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01.ヒトだった記憶



 吾輩は社畜である。名前は、しがない平社員A。

 日本生まれ、日本育ちの生粋の日本人。


 ……のはずなんだが、どうやら神様の手違いにより、僕の顔面には醤油が垂らされなかった。

 いや、もしかしたら垂らしてくれたのかもしれないけど、その後、ソースやらケチャップやら古今東西・和洋折衷の調味料で味付けされ、その結果、凶悪な顔が完成した。人よりもかなり大柄だということも相まって、いっそ極悪と言っても過言ではない。

 だから、小学校のときのあだ名は『ビースト』。

 イメージを変えようと笑顔を心掛けたところ、中学では『バーサーカー』という呼び名が。ケンカもしたことないのに。


 しかしまあ、そんな僕ではあるけれど、普通に家族はそばにいてくれたし、愛してくれた。

 友達だって普通にできたし(みんな絶対「最初は怖いヤツだと思ってた」って言うけど)、そこそこ勉強も頑張って、無難に高校・大学と進学して――現実に直面した。

 就職活動だ。

 そこで僕の顔面は、牙を剥く。

 いや、もちろん、こちらにそんな意思は微塵もないし、ましてや実際に牙が生えているわけでもないのだけれど、受け取るあちらはそうは思わない。思えない。

 やはりどうしたって、僕の顔は怖いのだ。

 とにかくまず、履歴書の写真で落とされる。担当者に直接伺ったわけじゃないけど、十中八九そうだろう。

 そして奇跡的に面接にこぎつけても、そこでまた不採用。今後のご活躍をお祈りされる。友人曰く、生だと五割増しで怖いらしい。

 だからもう、その後はとにかく数。天文学的確率を引き当てるには、それしかなかった。

 もちろん、就きたい職業がなかったわけじゃない。

 ひどくぼんやりしたものだけど、将来の設計プランみたいなものも確かにあった。

 だけど先立つものがなければ、そんなのは机上の空論。絵に描いた餅のホログラムの蜃気楼だ。

 だから、採用通知が届いたときはすぐに食らいついた。

 そこに、真っ黒な釣り針が仕掛けられているとも知らずに。


 まあ、シンプルに言えば、ブラック企業だったわけだ。

 一日は二十四時間で終わらず、通常業務という名の休日出勤。労基法という観点から言えば、ここはとっくに治外法権だ。

 そして上司は、そのまた上司のご機嫌取りに余念がなく、その上司もそのまた上司にと続き、最終的には社長もまた、大企業のご機嫌取りに余念がないから、誰一人として下なんか見てる暇がない。

 もちろん、入社してすぐに危険な香りはした。早々に逃げ出すことも考えた。

 だけど、僕には後がない。

 新卒からの即ジョブチェンジはどうしたって印象が悪いし、その上、装備は凶悪な顔面。しかも、呪われていて外せないときてる。

 だから、栄養ドリンクと眠気覚ましのコーヒーの二刀流スキルで、とにかく頑張った。

 とりあえずは、ある程度の社会経験。

 それがあれば転職も少しは有利に進むはず、と。


 そして、その年の冬の始め。一日の平均睡眠時間が四時間を切った頃。

 その日は珍しく仕事量が少なく、終電に十分間に合う時間で帰れることとなった。

 ちょっとした奇跡のレベルである。

 だから同僚の一人が「雪でも降るんじゃないか」なんて言ったら、そこでまた奇跡が起きた。この地方としてはかなり早い初雪が降ったのだ。

 まったく、神様もなかなか粋なことをしてくれる。

 と、素直に喜べれば良かったのだが、夕方頃から降り出した雪は一向にやむ気配を見せず、僕が会社を出るときには、辺りは真っ白と化していた。

 マズい。これは非常にマズい。

 こんなに降られては、交通機関が麻痺してしまう。きっと今頃、駅は大混雑だろう。

 しかし、だからといって、こんなチャンスを逃すわけにもいかない。

 この時間で家に帰れれば、六時間は寝れるのだ。

 だから、とにかく一本でも早い電車に。その一心で、僕は帰路を急いだ。

 それに、こちらには秘密のルートがある。

 大きな池が中央に鎮座する、駅の近くの公園。みんなここを迂回して駅に向かうのだが、実は池に沿った道を進み、途中にある植木の密集地帯を抜けると、駅へショートカットできるのだ。


 だから駅に向かう人波から逸れ、僕は公園に足を踏み入れた。

 さすがに大通りと違い、公園内は街灯の数が少なく、オフィス街の中にあってもそこそこ暗い。しかも、この寒さとあって、人影はまるで無い。

 ……いや、違った。

 一人、僕の前を足早に歩く女性がいる。後ろ姿的にOLさんといった感じで、おそらく狙いは僕と同じくショートカットだろう。

 知る人ぞ知るコースなので、若干の悔しさと共に嬉しさもある。

 しかしまあ、女性というのは、よくあのヒールという履き物でああもツカツカと雪の上を歩けるものだ。生まれ持った体幹が違うのだろうか。

 と、感心したのも束の間。

 踏み込んだ足が横滑りし、そのまま女性はその場にくずおれてしまった。


「だ、大丈夫ですか?」


 目の前で女性が倒れていたら、すぐに駆けつけるのが男というものだ。……実践するのは初めてだが。

 だから僕は、重要なことを忘れていた。


「すいません。ありが――ひぃっ!」


 短い悲鳴と共に、胸には衝撃。

 バッグを振り回され、ぶつけられたのだと理解したときには、僕は尻餅をついていて、女性は一目散に駆け出していた。

 ……いや、まあ、これは僕が悪い。

 こんな暗い中、急に凶悪な顔が現れたら誰だって驚く。深夜にトイレに起きて、不意に鏡を見たとき、自分でもびっくりするんだから。

 それに、女性に怪我が無いようで何よりじゃないか。捻挫してたら、あんな猛ダッシュはできないだろう。

 だからまあ、とりあえず立とう。お尻が冷たい。

 と、腰を上げようとした瞬間だった。


 ぐわん、と歪む視界。立ちくらみだ。

 だが、こちとら常日頃、寝不足とは固い握手を交わしている仲である。対処法については抜かりない。

 だから、ひとまず目眩が落ち着くまで踏ん張って――と、足に力を入れたら、ずるりと地面が動いた。

 そうだ。そうだった。

 今さっき見たばかりだろうが。

 雪は、よく滑るのだ。

 しかし、今さら思い出したところでもう遅い。

 身体が傾いた先には、池を囲う柵。だけど子どもの背丈くらいしかないそれでは、無駄にデカい僕の図体を受け止めることなどできやしない。


 次の瞬間、聞こえてきたのは、水中特有のくぐもったドボンという音。

 ギュッと誰かに握りしめられたかのように、心臓が軋む。

 そのおかげか、痛みや冷たさは感じない。ただただ、ゆっくりと暗闇に沈んでいく感覚だ。


 ……ああ、これはダメだな。

 我ながら冷静過ぎだろうと思いつつも、そう考えてしまう。

 水の感触はもちろん、音も、匂いも、味も、何も感じない。唯一見えている真っ暗な世界だって、本当に見えているのか怪しいものだ。

 そういえば、こういうとき人は走馬灯を見るらしいが、そもそも走馬灯というものがよく分からない僕には、どうやらその資格はないらしい。事前に調べておかなかったことが悔やまれる。

 しかしまあ、決して長くはないけど、かと言ってそれほど短くもない人生だったな。

 後悔も未練も、そりゃあ山のようにあるけれど、こうなったら諦めるしかない。あとはただ、自宅のパソコンに残る検索履歴が、誰の目にも触れらないことを祈るばかりだ。

 そして祈りついでに言えば、もし生まれ変われるなら、今度はもう少し愛嬌のある姿をお願いしたい。

 誰からも愛される、なんて贅沢は言わないから、せめて初対面の相手に驚かれないくらいで。慣れはしたけど、案外僕だって傷付いていたのだ。

 だけどもう、それもおしまい。

 めでたしめでたしとは程遠いデッドエンドだけど、そこまでのバッドエンドでもない。良くはないけど、悪くもない。


 これでようやく、ゆっくり眠れるんだから。



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