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異世界の王様  作者: 池崎数也
第五章
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第百二十八話:決意

 滝峰義人という少年にとって、北城優希という少女との関係は中々に不思議なものだった。

 幼い頃、それこそ幼稚園に通っていた頃からの知り合いである。

 ある日いつも通りに幼稚園に通っていたら、両親と保育士の前で泣き叫ぶ少女を見つけたのが切っ掛けだった。泣き叫んで必死に両親から離れまいとする少女の姿を見た義人は、とても元気が良いなと幼心に思ったものである。

 もしも現在の義人が当時の自分を見れば、非常にずれた感性を持っていたと赤面せざるを得ないだろう。しかし、それでも幼い頃の義人は泣いていた優希に手を差し伸べ、握られた小さな手を大切なものだと思っていた。

 それからというもの、何をするにも、どこで遊ぶにも優希と一緒だった。一緒にいた時間で考えるならば、両親にも劣らない。

 それでいて、優希とはどんな関係かと聞かれれば義人は悩まざるを得なかった。

 幼馴染みと答えることもでき、妹のような存在だと答えることもでき、友達だと答えることもでき、親友だと答えることもできる。言葉を飾ればいくらでも答えることができそうだが、総じて優希が『大切な存在』であることに変わりはない。

 その“大切”が家族に向けたものなのか、友人に向けたものなのか、それとも一人の女の子として、異性として大切なのかもわからない。それらすべてに該当する代わりに、すべてが等しく感じられていた―――はずだった。“向こうの世界”に召喚される時までは。

 “こちらの世界”と異なるその世界で、義人は今まで知らなかった優希の新しい顔を見た。それこそ、日常の一風景の中でも見つけることができる。環境が変わったせいか、それとも義人自身に変化があったせいかはわからない。それでも、そんな優希に心が惹かれたのも事実だった。

 いつ頃から優希を一人の“女の子”として見るようになったのかは、義人にはわからない。

 “こちらの世界”に戻ることができてからか、それとも“向こう世界”で過ごす内にか。もしかしたら、心の中ではそれ以前に惹かれていたのかもしれない。そして、それは優希も同じだろうと。

 故に、優希の口から拒否の言葉が出てくるとは思っていなかったのである。






 ―――嫌だ。


 優希は、確かにそう言った。


「い、や……か……」


 自身の口から出た言葉が掠れたのを、義人はどこか遠くに捉える。事実、声が掠れていたのかもしれない。

 自惚れではあるが―――それこそ大きな自惚れではあるが。義人は、優希が自分のことを好いているものだと思っていた。だから、“こちらの世界”で共に生きようと言えば断わられることはないだろう、と。

 表情をなくした義人をどう思ったのか、優希は僅かに苦笑めいた表情を浮かべる。


「違うよ、義人ちゃん。わたしが嫌なのは“そこ”じゃないの」

「……違う?」


 ならば何が嫌なのか。そう問おうと義人が口を開くよりも早く、優希はベンチから立ち上がった。そして三歩ほど義人から離れると、肩まで伸びた淡い茶色の髪を翻しながら振り返る。

 振り返った優希は、それまで義人が見たこともないほどに真剣な顔をしていた。十年以上の付き合いを経ても見たことのない優希の表情に、義人はひどく気圧される。

 そして、優希は真剣な表情のままで義人へと尋ねる。


「義人ちゃんは、本当に“それで”良いの?」

「……え?」


 優希の言いたいことが理解できず、義人はそんな呟きを返すことしかできない。しかし優希はそんな義人に構わず、“伝えたい”ことを言葉にしていく。


「義人ちゃんは、本当にその選択で後悔しない? 藤倉君のことを諦めて、忘れて、この世界で生きていって……後悔しない?」

「それ、は……」


 義人が答えるよりも早く、優希は首を横に振る。その顔は、どこか哀しげなものに変わっていた。


「ごめんね、義人ちゃん。わたしが今の生活が楽しいって言ったから、義人ちゃんの考えを曲げちゃったんだよね?」


 目を伏せ、優希が言う。それを聞いた義人は、そんなことはないと言いたかった。だが、それを制するように優希は義人の顔を見ながら言葉を続けていく。


「義人ちゃんは絶対後悔する。この先、何かある度に藤倉君のことを思い出す。その度に悩んで、苦しんじゃう。わたしは、“それ”が嫌」


 まるで本当に苦しさを覚えているように、優希は胸に手を当てる。そして一度だけ首を振ると、意思の強さを秘めた目で義人を見る。


「義人ちゃんがわたしとこっちの世界で生きる言ってくれたのは嬉しい。本当に、嬉しい。でも……そんな、後悔する義人ちゃんを見たくないの」


 それがまるで確定した未来であるかのように、優希はそう言った。

 このままいけば、必ず後悔すると。近い未来、遠い将来の内で後悔すると。それこそ生涯を通して後悔すると、優希は言った。そして、そんな義人を見るのが“嫌”だと。


「優希……」


 優希の言葉を聞いた義人は、思わず眼前の少女を呆然と見つめた。優希はまるで叱咤するように、決定的に間違った選択を正すように、真っ直ぐに見つめてくる。

 視線を交わす内に、義人の中で再び声が聞こえた。ただし、今度は底なし沼に引きずり込むような耳心地良い声ではない。義人自身の、迷いが晴れたような声だった。



 ―――このまま“こちらの世界”で志信のことを忘れたように生きて、それで満足できるか?



 否である。



 ―――そもそも、忘れることができるのか?



 断じて否である。決して、そんな浅い付き合いではなかった。

 “たかが違う世界にいるぐらいで”縁を切りたいと思えるような付き合いではなかったのだ。

 そこまで思った時、義人は急に笑いが込み上げてくるのを感じた。


「……はっ、ははははははは! あははははははははははははは!」


 顔を手で覆い、義人は笑う。それは、たかが一ヶ月程度で諦めようとした自分への嘲笑だ。

 “向こうの世界”にいた時は、三年だろうと待ち続けて“こちらの世界”に帰ろうとした自分が、一ヶ月という時間で諦めようとしている。ぬるま湯のような生活に浸る内に、あっさりと骨が抜けてしまったらしい。そんな自分を、義人は笑い飛ばす。

 そうやって義人はひとしきり笑うと、優希に対して頭を下げた。


「あはは……あー、悪い、優希! さっきの言葉は忘れてくれ!」


 試せる手をすべて打ったかと言えば、答えはノーである。諦めるには早く、諦めかけていた心は既にない。

 他力本願になるが、魔法のことならばノーレや小雪がいる。もちろん義人自身も魔法が使える以上はできることがあるのだ。ノーレは無理だと言ったが、それも推測に過ぎない。探せば“こちらの世界”にも魔法を使える人間がいる可能性もある。いたとして“向こうの世界”に渡る術を知っているかはわからないが、可能性はゼロではない。

 笑い出した義人を見て優希は少しだけ驚いたものの、そのあとの言葉を聞いて微笑みを浮かべている。そんな優希を前にして、義人はベンチから立ち上がった。


「優希」

「なに?」

「優希も手伝ってくれるか?」


 何をとは優希も尋ねない。ただ、嬉しそうに頷いた。

 優希が頷いたのを見た義人は、自身でもわかるぐらいに笑みを浮かべる。しかし、そこでふと思うことがあった。

 昔自分が手を引いていた少女は、いつの間にか自分の隣に並び、しっかりと歩いている。その上、間違いかけた自分を正してくれた。

 感謝してもしきれない。そして、感謝だけでは済まない感情が義人の内側にある。

 義人の脳裏に、幼い頃から優希と共に過ごした記憶が流れていく。それらの記憶は記憶の引き出しの一番上に納まっていたのか、わざわざ深く思い出さなくてもすぐに思い浮かべることができた。

 自分自身の中にある感情をいつ抱いたか、それを思い起こすように義人は記憶を振り返る。

 自覚がなかっただけで、“その感情”を抱いたのは子どもの頃かもしれない。

 もしかすると、ごく最近なのかもしれない。

 共にいることが当たり前になっていて、見落としていたのかもしれない。だが、少なくとも今は自覚している。

 “その感情”が、心の奥深くまで根付いていることを。


「……優希」


 義人は畏まったようにその名を呼ぶ。

 タイミングとしては間違っている気もするが、それでも、義人はこの場で“その感情”を言葉にして伝えたくなった。


「……なに?」


 今度こそ義人の様子からただならぬものを感じたのか、優希が緊張したように背筋を伸ばし、真っ直ぐに義人を見る。


「その、あのな? このタイミングで言うのもなんだけどさ、あー、なんだ……くそ、改まって言おうとすると言いにくいな……」


 優希の視線を受けた義人は、思わず逃げ腰になりかけた。しかし、それよりも強い感情に突き動かされる。


「これからも、よろしく」


 そう言って、思わず義人は自分を殴りたくなった。

 そんな遠回りな言葉ではない、もっと直接的に伝えたい言葉がある。

 決意を込めて、義人が一歩優希へと近づく。優希はそんな義人から目を逸らさず、義人の言葉を静かに待っていた。そんな優希の顔が赤く見えるのは、沈む夕日に照らされたためか。それとも、義人が言うであろう言葉に期待をしているためか。

 思えば十七年、この言葉を家族愛以外で口にしたことがないなと頭の片隅で義人は思う。しかし、それで良かった。初めてこの言葉を使う相手が優希で本当に良かったと思いながら、義人は生まれて初めて『告白』の言葉を口にした。


「好きだ、優希」


 その言葉を口にするだけで、ひどく緊張する。それでも義人は、伝えたい想いを言葉にしていく。

 これから先に何があるかわからず、再び迷って悩むことがあるだろう。しかし、傍に優希がいてくれるのならばどんな困難だろうと乗り越えられる。今日のように情けない姿を見られても、それが優希ならば良いのだと思える。


「幼馴染みとしてでもなく、友達としてでもなく、一人の女の子として好きだ。これからもずっと、優希と一緒にいたい。ずっと、傍にいてほしい。また間違いかけたら、正してほしい。だから―――」


 声が震えないように必死だった。伝えたい想いをすべて口にすると、義人は優希に対して頭を下げる。


「俺と、付き合ってください」


 言い切った。そのことに僅かな安堵を抱くが、それですべてが終わったわけではない。

 義人が頭を下げて数十秒。答えを待つだけで義人の心臓は跳ね回った。

 それこそ義人にとっては永劫に近い時間が経過したように感じられ、義人は僅かに頭を上げて優希へと目を向ける。


「……優希?」


 そう声をかけ、義人は思わず目を見開く。


「……っ……ぅ……」


 優希は顔を俯かせ、肩を震わせていた。よく見れば、頬に透明の雫が伝っている。


「ゆ、優希!? どうした!?」


 予想外の優希の反応に、義人は狼狽えながらも完全に顔を上げた。優希はそんな義人を前にしながら、手の甲で頬に流れた涙を拭う。


「ごめんね、義人ちゃん……」


 ごめんという言葉に、思わず義人の動きが止まる。やはりタイミングが悪かったのかと、後悔が過ぎる。

 しかし、涙を拭った優希の顔は、嬉しさをこらえるような笑顔だった。


「心配しないで。嬉しくて、涙が出ちゃっただけだから」

「嬉しい? それじゃあ……」


 喜色を浮かべる義人。そんな義人に、優希は淡く笑みを浮かべながら尋ねる。


「本当に、わたしで良いの?」

「優希が良い。優希じゃなきゃ駄目なんだ」


 即答だった。そこは義人としても微塵も譲れるところではない。


「あとで後悔しない?」

「絶対しない」


 後悔などしない。するわけもない。


「わたしは、義人ちゃんを見ているだけでも幸せだよ?」

「なら、それ以上に幸せにする」


 その言葉だけでも、嬉しく感じる。しかし、義人が望むのはそんな関係ではない。


「だから優希、これからもずっと一緒にいてほしい」


 義人がそう告げると、優希は満面の笑顔で頷いた。


「―――うんっ!」


 それと同時に、優希が笑顔のままで義人の胸元へと飛び込む。義人はそんな優希を抱き留めると、優しく抱きしめた。

 腕の中にいる優希は、義人が思っていたよりも小さく、柔らかい。服越しでも伝わる温かさと、鼻に届く甘い香りが義人の鼓動を僅かに早める。

 義人は以前、レンシア国に向かう途中の天幕の中で優希を抱きしめてしまった時のことを思い出した。あの頃は戸惑い、すぐに身を離してしまったが今はその逆である。

 優希を正面から抱きしめ、義人は安堵すら覚えていた。嬉しさと緊張と安堵が適度に混ざり合い、今の状態に幸福感を感じさせる。

 優希は十年以上の付き合いで積み重ねてきた想いがそうさせるのか、義人を強く抱きしめていた。

 そうやってしばらく抱き合っていたが、やがて義人と優希は互いにゆっくりと身を離す。そして顔を見合わせると、照れるように笑った。


「これからもよろしくな、優希」

「こちらこそよろしくね、義人ちゃん」


 そう言うなり、優希は目を閉じて僅かに上を向く。その動作で優希が何を求めているか悟った義人は、優希の思わぬ行動に内心驚いた。しかし、断る理由もなければ断る気もない。

 優希の肩を抱きしめ、義人も目を閉じながら顔を近づけていく。






 夕日に照らされて地面に映る二つの影法師がゆっくりと近づき―――その距離はゼロになった。


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