第百十七話:説明
およそ八ヶ月振りに我が家へと帰宅した義人が最初に取った行動は、優希を客間に寝かせることだった。
さすがに帰宅してまで背負っているわけにもいかず、今まで何をやっていたのかと理由を聞いてくる両親をなだめながら布団を敷き、その上に優希を寝かせて毛布と掛け布団を被せる。そして優希の寝顔を覗き込んでみると、どこか不満そうな表情で寝息を立てていた。
優希の寝顔を見て、そろそろ起きるのだろうかと義人は首を傾げる。“こちらの世界”に戻ってから一度も目を覚ましていないが、義人の目から見ても特に異常は感じられなかった。
そんな義人の意思を汲み取ったのか、ノーレが落ち着いた声を発する。
『見たところ、魔力を消費して気を失ったようじゃな。時間が経てば自然と目を覚ますじゃろう』
「そうか……良かった。しかし、このまま俺も寝たいな……」
ノーレの言葉に安堵を感じると同時に、義人はまだしばらく叶わないであろう願望を口にする。気を張りながら夜を徹したために義人自身も強い眠気を感じていたが、このまま何も説明せずに眠るわけにもいかない。
義人は訝しげに自分を見てくる両親へと振り返ると、疲れたような笑みを浮かべた。
「とりあえず、朝飯食べさせてくれる? 昨晩から何も食ってないんだ」
「あ、ああ。それは構わないが……」
義人の父は頷くものの、それよりも聞きたいことがあると言わんばかりの表情である。それを見た義人は、頬を掻きながら口を開いた。
「一体何をやってたかって? それは飯でも食べながら説明を……って、優希のところのおじさんとおばさんにも説明しないといけないか。朝飯を食べた後で一緒に説明するってことで駄目かな?」
空腹感が酷いため、義人としては先に腹を膨らませたい。欲を言えば風呂に入って一眠りもしたいのだが、さすがにそうはいかないだろう。
義人の様子を察したのか、義人の母は頬に手を当てながら小さく頷いた。
「お腹が空いているみたいだしねぇ……優希ちゃんのお家にも電話しないと。警察にも電話して捜索依頼を取り下げてもらわないといけないわね」
警察という単語を聞いた義人は、困ったように首を横に振る。
「警察に連絡するのは待ってほしいんだけど」
「え? どうして?」
「どうしてって言われても……」
違う世界に行っていた、などと言えばそのまま救急車を呼ばれるかもしれない。それも都市伝説と言われる黄色い救急車がやってくるだろう。義人は僅かに悩んだものの、この場ではとりあえず理由を隠すことにした。
「その理由も含めてあとで説明するよ。だからまずは朝飯を……」
最後に食事を取ったのは十二時間以上前である。義人が猛抗議してくる腹の虫に辟易しながら催促すると、それを聞いた父は小さく首を振った。
「わかった、まずは朝食にしよう……と言いたいところだが、義人、一つだけ聞いておきたいことがあるんだが」
「ええ、そうね。わたしも最初に聞きたいことがあるわ」
「……なんでしょう?」
聞いておきたいことと言われ、義人は無意識の内に背筋を伸ばす。もっとも、義人には両親が尋ねるであろう質問の内容が予想できていたのだが。
「その、お前の腰にしがみついている子は一体……」
そう言って、義人の父は義人の腰にしがみつく小雪へと目を向ける。カーリア国とはまるで違う環境と、見知らぬ義人の両親に警戒しているらしく、小雪は義人の腰にしがみつきながら威嚇するように頬を膨らませていた。
そんな小雪の様子を見た義人の母は、膝を折って目線の高さを小雪と合わせながら口を開く。
「義人の小さい頃の面影があるわねぇ……あと、優希ちゃんにもそっくり」
「ハハハ、気のせい気のせい」
当然と言えば当然の指摘に、義人は笑って誤魔化す。しかし、義人とて自身の親が我が子の顔を見間違えるなどとは微塵も思っていなかったが。
「……義人、まさかお前……」
義人は父親から注がれる視線に多少の鋭さが含まれたことを悟り、それとなく視線を外す。どう考えても、いくら考えても両親を納得させるだけの説明ができる自信はない。
「あなた、お名前は?」
そうやって義人が僅かに現実から逃避している間に、義人の母が微笑みながら小雪へと話しかける。小雪はやや警戒をしながらも、義人と似た雰囲気を持つ女性に対して口を開いて見せた。
「……こゆき」
「あら、『こゆき』ちゃんって言うのね。いくつかしら?」
「んーっと……」
質問に対し、指折り数える小雪。何かを数えながら右手で三本指を折り、それを見た義人の母は驚いたように目を見開いた。
「三歳、かしら? でも、それにしては少し大きいような……」
「……その辺のことも含めて、後で説明するよ。まずはご飯を食べさせてほしいんだけど」
話を切り替えるためにそう告げて、義人は内心でため息を吐く。
―――生まれて三ヶ月と少しなんて、信じてもえらえないよなぁ。
どうやって説明するべきか。義人はそれを考えながら、まずは腹ごしらえをするべくリビングへと向かう。
記憶の中のものと寸分違わぬ、自宅の廊下。それに妙な感慨を抱きながら、義人はリビングへと足を踏み入れる。
キッチンや食事をするためのテーブルが置かれたリビング……十二畳ほどの広さがあるため、正確にはリビングダイニングキッチンとでも言うべきだが、義人は特に気にせずリビングの中を見回した。
隅の方には多少大きめのテレビが置かれ、画面の中では女性のニュースキャスターが今日のニュースを読み上げている。それを見た小雪が警戒心をむき出しにするが、義人は苦笑しながらそれを止めた。
「小雪、それは気にしなくていいから」
「でも……」
「こっちの世界のことについては、親父達への説明が終わったら教えるさ。だから、それまでは大人しくしててな?」
義人は言い聞かせるように告げ、小雪の頭を軽く撫でる。小雪はそれでもテレビが気になったようだが、僅かに頬を膨らませたあとで義人の言葉に頷く。
「さて、それじゃあ朝ごはんを……」
そう言いつつ、義人はテーブルの上に目を向け―――思わず、声を失った。
テーブルの上に置いてあったのは、食事中のものと思われる食器類。時刻は午前九時を僅かに過ぎたところなので、それ自体はおかしくはないだろう。茶碗に盛られたご飯が中途半端に減っているのは、義人の帰宅で慌てて食事を中断したためか。しかし、義人が声を失った理由はそこではない。
中途半端に食事が進んだ食卓。その中で、まったく手がつけられていないものがあった。
ご飯が盛られた茶碗に、お椀に注がれた味噌汁。それに加え、おかずとして置かれた焼き鮭や香の物。
それらが、まったくの手付かずの状態でテーブルの上に置かれていた。
義人の家族構成は、両親と義人の三人である。それ以外には兄弟姉妹がいるわけではない。それだというのに、両親以外の分の食事が用意されている。
突然いなくなった、義人の食事が。
「っ…………」
不意に、義人の口から嗚咽が漏れかける。
八ヶ月ぶりに自宅へ帰り、両親の顔を見た時よりも強くこみ上げる感情。鼻の奥がツンとして、目の裏が急に熱くなってくる。
義人が今日この日に帰ってくるなど、両親は知らなかったはずだ。義人自身、帰ってこれるとは思っていなかった。しかし、そのはずなのに、食事が用意されている。
―――それはきっと、義人がいつ帰ってきても良いように。
裏返せば、いつかは義人が帰ってきてくれるという、両親の願いだったのだろう。前触れもなく姿を消した我が子が帰ってくるという、親としての願い。
犯罪に巻き込まれたのかもしれない。
姿を消したのだから誘拐されたのかもしれない。
―――心配しただろうか?
―――悲しんだだろうか?
そこまで考えた義人は、頭が真っ白になった。
「……義人? どうかしたのか?」
そんな義人の背に、父親の声が届く。義人を追ってきたのだろう。背を向けて震える義人に、心配を含んだ声をかけてくる。
大丈夫。
そう言おうとするものの、喉が震えて声が出ない。
「大丈夫か?」
そう言って肩に手をかけてくる父親に、義人の我慢は限界を超えた。涙を隠すように父親へとしがみ付き、嗚咽を漏らす。
人目を憚らずに泣くなど、幼い頃以来だ。しかし、それを情けないと思うことはなかった。義人は何も言わずに背中を叩いてくれる父親に、心中で感謝と謝罪の言葉を呟く。
それと同時に、義人は今まで無意識に張っていた緊張感が途切れるのを感じていた。
ひとしきり泣き終えた義人は、前言通り朝食を食べることにした。
温かいものを言ってくる両親に首を横に振り、すでに冷めてしまった、あらかじめ義人のために作ってあった朝食を口にする。その隣では小雪が美味しそうに食事を口に運んでいた。
「ごちそうさまでした」
お腹が膨れたところで朝食を終了する義人。食べている途中で再び涙が出そうになったのは秘密だが、両親は見なかったことにしてくれていた。
そして食後のお茶を飲んでいると、リビングの扉が開いて両親以外の人間が二人入ってくる。
「おじさん、おばさん、お久しぶりです」
その二人……優希の両親の姿を見た義人は、背筋を正して頭を下げた。すると、優希の母親が柔和に微笑む。
「久しぶりね義人ちゃん。元気に戻ってきてくれて、おばさんも嬉しいわ。少し背が伸びたかしら?」
「どうですかね? 自分ではなんとも」
優希と同じ呼び方に苦笑を浮かべつつ、義人はそう答える。すると、優希の父親がゆっくりと口を開いた。
「それで義人君、君や優希のことなんだが……」
何故姿を消したのか。その問いを投げかけられ、義人は頷いてみせる。当然と言えば当然の疑問だ。そして、義人にはそれに答える義務がある。
「全部お話しします。この八ヶ月で、何があったのか」
義人の言葉に、義人の両親と優希の両親が頷く。
「まず最初に、今から俺がする話は全て真実です。現実のものと聞こえないものが多々ありますが……」
そう前置きして、義人は語り出す。ここ八ヶ月、異世界で過ごした話を。
「―――以上です」
伝えるべきことを伝え終え、義人は大きな息を吐く。自身の両親と優希の両親に対してここまで敬語を使って喋ることは今までになかったため、精神的にも疲れてしまった。時計を見れば、話を始めてから短針が一周している。
「異世界で王様を……」
「魔法に、魔物?」
説明を受けた大人達は、半信半疑の顔で首を傾げていた。
それは当然だろう。義人とて、いきなり異世界で王様をやっていたなどと聞かされれば信じ難い。しかし、義人はそれを納得させる方法を持っていた。
「信じられないと思いますし、それは当然だとも思います。だから、一つ証拠をお見せします」
「証拠?」
優希の母親が首を傾げる。それに対して、義人は頷きながら右手の人差し指を立てた。
「今から、俺が魔法を使います」
本当ならば小雪に変化を解いてもらったほうが納得できるのだろうが、魔物を知らない両親の反応が予想できない。そのため、義人は比較的納得できるだろう魔法を使うことにした。
「空を飛ぶのか?」
「親父……俺が箒にまたがって空を飛ぶとでも思うのか?」
その光景を想像して、義人は僅かに気が滅入る。どんなメルヘンだ、と。
義人は気を取り直して、魔法を使うべく精神を集中させる。“あちらの世界”と比べれば非常に魔法が使いにくいが、それでも使えないほどではない。そして、この場合は『強化』を使うよりも風の魔法を使ったほうが視覚的にもわかりやすいだろう。
割れないようにとプラスチック製のコップを手に取ると、それを離れた場所へと置く。そして、義人はコップ目掛けて弱めに調節した風の塊を撃ち出した。すると、風の塊が狙いを違わずコップを弾き飛ばす。
「……今のは?」
突然弾き飛ばされたコップを見て、優希の父親が眉を寄せながら尋ねる。
「風を飛ばしたんです。って、そうか。もっと目に見える方法が良かったか……小雪、ちょっと指先に火を出してみてくれ」
「ちょっと?」
「うん、ちょっと」
義人がそう言うと、小雪が指先に火を灯らせた。もっとも、ちょっとと言った割には若干火が強かったが。
小雪が指先に灯らせた火の玉を見て、優希の母親が頬に手を当てる。
「あらあら……タネも仕掛けもないのよね?」
「もちろんです」
魔法を実演したためか、大人たちの表情から疑いの色が消えていく。義人がそのことに安堵しかけると、それを遮るように優希の父親が口を開いた。
「なるほど、義人君の話も……正直、信じ難いが嘘ではないとわかった。異世界とやらがあって、君がそこで国王をしていたという話も信じよう。警察に話しても信じてもらえないだろうし、友達の……藤倉君だったか。彼が未だに異世界にいる以上、いますぐ捜索依頼を取り下げられないというのもわかった」
優希の父親は、どこか気迫のようなものを滲ませながら話を続けていく。
「けれど、先ほどの話の中になかったことで一つ、義人君に聞きたいことがある」
「なんですか?」
これ以上重要なことが何かあっただろうかと内心で首を傾げる義人に、優希の父親は鋭く尋ねる。
「さっきから君の膝の上に乗っている、小さな頃の優希にそっくりな子について説明してもらえるかな?」
「え、ちょ、それですか?」
「ああ、それは父さんも聞きたかったぞ。あとで説明すると言いながら、結局説明してないしな」
優希の父親に続き、義人の父親も答えを促す。
すなわち、義人と優希両方の面影を持つ小雪が何者なのかと。
「それは、ですね……」
あとで説明をすると言いながら説明しなかったのは、説明がし難いからである。そして、どう説明しても墓穴を掘りそうだという予感もあった。主に、人生の墓場的な意味でだが。
言いあぐねる義人を見てどう思ったのか、優希の父親は視線を鋭いものへと変える。
「優希の父である私には言い難いことなのかね? ことと場合によっては……」
「……よっては?」
優希の父親は、右手の親指で窓の外を指し示す。
「少し、表に出ようか?」
「その発言の時点で、俺がどう答えるか決め付けてますよね!?」
優希の父親から投げられた言葉に、義人はテーブルを叩きながら抗議をする。しかし、優希の父親はそれに取り合わない。それどころか、何故か遠くを見るように目を細めていた。
「義人君。私や母さんは、君のことを小さい頃から知っている。幼稚園に行きたくないと泣く優希の手を取ってくれたあの日から、すでに十年以上の付き合いだ。家に泊まりにきてくれたことも数え切れない。こう言っては何だが、君のことは息子のように思っているよ……将来も、優希が望むのならばとも思っていた」
「な、なんですか突然……」
脈絡なく過去のことを話し始めた優希の父親に対して、義人は戸惑いを見せる。そんな義人の隣では、義人の父親が『たしかに、こっちは優希ちゃんを娘のように思ってるしな』と頷いていた。
「しかし、だ」
戸惑う義人に構わず、優希の父親は言葉を続けていく。その瞳に見えるのは、怒りだろうか。義人は何故そんな目を向けられるのかわからず、無意識のうちに体を緊張させ、
「いくらなんでも、八ヶ月で五歳ぐらいの娘を連れて帰ってくるなんてどういう了見をしているんだね!?」
「まずは自分の発言がどれほどおかしいかを確認してください! いや、マジで!」
思わず、怒鳴るように突っ込みを入れてしまった。しかし、優希の父親にはそんな義人の言葉も届かなかったのか、追求の手を止めようとしない。
「それも含めて魔法じゃないのかね!?」
「違いますよ!?」
正確には、生後三ヶ月程度の小雪が魔法で化けているので半ば当たっている。もっとも、優希の父親が懸念している事態にはまったくと言って良いほどなっていない。
結局、義人が小雪の存在を説明して納得させるまでに、再び時計の長針が一周するほどの時間がかかるのだった。