揺れ動く心
その場に留まることはできなかった。
眠られているミランダ姫を抱きしめ、誰かに言い訳するかのように「…ミランダ姫をお部屋に…」と繰り返し言いながら、どこにも逃げる場所などないのに、どこにも泣ける場所などないのに…
私は……逃げ出した。
「…なにをやっているんだろう。」
彷徨い歩いていた私の足は、ミランダ姫のお部屋と続く長い廊下で、行き場がない事に、ようやく気がついたかのように止まったが、それでも涙を溜めた眼は、まだあきらめきれずに、泣いても良い場所を探し、辺りを見回していた。
だが廊下の窓に映った自分の姿に…大きく見開き
…止まった。
「ぁ…あぁ…」
長い廊下の窓ガラスに映っていたのは…ミランダ姫を抱えた騎士。
「私は…ほんとに…なにをやってんだろう。」
唇を噛んだ。涙が零れないように強く、強く。
紺色の騎士の服を着た私が、泣くわけには行かない。
こんな姿を誰かに見られたくない。
だって、私は騎士だもの。
ミランダ姫のそして…そして…ルシアン王子の騎士だから…
カッコ悪いところは見せられない。
泣くのなら、泣きたいのなら…ロザリーに戻ってから。だから…泣いちゃダメだ!
更に唇を噛み、私はゆっくり歩き出すと、眠っていらっしゃるはずのミランダ姫の小さな唇から「おじいさま…」と陛下を案じる声が零れた。
夢の中でも、姫は…心休まる事はないんだ。
自分の力の無さが情けなかった。
重い足をただひたすら動かして、ようやくミランダ姫の部屋に辿りつくと、真っ青な顔で、座り込んでいる…先客がいた。
「……ハリル?」
オロオロとするキャロルさんの横で、頭を下げたのは…ウィンスレット家の家令ハリルだった。
「どうして…ここに?」
「奥様から、ここにシリル様が何れ戻られるはずだからと…」
ハリルはそう言って、封書を私へと差し出した。
「母上から?……なにがあった?」
ハリルは乾いた唇を湿らせ、
「よくわからないのですが…ただ昨夜遅く、旦那様が屋敷を出られ…」
「ま、待て、父上が昨夜遅く屋敷を出られたと?」
「はい。でも今だお帰りにはならなくて、連絡もなくて心配しておりましたら…今朝、騎士団から城内での出来事を知らせてきたのでございます。そのお話を聞かれ奥様は顔色を変えられて、このお手紙をシリル様に、必ずミランダ姫のところに戻って来られるはずだから、届けるようにと仰られて。」
ミランダ姫をキャロルさんに預けると、表書きに書かれた文字が乱れていたことが眼に入り、嫌な予感が背中に走った。
****
昨夜、ルシアン殿下とあなたが城にいないということは、陛下や王太子ご夫妻が狙われる危険性が高い。だから私が代わりに城に行かねばならないと仰って、城へと向かわれました。
ですが…
今朝ほど、騎士団からの知らせでは、城に向かわれたはずの旦那様の事をどなたもご存知ないのです。陛下や王太子ご夫妻をお守りすることなく、行方知れずということは、誇り高き騎士の旦那様にとっては不本意なこと。
騎士としての誇りこそが、旦那様のアイデンティティなのです。だから今、国の危機に、妻として、人生のパートナーとして…誇り無き死を旦那様に迎えさせることはできません。
もしこの手紙を読むことが出来たら、どうか旦那様に…誇り高き騎士の道を歩めるように、助けてください。
戦いに赴くあなたの心に、不安の欠片さえも残してはいけないとわかっていながら…ごめんなさい。
****
ところどころ、インクが滲んだ文字に、本当のお母様の気持ちが溢れているのに…気丈に書かれた手紙が悲しかった。
「無理をなさって…」
その封書を握り締め、眼を瞑った。
冷静に…冷静に状況を判断しなくては…
お父様を殺そうとするのなら、ルシアン王子同等の腕の者か、あるいは小隊(30人)並みの人数が必要だろう。だが、私とルシアン王子が城に来るまでの間、それだけの人数と争ったあとなどなかった…だから昨夜、城に向かう途中で襲われたとは思えない。いや城内でもだ。あれば城の中の者とて気づくはず…。
敵の手に落ちた?!
いや…お父様ほどの腕の方を攫うようなリスクを犯すくらいなら、どんな手段を使ってでも殺したほうが安心だ。
では…どこかに潜んでいらっしゃる?
ならばなぜ…出ていらっしゃらない?
私やルシアン王子が城に戻ったことは、城内の騒ぎでわかるはず。
出て行きたくても……出れない?
出てこれない場所とは…どこだろう?
いやどういう状況なのだろう?
出てこれない…あっ!…
ぁ…息が止まりそうだった。
まさか…
でも…そうだったなら…お父様は出てこれない。
「…ハリル。」
「はい。」
「母上にご心配は無用。父上はやはり敬愛する騎士です。と伝えてくれ。」
「はい。」
ハリルは立ち上がると、頭を下げて部屋を飛び出していった。
私はハリルが飛び出して行った扉を見ながら
「キャロルさん、私は少しミランダ姫から離れますが、誰が来ても…この部屋には通されませんように。」
「は、はい。」
「それは、例え…」
そう言って、キャロルさんへと振り向いたと同時だった。
ドンドン!扉を叩く音が部屋に響き、私は張り詰めた心に、(落ち着け…まだ敵が動くのには早い。)と言い聞かせ、軽く息を吐いて扉に手をかけようとしたが、扉が開くのも待ちきれないように、先程部屋を出たハリルの声が、扉越しに聞こえてきた。
「た、た、大変でございます!!ルシアン王子が…王子が!陛下のお部屋で突然意識を失われたそうです…皆が!騒いでおります!」
握っていた封書が…手の中から落ちていった。




