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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
一章
9/32

9

 廊下を駆け抜け、その先の階段を一気にくだる。私のすぐ後ろには追いかけてくる要の姿が見えた。

 あと少しで一階に到着するというところで、要に追いつかれた私は腕を掴まれた。彼が少し腕に力を込めるだけで、簡単に私の腕が軋む。

「放してよ」

 息を切らして振り返って私はおどろいた。肩で息をしながらこちらを睨む要は、眉間に深い皺を何本も寄せて、殺気に似た不穏な気配を漂わせている。

「俺の話も聞かずに逃げやがって」

「私にはもう話すことなんてない。帰るからこの手どけて」

 掴まれていた腕を振り払おうとするが、逆に強く引き寄せられ要の胸に頭がぶつかった。離れようともがいていると、彼が私の腕を口許に近づけ、大きく口を開けた。そこから白く鋭い犬歯がチラリと覗く。

 その一瞬で、彼にさんざん噛みつかれている記憶が蘇り、冷や汗が吹き出る。

 あ、これはまずい……

 そう思ったとたん、ガブッという音が聞こえてきそうなほどの勢いで、要が制服の上から私の腕に噛みついた。

「痛った!」

 大きな顎が制服越しに私の腕を捕えてギリギリと食い込む。服の上から与えられる痛みは、いつものように飛び上がるほど鋭い痛みと違って鈍い。しかし、じわりじわりと蓄積され、噛まれた場所がしだいに熱をおびてくる。

 昔から要よりも口が立つ私は、ケンカをする度にことごとく言い負かしてばかりいた。そんなとき、彼はひとりで静かに怒りを鎮めていたが、今日はどうやら抑える気はないらしい。

 私がどんなに身をよじっても、彼の足を蹴飛ばしても、要は腕に噛みついたまま離れない。

「も、やめ……ほんとに、痛いってば」

 息を詰めて懇願するが、要は口を離さない。走っていたせいで荒い息のまま、怒りをむき出しにして唸っている。その姿は、まるで本物の野犬そのものだ。

「ごめん、もう逃げないから――要の話もちゃんと聞くから」

 弱々しくそう呼びかけると、ようやく要は私の腕から顔を上げた。まだこちらを見つめる瞳には、苛立ちが隠しきれないが、どうやら人間らしい理性は取り戻したようだ。

 ズキンズキンと痛みを訴える腕をさすると、要は乱暴に口許を拭ってから、こちらに向き直った。

「なんで逃げた」

「それは……」

「お前にそういうことされるとすげー傷つく」

「ごめん」

 私は頭を下げた。本当に傷ついた顔をしてこちらを睨みつけてくる要を見ていたら、彼への罪悪感が湧いてきた。

「こんど俺を避けたら、どこまでも追いかけていって、嫌っていうほど噛み跡つけるからな。それでもいいっていうなら、逃げてみろ」

 低い声で脅す彼の目はかなり据わっている。今度怒らせたら本当にやりかねないので、私は何度も頷きながら、もうこんな追いかけっこは二度としないと心に決めた。

「でも、俺もちょっとやりすぎた。ごめん」

 要はふいに視線を逸らし、口の中でもごもごと呟く。

「それから、さっき俺が近藤のことで謝ったのは、こっちのゴタゴタした女関係にスミレを巻き込んだからだよ」

「え?」

「いままでは、言い寄られたときにお前に迷惑がかからないよう、けっこう上手く対処できてたんだ。でも、近藤はどうも俺の話を聞かないところがあるみたいで……」

 そういって首をすくめる要を、私は驚きの目で見つめていた。 

「近藤さんに言い寄られてる自覚あったんだ。それに、今までにも似たようなこと経験済みなの……?」

「当たり前だろ。悪いけど俺、だいぶ前からかなりモテてたから、自分に向けられる好意には敏感なんだ。近藤は告ってこないだけで、あからさまに俺にアピールしてくるからわかりやすい」

「そうなんだ」

 たしかに、近藤さんはことあるごとに、要にぴったりと寄り添っていたので、かなりわかりやすかった。

「迷惑かけたくなかったんだよ。スミレはこんな狂暴なくせに人間関係は妙に臆病だから、面倒くさいことがあるとすぐに見切りをつけて距離を置くだろ。だから、そういうところをお前に見られたくなかったんだ」

 要の言う通り、私は人間関係がこじれることが苦手だ。だから、そういう雰囲気を感じたら、険悪になる前に逃げてしまう癖がある。要にそれを見透かされていたのは少し驚きだ。

 でも、そんな消極的な人間関係しか築いてこなかった私なのに、近藤さんに宣戦布告されたときに逃げ出そうとは思わなかった。臼井君にも「こっちが大人になって言うこときいちゃえば」と言われたときでさえ、そうしようとは思わなかった。けっきょく私にとって幼なじみとは、自分で思っている以上に大切な存在だったらしい。

 要はこちらを窺うようにチラチラと視線と寄こしている。どうやら、自分も距離を置かれるのかと心配しているらしい。

 私は彼の袖を掴んで口を開いた。

「ねえ、ちょっと確認。要は近藤さんのこと好き?」

「まさか」

「告白されたら付き合いたい?」

 要は黙って首を横に振った。

 私は彼の答えを聞いて考える。要とは、今の関係を続けていきたい。友達と呼ぶには曖昧だが、誰にも遠慮する必要がないなら……

 わたしはおそるおそる口を開く。

「それじゃあさ、近藤さんの宣戦布告、受けて立ってもいいのかな?」

「は? 宣戦布告ってなんだよ」

 私は以前、図書室で彼女と話したやり取りを要に聞かせた。すると、初めは訝しげに聞いていた要だが、だんだん顔色が青ざめていった。

「女って恐ろしいな……。それにしてもお前、ずいぶん我慢してたんだな」

「だって仕方ないでしょう。たとえ一方的に売られたケンカとはいえ、私が近藤さんをボコボコに叩きのめしたら要に迷惑がかかると思ったんだから。クラスメートと幼なじみがトラブったら、嫌でしょ?」

 近藤さんに「要と距離を置いてほしい」と言われたとき、本当はとても頭にきていた。その場で言い返して、近藤さんを泣かせたいくらいイライラした。でも、それをぐっと我慢したのは、要の人間関係をぶち壊したくないと考えたからだ。

「そんなの迷惑だなんて思わねえよ。それに、これからはスミレのことは俺が守りたい。近藤には、もう俺たちに近づかないように話をして――」

「それはダメ! ここまでされたら、もう要だけの問題じゃないの。それに、私はやられっぱなしでいられるほどお人好しじゃない」

 要の袖を握りしめて怒りを露にする私に、なぜか彼は眼尻を下げて力の抜けた顔で微笑んだ。普段強面な彼が見せる柔らかな笑顔に、一瞬目を奪われる。

「わかった。いいよ。スミレがやりたいようにやれよ」

「本当? 私が近藤さんを撃退しちゃったら、要がクラスに居づらくなるかもしれないよ?」

「そんなことスミレが気にしなくていい。近藤のグループの女子たちに無視されるようになったって、俺はぜんぜん構わない」

 労わるように優しく頭に手を乗せられ、私はようやく要の袖を離した。さっきまで迷子になったときのような不安定な気持ちだったのに、いまはだいぶ落ち着いている。

「それにしても、こんな風になってもおまえは人にぜんぜん頼らないんだな」

 要は呆れたように、でも少し諦めたように笑う。

「当たり前でしょ。自分の身は自分で守るよ」

「可愛げのない奴。素直に俺に守られてればいいのに」

 要が私の額にデコピンをする。

「ふん、逆に私が要を守ってあげるからいいの。私が盾になって近藤さんを撃退してあげるから、要はせいぜい私の背中に匿われてなよ」

 私が胸を張ると、要は複雑そうに眉を寄せてため息をひとつ吐いた。

「……ハイハイ、よろしくお願いしますよ」

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