第百六話:発見
季節外れと言うべきか、まるで梅雨を再現したような大降りの雨の音を耳にしながら、義人は手に持っていた王印を執務用の机の上へと置いた。
「この時期なら雪が降っても良さそうなんだけどなぁ……」
そう呟きながら、義人は窓の外へと目を向ける。
執務室の窓から見える空は濃い灰色の一色のみ。少しの雨ぐらいならば外で訓練を行う兵士達も、さすがに今日は訓練を中止している。部隊によっては臨時の休日か、もしくは室内で軽く体を動かすぐらいだろう。しかし、雨が降ろうが政務がある義人は小さくため息を吐いた。
「おとーさん、どうかしたの?」
そんな義人のため息をどう取ったのか、小雪が不思議そうに首を傾げる。義人の邪魔をしないように部屋の隅で魔力の操作の練習をしていたのだが、どうやら義人のため息に興味を引かれたようだ。すると、それまで小雪の様子を見ていたサクラや優希も同じように義人へと視線を向ける。
「義人ちゃん、もしかしてため息をつく癖がついたんじゃない?」
「嫌な癖だ……でも、否定できないのが悲しいところだな」
否定できないと苦笑する義人。隣に並べた机で書類に目を通していたカグラは、そんな義人に対して僅かに視線を向け、すぐさま逸らす。
「お疲れなら、肩をお揉みしますよ?」
「お、それは魅力的な提案だな」
「かたもみ? こゆきがする!」
サクラの言う肩揉みを理解しているのか、小雪は楽しげに右手で挙手する。だが、やる気を見せる小雪に対して義人は少しばかり表情を固くした。
「小雪、ちゃんと力の制御ができるようになったのか?」
「え? う、うん……だいじょうぶ、たぶん」
非常に不安になる返答だった。義人はその返答を聞いて頬を引きつらせ、カグラはそんな義人に視線を向けてすぐさま逸らす。
『肩揉みが終わった後、両肩が無事なら良いが』
「サラリと不安になることを言わないでくれ」
ノーレの呟きに、義人は両肩骨折という嫌な未来を想像して頭を振る。
小雪がサクラの指導のもとに魔法や魔力の操作の練習を始めてまだ日が浅い。義人はそのことに大きな不安を覚え、逃げの一手を打つことにした。
「いや、やっぱりそこまで疲れてないから肩揉みはいいや。こっちは気にせず、小雪は練習に集中すること」
「ぶー……」
小雪は不満そうに唇を尖らせるが、それを見た優希が宥めるように頭を撫でる。すると、すぐさま機嫌を直して笑顔を浮かべた。
そんな優希と小雪の様子に苦笑を零すと、義人は再び政務に取り掛かる―――前に、先ほどから視線を向けてくるカグラへと振り向いた。
「カグラ?」
「は、はいっ!?」
先ほどからどこかソワソワとしながら、カグラは盗み見るように視線を向けてくる。義人はそんなカグラの態度を不思議に思って声をかけたのだが、返ってきた反応はやたらと過剰なものだった。
カグラは驚いたように背筋を伸ばし、何故か手に持った書類を裏返しに置いてから義人へと視線を向ける。
「な、何か?」
「さっきからやたらと視線を感じるんだけど、何か用か?」
「い、いえ。特に何もないですよ? ヨシト様の気のせいでは?」
取り繕うように微笑みながら、カグラは義人の言葉を否定した。義人はそれに引っかかるものを感じながらも、本人がそういうのならばと自分を納得させる。
―――俺が自意識過剰なのか……でも、視線を感じるのは確かだよなぁ。
心の中で呟きながら義人は再び政務へ戻るが、数分も経つと再び視線を感じた。一体何なのかと不思議に思いつつ、義人は書類をめくっていた状態から脈絡もなく顔を上げる。すると、カグラは慌てたように視線を逸らす。
「……………………」
義人は無言のままに書類仕事に戻り、小さく首を傾げた。
―――俺、何かしたっけ?
最近何かあったかと思い返すが、該当する記憶はない。カグラを怒らせるようなことをした覚えもなく、小雪に関する騒動もサクラや志信の協力によって早急の解決を図っている。
もしや小雪が執務室の中で魔法の練習をしているのが気に食わないのだろうか、などと首を傾げる義人だが、それも違う気がした。
自分の視線から逃げるように視線を逸らすカグラを数秒眺め、義人は口を開く。
「言いたいことがあるなら言ってくれていいぞ? あ、もしかして何かミス……じゃない、何か失敗でもしたのか? ……って、そんなわけないか」
カグラも人の子である。もしかしたら政務で何か失敗をして、それを言い出せないのかもしれない。そう考えた義人だったが、カグラが何かを失敗して黙っている可能性の低さから自分で否定した。
義人が仕事の手を止めて心配そうな表情を浮かべているのを見たカグラは、逃げるように視線を逸らし、しかし再び義人の方に視線を向け……という行動を三回ほど取った後、口を開く。
「その、ですね。アルフレッド様から、何か話を聞いていたりは……」
「アルフレッドから話? 何のことだ?」
ここ最近、世間話や政務に関すること以外でアルフレッドと話した覚えはない。言い辛そうにしているカグラを見て、まさか本当に何かを隠していたのかと義人は眉を寄せる。
「な、なんでもないです! 気にしないでください!」
義人の反応からまだ話を聞いていないのだと気付いたカグラは、両手を振って何でもないとアピールした。そんなカグラの様子に、義人は怪訝そうな表情を浮かべる。
「気にするなって……」
そこで話を切られては、義人としても気になって仕方がない。だが、慌てて仕事に戻るカグラから問いただすのもどうかと思い、義人はいつか聞けるだろうと自分に言い聞かせた。
アルフレッドとしては、“まだ”そこまで性急に事を運ぶつもりはない。今は忙しい時期のため、カグラにした話も年が明けて落ち着いてから話せば良いと考えていた。
「カグラ様、どうしたんでしょうか?」
そんな義人とカグラのやり取りを見ていたサクラは、声を潜めて優希に話を振る。
「んー……」
話を振られた優希は小さく首を傾げるが、特に何かを言うことはなかった。そんな優希の傍では、義人とカグラの会話にまったく興味を向けていなかった小雪が優希を真似て首を傾げている。
結局、その日の政務が片付くまでに同じようなやり取りが数回行われるのだった。
「まったく、カグラはどうかしたのか?」
その日の政務も終わり、夕食も食べ終えて自室へと戻った義人は凝った肩を軽く叩きながら呟く。
カグラには気にするなと言われたが、さすがに何度も同じようなことが続けば気にもなる。
義人はそういう日もあるか、と無理矢理自分を納得させると、部屋に置かれてある机へと歩み寄った。そして備え付けられた引き出しを開けると、中から折り畳まれた一枚の紙を取り出す。
紙に書かれていたのは、部屋らしきものの見取り図。レンシア国の魔法隊隊長であるヤナギから受け取ったものだ。
義人は折り畳まれた紙を片手で弄びながら僅かに視線を鋭くすると、壁に立てかけたノーレへと視線を向ける。
「ちょっと優希の部屋に行ってくるよ。留守番よろしく」
『む……妾も連れて行け、と言いたいところじゃが、それは無粋かのう?』
「そういった用事でもないんだけど、近いから大丈夫だろ」
城の中ならば危険もなく、優希の部屋は義人の部屋から歩いて数十秒程度だ。廊下には見回りや守衛の兵士もいる。そのため、ノーレは特に言い咎めることもなかった。
義人はそんなノーレに対して小さく笑ってみせると、折り畳まれた紙をポケットに入れて歩き出す。そして自室の扉を開けて廊下に出ると、小さく呟いた。
「アルフレッドがどうとか言ってたな……」
見取り図について本当はアルフレッドに聞くつもりだったが、昼間のカグラの態度が義人に警戒心を抱かせる。何かしら隠してあるだろうと当たりをつけ、義人は優希の部屋に足を向けた。
「ヨシト王、どうかされましたか?」
歩くこと三十秒。優希の部屋へとたどり着いた義人は守衛の兵士に声をかけられ、苦笑を返した。
「ちょっと優希に用があって」
「そうですか……」
守衛の兵士二人は互いに顔を見合わせると、どうぞと言わんばかりに扉から離れていく。その際のにこやかな笑顔が気にかかったが、義人は守衛の兵士から注がれる冷やかし半分、興味半分の視線を無視しつつ、義人は優希の寝室の扉をノックする。
「優希、入ってもいいか?」
「……義人ちゃん? うん、いいよ」
部屋の中に向けて義人が声をかけると、数秒の間を置いて扉越しに返事が届く。了承の返事を聞いた義人は扉を開け、室内へと足を踏み入れた。そして優希の姿を探して室内を軽く見回すと、ベッドに腰掛ける優希とその膝の上に座る小雪を見つける。
小雪は優希の膝の上に座ったまま心地良さそうに目を閉じており、優希はそんな小雪の頭を優しげな手つきで撫でていた。
眠る前だったのか両者とも普段着ではなく寝間着に着替えており、それを見た義人は間が悪かったかと頬を掻く。
「もしかして、今から優希も寝るところだったか?」
“元の世界”ならば起きている時間でも、“こちらの世界”ではそうもいかない。だが、義人の問いに対して優希は首を横に振った。
「ううん。小雪は髪を梳いてたら眠っちゃって……わたしはもう少し起きてるつもりだったよ」
そう言って、優希は右手に持った木製の櫛を掲げてみせる。すると、義人と優希の会話が聞こえたのか小雪がゆっくりと目を開けた。
「んぅ……あれ……おとーさん?」
小雪は寝惚け眼を擦りながら、不思議そうに義人を見る。それに対して、『おとーさん』と呼ばれることに慣れてしまったのか、それとも諦めたのか、義人は軽く右手を振って答えた。
「小雪、眠るなら布団に入って眠らないと風邪をひくぞ?」
「んー……」
義人の言葉に、小雪は小さく唸りながら頷く。そして優希の膝から下りると、義人のもとへとフラフラしながらも歩み寄り、腰に抱きついた。
「おとーさんといっしょにねる……」
一瞬、力の制御は大丈夫かと義人は警戒するが、小雪の腕から伝わってくるのは見た目相応の力のみ。そのことに安堵し、義人は苦笑を浮かべた。
「あとで部屋に連れて行ってあげるから、今は大人しく寝ていて……」
「ううん……おかーさんもいっしょにねるの」
―――それはつまり、川の字になって寝ろと?
小雪の言葉に固まりつつ、義人は内心で問いを発する。小雪は半分寝惚けているのか、そんな義人の様子に気付かず幸せそうな笑みを浮かべていた。
「ほら、小雪。こっちにおいで」
どう答えるか迷っていた義人を助けるためか、優希が小雪を抱きかかえる。そしてゆっくりとベッドに寝かせると、慣れた手つきで布団を被せた。すると、数秒の内に小雪が寝息を立て始める。
優希は小雪が寝息を立て始めたのを確認すると、義人の方へと振り返った。
「それで、何か用があったんだよね?」
「あ、ああ。ちょっと優希に頼みたいことがあってな」
そう言いつつ、義人はポケットから折り畳まれた見取り図を取り出すと、優希へと差し出して口を開く。
「多分城のどこかの部屋の見取り図だと思うんだけど、見つからなくてね。できれば協力してくれないか? 俺はあまり昼間に動けないし、優希なら城の中を歩き回っててもあまり注目されないだろうし」
「見取り図?」
義人の言葉に首を傾げつつ、優希は見取り図を手に取る。そして折り畳まれた見取り図を広げると、かすかに目を細めた。
「これがどうかしたの?」
食い入るように見取り図を見る優希に、義人は肩を竦める。
「実は、レンシア国でヤナギ隊長に渡されたんだ。俺に関係があるみたいなんだけど、詳しいことはわからなくてね。とりあえず、その部屋がどこにあるかわかれば何かがあると思うんだけど」
「んー……これがどの部屋なのかを探せばいいんだね?」
「そういうこと。頼めるか?」
義人がそう言うと、優希はすぐさま笑顔で頷く。
「うん、わかったよ。わたしのほうで探しておくね」
深く聞くこともなく了承する優希。義人はそんな優希に対して苦笑を向けた。
「悪い。今度何かお礼をするよ」
「ふふ、楽しみにしとくね? ……あっ」
「ん?」
義人の言葉に笑顔を見せる優希だったが、再び見取り図に目を落とすなり声を上げる。義人がどうかしたのかと覗き込むと、優希は顔を上げずに呟く。
「義人ちゃん、これって図書室じゃないの?」
「……はい?」
「図書室にはよく本を見に行くけど、この見取り図と似ているような……」
むむ、と眉を寄せる優希に、義人は傍に置かれている机へと目を向ける。
机の上には三冊ほど本が置いてあり、おそらくは図書室から借りてきたものだろう。優希の部屋には書棚もあるが、書棚にない本は図書室から借りてきているようだった。
義人も見取り図に描かれた部屋を探すために図書室で城内の地図を探したことがあったが、目的の部屋が図書室だと考えたことはない。
「……灯台下暗しってやつか」
思わぬ見落としに少々凹みつつ、義人は額に手を当てる。言われてみれば、たしかに扉や窓の配置に見覚えがあった。
「むぅ……目的の場所を調べようとしたら、そこが目的の場所だったか……知らず知らずのうちに除外してたな」
悔やむように頭を掻く義人だが、そんな義人を見た優希が話を逸らすように口を開く。
「それで、その見取り図で何がわかるの?」
「いや、それは俺もわからないんだ。ま、明日にでも確認してくるさ」
本当ならば今日にでも確認したいところだが、夜間に図書室に出入りするのが知られれば、カグラあたりに何をしていたのかと聞かれる可能性が高い。
それを考慮し、義人は思考を切り替えると苦笑を浮かべた。
「確認したら優希にも教えるよ。じゃあ、遅くに悪かったな」
「ううん、別に良いよ」
気にしていないと、首を横に振る優希。
そんな優希に礼を言うと、義人は部屋を後にするのだった。