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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百三十話:執着

 カグラの『召喚の儀』を止めるための手段は二つ。

 一つは、カグラ自身を『召喚の儀』ができない状態にすることである。

殺すことは論外だが、気絶させれば事足りるだろう。あとは『魔石』を破壊し、カグラ自身は拘束する。

 そしてもう一つは、カグラの持つ魔力を消費させることである。

 『召喚の儀』にカグラ自身の魔力が必要な以上、魔法を使わせることで魔力を消費させれば『召喚の儀』は行うことができなくなる。無論、行おうと思えば行えるが、『召喚の儀』にはカグラの持つ魔力のすべてを使う。魔力が減った状態で行えば、その結果は推して知るべしだろう。

 戦いの中で攻撃魔法を使わせる、もしくは多少の傷を負わせて『治癒』を使わせれば魔力を消費させることができる。

 実現の可能性や今後のことを考えるならば、後者の方が良い。ある程度魔力を消費させることで『召喚の儀』を不可能にし、“ひとます”カグラに諦めさせることができる。前者の場合は、今回を乗り越えても再び近い内に同じことが起こる可能性が高い。殺すという手段が取れない以上、再発を警戒するならば、後者の手段を取るべきである。例えそれが、問題の先送りに過ぎないとしても。

 そして、志信とサクラが選んだのも後者だった。


「はっ!」

「やぁっ!」


 同時に地を蹴った志信とサクラは、ほぼ同じタイミングで自身の武器が届く間合いへと踏み込む。志信の持つ武器は棍であり、サクラは一瞬で両手に纏った刃渡り一メートルほどの氷の刃。刃と言っても切れ味は鈍くしてあるため、どちらかと言えば打撃武器に近い。

 志信はカグラの肺を、サクラはカグラの左脇腹を狙ってそれぞれ武器を振るった。

 棍による打突と、氷刃による斬撃。

 それは二対一という有利を活かした同時攻撃であり、常人ならば避けることもできず、常人でなくとも精々防御するのが関の山だろう。志信とサクラの腕が二流三流ならば話は別だが、こと接近戦においては一流の腕を持つ二人である。


「……はぁ」


 そんな二人に対して、カグラは小さくため息を吐いた。

 カグラは右足を引き、半身開く。そして振り向きざまに志信が突き出した棍の先端を右手の甲で軽く叩いて軌道を逸らし、サクラの繰り出した氷刃の“腹”に左手を当て、半身を開いた勢いで上へと逸らす。


「っ!?」


 サクラの口から僅かに驚愕の声が漏れた。カグラが取ったのは、防御でも回避でもなく攻撃の受け流し。それも一人に対してではなく、二人同時に攻撃を逸らす。

 斬撃が逸らされたことで、サクラの体勢が僅かに崩れる。そして、その僅かな隙を見落とすカグラではなかった。

 鋭く呼気を発し、一瞬でサクラの懐へと滑り込むと同時にカグラは掌底を繰り出す。下手に受ければ骨をまとめて圧し折るであろう一撃を前に、サクラは左手に生み出していた氷刃を咄嗟に防御へと回した。それと同時に崩れた体勢を無視して地面を蹴り、少しでも衝撃を殺すべく後ろへと跳ぶ。


「―――ぁぐっ!?」


 しかし、それも些細な抵抗に過ぎない。カグラの掌底はサクラが生み出した氷の刃を容易く打ち砕くと、その勢いを持ってサクラを弾き飛ばす。

 サクラは腹部に伝わる衝撃に意識を失いかけたが、歯を食いしばることで気を保ち、なんとか足から着地した。しかし、乾いた地面に着地したことでそのまま体が後ろへと滑っていく。そしてカグラは、そんなサクラを何の躊躇もなく追撃した。掌底を放って数瞬も経たない内に地を蹴り、一気にサクラの間合いへと踏み込む。

 地面を滑ることで勢いを殺している以上、サクラに打つ手はほとんどない。右手に残った氷刃を振るおうとも、踏み込みすらできないのでは体勢を崩すだけだ。防御をしても、カグラの前では意味がない。



 ―――せめて足止めだけでも!



 故に、サクラは別の手で攻撃に転じる。一瞬で魔力を練って空中に氷の矢を生み出すと、風のような速度で迫るカグラに向けて撃ち出した。

 撃ち出した氷の矢は合計八つ。さすがにこの状況で不殺に努める余裕もなく、先端は鋭利に尖っている。魔法を放つまでの時間と、撃ち出した矢の数を考えれば十二分に強力な攻撃だろう。少なくとも、今の状況でそれ以上の攻撃はできそうにもない。カグラとて、この状況ならば防御に回らざるを得ないはずだ。

 そんな“楽観”が、サクラの心のどこかにあった。


「甘いですよ、サクラ」


 カグラは最も早く自分に命中するであろう氷の矢を瞬時の見切りでつかみ取ると、瞬く暇すら挟まずに残りの氷の矢をつかんだ矢で叩き落とす。


 ――それはまさに、目にも止まらぬ早業だった。


 そして、そんな神業じみたカグラの行動を目の当たりにしたサクラは、内心で驚愕の声を上げる。

 サクラとて、カグラの力量は知っていた。しかし、それはあくまで義人を召喚する前の話である。

 義人を召喚してからはその補佐に回っていたため、カグラが武芸の修練にかける時間はほとんどない。そのため、かつての腕を保つのが精一杯か、ある程度は腕が落ちているだろうというのがサクラの予想だった。

 例え莫大な魔力で『強化』を使おうが、志信と二人がかりならば五分に渡り合い、『強化』以外の魔法を使わせて魔力を消費させることができるだろう、と。

 それは楽観であり、カグラへの侮りであり、サクラの願望でもあった。相手の力量を低く見積もるなど、油断に他ならない。それだというのに、志信と二人がかりならば対抗できると判断した。

 後悔がサクラの頭を掠めるが、後悔する時間など刹那の間すらない。眼前には無表情のカグラが迫っており、一秒も経たずにサクラを叩き伏せるだろう。カグラもサクラを殺す気などないが、邪魔をする以上は打ち倒す。


「させん!」


 そんなカグラを追うようにして地を蹴った志信が、カグラの側頭部目がけて棍を振るった。既に容赦もなければ加減もない。

 二対一の上、下手すれば相手を殺めかねない攻撃など志信としても忌避すべきことではある。しかし、十年以上培ってきた修練が志信に告げるのだ。

 殺す気でかからなければ、相手にすらならないと。

 最初の攻撃とて、ほとんど手加減をしていない。それだというのに、カグラは振り向きざまに志信の打突を見切り、棍の先端を軽く叩いて逸らしている。



 ―――魔法だけではなく、武芸も得意とはな。



 感嘆の念を抱くが、志信はそれをおくびにも出さない。

 風を切って迫る棍を察知したカグラは、頭部と棍の間に右手を差し込んで棍を受け止める。受け止めた際に竹が破裂するような音が響くが、カグラ自身にダメージはないのだろう。素早く志信に視線を向けると、受け止めた棍を手のひらで握り込み―――そのまま握り潰す。


「ぬっ!?」


 これにはさすがの志信も驚かざるを得ない。横から衝撃を与えて折るのならばともかく、『強化』を使っているとはいえ棍を握り潰したのだから。

 『無効化』の棍は先端から中ほどにかけて、一気に粉々に砕け散る。樫の木と同等の硬度を持つ木材を使用していたが、『強化』を使用したカグラにとっては木材を握り潰すことなど造作もない。棍の先端に施された『無効化』の術式も、カグラの膨大な魔力をもとに発動している『強化』の前では数秒ももたなかった。

 志信は即座に棍から手を離すと、カグラの反撃を警戒して一気に距離を取る。その間に、サクラもカグラから大きく距離を取った。しかし、カグラからの追撃はない。

 カグラは手の中にある木片を地面へと落とすと、口の端を吊り上げる。


「無駄です。わたしには勝てません」


 そして、何の慢心も感じさせない口調でそう告げた。カグラにとってはそれが事実であり、志信とサクラをあしらったのは当然の結果に過ぎない。

 大きな魔力を持つ者は、それだけで一つの武器を得ることになる。莫大な魔力で『強化』を使えば、それに見合っただけの身体能力の向上が可能となる。特に、カグラほどの魔力を持つ人間はほとんどいない。魔力なしの身体能力に限れば志信の方が勝るが、魔法を使用することによってそのアドバンテージも容易く逆転する。

 悠然と立つカグラを見ながら、サクラは悔しげに眉を寄せた。



 ―――やはり、体術のみでカグラ様に魔力を使わせるのは無理ですか……。



 『強化』は補助魔法に分類されるが、体外に魔力を放出しないためカグラ自身の魔力が減ることもない。体術で互角の勝負に持ち込むことができれば、カグラとて志信とサクラを倒すために別の手段として魔法を使わざるを得なかっただろう。しかし、『強化』を使用したカグラの前では互角に渡り合うことすら難しかった。



 ―――できれば取りたくなかった手段ですが、仕方ないですね。



 内心で決意を固め、サクラは眼前のカグラを真っ直ぐに見据える。


「シノブ様」

「ああ。わかっている」


 かけた声に、志信が答えた。

 こうなった以上は志信がカグラを抑え、その隙にサクラが魔法を叩き込む。言葉にすれば、それだけだ。作戦と呼ぶのもおこがましいが、この状況で打てる手の中では最もカグラが魔法を使う可能性が高い作戦になる。

 そこでふと、サクラは思う。

 もしも義人がいたならば今回の戦いも起きなかっただろうが、共に戦うのが志信ではなく義人だったらまた別の手が打てたのに、と。

 戦いには相性というものがある。そして、サクラから見れば志信とカグラの相性は最悪に近い。『強化』を使ったカグラが相手では接近戦で劣ってしまうため、どうやっても志信には勝ち目がないのだ。しかし、その点で言えば義人はカグラに対する対抗手段を持っていた。

 それは、以前義人がレンシア国で使った『加速』である。

 カグラと戦って勝つためには、何か一点でも良いからカグラの持つ能力を上回ることが最低条件。つまり、特化した技能を持っていればカグラを打倒できる可能性がある。そのため、義人が『加速』を使えばカグラが出せる速度を上回り、打倒できる可能性があった。

 もっとも、義人がいない現状ではないものねだりに過ぎないのだが。

 そんな益体もない考えが僅かに頭を掠めるが、サクラは努めて無視する。

 言葉は悪いが、カグラが相手では志信も時間稼ぎが関の山だ。志信が時間を稼ぐ間に、サクラはカグラに魔法を使わせるだけの“手”を打たなければならない。


「やはりそうきますか……」


 サクラの表情を見て、カグラが呟く。

 カグラもサクラとは長い付き合いである。この状況でどういった手を打つか、予測することは容易かった。

 サクラにも、義人同様“一点だけ”カグラを上回る能力がある。それは、あるいは才能でカグラを上回ると評した方が正しいかもしれない。

 それは、氷魔法。

 その一点のみ、サクラはカグラを上回る。その一点だけは、サクラはカーリア国でも最も優れた才を持っていると言えた。

 カグラも氷魔法は使えるが、あくまで“使えるだけ”に過ぎない。治癒魔法や風魔法ならば得意だが、火炎魔法や氷魔法の才能については並を多少上回る程度だ。そのため、志信が壁となってサクラが氷魔法を使うことに注力するのならば、カグラにとっても脅威になり得る。

 無言のままに、カグラは地を蹴った。それと同時にサクラは後ろへ跳び、志信が二人の間に滑り込んでくる。


「邪魔です!」


 サクラへの進路を防ぐように立ちはだかった志信に対し、カグラは掌底を繰り出す。受ければ志信とて無事に済まないその一撃は、速く重い。志信は攻撃に回ることを即座に諦めると、繰り出された掌底を受けずに手のひらで受け流した。

 志信とカグラの視線が交差する。片や打倒の意思を込め、片や不倒の意思を込めて視線をぶつけ合う。


「はぁっ!」


 カグラは攻める。緩急をつけ、虚実を混ぜ、掌打を繰り出す。


「しっ!」


 志信は守る。虚実を見抜き、呼吸を読まれないよう意識し、繰り出される掌打をかわして逸らす。

 突いては逸らし、突いてはかわし、逸らしては突かれ、かわしては突かれるその様は、まさしく一進一退の攻防。カグラは『強化』で底上げした身体能力で怒涛のように攻め、志信は長年培った修練の経験を駆使して防ぐ。

 そうして掌打を交わし合うこと三十手。二人の隙間を縫うように、氷の弾丸が一発撃ち込まれる。志信の動きを読んだのか、それとも志信が合わせたのか。志信が首を横へと振った瞬間に後ろからその弾丸は飛来した。

 視認から直撃までコンマ一秒にも満たないだろう。志信の背後から飛来した弾丸を認識した瞬間、カグラはほぼ無意識に回避動作を取る。


「っ!?」


 氷の弾丸がカグラのこめかみを掠め、一筋の血線が引かれた。避けなければ、正確に額を打ち据えただろう一撃。下手すれば死にかねないが、サクラにとって狙いは“そこ”ではない。カグラならば避けるだろうと知っての、ある意味信頼しての一撃だった。

 カグラが避けに回ると同時、志信はそれまでの防御を止めて一歩前へと踏み込む。右足で踏込み、体重を乗せて鳩尾(みぞおち)への順突き。ただし拳ではなく、衝撃が伝わるようにと掌底で繰り出す。

 その隙をついた攻撃にも、カグラは対応してみせた。咄嗟に腕を交差し、防御の体勢を取る。いくら『強化』を使っているとはいえ、体が鉄並に固くなるという出鱈目な効果はない。そのためカグラは防御を選択し、その結果、志信の掌打を受けた体が僅かに浮いた。


「そこです!」


 氷の弾丸を放ったサクラが、追加で空中に氷の矢を生み出す。魔法を使うことに集中していたためか、その数は先ほどよりもはるかに多い。

 志信を避けるようにして、成人男性の二の腕ほどの太さを持つ氷の矢が雨あられと降り注ぐ。先端は丸まっているものの、直撃すれば痛手を被るだろう。少なくとも、骨の一、二本は折って余りある威力である。

 降り注ぐ氷の矢を前に、カグラは小さく舌打ちした。いくらカグラでも、地面に足がついていなければ対処が限られる。

 最も安全な回避策を取るならば、風魔法を使うことで氷の矢を逸らすべきだろう。サクラが使った魔法は、中級魔法に届くほどの威力がある。それを避けるには、カグラも同じように中級魔法と同等の威力の風魔法を使う必要があった。しかし、カグラとしては『強化』以外の魔法を使って魔力を消費するわけにもいかない。


 ――これから、義人を再度召喚しなければならないのだから。


「あ、ああああああああああああああぁぁぁっ!!」


 義人の顔を思い浮かべた瞬間、カグラは即座に行動に移った。降り注ぐ氷の矢の中でも急所に命中するものだけを手のひらで弾き、残りはすべて無視する。

 カグラの足が地面につくまでかかった時間は、およそ二秒。その間にカグラが捌いた氷の矢は二桁に迫るが、カグラの体を掠めた氷の矢は二十を超える。

 急所に当たりさえしなければ問題はないと判断したカグラだが、着ていた白衣緋袴はあちこちが裂け、徐々に血が滲み出した。特に上半身は白衣のため、(まだら)模様(もよう)に紅く染まり始める。


「……はっ……はぁ……」


 地面に足がつくなり、カグラは志信から距離を取る。そして頬に流れる血を荒々しく拭うと、呼吸を整えるために深呼吸をした。

 そんなカグラの様子を見た志信は、気を抜かないままで口を開く。


「『治癒』を使えカグラ。そのままでは危険だ」


 服が裂けた分にはまだ良い。しかし、氷の矢が掠めた部分は服だけでなく皮膚も裂き、出血を促す。

 致命傷には程遠いが、『治癒』を使って傷を治さなければいずれ失血死を起こすだろう。


「あ、はは……嫌、です」


 だが、カグラは意地でも魔力を使わない。体のいたるところから血を流しながらも、カグラは戦意を失わない。それどころか、薄く笑みすら浮かべていた。


「わたしは、もう一度……ヨシト様に会うんです」


 血化粧を纏って笑うカグラを前に、さすがの志信も背筋が寒くなる感覚を覚える。普段のカグラを知っているだけに、そのギャップは大きい。


「げに恐ろしきは女の情念か……」


 そんなカグラの姿を見て、志信は苦々しく吐き捨てる。

 ここまでくれば、カグラを諦めさせることはできないのではないかとすら思えた。それこそ、息の根を止めでもしない限りは。



 ―――いや、それこそ下策か。



 浮かんだ考えをすぐさま切り捨て、志信はカグラの様子を窺う。サクラもカグラの様子を窺っているのか、動く気配はない。

 カグラは出血しており、それを治すための『治癒』も使おうとしない。そのため、このままならば時間が経てば経つほど志信達が有利になる。出血が続けば手足の感覚は鈍り、思考も散漫になるだろう。そうなれば、取り押さえることも可能になる。

 取り押さえた場合はカグラに魔力を使わせることはできないが、このまま死なせるわけにもいかない。

 解決法は取り押さえてから考える。そんな考えを巡らせた志信に隙を見たのか、カグラは血を振りまきながら地面を蹴った。しかし、その動きは先ほどまでに比べれば見劣りするほどに遅い。

 それでも志信は、自身へと突貫してくるカグラを前に気を抜かなかった。例え手傷を負っていようが、カグラは気を抜けるほどに弱い存在ではない。

 そうして、油断することなく志信はカグラを迎え撃つのだった。








 ―――五分。

 それが、カグラが地面へ倒れるまでにかかった時間である。

 防御に徹した志信とサクラが文字通り出血を強い、カグラはようやく動きを止めた。ひどく悲しげに、それでいて寂しげな表情を浮かべながら地面へと倒れたカグラを見て、志信はようやく緊張を解く。


「……ようやく気を失ったか」

「……気を失うどころか、このままだと命まで失いそうですけど」


 志信の言葉に疲れた声を返し、サクラはため息を吐いた。

 もしもカグラが『強化』以外の魔法を使っていたならば、この結果にはならなかっただろう。志信と共に最初の一分で打ち倒されて終わりである。それでも今回は志信達に軍配が上がった。


「とりあえず、『治癒』が使える者を呼ぶか」

「そうですね。それで―――」


 カグラ様を治療しましょう。そう、言葉をつなげるはずだった。

 激戦を乗り切って気が緩んでいたのか、それともこの場合はカグラを褒めるべきか。

 志信とサクラが疲労で気を緩めたその瞬間を見計らったように、カグラの体が地面から跳ね上がる。腰まで伸びる長髪を振り乱し、一足飛びに志信の懐へと潜り込む。


「―――気を抜きましたね?」


 近距離で志信とカグラの視線が交じり合う。

 志信が咄嗟に反応するが、それも遅い。カグラは軽く握った拳を横に振るうと、正確に志信の顎先を打ち抜く。


「……っ!?」


 顎先を打たれ、志信の脳が揺れた。それまでの暴力的な攻撃から一転、正確な急所への攻撃に膝から力が抜け、志信の意識が飛びかける。

 本気で殴られていたら顎骨を砕かれていただろうが、カグラの狙いはそこではない。手早く無力化するために、攻撃を正確で素早いものに切り替えていた。

 顎先を打たれて脳を揺らされた志信は必死に意識をつなぎとめるが、それも儚い抵抗に過ぎない。消えそうになる志信の視界の中で、カグラがさらに動く。

 カグラは志信の意識が残っていることに気付くと、振るった拳を手刀の形に変え、首筋へと振り下ろす。

 そして、顎先に続いて首筋へと振るわれた手刀の衝撃に、志信はそのまま意識を失った。


「シノブ様っ!?」


 意識を失った志信に、サクラが心配を込めた声を上げる。カグラはそんなサクラに視線を向けると、意識を失って倒れかけている志信を押し飛ばした。

 意識を失った人間というものは、非常に危険な状態に陥る。意識がないため体のバランスが崩れても立て直すこともできず、地面に倒れたとしても受け身も取れずに頭を強打することもあるのだ。

 自身へと向かってくる志信を見たサクラは、取るべき行動の選択に迷った。

 このままでは志信が危険である。しかし、志信を受け止めればそれだけで致命的な隙になりかねず、カグラがその隙を逃すことはないだろう。だが、ここで志信を見捨てるような選択肢を取れるはずもなかった。

 逡巡は一瞬。サクラは志信に手を伸ばすと、極力衝撃が伝わらないよう受け止める。志信が意識を失っているためかなりの重さが伝わってきたが、『強化』を使用しているため重さに潰れることもない。

 サクラは志信を無事に受け止めたことに安堵の息を吐き、


「ごめんなさい、サクラ」


 背後から聞こえてきた声を最後に、意識を失った。








「……ぼろぼろですね」


 意識を失った志信とサクラの体を丁寧に地面に横たえると、カグラは自身の体を見下ろしてそう呟いた。

 サクラの放った多量の氷の矢が体を掠めたせいで、体のあちこちから血が流れている。このまま放っておけば、いずれは失血死に至るだろう。そうなれば、義人を再召喚することもできなくなる。

 カグラは僅かに迷ったものの、傷口に手を当てて『治癒』を発動させた。すでにだいぶ血が流れたが、魔法を行使する分には支障もない。

 『魔石』が手元にある今、魔法を使う際の魔力消費もかなり抑えることができる。その程度ならば、召喚に影響はないだろうと判断してのことだった。どの道、傷をふさがなければ召喚の途中で倒れることになるだろう。

 サクラの使った魔法を避けるために中級魔法を使うよりも、多少の傷を癒すための『治癒』ならば後者の方が消費する魔力も少ない。それぐらいならば召喚に支障は出ないはずであり、サクラの攻撃を『強化』以外の魔法を使わずに捌いたのは正しい選択だったとカグラは思う。これならば召喚にも支障は出ないはずだと、カグラは判断した。その結果全身に傷を負ったとしても、“これから”のことを思えば後悔もない。

 日を改めて再度召喚の祭壇に赴くという手もあったが、その場合は志信やサクラが再度立ちはだかる可能性が高い。そのリスクを考えれば、カグラにとってはほんの僅かに過ぎない魔力を消費して傷を癒し、召喚を行った方が良かった。

 『治癒』によって僅かに発光した手のひらを傷口に押し当てながら、カグラはゆっくりとした足取りで歩き出す。まさか、志信とサクラにここまで強硬に反対されるとは思ってもみなかった。さすがに“本気で”殺す気ではなかったようだが、カグラとしては予定外の戦闘である。


「でも、これで……」


 邪魔をする人はいない、とカグラは笑った。あとは召喚の祭壇で義人を再召喚するだけだ。祭壇の召喚には見張りの兵士もいるが、気にすることもない。例えカグラを止めようとしても、並の兵士では束になっても歯が立たないのだから。それこそ志信やサクラぐらいの腕を持っていなければ、相手にもならない。

 祭壇の召喚に到着すると、予想通りと言うべきか兵士が駆け寄ってきた。カグラは駆け寄ってきた兵士に構わず、祭壇の召喚へと上るべく歩き出す。


「か、カグラ様!? こんな夜更けにどうされたのです!? それに、その傷は!?」


 叫ぶように兵士が尋ねるが、カグラは構わずに召喚の祭壇へと向かっていく。

 兵士からすれば、夜中に突然『召喚の巫女』であるカグラが召喚の祭壇へと現れたのだ。それも、巫女服のあちこちが裂けて肌が覗いている。しかも、今は『治癒』でふさいだが、傷口から流れた血によって白衣もほとんど朱に染まっていた。これで何事もなかったと思えるような人間はいない。


「カグラ様? カグラ様!? お止まりくださいカグラ様!」


 焦ったように止める兵士にまったく言葉を返さず、カグラは召喚の祭壇へと進む。脇の方に造られた階段へと足をかけると、さすがに異常だと思ったのか見張りの兵士がカグラの肩に手をかけた。


「……邪魔、です」


 まるで(はえ)でも追い払うように右手を振るカグラ。兵士はそれだけで後ろへと吹き飛び、十メートルほど転がってからようやく動きを止めた。


「な、何を!?」


 吹き飛んで気を失った兵士を見て、他の見張りの兵士が声を上げる。カグラはそんな兵士達を一瞥すると、興味を示さずに階段を上り始めた。


「お待ちください!」


 残っていた兵士達が一斉にカグラへと駆け寄る。事情も理由もわからないが、今のカグラは正常ではない。

 ならば正気に戻さなくては、と判断した兵士達は正しく、それと同時に間違いでもあった。

 駆け寄った兵士が、最初に吹き飛ばされた兵士と同じように弾き飛ばされていく。カグラが『強化』を使いながら軽く腕を振るっただけだが、それだけで兵士達は面白いように後ろへと転がった。

 そもそも、『召喚の巫女』を力づくで止める手段を持っていないのだ。吹き飛ばされて気を失った以上気づいても詮無きことではあるが、カグラを本気で止めるのなら城の方へと走って助けを呼ぶべきだった。数に(たの)んで抑え込むか、腕の立つ人間を呼ぶべきだったのである。

 カグラは気を失った兵士達に背を向け、召喚の祭壇へと続く階段を上っていく。最後にこの階段を上ったのは義人達を召喚した『召喚の儀』の時が最後で、それ以来上っていない。もっとも、『召喚の儀』が終わった以上は近づく場所でもなかったのだ。

 カグラ自身、自分が生きている内に再度召喚の祭壇に上ることになるとは思っていなかったのだから。

 階段を登り切り、カグラは召喚の祭壇へと立つ。床には召喚用の魔法陣が描かれており、それを見たカグラは緩やかに口元を歪めた。

 いずれは異常を察した城の兵が来る可能性が高い。だが、一度成功させた『召喚の儀』である。二度目ともなれば、以前ほどの時間はかからないだろう。

 カグラは一度だけ深呼吸をすると、気を引き締めながら懐から『魔石』を取り出す。

 そして、魔力の消費を抑える『魔石』を補助にカグラは『召喚の儀』を開始した。


「―――――――」


 目を閉じ、胸に手を当てながら祝詞を口にする。それと同時に、召喚の魔法陣へ自身の魔力を注ぎ込んでいく。

 そうして五分ほど経っただろうか。召喚の魔法陣が淡く輝き始め、カグラは一度体感したことのある感覚を覚えた。

 それは以前の『召喚の儀』の際にも感じたもので、カグラは再度の召喚が上手くいっていることを確信する。“こちらの世界”と“向こうの世界”をつなぎ、異なる世界が交わる感覚。それを理屈ではなく本能で察し、カグラは己の成功に僅かに口元を緩めた。


「―――――?」


 だが、さらに五分経ったところでカグラは疑念を覚える。



 ―――“こちらの世界”と“向こうの世界”がつながりにくい?



 以前『召喚の儀』を行った際は、非常に簡単に“こちらの世界”と“向こうの世界”をつなげることができた。しかし、今回は違う。つながってはいるが、そのつながりが非常に不安定であやふやだった。

 前回はその“つながり”も大きく、“向こうの世界”の魔力を感じ取ることができた。だが、今回は“つながり”が小さく、“向こうの世界”の魔力をほとんど感じ取ることができない。比較をするなら、握り拳と針で刺した一穴ぐらいに“つながり”の大きさに差があった。


 ――これでは、義人を再度召喚することは無理である。


 思考の端でそんな声を捉え、カグラは冷水を浴びせられたような感覚を覚えた。


「いや、です……」


 思わず祝詞を止めてしまうほどの衝撃を覚え、カグラは小さく呟く。

 魔力は十全にあり、多少血が流れたものの体調にも問題はない。しかし、“何か”が足りない。


「嫌です!」


 “何か”が足りず、何が足りないのかも理解できない。だが、このままでは義人の召喚ができないことだけは理解できる。


「どうして!? 何が足りないの!?」


 立っていることを止め、カグラは召喚の魔法陣の上で膝と手をつきながら叫ぶ。


「あと、もう少しなのに……っ!」


 そこに、普段の“カグラ”の姿はない。義人にもうじき会えると、もう一度逢えると願い、それが叶わないことに気づいてしまった一人の少女の姿しかない。

 魔法陣に手を当てながら、カグラは必死に魔力を注ぎ込んでいく。“向こうの世界”とのつながりを大きくするべく、注ぐ魔力の量も増やしていく。それでもなお、届かない。


「もう一度……ヨシト様に……」


 魔力を注ぐ。ひたすらに、注いでいく。その魔力の大きさに比例するように、“向こうの世界”とのつながりも強く大きくなっていく。


「……っ……ぁ……」


 ずきりと、頭が痛んだ。急激な魔力の放出に体が悲鳴を上げるが、それでもカグラは止めない。今成功させなければ、後になろうと成功することはないと本能的に察したのかもしれない。必死に魔法陣へ魔力を注ぎ、“向こうの世界”へつながる“穴”を大きくしていく。

 『魔石』があるとはいえ、直接魔力を注いでいる以上大きな足しにはならない。カグラは自分の魔力が減っていくのを自覚しながらも、魔法陣へ魔力を注いだ。

 そうしてどれだけの時が過ぎただろうか。残りの魔力が三割を切ったところで、カグラはその顔に喜色を浮かべる。


「あ……はは……つな、がった……」


 “こちら世界”と“向こうの世界”がつながる感覚。それをしっかりと覚え、カグラは満面の笑みを浮かべる。あとは、召喚の対象者を“こちらの世界”へと引き込むだけだ。


「ヨシト様……ヨシト様……」


 虚ろに呟きながらカグラは召喚の魔法を再開する。しかし、“こちらの世界”と“向こうの世界”のつながりを保ちながらのため、魔力の消費が大きい。それでもカグラは構わずに祝詞を口にしながら召喚者を探していく。


「どこ? どこにいるの?」


 床に書かれた魔法陣が発光し、カグラの“感覚”を召喚の対象者の元へと引っ張っていく。その間にも魔力が消費され、底が見え始める。


「ヨシト様、どこに……どこに……っ!」


 そして、カグラは言葉を止めた。無意識の内に、口が笑みを形取る。


「見つけた……ヨシト様!」


 思わずカグラは歓喜の声を上げた。召喚の魔法陣がそれに応えるように、強く光を放つ。

 あとは、見つけた“義人と思われる”魔力の塊を捕まえて“こちらの世界”へと引きずり込むだけだ。


「ふふふ……これでやっと……」


 もう一度、義人に逢える。


 ―――逢ったら何を話そう?


 ―――いや、その前にもう一度召喚してしまったことを謝らなきゃ。


 ―――許してくれるかな?


 ―――うん。きっと、ヨシト様なら許してくれる。


 召喚したら、謝って、いっぱい喋って、許してもらって、国王として頑張ってもらって、自分はそれを補佐して、一緒にいる。ずっと、一緒にいる。ずっと、一緒にいたい。


「…………?」


 支離滅裂な思考が占めていた頭の中が、不意に澄み渡った。魔法陣についていた手から力が抜け、カグラは音を立てながらうつ伏せに倒れ込む。


「あ……れ?」


 倒れ込んだ先にあった床が頬に触れ、冷たさを伝えてくる。それが場違いにも気持ち良く感じて、カグラは思わず目を閉じかけた。


「どう、して?」


 妙な眠気を感じて、カグラはそんな声を漏らす。そして、自分の身に起こったことを理解した。



 ――魔力が、底をついている。



 それを理解した途端、召喚の魔法陣が光を失い始め、急速に“こちらの世界”と“向こうの世界”のつながりが薄れていく。すぐそこまで感じられた義人の魔力が遠ざかっていく。


「あ……やだ……やだぁ!」


 幼子のように、カグラは手を伸ばす。しかし、それで結末が変わるわけもない。魔力がなければ召喚の魔法を続けることはできず―――義人を“こちらの世界”に()ぶこともできない。

 つまり、召喚は失敗する。すぐ傍に魔力を感じられた義人には会えず、二度と逢うこともない。

 その結末は、定められた運命のようにカグラを捉える―――。


「そん、なの…………みと、め、ない…………認めない!」


 ―――はずだった。


 叫ぶと同時、魔力を失ったカグラの体が僅かに発光する。それに伴い、召喚の魔法陣も光を取り戻した。

 魔力がないのならば、作り出す。“己の魂を削って”でも、召喚を成し遂げる。

 どこかで、硝子が砕けるような音が響く。だが、カグラはやけに大きく響いた“その音”を気に留めず召喚を続ける。


「―――ヨシト様ぁ!」


 力を、魂を振り絞り、カグラが叫ぶ。



 慟哭(どうこく)するような叫びは輝く魔法陣に吸い込まれ―――カグラはそのまま意識を失った。


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