第百二十五話:ズレ その2
召喚国主制国家カーリア。
大陸の北部に存在するその国家を語る上で外せないものは、国主たる者を異世界から召喚するという他国には存在しない―――否、他国ではあり得ない方法で王になる人物を決めていることだろう。国王の座を巡って権謀術数を張り巡らせている国々からすれば、到底考えられないことである。
土地柄魔物が多く、農業や商工業、魔法技術が目立って発展しているわけでもない。他国の市井の民が口に出して語るような特産物もなく、これといった名所もない。強いて挙げるとすれば、代々の国王に仕える『召喚の巫女』と呼ばれる役職に就く人間が卓越した魔法技術を持つことが噂されるくらいである。
隣接する国家としてはレンシア国とハクロア国が存在するが、この二国は大陸北部の中でも有数の国家であり、周辺の小国に比べれば大国とも呼べる。カーリア国も他の小国に比べれば大きい方だが、それでも先の二国には及ばなかった。しかし、その二国に接しつつも、カーリア国は建国以来他国からの本格的な侵略は受けていない。
領土に組み込んでも大した利益になりそうもないという点、国民が他国の人間を王に据えても全く従わないという点、そして、先述した『召喚の巫女』という存在が原因だった。
魔法が存在するこの世界において、卓越した魔法の腕を持つというのはそれだけで大きな脅威となる。それに加えて、人並み外れた強大な魔力も持ち合わせるというのだから手に負えない。
それこそ、『一騎当千』という言葉を文字通り実行しかねない存在なのだ。カーリア国にすれば最強の矛であり盾。その上国王に対する絶対的な忠誠を持つという、他国からすれば非常に頭を悩ませる存在である。
無論、他国にも強者は数多く存在する。しかし、魔力量という一点において『召喚の巫女』は他者の追随を許さない。仮に戦うことになったとすれば、『召喚の巫女』を上回るほどの技量を持つ者か、『召喚の巫女』と同じだけの技量を持つ者を同時に複数当てなければ勝ち目はないだろう。もしくは物量に物を言わせて強引に押し潰すかである。もっとも、後者を選択すればどれだけの被害が出るかはわからないが。
そんな他国から見れば危険物にも等しい『召喚の巫女』を従えるカーリア国に、正式な国王が就任した。それは、周辺の国にとっては注目せざる事態である。もしも野心溢れる人間が国王だったらと思うと、嫌でも気になるだろう。幸いというべきか、代々の国王は他国に目を向けずに自国の中だけに注力していた。先代や先々代の国王などは暗愚も良いところである。自侭に振る舞ったその果てに、家臣に暗殺されるほどなのだから。
このままならば遠からず自壊する。
周辺の国々はそう判断しており、事実、カーリア国は自壊寸前だった。長年に渡る国王の不在に加え、臣下による公金の横領。日々暴威を振るう魔物の対応など、カーリア国は確実に破滅への一途を辿っていた。『召喚の巫女』やアルフレッドという優秀な文官がそれを先延ばしにしていたが、それも時間の問題である。しかし、アルフレッド達はその危機を乗り切った。
新しい国王、すなわち、当代の国王の召喚である。もっとも、召喚自体は召喚したものの、結果自体は国王以外の人間も召喚するという前代未聞のものだったが。
新しい国王を得たカーリア国は、今までの衰退を回復すべく動き出す。今の勢いならば、そう遠くない内に往年までの国力を取り戻すだろう―――それが大半の周辺国家の認識であり、争う理由もない国々はこぞって新年を祝う使者をカーリア国へと差し向けていた。
『申し訳ない。ヨシト王は現在体調を崩されていましてな……残念ながら、顔をお見せすることができないのです』
各国の使者に対してコモナ語でそんな説明をしたのは、国王に次ぐ権力を持つアルフレッドである。長年カーリア国の宰相を務めてきた彼のことを知る者は多く、その為人も広く知られている。そんなアルフレッドの言葉に、使者達は納得と不審さを感じながら互いに顔を見合わせた。
『顔も見せられぬほどの病気とは一体……』
『レンシア国でお会いした時は健康だったが……』
小さな呟きを交わし合い、再度アルフレッドの顔を使者達は見る。
『何か?』
視線を向けられたアルフレッドの表情には僅かな揺らぎもなく、傍目には嘘をついているようには見えない。しかし、ここにいるのは外交を生業としている者達である。使者達はアルフレッドの心情を見通すように注意深く観察するが、当のアルフレッドは首を傾げるだけだ。
『はて、儂の顔に何かついていますかな?』
そう言いつつ自分の顔を触るアルフレッド。とぼけているようにも見えるが、自然体にも見える。元々、生きてきた年数が違うのだ。化かし合いでは勝負にならないと、使者達は謁見の間にいた他の人間達に目を向ける。
謁見の間にいたのは、宰相であるアルフレッド、『召喚の巫女』であるカグラ、それに志信と外交を専門とする文官達だ。
『…………ん?』
使者の中の一人がカグラに視線を向けると、僅かに目を細める。かすかに、違和感とも呼べない“何か”が引っ掛かったのだ。
それは、カグラの浮かべる表情が原因だったのだろう。他の使者に笑顔で応対するカグラではあるが、その笑顔がどこか寒々しい。レンシア国の建国記念式典でも会ったことがあるのだが、その時に見た笑顔と何かが違う。勘違いかもしれないが、見ているだけで背中に虫が這うような、嫌な印象を受けるのだ。
『どうかされましたか?』
そんな使者の視線に気づいたのか、それとも最初から気づいていたのか。カグラが笑顔で問いかけてくる。使者は内心の動揺を押し殺すと、カグラに倣うように笑みを浮かべた。
『いえ、国王様が体調を崩されているとは知らなかったものですから。そうとわかっていれば、日を改めたのですが……』
『申し訳ありません。どうやらヨシト様が元いた世界とは気候が違うらしく、最近の冷え込みで急に体調を崩されてしまったのです』
言葉の通り、申し訳なさそうな顔をするカグラ。その表情には先ほどまでの得体の知れない冷たさはなく、使者は苦笑を返した。
『この世界とは異なる世界でしたか……その辺りの話も、機会があれば聞いてみたいものですな。そういえば、そちらのシノブ殿も国王様と同じ世界の出身だとか?』
それまで沈黙を守っていた志信に対し、使者が話を振る。話の矛先を向けられた志信は、アルフレッドが目配せをしてくるのに対して僅かに頷き、使者へと向けて口を開いた。
『ええ。義人王とは同郷ですが?』
『そうですか。やはり、こちらの世界とは違うのですか?』
何の違いを指しているのか、それを僅かに考えた志信ではあるが、今までの話の流れからすぐさま答えを口にする。
『そうですね。こちらとは気候もだいぶ違いますよ』
“元の世界”と“こちらの世界”では気候が異なる。もっとも、“元の世界”に比べれば気温の変化も緩やかであり、どちらが過ごしやすいかと聞かれれば“こちらの世界”のほうが過ごしやすいと言えるだろう。しかし、使者達はおろかカーリア国の人間だろうと“元の世界”のことはほとんど知らない。そのため、使者達は志信の言葉に納得するしかなかった。義人の病状についても、時をおけば何かしらの情報がわかるだろう。数日ならばともかく、長い間民にも姿を見せないのならば何があったか推測できる。
すぐに姿を見せるのならばそれほど重い病気ではなかったと考えられるが、もしも長期間姿を見せないのならば余程重い病気か、もしくはすでに死んでいる……等々、おおよその予想は立てられる。それに加えて間諜も放ってあるため、焦らずとも情報は入ってくるだろう。
使者達の多くはそう考え、この場で深く追求することはなかった。
大多数の使者達に含まれない少数、この場で言うなら、レンシア国の使者とハクロア国の使者は、他国の使者とは違った考えを持っていた。
レンシア国の使者―――レンシア国王コルテア=ハーネルンの長女である、レミィ=ハーネルンは傍らに控える少女―――風龍のフウに小声で尋ねた。
『フウ、あなたはどう思う?』
『嘘、でしょうね』
短く、しかしフウは確信を持って答える。
新年を祝う使者に一国の王女を派遣するというのは、中々あることではない。しかし、いずれ来るであろうハクロア国との戦に備えるため、少しでもカーリア国との友好を結んでおきたかった。そのために王女であり、文官、外交官としても手腕の長けているレミィが使者に選ばれたのだが、どうにも雲行きがおかしい。
『ヨシト王が顔を見せられないのは、病気ではなく他の理由だと思いますわ』
周囲に聞こえない程度の声量で話すフウに、レミィは僅かに首を傾げる。
『根拠はあるの?』
『根拠と呼べるほどのものではないのですけれど……コユキ様の魔力が感じられないのが腑に落ちなくて』
『コユキ様……ああ、あの白龍ね』
『はい。ヨシト王を親として慕っていたはずのコユキ様の魔力が感じられず、ヨシト王の姿が見えない。もしも本当に病気だというのなら、コユキ様は今頃ヨシト王に張り付いて看病でもしているはずですわ』
レミィの護衛としてついてきたフウではあるが、会えるならば小雪にも会いたいと思っていた。しかし、その小雪の魔力が感じられない。隠すには大きく、小雪自身も魔力を消すなどという芸当はまだできないはずである。
『その子は『龍の落とし子』よね? 親が迎えにきたんじゃないの?』
『それも考えられますが、白龍の成龍がこの城を訪れたのなら大事になっているでしょう。しかし、そんな話は間諜からも上がってはいませんでしたわ』
『そうなると……その白龍の子が家出して、ヨシト王達はそれを探しているとか?』
『他国からの使者を放っておいてまでですか?』
自分を親と慕う子供の家出と、他国からの使者に対する応対。フウはかつて顔を合わせた義人のことを思い浮かべ、そのどちらをとるか考えて眉を寄せた。
『……ない、と言い切れないところが怖いですわね。しかし、さすがにそれはないのでは? というか、そもそも家出をする理由もないとは思いますが』
『わからないわよ? うちのティーナみたいに、城を抜け出して城下町に遊びに行っているとか』
冗談混じりにそんなことを呟くものの、レミィとて本心から言っているわけではない。
『さて、お父様にどう報告したものかしらね……』
他国からの使者の応対を行った日の夜、志信はつくづく自分が外交に向かない人間であることを僅かに嘆きつつ、自室へ向かって歩を進めていた。もしもこのまま義人が戻らなかったら、国王代理ではなく正式に国王として就任することになるかもしれない。そう考えると、多少なり暗鬱な気分になる志信だった。
「どうしたものか……ん?」
ふと足を止め、志信は前方へと視線を向ける。ここは城中であり、見張りの兵も多い。しかし、前方から歩いてくるのは普段城中で見かけない人物だった。
「おや、これはシノブ様。ご機嫌麗しく存じます、はい」
同じように気づいたのか、商人であるゴルゾーが笑みを浮かべながら頭を下げる。その両脇には案内の兵士がついており、志信は兵士を視界に収めつつゴルゾーに会釈を返す。そして、気になることがあったためすぐに口を開いた。
「何故ここに?」
今は義人の不在を隠すため、外部の者は極力城中へ入れないようにしている。今回使者として訪れた者達も、謁見の間や各自にあてがった部屋以外では気軽に出歩けない。そんな志信の疑問を感じ取ったのか、ゴルゾーは笑みに僅かな困惑の色を混ぜながら頭を下げた。
「カグラ様に呼ばれて伺った次第です、はい」
「カグラが?」
そんな話は聞いていない。内心でそう付け足す志信だが、ゴルゾーは志信の言いたいことがわかったのか、困惑の色を深めるだけだ。
「カグラ様からは何も聞かれていないので?」
「ええ。俺は何も聞いていません」
ゴルゾーの方が年上のためか、志信は敬語で返した。ゴルゾーはそんな志信を前にして何かを考え込むように沈黙すると、話を変えるように軽く両手を合わせる。
「そういえば、ヨシト王は今どちらに? 少しお耳に入れておきたいことがあるのですが」
そう言ったゴルゾーに対して、両脇に控える兵士が僅かに気配を剣呑なものへと変えた。しかし、志信が目配せするとそれをすぐに抑える。
「……どうかされましたか?」
そんな兵士と志信のやり取りに気づいていないのか、ゴルゾーは不思議そうな顔をした。
「いえ、義人は今体調を崩していましてね。俺で良ければ用件を窺いますが?」
「おや、そうでしたか。そうとわかっていれば、お見舞いの品を持参したのですが……そうですね、はい。シノブ様さえよろしければ、伝言をお願いできますでしょうか?」
志信の言葉を信じたのか、ゴルゾーは特に言及することなく引き下がる。そして、伝言を頼むと口にしつつ、素早く視線を両脇の兵士達に向けた。
「申し訳ありませんが、お人払いをお願いします」
その申し出に、志信は僅かに目を細める。すると、それまでゴルゾーの両脇に控えていた兵士達が判断を求めるように志信へと視線を向けた。志信はそれに頷きを返すと、兵士達はすぐに駆け出して姿を消す。
ゴルゾーは人の気配がなくなったことを十分に確認した後、志信の方へと一歩だけ歩み寄って小さく呟いた。
「―――と、ヨシト王に伝言願います」
「っ! それは、どういう?」
伝言の内容に不穏なものを感じた志信が尋ねるが、ゴルゾーは首を横に振る。
「お客様の情報に関わることなので詳細はお教えできないのです、はい。しかし、ヨシト王ならばそれだけで対処できるかと。それでは、私はこれで失礼いたします、はい」
そう言って一礼し、ゴルゾーが歩き出す。商人として商売相手の情報は明かせないが、それでも報告できることは報告する。そのための報告だったが、志信は伝言の内容に困惑していた。
ゴルゾーが去っていた方向に視線を向け、志信はゴルゾーから告げられた伝言を口に出して呟く。
「カグラに気をつけろ、だと?」