03.素晴らしき哉、ニャン生
真っ白な体毛。青の瞳。ピンクの鼻と肉球。
それが、新しい僕の姿だった。
……って、いやいやいや。
確かに死ぬ直前、生まれ変われるなら愛嬌のある姿で、と神様的な存在にお願いした覚えはあるけれど、まさか猫だとは。人間じゃないとは。
さすがに想定外過ぎて、困惑するばかりだ。
と言いたいところだったが、やはり身体が子猫なのか、気付けばうつらうつらと夢の中。そんなことを繰り返していると、まあいいか、と思えてしまうあたり、僕も案外いい加減な人間なのかもしれない。
いや、違うか。今は猫だった。
そして、驚くほどに猫の身体がしっくりくるのだ。
四つ足で歩くことはもちろん、耳の動かし方やヒゲのセンサー機能も直感的に分かる。何の違和感もない。むしろ、人間だった頃の記憶があるのが不思議なくらいだ。
と、一通り自分のことが把握できたところで、続いて環境の確認。
子猫である僕の世話を主にしてくれるのが、赤毛の少女・クレア。先日、八歳になったばかりで、外遊びが大好きな女の子。
そして彼女こそが、僕を保護してくれた大恩人だ。
話を聞く限り、どうやら僕はこの家の裏手でうずくまっていたらしい。親とはぐれたのか、あるいは捨てられたのかは不明。もちろん、僕にもそのあたりの記憶は一切無い。
そんな僕を、クレアが家に連れ帰り、両親を説得し、テトという名を与え、四人目の家族として迎え入れてくれた。
本当に感謝してもしきれない。
まあ、裸同然の格好で家の中を歩き回るのだけは、勘弁してもらいたいが。そういう性癖はないが、さすがに目のやり場に困る。
だが残念ながら、それを伝える方法がないのが現状だ。
何度か試してみたが、やはり声帯が違うのか、人間の声は出せない。どんなに頑張っても、出るのは鳴き声だけ。
じゃあ、文字で伝えるのはどうか。木のテーブルか何かを爪でひっかき、その傷を文字にすれば想いは伝わる。
そんなことを考えていた時期も、確かにありましたよ。ええ。
結論から言えば、その作戦は失敗に終わった。
まあ、あまりもったいぶってもアレなので、さっさと言ってしまうが、どうやらここは異世界らしい。
日本国でもなければ、地球でもない。同じ宇宙にあるかどうかは、ちょっと分かりかねるところだが、とりあえず世界が違う。
確かに、違和感はあった。
クレアも、彼女の両親も、時々やってくるご近所さんも、みんな容姿は完全に外人さんなのに、全員が流暢に日本語を使いこなしている。
しかし、その認識は逆だった。僕が勝手に、日本語として聞き取っているのだ。
もしかしたら、猫としてこの世界に生まれ落ちたオプションで、自動翻訳的な何かが機能して、言葉を変換してくれているのかもしれない。
ただし、その自動翻訳も完璧じゃあない。聞こえてくる分にはいいのだが、見る分には機能不十分だった。
つまり、この世界の文字が読めないのである。
ずっと模様だと思っていたものが文字だと分かったときは、本当に驚いた。まるで見たことのない文字だったから。
しかし、高校英語すらあやしい不勉強な僕だ。見たこともない文字など当然、世界には無数にあるだろう。
だからこの時点では、まさかここが異世界だとは思いもしなかった。そんなことをすんなり受け入れられるほど、僕の日本人、あるいは地球人としての人生は薄っぺらくない。
だが、しっかりと耳を傾ければ聞こえてくる『魔法』だの『騎士』だのといった単語に、その考えは改めざるを得なくなった。
もちろん、クレアがそれを口にする分には特に何とも思わなかっただろう。八歳と言えば、まだまだ夢見るお年頃だ。
だけど、大の大人が真面目な顔をしてする話としては、さすがに聞き流せない。
流暢に日本語を話す外国人、見たことのない文字、どこにも見当たらない電子機器、中世ヨーロッパ風の生活様式、魔法、騎士。
ああ、ここは異世界なのか。
そう思うと、あっさりと全ての違和感は消えてなくなった。
しかし、よくよく考えてみると、ここが異世界だろうがどこだろうが、僕にとってはあまり変わりがなかった。
寝る、起きる、ごはん、寝る、起きる、遊ぶ、ごはん、寝る。
どうやら猫の生活は基本、どこの世界でも一緒らしい。
だから、そもそも意思の疎通を図る必要もない。これ以上を望もうなんて、罰が当たる。
自由気ままな飼い猫生活。これが野良だったら、かなり過酷なことになっていただろうから、本当にクレアには感謝だ。
それに何と言っても、いくら寝ていても怒られないのだ。
目覚まし時計に起こされることも、残業で睡眠時間を削られることもない。
気が向いたときに起きて、可愛さを振りまくだけの簡単なお仕事。それだけで三食昼寝付きの衣食住(自前の毛皮があるので『衣』はないけど)が保証される。
これ以上素晴らしいことがあるだろうか。
いや、ない。断じて、ない。
ああ、素晴らしき哉、ニャン生――である。