


 完全に記憶を取り戻したのか、カグラは義人の行方を尋ねた。カグラとしては、『召喚の儀』はなんとか成功したものと判断している。しかし、そのサクラはその問いに答えず、雰囲気を固くしながらカグラへと質問を投げかけた。


「カグラ様……今、この部屋には何人の人がいますか?」

「わたしとサクラの二人でしょう?」


 何を言っているんだと言わんばかりに答えたカグラに、“周囲から”絶句したような気配が伝わる。


「カグラ……あなた、何を言ってるのよ」

「……え? ミーファ……ちゃん?」


 今度はミーファの声が聞こえ、カグラは呆然としながら声のした方を向いた。だが、何も見えない。

視界は相変わらず真っ暗で、何も映しはしなかった。








 カグラ達が医務室に運び込まれて、三日の時が過ぎた。志信とサクラはすでに体調を回復させ、日常生活を送っている。しかし、カグラだけは一向に目を覚ます気配がなかった。


「まったく、カグラはいつになったら目を覚ますのかしら?」


 眠り続けるカグラを見ながら、ミーファが疲れたような声で呟く。時間が空けば顔を出すようにしているが、未だにカグラが起きることはない。そんなミーファの声に応えるように、カグラの身の回りの世話を行っていたサクラが頭を振った。


「治癒魔法使いの方や医師の方に見ていただきましたが、いつ起きるかわからないそうです。すぐに起きるかもしれませんし、当面は眠ったままかもしれない、と」

「……そう」


 サクラの言葉に、ミーファは僅かに意気消沈しながら頷く。そして一度だけため息を吐くと、窓の外へと視線を向けた。


「そろそろ、ヨシト王の捜索と“見張り”をやっている魔法隊の交代に行かないと……わたしは行くわ。何かあったら人を寄越して」


 そう言って、ミーファは扉へと足を向ける。

 カグラ達が医務室に運び込まれた翌日。召喚された“かもしれない”義人を探して兵士達が国のあちこちを探索していたが、その中で奇妙な報告を受けたのである。

 “最初に”その報告を届けたのは、グエン率いる騎馬隊だった。王都フォレスから北に進んだ森の中で、空中に走る謎の亀裂を見つけたのである。亀裂の正体を確認するために魔法の扱いに長けた者を派遣してほしいとも言われたのだが、魔法隊から人員を選抜している間に今度は第一歩兵隊から報告が届いた。それも、騎馬隊の届けた内容とほぼ同じものが。

 その後も、義人の探索に向かった各隊から似たような報告が届くことになる。時には平野の真ん中で、時には森の中で、時には街中に建つ家の屋根の上で、空中に亀裂が入っていると報告が届いた。

 城に残っていた人員によって情報を整理した結果、カーリア国のあちこちで“空中に亀裂が走る”という現象が確認されたのである。その亀裂の大きさもバラバラであり、人が一人通れそうなほどに大きな亀裂が走っている場所もあれば、手のひらサイズの石が通らないような小さい亀裂も見つかった。

 一体何が起きたのか、誰もわからない。予想すらできない。害があるものなのか、それとも無害なのかもわからない。そのため、義人の捜索と併せて城の兵士を派遣し、監視に努めているのである。

 謎の現象と、目を覚まさないカグラ。たった数日の経過でのし掛かってくる重い疲労を感じつつ、ミーファは捜索と見張りに行っている魔法隊と交代すべく部屋を出ようとした。

 いつになったらカグラは目を覚ますのかと、一体何が起きているのかと不安を胸に抱えながら。そんなミーファの姿を見て、サクラはミーファを見送るべくその背に追従する。


「ヨシト、様……」


 そして、不意にそんな声が部屋の中に響いた。ミーファとカグラは思わず足を止め、ゆっくりと振り返る。


「……真夜中なんでしょうか?」


 続いて不思議そうな、ある意味呑気とも言える声がサクラ達の耳に届いた。


「……カグラ様?」


 振り返ったサクラは、寝台の上で上体を起こしたカグラの名を呼ぶ。すると、カグラは数度周囲を見回してからサクラのいる方へと目を向ける。

 それは、酷く虚ろな目だった。まるで光を映していないような、真っ暗な視線をカグラは向ける。


「サクラ? どこにいるんですか? いえ、そもそも何故あなたがわたしの部屋にいるんです?」

「……え?」


 カグラの言葉に、サクラの反応が遅れた。

 どこにいるかと聞かれれば、目の前にいるとしか答えようがない。それだというのに、何故わざわざそんなことを聞くのか。


「そんなことよりも、ヨシト様は?」


 硬直したサクラを気に留めず、カグラは尋ねる。そのカグラの様子に、サクラは背中に氷でも差し込まれたような嫌な感覚を覚えた。“そんなことよりも”と、現状を理解してないような言葉に冷や汗すら出そうだった。


「カグラ様……今、この部屋には何人の人がいますか?」

「わたしとサクラの二人でしょう?」


 即答である。しかし、答えは間違っていた。サクラが視線を向けてみれば、扉に手をかけようとしていたミーファも呆然とカグラを見ている。


「カグラ……あなた、何を言ってるのよ」

「……え? ミーファ……ちゃん?」


 掠れかけた声で話しかけるミーファ。そんなミーファの声に、カグラはようやく狼狽したような声を出した。そしてミーファの方へ視線を向けるが、微妙に向きがズレている。おそらくは声のする方へ顔を向けただけなのだろう。ミーファの姿を捉えているとは、間違えても言えなかった。


「まさか……目が見えないんですか?」


 足から力が抜け、膝から倒れ込みそうになるのを堪えながらサクラが尋ねる。その問いに対して、カグラは逡巡してから答えた。


「……もしかして、今は夜中ではない? 部屋の中も、真っ暗ではないと?」


 認識が追いついていないのか、普段と変わらぬ声色でカグラが問いを投げ返す。


「今は、真昼よカグラ。正午を回って、外は晴れ……間違っても夜じゃないわ」


 ミーファもサクラと同じ気持ちなのか、額に手を当てながら答える。


「……そう、ですか」


 その回答に、カグラは顔を俯かせた。しかし、すぐに顔を上げてぎこちない笑みを浮かべる。


「あ、はは……ヨシト様を召喚するために、少し無理をしちゃいましたからね」


 魔力が底をつき、それでもなお『召喚の儀』を止めなかったのだ。己の魂を、命を削ってでも、カグラは『召喚の儀』を続けた。ないはずの魔力を、無理矢理絞り出して続けたのである。

 その代償で視力を失ったのならば、カグラとしてもまだ納得はできた。

 理解し、納得し、視界が暗闇に閉ざされようとも―――それでも、義人を召喚できたのなら良いと、カグラは納得する。


「わたしの状況はわかりました……それで、ヨシト様は? 今は政務をされていますか?」


 サクラがいる方向に顔を向け、カグラが尋ねた。その問いを受けたサクラは、思わず視線を逸らす。しかし、その動作も視力のないカグラにはわからない。


「……ミーファちゃん?」


 サクラがいつになっても答えないので、カグラは親友であるミーファへと声をかけた。寝台の上で小首を傾げるカグラを見て、ミーファは唇を噛みしめる。

 カグラはまったく疑っていない。義人の再召喚は成功し、“こちらの世界”に義人がいると疑っていない。


「ヨシト王は……」


 そこまで口にして、ミーファはありのままに話すべきか迷う。義人が“こちらの世界”に召喚されたかわからず、現在も捜索中であると伝えるべきか。それも、捜索を開始してから三日ほど時間が経っており、状況は絶望的であると。それを、カグラに伝えるべきかミーファは迷った。


「ヨシト王は、“まだ”見つかっていないわ」


 だが、それもいずれは知ってしまうだろう。そのため、ミーファは正直に現状を伝える。カグラが『召喚の儀』を行ってから三日の時が流れているが、義人は見つかっていないと、カグラに伝える。


「……え? でも、わたし、ヨシト様を召喚しましたよ?」


 ミーファの言葉が理解できなかったのか、心底不思議そうにカグラは呟く。

 “向こうの世界”と“こちらの世界”をつなげ、義人の魔力を見つけ出し、召喚を行った。カグラとしては、それがすべてである。

 失敗など、考えてもいなかった。考えようとも思わず、事実、カグラは己の成功を疑っていない。これからは、再び国王の座に就いた義人と共に過ごせるのだと、それだけしか考えていなかった。

 そんなカグラを見て、サクラは両手を強く握り締める。

 サクラにとって、カグラは幼い頃から共に過ごした姉的存在。怒れば怖いが、それでも今まで共に笑い、共に過ごしてきたのである。そこには親しみがあり、憧れがあった。いつかはカグラのようになりたいと思ったこともある。しかし、今サクラの目の前にいるカグラは、長年見てきたカグラとは似ても似つかない存在だった。


「……ヨシト様が召喚された可能性は、限りなく低いんです。国中を捜索していますが、手がかりもありません。現実を受け入れてください……カグラ様」


 口に出した言葉は、今までにないほど冷たい。そして、その言葉に凍らされたかのようにカグラは表情を硬くした。

 その言葉を最後に、沈黙が場を支配する。カグラはサクラの言葉を理解しようとして―――頭がそれを拒否した。

 表情から色をなくし、カグラはブリキ仕掛けの人形のようにサクラへと顔を向ける。


「……でも、可能性は、あるでしょう?」


 感情の感じられない声で、カグラが尋ねた。


「っ!?」


 視力がないはずなのに、カグラの瞳がサクラの姿を捉える。真っ黒な、否、真っ暗な瞳がサクラを映すが、その瞳にはまるで感情がない。どこかに感情を置き去りにしてしまったかのような瞳だった。


「カグラ、様……」


 サクラは背中に嫌な汗が伝うのを感じた。志信と二人でカグラを止めるべく立ちふさがった時とは別種の、恐怖心にも近い感情がサクラの中で湧き上がってくる。


「可能性はあるわ。でも、それは本当に小さい可能性よ?」


 カグラの瞳を前にして動けなくなったサクラを庇うように、ミーファが二人の間へと体を割り込ませて答えた。ミーファとしても、今のカグラは見ていられるものではない。

 ミーファの言葉を聞いたカグラはしばらく無言を続けたが、それまでの無表情が嘘だったかのように、不意に笑顔を浮かべた。


「ふふっ、そうですよね」


 両手を合わせ、花咲くのように微笑むカグラ。そんなカグラの笑顔にミーファすらも絶句すると、サクラとミーファの様子を気に留めずにカグラは寝台へと身を倒す。


「まだ体調が回復していないみたいなので、もう少しだけ休ませてもらいますね」

「え、ええ」


 ミーファが頷くと、カグラはものの数秒も経たない内に寝息を立て始める。そんなカグラを見て、サクラは小さく口を開いた。


「これから、どうなるんでしょうか……」


 事態が最悪の方向へと進んでいることを感じ取り、サクラはそう呟く。それはミーファに向けた問いだったのか、それとも独り言だったのか。少なくともミーファは自分への言葉だと判断し、疲れを吐き出すようにため息をついた。




「わたしにもわからないわよ、そんなの」


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