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午後練が終わった。どうやら賭けには勝てたみたいだ。健太に逃げ帰られないようにウキウキした気分でグラウンドをあとにする。部室へ戻る途中監督室の前でふいに呼び止められる。
「五十嵐、ちょっと中入れ。」
部屋から出てきた大森監督に表情の無い顔でそう言われた。なんだなんだ?これまではこんなことなかったぞ。ついに健太と賭けをしていたことがバレたのか。雑然としている監督室へ恐る恐る入る。促されて座った丸いすがキュルキュルと変な音を立てた。
「単刀直入に言うが、このままだとスタメンには入れないだろう。代打でも出場できるかどうかわからないぞ。五十嵐はそれでいいのか?」
健太に早くジュースを奢らせたかったからソワソワしていた僕にピシャリとそう言った。
「えーと。僕はそれで構いません。チームが勝てるのであれば。」
「なんか今困っている事とかあるのか?」
「どうしてですか?特に無いですよ。」
なんだか目の前がチラチラする。二人しかいないはずの監督室にもう一人いるみたいなまるで誰かが僕らの前を行ったり来たりしているみたい。なんだか疲れているのかもしれない。「そうか。じゃぁ自分の弱点には気づけているのか?」
大森監督はちらついたりしていないらしい。平然と話は続く。
「弱点って何のことですか?」
「毎回試合になると打ったあとのはじめの一歩が出遅れてるぞ。」
「え?そんなこと無いと思います。」
「本当はもっと早くに話をしようと思っていたんだけどな、なかなか話せる機会を作れないくてすまん。」
「そんな謝らないで下さい。」
一体何の話をするつもりなのだろうか。
「よかったら、その理由を教えてくれないか?」
「いえ。出遅れては無いですし、そこに何か理由もありません。気を使っていただきありがとう御座います。すみませんがこれで失礼致します。」
少々ぶっきらぼうだったか。そう言い残して椅子から立ち上がる。背を向けてから大森監督のことだから何か言ってくると思ったけれどそれ以上呼び止められることはなかった。
健太はまだ待っていてくれるだろうか。
携帯を覗くとすでに三〇分も経っていた。部室に戻りながらスマホを見ると「自販機の前で待つ。」とラインが来ていた。うわ、二〇分も前じゃん。あいつよく、待つの嫌いだからって言っていたからな。絶対先帰ったよな、と思いながらも大急ぎで着替えを済ませる。
健太に「ごめん今着替えてる。もう帰ったよね?」とラインを送ると一瞬で既読マークが付いた。
「嘘?まだ待っててくれてるじゃん」
驚きで携帯を落としそうになった。朝と同じようにローファーに足を突っ込む。いつ来ても男臭い部室のボロボロで重くなった部室のドアを締めて、ダイヤル式の南京錠に鍵を掛ける。昇降口の近くにある自販機を目指して急ぐ。つっかけたままのローファーが脱げそうだ。煌々と照らす蛍光灯の明かりの中で健太は携帯をいじっている。
「ごめん健太。遅くなった」
「遅えよー何度帰ろうとしたことか」
「なんか監督に呼び出されてさー。」
「何の話されたの?」
「それはまた今度話すよ。それよりさジュース。」
「あ、遅れてきたからその間にお前に買った三本もう飲みきった。その中に入ってるよ。」
そう言ってゴミ箱の方を顎でしゃくった。
「まじ?三本?全部?嘘?」
疑問符が四つも一気に口をついた。
「騙されたー嘘だよ!」
そう言って白い歯を見せて快活に笑った。
「なー約束通り三本買うからさ、一本くれよ。」
「それって約束と違ってない?まぁいいよまたせちゃったし、それで。」
「よっしゃーじゃあ俺ペプシな」
言うが早いか五百円玉を乱暴に自販機に突っ込むと青色に光ったボタンを連打する。ガコンという音を聞きながら何にしようか悩む。
「早くしないとペプシもう一本追加するぞ。」そう言いながら出てきたお釣りを適当に突っ込む。悩んだ挙句CCレモンとミルクティーを買った。すぐにCCレモンを開けて健太と乾杯をする。炭酸の刺激が心地良いはずなのにさっきの監督の話しが脳裏に浮かび尾を引く。さっきよりも気持ちが落ち着いた分夜風に溶け込めた。汗でベタベタだから気持ちよくは無いなと思いながら物思いに耽る。
あの頃唯一兄とのつながりを持てたのが野球だった。もちろんそれ以外の時間も沢山一緒にいたのだけれど兄がそのすべてを掛けた野球をおざなりにすることができなかった。寂しくて寂しくてそれまで嫌いだった野球の練習ばかりするようになった。練習している間は兄のことを考えなくて済むからそうやってがむしゃらになって嫌なことも寂しい気持ちも全部忘れようとしていたのだ。周りの友達もそれに同情してくれて一緒になって無我夢中になった。そんな蛇から足が出たような思いで続けていた野球だったけれど、次第に試合に勝てるようになった。着実に強くなっていった。だから中学の最後の大会ではそれなりの結果を残せた。
きっとその頃からだろう。強くなければと先走って勝って当たり前、強くて当たり前だってそう自分を脅迫していた。試合に勝つ事だけが目的になっていてチームメイトはそのための道具に過ぎなかった。そんな僕とチームメイトの関係は次第に粗悪になっていった。周りの人はそんな自分勝手な僕に気づいていたけれど僕の過去を知っている人はいなかったから、あいつ痛い奴だなそういう目で見られた。そういう目で見られてなお僕自身はそんなことに気づきもしなかった。
それが突然言われた。
「皆で野球してんのによ、九人いるのになんかお前だけ一人みたいだよな」
その言葉に一瞬ドキリとしてすぐに悔しくなって悲しくなってそれから腹立たしくなった。
「勝つためにやってるんだよ。何がお前にわかるんだよ」
思わずそう口をついてしまった。すぐに言い直そうと思ったけれど
「でもさ自分でも気づいているだろ。」
畳み掛けるようにそう言ってきた彼はまだ何か言いたげだった。
「何にだよ。」
「走りだせない事。」
言われるだろうなと思っていた言葉を聞いた。そう言ってくれたのが健太だった。
気がついていた。気がついてなお気がついていないフリを続けていた。そうすればすべて元通りに戻ると願っていた。でも現実はそんなに甘くなかった。いつの間にか違和感が僕の中に現れて拭っても拭っても消えてくれない。幻じゃない。その存在を認められるほどに硬式ボールが怖くなってピッチャーが怖くて野球が怖くなった。でもやめることはもっと怖かったからそれはできなかった。
あぁそうだ。初めからわかっていたんだ。僕の名前はトシ。五十嵐俊樹。死んだ輝樹は僕の兄だ。
監督にも他の誰にも話す気になれなかったけれど健太になら。今なら聞いてもらいたいなと思った。
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あの人のことが好きだった。家も近くて小、中学の頃はよく一緒になって遊んだ。野球の真似事に何度も付き合ったし男の子の中に混ざってばかみたいな話ばっかりしていた。初めは仲のいい友達だった。それがいつからかあなただけベールに包まれたみたいに他の人とは違う存在になった。高校もおんなじクラスだった。その頃から「俺、甲子園を目指すから」といって、野球一筋になった。でも野球にひたむきな姿を見つけて、始めは私とは違うなと思っていた。自分にやりたいことがなかったからそうやって何かに必死になる姿が眩しくてカッコよかった。いつからかその人のことばっかり追いかけるようになっていた。気がついたら夢中になっていた。今まであんなにバカみたいな話ばかりしていたのにもっといつまででも話していたいと思っていたし少しでも一緒にいたいと心で願った。
でも相対して朝も早いし夜も遅いからめっきり話をすることはなくなった。それでも意味もないのにあなたが乗る電車に合わせてやることもないのに学校に行ったこともあった。視界に映るだけで嬉しかった。なんだか遠い存在になってしまったなと私にできることは何かないかなと考えるようになっていた。
野球をしているのを応援していたいという気持ちが大きくて想いを言葉にしたことはなかった。野球が一段落ついたらそれからでも遅くはないかなと思っていた。それがもう、どうやっても手の届かない存在になってしまった。
お葬式では誰よりも泣いた気がする。きっと親戚の皆さんにはどこの子なの?と思われただろうがかまっていられなかった。悲しかった。誰のせいにもできなくて、誰かのせいじゃなくても人が、大切な人が死んでしまうことが怖かった。恐ろしかった。後悔ばかりしていた。あたしは何もしてあげられなかった。あんなにあなたは頑張っていたのに。自分が惨めだった。私の両親も居たが何も声をかけてくれなかった。その代わり会場をあとにする時あなたの母親からうちの息子がごめんなさいと謝られた。どうして謝るのですか?と思うとまた涙が溢れてきた。それから両親の車で家に帰った。車の中でも涙が止まらなかった。涙を乱暴に振り払いながら家に入った。自分の部屋の電気をつけると昔一緒に撮った写真が目に入った。まだ涙が出てきた。もう声は出なかった。一人になりたかったけれといざ一人になると寂しかった。
『巡り巡る君をたどる僕の探す全てになった。剥がれ落ちる心が知ってた愛してる。』私が好きだったアーティストのメロディが浮かんだ。ストレートな歌詞をストレートに歌い上げているのがぐっと来るのに何処か悲しさが潜んでいるこの曲が好きだった。私の気持ちに素直に寄り添ってくれたその曲をウォークマンで一曲リピートしながらまたしばらくあなたと過ごした日々を思い出しては涙を流した。しまいには声も涙も出なくなったがそれでも私の気持ちはまだ晴れてくれなかった。あの日からあなたが居なくなってそれから始まってもいない恋を嘆いた。手が届かない。もう触れることは永遠に出来ない。そう思えば思うほどにその次の日からは世界が真っ暗くなった。まるで目が色を失ってしまったようだった。
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最近は県内の公立高校が勝ち上がってきて私立の高校としては面目丸つぶれだった。ここ三年甲子園に勝ち上がっているのはすべて公立の高校だし、
去年なんて県下屈指ので頭がいいと言われている偏差値六十代後半の高校が甲子園に行った。頭が良くてスポーツもできるなんて頭おかしいんじゃないかなんて嫌味を言いまくった。
そして夏の大会の対戦相手が決まった。相手は霧ヶ峰高校。ここ二年は対戦したことのない高校だ。それ以前のデータを見るとそこまで強いイメージは湧いてこないしここ最近はせいぜい二回戦突破止まりそんな高校なのだそう。
大会の十日前の練習終わりに大森監督から正式にそう言われた。
「公立の高校で実績的にはさほどだが、舐めてかかると痛い目に合うのがここ最近の蒼獅だからな、気を引き締めていくぞ。ベンチ入りのメンバーに関しては後日改めて発表する。では今日は解散。」
「もう十日前なんだな。やるしか無いよな?」
たまたま居合わせた健太と弥太郎に声を掛けるとそれぞれ
「大丈夫。大丈夫。まぁなんてったって俺がいるからな」
「やるしか無いっていうか勝つしか無いよな。実感ないけど俺らまじで最後みたいだし。なんだかんだ言ってさ健太、負けたらションベン漏らしながら泣きそうだよな」
「なんかそれ凄い想像し易いね」
「やめろやめろ。負けたときの話なんかするんじゃねーよ。」
「あ、こいつ否定しないぞ。可能性的にはあるなこれ。」
この二人とならいつまででもふざけていられる気がした。
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あれから長い時間が経った。僕のいる世界では日にちや時間の感覚がない。だからそれがカレンダーや時計だということはわかるのだけれど今日が何日の何曜日なのか、今が何時何分なのかはいくら凝視しても分からなかった。「今何時?」と言う会話を聞いてさえなんだかパッとしない。あれからどのくらい経っただろうか。二〇一二年の七月から。一体いつまで僕はこの世界をふらつかなくては行けないのか。もうとっくにおさらばしたっていうのに。 僕がお仏壇に収まってから毎朝決まった頃にご飯とお味噌汁を備えてそれから仏壇の前に正座して手を合わせ小さく「テル」とつぶやく理恵の姿を目にした時。時々一人になると空を見上げその虚無感に心を預けるようにボーっとするようになった幸治を見つけた時。思わず「母さん、父さん」と声をかけるけれど届かないことに気付かされて、それからホロリと涙が頬を伝う。そんな繰り返しにはもううんざりだった。
夜になって皆が寝静まると浮遊霊のように空を彷徨ったりした。地面に足をつかなくても良くなったから、ふわふわしている時間が多かった。あれから過ごしてきていくつかわかった事がある。まずご飯は捕らなくても平気なこと。まあ死んでいるし仮に食卓に座ったとしても箸を握ることさえ出来ないのだから当たり前だ。それに伴って便意を感じることもなくなった。あとは何度か試してみたけれど寝ることもできなかった。何も考えたくない夜はお仏壇の中に入って体を小さく丸めるようにして時がすぎるのを待った。そこだけは心を落ち着ける事ができてホッとして気分に慣れた。
それからまた朝になって皆起き出す。バタバタと慌ただしく支度をする理恵。今日はお水じゃなくて牛乳を出してくれた。朝食を食べた家族はそれぞれの場所へ向かう準備をする。家を出て行く順番は決まっていて、いつも俊樹、理恵、幸治の順番だった。きっと届くはずは無いのにそれでも仏壇の中から俊樹に行ってらっしゃいと見送った。その後、理恵と幸治も同じようにして見送ると家の中は祖母だけとなる。今日は編み物をするみたいだ。することは皆無なのでそばで見守る事にする。ただただ時間が過ぎていく。
日が傾き段々と暗くなる。理恵がいそいそと帰ってきて一息つく間もなく夕飯の支度をする。幸治と俊樹は今日は一緒に帰ってきたみたいだ。ご飯を食べて順番にお風呂に入る。俊樹は疲れたみたいで髪も半乾きのままベッドに潜るとすぐに寝てしまった。そんなんだから寝癖つくのに。部屋の明かりが一つまた一つと消える。今日は星見ヶ丘の方へ行こうかなと思いながら理恵と幸治のの寝室の方を見に行くと二人の話し声が聞こえた。
「あの子、幸せだったかしら?」
「…。……。………。」
「満足だった訳…無いわよね。」
「…。理恵…もうよそう。」
「だって。もっと色々なこと知ってほしかったのに。」
声に徐々に涙が混ざる。聞かないほうがどちらにとってもいいだろうと思ったけれど扉に耳打ちした恰好のまま動くことができなかった。
「…俺だってそう思うさ。」
「だけど」
「でもね綺麗事だけどね。テルはちゃんと僕らの中に生きているよ。いつまでも一緒でそれはこの先一生変わらない。きっと俊樹の中にもテルは確かにいるはずだよ。もし俊樹とテルがこれから色々な事に挑戦して失敗もあって悩まされるなら二人で力をかしてあげよう。ね。」
「うん…。」
「大丈夫だよ。」
僕は涙を堪えることができなくなって、誰にも聞かれるはずなんて無いのにここにいたら二人に聞かれてしまいそうで天井をすり抜けて屋根の上に上がった。それから星空のしたでうるうると流れ落ちる涙を見ていた。
いつだったかはもう思い出せないけれど、あるときは俊樹の学校までついていった事がある。電車で移動する俊樹を追いかけるのは大変だったけれど、なにせ体力は尽きることが無い。というか無い。せっかくなら練習しているところが見たいと思ったが、朝練はやっていないようなのでおとなしく授業が終わるまで待った。
最後の授業の終業のチャイムがなると一目散のグランドにかけてくる選手たち。そういえば自分もそんな生活だったな。と懐かしくなった。
練習内容はもっぱら守備練習で全体で集まってからはシートノックを二回とその合間にフライやバント処理、ランナー満塁からの前進守備など細かい連携プレーを確認していた。練習が終わり、さて一足先に帰ろうかなと思っていると監督室とか書かれたプレハブに入っていく俊が見えた。興味本位で窓を透き通り入ると丸椅子に座った俊が監督らしき人と話をしている。なんだか話の内容はちぐはぐでよくわからなかった。監督が一方的に話しかけ俊は逃げるように言葉を濁す。そんな感じだった。別に邪魔をするつもりはなかったけれど二人の間をウロウロした。もうすぐ俊の夏が始まる。僕が死んでしまってから時間が流れてその流れた時間の中で何を感じただろうか。洗いざらい僕に喋ってほしかったけれど、空に向かって本音を語らうとは考えにくい。俊のために何かできることは無いかなと考えるけれどこんな僕にでも出来ることが見つからない。
仮に僕の現状をまだ成仏していない。として、何処かにあるスイッチを切り替えるように残された使命を成し遂げればもう何も考えずに静かに眠ることが出来るのだろうか?同級生は、親友は、祖母は、幸治は、理恵は、沙貴は、俊樹は僕の死に何を感じただろうかまだ何かやらなくてはならないことが確かにあるのだろう。
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健太とジュースを飲みながら帰ったその日。
「ちょっと寄り道するからさ」
と言われて星見ヶ丘に行くことになった、行くのは随分と久しぶりで疲れていたけれど幼い冒険心にワクワクした。仲林駅を降りてから歩いて二〇分位。健太にとっては寄り道程度じゃなくかなり遠回りになるはずだったけれど、口にするのははばかれた。電車間に合わなかったら幸治に送ってもらうように頼んでみよう。
星を見に行こうと言われた事が口実なのは分かっていたけれど健太の誘いはなかなか断りづらい。丘に着くまでは知っていることもあっただろうけれど改めて僕の昔話を聞いてもらった。
「ウン。」とか「ウーン。」とか相槌にしては適当すぎる相槌を連発しながら聞いてくれた。珍しく話の腰をを折らずに最後まで聞いてくれた。それから今度は健太が話をしてくれた。
「俺はもともと外で遊ぶのが好きじゃなくて学校終わったら家に帰ってきて一人でゲームばっかりしていてさ、だから友達作るのがあんまり上手くなくて余計にゲームに嵌って行ってさ。中学に上がるまでは欲しいって言ったゲームとか結構すんなり買ってくれてたんだけどね。流石にこれじゃだめだと思ったのか中学に上がってからはゲーム買ってくれなくなってさ。俺は一人っ子だったし、今思えば過保護だったなーなんて思うけれど。で、俺もそれから両親の顔色を気にし始めてさ。それが野球を始めたきっかけ。」
「そうなんだ意外だね。もっとヤンチャ坊主だと思っていたけど。」
「まぁそれからはヤンチャ坊主になったな。野球始めたら面白くてさゲームなんかすぐにやらなくなったよ。」
気がつくといつの間にか星見ヶ丘についていた。今じゃひっそりと知る人ぞ知る観光スポットという感じになってしまったから、いつ来てもほとんど人は見かけない。柔らかい闇の中ゆったりと草木が揺れている。空を見上げると間近に星が見えた。僕が大きくなったからだろうか。手を伸ばせば届きそうなそんな予感めいた物を感じた。
「止まってほしい時間ほど早足で過ぎ去っていくものだよね」
いつもの口調とは違ってポツリとそう呟いた。それから男二人黙って星空を眺ていた。
☆☆★
大学生になってから時間の流れが早くなった。おいていかれるほど一日はくるくると回った。その中で将来何をしようかって必死に考えた。高校を卒業する頃も何もしたいことがなくて執行猶予をもらうみたいに四年生の大学に入った。
今でも暇があると輝樹のことを思い出す。講義中。課題レポートを片付けているときは必死になって頭を回すから出てこないのだけど、昔なつかしいこの部屋で写真を見たり、何か面影を探すようにあなたを思い出す。もう五年も立ったのにあたしっておかしいのかな?まだあなたの葬儀は終わってないのです。これだけ長い時間をかけてもあなたは居なくなってはくれない。掴めないと思った物にこんなに執着してしまうのです。私の前でなくていい。もう一度皆の前で笑っているあなたが見たい。
答えは出ない。それでも時間は進んでいく。明日は夏の大会。俊の試合を見に行く予定。ふいに頑張れとこぼした言葉は俊のための言葉だったのか。それとも。