歪んだ笑み。
陛下の部屋の前のたどり着いた時、衛兵の肩を借りられて、ちょうどお父様が部屋から出てこられる所だった。お父様の無事な姿に、ほっと気息をついて安堵した私の姿に、気がつかれたお父様は微笑まれると軽く手を上げられた。
「お父様、大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
「いや…大丈夫だ。」
「良かった。ご無事と知れば、きっとお母様も安心されます。」
「お母様?…」
「お父様?いかがされました?」
それは…突然だった。
キョトンとした表情で、言われたのだ。
「お母様とは…?」
一瞬、その言葉の意味がわからなかった。
「えっ?なにを言っておいでなのですか?!」
「お前の…母ということなら…わ、私の妻か?!」
「…何を!…何を言っておいでなのです?!!」
「…なんてことだ…名前も…いや顔も思い出せない。わ、わたしは妻がいることも…忘れてしまっている…どうして?…」そう言って、左手で頭を抱えられた。
いったい…なにが…いや、何をされたの?
あぁ…どうしたら…良いのかわからない。
お母様の不安な気持ちを抑えられた、あの手紙が、インクが滲んだ手紙が、頭に浮かび…心が大きく揺り動かされる。
どうして…お母様だけを…。
あんなに…お父様を愛していらっしゃるお母様だけを……忘れるだなんて…。
忘れられる。
愛している人に忘れられるなんて、あまりにも…悲しい。
お父様が悪いわけではないが、【どうして、お母様なのですか?!】と思う気持ちで、お父様を見つめてしまった。
頭を抱え、うずくまるようなお姿のお父様。
あぁ…違う…。
可哀想なのは忘れられたほうだけではない、忘れたほうも…同じなんだ。
黙って、お父様の体を抱きしめると、お父様の体が震えていた。
いつも、なにがあっても、どこか飄々としているお父様が…。
こんなに小さくなって震えていらっしゃるとは…。
だが、このまま屋敷にお父様を戻すわけには行かない、
これではあまりにもお母様が…いや、おふたりが……可哀想だ。
息を吸った。こんなときだから、深い深呼吸をした。
動揺するな。と心に言い聞かせて、私は人を呼び、お父様を宮廷医に見てもらうように言うと…部屋を借り、侯爵家に使いを出したいと頼んだ。
担架に乗せられ、運ばれてゆくお父様を見て、そっと…拳を握り締め
「許さない。」
そう口にして、涙を溜めた眼を両手で強く擦り、その手で両頬を叩き気合を入れると、お母様への手紙を急ぎ書き、使いの者へと預けた。
陛下の部屋の前の大勢の人達は、不安そうな顔で口々に(どうなるのだろう)と言っていたが、徐々に、その人の数は減って行き、もう残すの人は衛兵と医療関係の者ばかりだった。
だが…その者達も、時折立ち止まっては陛下の部屋を見ていた。
誰もが…王家が揺らいでいる事に不安なのだ。
陛下を殺そうと日中、それも王大后と王妃が…あのような姿で…現れれば、誰もが思うだろう。
そして、私もそのひとりだ。
不安だ。
いったい…どうなってゆくのだろう。この国は…
お母様へと書いた手紙を思い出し……俯いた。
****
お父様はご無事ですが、国を揺るがす事件が起こった為、お父様にも、力をお貸し頂きたいとおっしゃる重鎮の方々の声に、しばらく城にて待機される事になり、屋敷には、しばらくはお戻りになられそうもありません。ご心配だと存じますが、どうかご安心くださいませ。
****
全部が全部、嘘ではなかったがその内容を思い出すと、暗くなりそうで、小さな溜め息を零れそうだった。
どこが…【どうかご安心くださいませ。】だ。
思わず、眼を伏せた先には握り締めた手があった。
この手から…すべてが零れ落ちるような気がして、怖くて堪らない。
だが、一粒でも握り締めてやる。この命にかけて!
その言葉を繰り返し、胸のうちで言っていたが、それが…声として聞こえた。
「命をかけてくれた侯爵には、申し訳なかった…。」
「えっ?」
私に声をかけられた方は、唇に笑みを浮かべて近づいて来られたが、その笑みの冷たさに…私は心の中で笑った。
ルシアン王子と血の繋がりがあるこの方を、遠くからお見かけする度に、ルシアン王子に似ていらっしゃると思っていたが…とんだ勘違いだった。よく見れば、あの眼の冷たさもだが、なにより漂うものが異様だ。
「お前が侯爵家の…シリルか?」
「…はい。ローラン国王陛下。」
私はゆっくりと跪いた。
そのゆっくりとした私の動作に、ローラン王は…
「どんなときでも、冷静さを保つその精神力はさすがだな。」
クスクスを笑われたローラン王に…
「お褒めの言葉、ありがとうございます。」
無礼だとわかっていたが顔を上げ、ローラン王を見た。
私の推測が間違いないなら…この方が黒幕。
確かめたい。もしそうなら…クスクスと笑うその口を…一発…
そう思ったら、口元が緩んだ。
ローラン王の眉が上がったのを見て、また笑みを浮かべると
「恐れながら、教えて頂けますか?中でなにがあったのか?」
私の余裕がある笑みに…少し驚いたようだったが、「気に入った。」と小さな声で言われると
「父になにがあったか、気になるのは当たり前だ。
私がブラチフォード王の部屋へと駆けつけた時、ちょうど王大后と王妃の体が……崩れかかっていたのだ、驚いた…まさかこんな事があるのかと、呆然としていた私は、一緒に入って来てくれた侯爵とふたりで動けずにいたときだ。私の後ろから…」と言われ黙り込まれた。
何が言いたい。
いや…何を言って、私を誑かそうとしているのだ。
(…これか…?)
私はローラン王の首筋の赤い線に目を細め
「ではその傷は…」
「あぁ…そうなのだ。王太子に後ろから襲われて…」
「王太子様が…?」
まさか…ここで王太子様の話が…出てくるとは…
ローラン王は頷くと、視線を私の斜め後ろへとやられた。
そこには、お父様と同じように担架に乗せられた方がいたが…その姿を隠すように、周りを人で囲んで運ばれて行っている。
「部屋に…王太子様もいらしたとは…」
「そうなのだ。王太子はなにかに操られていたのだろうか、お人がまるで別人だった。
私の首にナイフをあてながら、王太子は侯爵に言われたのだ、まるでならず者ような口ぶりで『この国を潰すために、国王を殺す。いいかウィンスレット、邪魔をするな。邪魔をすればローラン王の首を切り裂く。』…と、だが…力加減がわからなかったのであろう。この通りだ。」
「そうでございますか。」
その赤い線はローラン国王の首の右側から、薄く切られていた。
後ろから襲われたと言われた。
右利きがナイフで相手の後ろから襲ったら、間違いなく刃先は左の首から入る。
だが、傷は右の首から入っている。ならば…それは相手が左手で切ったということだ。
王太子様は…右利きだ。
王太子様ではない。
おそらく、すべてを知ったお父様だ。
お父様を剣の師と仰ぐ私は、レイピアとタガーナイフを使うことをお父様から仕込まれた。それはもちろん、お父様が右も左も使えるということ、そしてその腕前はどちらも一流だ。
…お父様だ。右肩をエイブに撃たれてつかえない今、左手を使われたはず
やはり間違いない。
この企みの筋書きを書かれたのは、ローラン国王だ。
でも、なぜ…こんな事をされるのだろうか。
昔はローラン国は、ブラチフォード国の属国と揶揄をされていた頃もあったが、今やその勢いはブラチフォード国など目ではない。そんな国をどうされたいのだ?ましてや甥であるルシアン王子がいる国を?
それもエイブが言っていた修道女に、魂のない体を持つ者達を作らせてまで…
確かに、魂のない体を持つ者達に、あの…銃という武器を使えば、剣の腕がある騎士達でも…勝てないだろうが…。それはかなりのリスクだと思う。
give and take
そんな不気味な女が、タダでローラン王と手を組むことなどないだろう。
何を求めてくるかを考えると、恐ろしくて係わり合いになりたくはない。
そんなリスクを考えるより、国を挙げてブラチフォードに進軍したほうが断然良い筈だ。今や軍事大国のローラン国なら、ブラチフォード国を力で、簡単にねじ伏せることも可能だ。
だったら、なぜ…
黙って、ローラン王の話を聞く私に、
「…シリル。」と私の名を呼び、クスリと笑うと
「お前も大変だな。」と言って、私へと手を伸ばされた。避ける事も出来ず、ローラン王の指先が顎の下に入ったが、黙ってされるがままでいた。
「私はウィンスレッと侯爵家の嫡男です。どんな時も国のために、命をかけることを大変とは思ってはおりません。」
ローラン王は大きな声で笑うと
「いや、そうではない。そうではないのだ。」
「…えっ?」
「まぁ…良い。早くルシアン王子に会って、無事を確かめたいだろう。部屋での出来事はそのあとでまた話そう。行って参れ。」
確かに…ルシアン王子にはお会いしたい。でも…なにか変だ。なにか…
ローラン王は私から離れると、
「ルシアン王子もそろそろ気が付いている頃だろう。」そう言われて、私に背を向け歩いて行かれた。
その背中を見ながら、なにか変だと思いつつ、だが「お会いしたい。」そう口にしたら、私の足はもうルシアン王子の部屋へに向かっていた。
走って行く足音に、ローラン王は嬉しそうに笑みが浮かべて、ゆっくりと振り返ると
「肝が据わった女だと思ったが…男の格好をしていてもやはり所詮女か。惚れた男しか見えていない。あぁ…面白い女だと思ったが、あの化け物といい…女と言うものは愚かなものだな。」
そう言って、唇に歪んだ笑みを浮かべた。




