王子様は言葉を失った。
剣を握りなおし、勢いよくミランダの部屋に飛び込んだ俺は、眼の前の光景に…一瞬言葉を失った。
ミランダは怯える様子もなく、身振り手振りで話をしている。
そして…そんなミランダをローラン王は黙って見ている…こんな光景を俺は想像すらしていなかった。
唖然とする俺に、最初に声をかけたのは…ミランダだった。
「叔父様!!」
いつも元気なミランダにホッとしたと同時に、この状況がまったくわからなくて眉を潜めると、ローラン王はゆっくりと右の手のひらを顎の下に当て、ひじを右膝の上に乗せると
「ようやく来たか…ルシアン。」
ローラン王の嘲笑うようなその声に、ミランダはキョトンとした顔で、ローラン王を見つめていたが、だんだんと顔を歪めていった。
何が…一体なにが…あったんだ?
この場のおかしな空気はなんだ?
このふたりを繋ぐものなどないはずのに…だがこのふたりには、何か、そう何かがあるように思える。
なぜそんなことを思うのだろうか?
いや…しっかりしろ!惑わされるな!これも悪魔の力かもしれない。
今は…ミランダからローラン王を引き離すことだけに集中しろ!
「ローラン王…ミランダから…すぐに離れてください!」
そう言いながら、俺はまた剣を握る手に力を込めた。
「あぁ…もう用事は済んだことだし、そろそろ引き上げるつもりだったのだ。」
ローラン王はそう言って、木の上から飛び降りると
「だがお前は、そう簡単に私を引き上げさせるつもりはないようだなぁ。」
ローラン王はきつく握った俺の剣を見て、うっすらと笑みを浮かべ
「その剣では、私は死ぬ事はない。私を寂滅したいのなら、あの…ロザリーだったか…あの女しかできないぞ。だが今は…あの女は動けまい。」
その言葉にミランダが叫んだ。
「それはロザリーに、なにかあったということなの!!」
ミランダの叫び声に、ローラン王は
「あの女も…守りたいと思っているのか…」そう呟くように言うと…ミランダではなく、俺に向かって
「私には悪魔の誘いも、天使の囁きも…聞こえはしなかった。」
「…それは…?」
ローラン王はクスクスと笑いながら
「ようするに、悪魔も、天使もあの女の前には現れては居らんということだ。あの女の魂は、体にしっかりと張り付いている。死にはしない。」
ローラン王は、ロザリーが助かるとなぜここで明言するだろう?
まるでそれは、問いかけたミランダに安心しろと…言っているように思える。
なんだろう。これは…
ミランダの問いに対して、わざと俺に答えたのは…?
ミランダの視線を感じているはずなのに、気づかない振りをするのは…?
まるでミランダを避けているようだ。
なぜ?
なぜ、避けねばならない?
まるで、ミランダにこれ以上関りあってはいけないと、自分を抑えているように感じる。
俺はローラン王を見た。
その姿を、そしてその心の中を見ようと、息をゆっくり吐くと…言った。
「なぜ…ですか?」
「なにがだ?」
「あなたはほんの短い時間の間に、まるで別人になったように感じます。」
「別人か?面白いことを…私は変わってなどおらんぞ。」
この人は…ずっと心を覗かれないように、いくつもの扉を作っているようだ。
そしてその鍵は…おそらくミランダ。
俺は木の上で、ローラン王を見ているミランダに眼をやり…
「ミランダ…ですね。」
俺はミランダからローラン王へと視線を移しながら
「ミランダはあなたにとっては鍵…人の心を思い出させる鍵なのでは…?」
ローラン王はまるで俺に、それ以上言わせないように大きな声で笑うと、俺に向かって剣を振り抜いてきた。
「…図星ですか?!」
その剣を受け止めながら答えた俺に
「……なんだそれは?意味がわからん。」
そう言って後ろへ下がると、自ら剣を地面に捨て、腰につけていた短剣を取り出し
「ルシアン。」
俺の名を呼ぶとローラン王は、短剣を自分の左胸に刺した。
「キャァ!」
ミランダの叫び声に、ローラン王の体がビクッと動いたが、すぐに俺を見ると笑いながら
「…あの小さな姫には衝撃的だったか…だがこれでは俺は死ぬことはない。」
俺が黙って頷く姿を見て、ローラン王はニヤリと笑うと、左胸から短剣を抜いた。
その瞬間、真っ赤な血が左胸から溢れ出し、ローラン王は膝をついたが、右手で左胸を抑えると立ち上がり
「さすがに心臓は…やりすぎたな。だが…ルシアン、例えお前のほうが剣の腕が上でも、心臓を刺しても死ぬ事がない私とでは、お前のほうが不利だ。」
そう言って、右手を外したローラン王の左胸からはもう血が止まっていた。
やはり…
この人はもう…
人ではないとわかっていても、見たくなかった。
この人が人ではないと思いたくなかった。
ローラン王は俺を見ていたが、後ろを振り返り、木の上のミランダをチラリと見て
「どうだ…。悪に見えるだろう。」
ミランダは顔をクシャクシャにして、涙を零すと頭を横に振った。
ローラン王は眼を伏せると「そうか…。」と小さく呟き、また…「そうか…。」と言うと、今度は大きな声で
「この70日は面白かった。実に面白かった。だが途中で悪いが…終幕までは居られんのだ。1000年もこの現世をひとりで彷徨わなくてはならんから、旅の支度に手間取りそうなのだ、だからここで失礼するぞ。」
「…あなたを行かせるわけには行きません。」
「…アデリーナを……見ただろう。私も同じだ。私を寂滅できるのは、あのロザリーだけだ。まさか寂滅されるために、ここでロザリーが回復するのを待っていろとでも言うのか?」
ミランダを見る眼に…、そして俺を見る眼に…、見えていたあの優しさは偽りではない。まだ人としての心があるのなら、なにか救う方法があるはずだ。
俺はこの人を…救いたい。
「わかっています。あなたを拘束することは難しいとは…。ですが!血の繋がったあなたを!…悪魔にしたくない。まだ心に人としての心が残っているあなたを!悪魔にしたくないんだ!」
幼い頃、母から言われた事があった。
『ルシアン、お願いがあるの。私の兄が…』
『ローラン国王様?』
母は頷くと優しく微笑み
『ローラン国王はとっても繊細な方で、とても傷つきやすいのに、自分では気が付いていないの。だから、傷ついて泣きそうな顔でいる時は、(心が痛いと言ってますよ。)と言って、一緒に泣いてあげて』
今まで、俺にはわからなかった。
母を亡くした俺を、励まし守ってくれたこの人は…強く見えていたから、そんな弱さがあるとは思いもしなかったが、母の言う通りだ、仮面をつけ、寂しさを、そして傷ついた心を覆い隠し…見せない。
今なら見える。
先のない思いに苦しみ、聡明なこの人が悪魔との契約を結んでしまうほど…この人は寂しかったということが…今なら見える。
母上…
あの時の約束を今、果たします。
「ローラン王…。いや伯父上。母が言ってました。あなたはとっても繊細な方で、とても傷つきやすいことに、自分では気が付いていない。だから俺に母は…もしもそんな時に、俺がローラン王の側にいたら、心が痛いと言ってますよと言って、一緒に泣いてあげてと…。」
ローラン王は大きく眼を見開き
「……お前の中にも…スミラはいたんだな。」
そう言って、しばらく俺を見ていたが…
「ならば、なおさら行かせてくれ。」
「なぜ?!」
「考えたいのだ。いろんなことを…な。」
ローラン王の言葉に対して、俺は次に言うべき言葉が浮かばなかった。そんな俺の代わりミランダが
「いいわ。このままブラチフォード国にいろとは言わない。でも!」
ミランダはそう言うと…両手を握り締め
「私がこの国の女王となったら、必ずブラチフォード国に来て。私が必ず悪魔との契約を破棄する方法を見つけるから!必ず!!それまで…この国を離れることを許すわ。」
ローラン王は唖然としていたが、ふっ~と息を吐くと、泣いているような…でもどこか笑っているような…なんとも言えない顔になって
「…その話、楽しみに待っている。」
そう言って、木の上のミランダを見たローラン王は…笑みを浮かべ、唇を動かした。
「・・・・」
そして…その姿はゆっくりと消えていった。




