いざと言う時は…古武術で
目元を隠していた仮面が床に落ち、私は慌てて顔を手で隠そうとしたら、今度はその手をルシアン王子に掴まれた。
苦しいそうに息を吐きながら
「名は…なん…と…言う…。」
私は小刻みに頭を横に振り
(い、言えないんです…言ってしまうと、いろいろと問題が…)
揺れる赤い瞳に青い顔の私が移り、顔をそむけようとした途端、赤い瞳は瞼の下に隠れ、私の手を握っていたルシアン王子の手は力をなくしたように離れていった。
「殿下?殿下!!」
叫んだ私に、体を預けるように倒れたルシアン王子には、もう意識はなかった。
「殿下!」
もう一度呼んだが、動かないルシアン王子に、5歳からやっている古武術で体を返し、ルシアン王子を仰向けにして、呼吸と心音を確認した。
「大丈夫…呼吸も心音も…大丈夫。」
良かったと大きく息を吐き、安心したらルシアン王子の体に覆いかぶさるようにいる、自分の状況に顔が赤くなった。
…ときめくようなシチュエーション。
きゃぁ~と心の中で叫んだ声だったが…。
『なに?古武術は嫌だと?古くからわが国に伝わる武術である【古武術】は必ず役に立つ。いざと言う時、自分より大きく重い人でも、筋力に頼らず、思うように動かせるんだ。そして己の体に負担をかけにくい。この武術こそ、ロザリーお前にぴったりなんだ。』
と言っていた…お父様の声で、心の中の叫びが…そしてときめきが掻き消されていった。
5歳の頃は楽しかった。でも10歳を過ぎる頃…ふと思った。
いくら、いざと言う時といっても、一応侯爵令嬢の私が自分より大きく重い人を抱えることがあるのかと…。
確かに!いざと言う時…ありました。お父様。
今私は、ルシアン王子をこの【古武術】で、どうにかこうにかベットに運んでおります。
確かに!役に立ちました。
でもなんだか…ちょっと違うんです。思っていたのとは…。よく聞く、王子様に抱きかかえられる貴族の令嬢というパターンとは違うんです。
逆、逆なんですよ。
さすがに王子様を、抱きかかえるまではいかないけど、王子様の脇の下に頭を入れて、王子様の腰に手を回し、体全体で回すようにして、ベットまで運ぶ侯爵令嬢。
どんどん女から…恋から…遠ざかって行く気がするんですけど…。
倒れた王子様を解放する侯爵令嬢、このときめくようなシチュエーションで、妄想ぐらいしたかった。ハァ~。
でもこんなことを考えるのも、ルシアン王子が思ったより容態が安定しているからだもん。
まぁ…良しとしなくちゃね。
部屋の隅に放り投げたハイヒールを手に取り、引きちぎった左袖をちらりと見て
「でも、もう少し…最後の夜は、女性としていたかったなぁ。」
と呟きながら、未練がましくハイヒールを履く自分の行動に苦笑し、もう一度ベットで横たわるルシアン王子の脈を診た。
「大丈夫。安定している。」
と言ったはみたが、その首筋を囲むように広がっている、赤く小さな斑点に視線を移し、顔を歪めた。
レイピアは切ると言うよりも刺す剣、それが刺されたというより、刃先が当たったと言う感じで切れたようだから、傷のほうは大丈夫だろうけど…
問題は毒のほう、毒に対して耐性があるといっても、嘔吐感もあるようだし、血も止まりにくいみたいだった。そして首筋を囲むように広がっている…赤く小さな斑点。これは花影草の毒のように見えるんだけど…もしそうだったら…大変な事だ。いや、ルシアン王子を狙おうとしたこの時点で、もう大変な事が起こっている。
とにかく、お父様にお知らせして、信頼ができる医者に見てもらわないとマズいわ。ルシアン王子の体調は落ち着いているようだけど…素人判断だし。
…と立ち上がった時、タイミングよく
「殿下!ルシアン殿下!!」
ドアを二度ほど叩くと飛び込んできた御仁は…私を見て、目を見開き
「ロ…ザ」と言って、慌てて口を押さえたが、ベットで穏やかな呼吸で眠っているルシアン王子を見ると…うっすらと涙ぐみ、
「ロザリー!さすが私の娘だ!」
言ってはいけないその言葉を、大きな声で叫んだお父様に、もう笑うしかなかった。