小さな針。
「叔父様!」
「殿下!」
片膝を床につかれたルシアン王子は、
「…大丈夫だ。」
そう言われて、頭を軽く振り…また「…本当に大丈夫だ。」と言われると、テーブルに手を置いて立ち上がられた。
大丈夫なはずはない。
ルシアン王子の青褪めた顔に、すべてが後手に回っていると思った。
だけど、どうすればよかったのだろう?
いや…これから先、私はどうすればふたりの主君を守って行けるのだろうか?
手の平に爪が食い込むほど握り締めていた手に、ミランダ姫の手が重ねられ「ダメ」と、ひとこと口にされると、今度はルシアン王子に向かって
「この眼で…ローラン王の心を見たいの。そして…そのローラン王が決めた叔父様の婚約者も…。」
ミランダ姫の言葉に、眼を見開いた。
アデリーナ様とお会いした時感じた、体の芯まで冷えるようなこの恐怖は、スミラ様に似ていらっしゃることで、ルシアン王子の心が、変わってしまうかも知れないと思う…怖さからだと思っていたが…
でもどこかで…、心のどこかで、私も思っていた。
もしかして…と
「…アデリーナは…」
口を開かれたルシアン王子は、無表情な顔でミランダ姫を見つめられて、「彼女は…違う。」そう言われた。
「どうして?どうしてそう思うの?」
「…青い瞳…青いドレス…。」
「えっ?叔父様?なんて仰ったの?」
ルシアン王子は抑揚のない声で
「仮面舞踏会の日、花影草の毒と腕の傷で意識が朦朧としていた俺に…アデリーナが『医者を呼ぶなと仰るのなら、殿下の右腕は、私に止血させてください。』……と、そんな彼女が…敵だとは思えない。」
チクッ
小さな痛みだったが、心に針が刺さった気がして、私は顔を歪めた。
どうして…あの日の記憶が…私からアデリーナ様になっているのだろうか?
思い出が…私を支える思い出がひとつひとつ…消えてゆく。
重なっていた小さな手が、私の手を力一杯握り
「婚約者を信じている今の叔父様に何を言っても無駄ね。でも…叔父様は信じてやらないといけない人を忘れているわ。」
「えっ?」
「私の騎士よ。『申し訳ありません。姫が何れ女王となられる日を見る事は叶わないかもしれません。』って、言って部屋を飛び出し、死ぬ覚悟で叔父様を助けに行ったの。」
「俺を…助けに?!」
ミランダ姫は頷くと
「例え、叔父様を助ける為とはいえ…死ぬなんて……絶対許さない。私だって…叔父様を守る秘密組織の一員なのに!一緒に戦うつもりなのに!ムチャクチャ腹が立ったわ。」
「秘密組織…?」
ルシアン王子のキョトンとした顔に、ミランダ姫は両手をルシアン王子の両頬に置くと
「私が…ううん、叔父様を守る秘密組織が、叔父様を、そしてブラチフォード国も必ず守るわ。これ以上、魔女たちに好き勝手にさせない!」
その言葉に、ルシアン王子の無表情だった顔に柔らかい笑みが浮ぶと、ミランダ姫の手に自分の手を重ねられ
「俺には…こんなに力強い味方がいたとは…。秘密組織のメンバーは誰なんだ?」
ミランダ姫の両手は、ルシアン王子の首へと…まるでルシアン王子を抱きしめるようにまわると
「隊長の私でしょう。そして侯爵と…ロザリー。」
そう言われて、ルシアン王子の赤い瞳を覗き込むと
「きっと思い出すわ。なぜ…ロザリーなのか…」
「ミランダ?」
ミランダ姫はにっこり微笑まれると、私へと視線を移し
「作戦会議よ。侯爵を招集して!」
きっと…この方は生まれながらの君主なのだ。
私は「はい。」と言う言葉しか出て来なかった。
「い・だ・い~!!」
突然、ミランダ姫の篭った声に、慌てて顔をあげると、ルシアン王子に鼻を摘まれたミランダ姫がいた。
ルシアン王子はミランダ姫に…そして私に微笑まれると
「何れはおまえはこの国の女王だが…今はまだ幼き王女だ。」
そう言われると、また優しい顔で
「戦いは…男に任せろ。シリル!」
「は、はい!」
「侯爵を呼んでまいれ。」
「ミランダ。俺はローラン王が、お前やシリルが言っているような方だとは思えない。だが、お前たちが俺を謀ることは…それ以上に思えない。だから、はっきりさせよう。お前とローラン王が会える様に、それも…ごく自然に…。」
ミランダ姫は少し赤くなった鼻をさすりながら
「望むところよ。私の大事な叔父様の記憶を操作し、この国に暗雲をもたらした罪は償った貰うから!」
…この国は安泰だ。
静かに頭を垂れた私に、おふたりの声が重なって聞こえた。
「ロザリー!」
「シリル!」
ミランダ姫の【ロザリー】と呼ぶ声に
ルシアン王子の【シリル】と呼ぶ声に
私はただ…
「はい。」と答えた。
シリル…か…。ルシアン王子が、私を呼ぶ声はまた私の心に小さな針を突き刺した。
…小さな、そう小さな針だ。
痛くなんかない。
そう…痛くなんかない。
わかっている。
小さな針だがそこに何本も、何十本も、そして何百本も刺さったら、どうなって行くのかわかっている。
でも気づきたくない。
眼の前のふたりの主君が、生きていらっしゃる。
その事が大事。
私は…シリル。
ロザリーは田舎の領地へと…帰ったんだ。そう…そしてもう二度とこの王都には戻っては来ない。
「もう~!!。やっぱり今!今、思い出して!!!」
ミランダ姫はそう言われて、ルシアン王子の頭をポカポカと殴られた。
私はその様子を見て……俯いた。
チクッ。
また針が刺さった。




