よん
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夏が終わった。夏なんて一瞬だった!なんだか心も体も空っぽだった。勝てなかった自分への言い訳なのだけど初めて本当の意味で全力ででぶつかることができたから満足していた。
当日、試合の直前まで膨れ面をしていた空だったけれどアップをする選手から出つバチバチとして熱気に比例して太陽が雲を吹き飛ばしながらムックリと顔を出した。
三回表、僕はネクストバッターズサークルにいた。スタメンを言い渡されていた。夏の大会お互いの三年間のすべてをこの試合にぶつける時だったけれど不思議と緊張はなかった。アップを終えて監督の前に円陣を組む。八番レフト、トシと呼ばれたその時には初めてバットに当たったボールが前に、そう兄貴の方へ飛んでいったときのあの気持ちが蘇った。きっとあのときの気持ちは「楽しい」だけじゃなくてもっと複雑な名前もつけられない気持ちだったんだなと思った。潤んだ目を拭うように大声で返事をした。
「ハイッ!」
試合開始を告げるサイレンが鳴り終わってから一回二回と白球を追うことだけに集中した。緊張もあって周りが見えてなかったのかもしれない。いよいよ自分の公式戦初打席が回る三回。ネクストバッターズサークルにしゃがみ込みグリップの感触を確かめながらピッチャーのフォームに合わせタイミングを取っていると走馬灯のようにいろんなことが頭の中をぐるぐると巡った。兄輝樹と一緒にグランドを駆け巡った日々。ヒットを打った時得点を上げた時誰よりも喜んでくれた輝樹。一緒にプロ野球の試合を観に行ってやっぱりプロってすごいんだと二人揃って感嘆の声を上げたこと。実はプロ野球のスターよりも必死にボールにしがみつく輝樹を見て誰より僕もこうなりたいと密かに姿を重ねていたこと。そんな兄貴が死んでしまったこと。
それから、それから。
映画のフィルム一つ一つを噛みしめるように頭の中で感じていると歓声が上がった。
グランドがザザザと動く。ボールは二遊間を抜けた。センター前だ。次だ。立ち上がりバッターズサークルを抜けると後ろからはち切れそうなくらい色々な声が聞こえた。
「としーー!。」
「とし頑張れ」
「トシ一発カマしてこいー!」これは絶対健太だ。相変わらず騒がしいやつだ。集中集中。とバッターボックスへ一歩を踏み出した時。
「トシ、気楽にいけよ」
すぐ後ろからつぶやくような小さな声でそれでいて僕にはっきり聞こえるようにそう言った。気がした。驚きのあまり振り返るが誰もいない。健太と目があって「ニッ」といつもみたいに口角を上げて白い歯を見せながら笑った。それだけだった。
何かを探すようにふと空を見上げた。大きな空に綺麗な虹がかかっていた。星見ヶ丘の展望台のちょうど真上くらい。さっきまでそこに居座っていた雨雲は最後に虹をかけてきれいに消えていた。堂々とした大きな虹は太陽の光を受けてキラキラしているように見えた。きっと皆応援してくれている。そうだ皆で勝ちに行くぞ。そのためにここにいるのだから。チームとそして兄貴とも久しぶりに心を一つに出来たなと感じた。踵を返しバッターボックスへ急ぐ。
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八番レフトにその名前を聞いて泣きそうになってしまった。その姿をテルに重ねることはいけないことだとわかっていた。一塁側ファールグラウンド。蒼獅学園の応援団のすぐ近くから。固唾を飲んで見守る。どうしようもなくテルがそこにいる。やっぱり駄目だ。忘れることなんて出来ない。あれから何度もトシにもう居ないテルの姿を重ねては言葉にならない思いをしてきた。きっとこれからだって何回も奈落へ落とされるほど悲しい気持ちになってもいい。何回でも後悔してそのたびに涙を落とせば良いと一人で誓った。きっとあなたは悔しかったのでしょう。辛かったのでしょう。パタリと最後のドミノが倒れるようにこの世を去ることになってしまったことがたまらなかったのでしょう。そんなバラバラに成ってしまった思いを私が拾い集めていきます。ふと誰かに呼ばれた気がして振り返るとさっきまで真っ黒くて大きな雲がかかっていた丘の上に小ぶりだけれど綺麗な七色の虹がかかっていた。もしかすると今この虹に気づいているのは私だけかもしれない。あなたの思いは地に落ちた星の欠片のように他の人には分からなくても私には確かに感じられるはずです。その上に種をまけばきっと綺麗な花が咲くでしょう。名前をつける必要なんてきっと無いのでしょう。ただ枯らさぬようにほのかに暖かさを感じさせるその香りを優しく包んでいつまでもずっと咲かせていきたい。虹を見上げてそう願った。
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八月末。甲子園での熾烈なトーナメント戦も優勝校を決めその膜を閉じた。見よう見ようと思っていた決勝戦だった。けれど一時間前から座敷の畳の上でゴロゴロしていたら眠っていた。慌ててTVをつけるとちょうど試合が終わったところで最後の瞬間がリプレイで何度も画面に流れていた。感無量な面持ちで抱き合うピッチャーとキャチャーを中心にナインが集まり涙を流していた。まぁいっか。とつぶやいてテレビは消した僕も別の意味で感無量だった。
力は百パーセント出し切ったのになんだかモヤモヤしたようなやり残したことがあるような気がする。そんなふわふわした時間を過ごした。最後の一戦を共にやりきった同士達と悔し涙を流しきり、後輩へのバトンタッチを終えこれで言葉の通り野球とは一区切りついた頃。夏休みは終わり、寝ていても布団を蹴飛ばさなくなった。徐々に展望台の方の木々はその葉っぱを紅く染め上げる。夕暮れを迎える空虚な空は季節が変わってしまう名残惜しさによく似ていた。そんな日のこと。
いつもの星見鉄道を降りた駅で沙貴姉を見つけた。本当は電車の中で見かけていたけどなんとなく気恥ずかしくて話しかけられなかった。ちょうど友達と別れ際だったようで帰路につこうとこちらを向いたところで目が合い手を振ってくれた。久しぶりに見た沙貴姉はあの頃より大人っぽくなった気がする。実は夏の大会が終わったあと声をかけてくれた。負けちゃったねとか悔しいよねってありきたりな言葉を周りに探す僕に「変わったね。かっこよかったよ」ってそう言ってくれた。その時は素直に受け止められなくて呆然としていた。それ以来今日まで試合の話も何の話もしてなかった。声をかけたいのに掛ける言葉が見当たらなくてずっと視線だけで追いかけていた。あぁモヤモヤの原因はこれだったのか。まだやり残したことがあった。
おどけた顔で手を振りながら駆け寄るように距離を縮める。今なら言いたいこと全部言えるそんな気がした。過ぎゆく夏を惜しまないように、まだ食らいつくような暑さに汗を書きながらも頭のなかでは春の歌が爽快に流れていた。しばらく振りの沙貴姉に掛ける言葉を頭で探しながら、ちょっとズルをしたような気分になった。それから、誰にも聞かれないくらい小さな声で「兄ちゃんありがと」ってそうつぶやいた。
fin