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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
一章
8/32

8

作中に出てくる、兄弟の有無が性格形成に深く関わっているという記述は、あくまでもフィクションです。

 放課後。クラスのみんなが帰ったあとの教室で、私と臼井君は机を挟んで向かい合わせに座っていた。日誌を書くためとはいえ、男子と二人きりでいるのは、なんとなく落ち着かない気持ちになってしまう。

「はい、こっちはだいたい書けたよ。あとは日直のコメントの欄を埋めれば終わり。俺の分は終わったから、石脇さんのができたらおしまい」

「ありがとう。書き終わったら私が提出しておくから、臼井君は先に帰ってていいよ」

「いや、最後まで付き合うよ」

 彼はそういうと、机に頬づえをついて私の手元を覗き込んだ。

そのしぐさが同級生とは思えないほど落ち着いて見えたので、私は急いで日誌に目を落とした。至近距離で目を合わせるのが、なんだか気まずい。

「あの……さっきは変なとこ見せちゃってごめんね」

「七組でのこと?」

「うん。迷惑かけたから」

 私は顔を上げずに日誌にペンを走らせる。すぐ近くで臼井君の気配がするが、気にせず空欄を埋めることに集中した。

「ぜんぜん迷惑だなんて思ってないよ。それに俺、一年のときに近藤と同じクラスだったから、あいつの性格なんとなく知ってるし」

「そうなの?」

 思わず顔を上げる。すると、思ったよりも近い距離に彼の顔があったので、さりげなく椅子に深く座りなおして距離を空けた。

 臼井君は眼鏡の奥の目を面白そうに細めて話し始める。

「俺、一年の時は四組だったんだけど、そのときのクラスでは、近藤って癇癪持ちで有名だったんだよ。思い通りにならないことがあったら、すぐにキレるの。彼女は見た目が可愛いし、普段は明るい性格だから女子の間では発言力もあったみたいだけど、怒りだすタイミングがわからないから、みんな彼女の機嫌取りながら付き合ってるように見えたな」

 近藤さんと初めて会ったとき、彼女の気の強さに驚いたが、まさかそこまで周囲に恐れられているとは思わなかった。いつキレるかわからないなんて、まるで小さな爆弾みたいだ。

 臼井君は黙って話を聞く私を見ながら、なぜか嬉しそうに言葉を重ねる。

「典型的な末っ子気質って言うのかな。誰かが自分のために動いてくれたり、意向を汲んでくれるのが当たり前なんだよ。だから思い通りにいかないことが起こると、怒りを抑えきれなくなるんだ」

「なるほど。たしかに、近藤さんにはそんな所があるかもしれないね」

「彼女、年の離れた兄が二人いて、かなり可愛がられて育ったらしい。で、これは俺の持論なんだけど、複数の兄や姉がいる末っ子は――特に年が離れていればいるほど、わがままに育つ傾向があると思うんだ。近藤はほんと、俺の持論の見本みたいな奴だよ。もちろん、世の中のすべての末っ子がそうなるとは限らないことは分かってるけどね」

 自分の意見を披露することに興奮しているせいか、臼井君がだんだん前のめりになってきた。

「臼井君、なんか楽しそうだね」

「石脇さんが大変なときにごめんね。でも、ちょっと楽しい。俺、人間観察が趣味なんだけど、こうして誰かに持論を聞いてもらったの初めて」

 彼の瞳が急に熱を帯びたようにキラキラ輝き、こらえきれないように喉の奥で低く笑う。少しうつむきながら笑っているせいか、彼のフレームレスの眼鏡がずり落ちた。

 自分で人間観察が趣味だと豪語するだけあって、彼の持論は説得力がある。

「彼女と揉めると大変だよ。もし絡まれている理由が大したことじゃないなら、こっちが大人になってみるのもひとつの手だと思う」

「近藤さんの言う通りにしろってこと?」

「石脇さんが嫌じゃなかったらね。ハイハイっていうこときいておくのが一番楽なあしらい方だよ。あんなのいちいち相手にしてられないだろ」

 どうやら臼井君は、揉め事の元凶は近藤さんにあると確信しているらしい。私が一方的に絡まれていることを理解して、同情を寄せてくれるようだ。

 たしかに彼の言うことは一理ある。私が要と距離を置けば、近藤さんは大人しくなって私に近づくこともなくなるだろう。しかし、そんな理由で要を避けることはできない。

 幼い頃からお互いをよく知っているため、要のことは身内のように思っている。それなのに、近藤さんを避けるために彼と疎遠になるのは嫌だった。きっと要も似たような気持ちでいるに違いない。

「せっかくだけど、私にも譲れないものがあるから」

「でも、かなり面倒くさいことになってるんでしょ」

「それでもいいの。近藤さんのために大切なものを手放したくない」

 強い口調でいいきった私の剣幕に一瞬びっくりした臼井君だが、あっさりと頷いた。

「そうか、それなら仕方ないね」

 彼にしてみれば、私と近藤さんが揉めたところで、もともと他人事だ。あまり深く関わる気はないのだろう。その代わり、彼はなぜか熱心にこちらへ視線を注いでいる。

 露骨な興味を向けられて、私は苦笑いしてしまった。そういえば、彼は人間観察が趣味だと言っていたっけ。

 無視するには不躾すぎるその視線を避け、少し身構えながら距離を取る。

「なに? 私、臼井君の興味を引くようなこといった?」

「うんいった。石脇さんは兄弟いる?」

「いないよ。一人っ子だから」

「へえ、意外だな。しっかりしてるように見えるから、弟か妹がいるのかと思った」

 臼井君はどんどん前のめりになる。その熱心さがちょっと怖い。私はさりげなく椅子ごと体を後ろへ引いた。

「そう見えるのは、両親共働きのせいかもね。普段は家に誰もいないから、なんでも自分でやるしかないんだ」

「なるほど」

 臼井君が興味深そうに相槌を打つ。

 うちは自分のことは自分でするのが基本だ。そのおかげで家事が身についたし、自立心も大いに育まれたと思う。でも、たまにどうしようもないほどの寂しさに襲われることがある。

 そんな考えを巡らせると、知らず知らずのうちにため息がこぼれる。

「またため息吐いてる。そんな顔されると、石脇さんのためになにかしてあげたくなってくるよ」

 頬杖をついていたはずの臼井君の手が、いつのまにか私の近くまで忍び寄っていた。

「さっき、廊下で石脇さんを呼び止めたのって戌井だろ? もしかして、この件に彼も関係してるの?」

 ペンを握っているのとは逆の手にそっと触れられ、温かな感触に包まれる。臼井君の手は、ちょっとクールな外見からは想像もつかないほど温かかった。

「……なんで、そんなこと気になるの?」

「単純に興味があるのと、石脇さんの役に立ちたいから」

 臼井君の手がぎゅっと強く私の手を握った。彼がどういうつもりなのかわからないが、こんな風に触れられるのは落ち着かない。

 手を引っ込め、彼の言葉は聞き流そうと思ったそのとき、教室の扉がものすごい音を立てて開いた。

 見ると、要が戸口にもたれ掛かるようにして立っている。眉間に皺を寄せている彼は、恐ろしく機嫌が悪そうに見えた。

 私は頭を抱えたくなった。この男は、どうしてタイミングの悪いときに現れるのだろう。

「遅いから様子を見に来た。スミレ、帰るぞ」

 ずんずんと教室の中へ入り込み、私の腕を引いて臼井君から引き剥がす。

 強い力に抗えず、私は椅子から立ち上がった。しかし、このまま要と帰るわけにはいかない。これから書き終えた日誌を先生に提出しなければならない。

「ちょっと待って。職員室に日誌を出しに行くから、それが終わるまでは帰れない」

 要はこれ以上待つのが面倒だと思ったのか、表情がさらに渋くなる。

「そんなに睨んだって無理なものは無理。あと少しなんだからちゃんと待ってなさい」

 不機嫌な顔をすれば、周りの人たちが気を回してくれると思ったら大間違いだ。

 私は「待て」ができないダメ犬に言い聞かせるつもりで要にそう告げると、臼井君が笑いをこらえるように肩を震わせ始めた。

「石脇さん、言い方がさりげなくひどい。戌井は犬じゃないんだからさあ」

「誰が犬だって? っていうか、お前誰だよ」

 不機嫌な顔を隠そうともせず、要は臼井君を睨む。ほぼ初対面の人に、こんなに威圧的な態度に出るなんて珍しい。

 臼井君はとくに気にしたそぶりも見せず、剣呑な視線を受け止めている。

「臼井和友。石脇さんの友達だよ」

 いつの間に友達になったっけ? クラスメイトの間違いじゃないかと思ったが、訂正はしなかった。というより、私が口を挟むことができないくらい彼らはお互いしか目に入っていない。しばらく無言で見つめあっていたが、ふいに要がこちらを振り向いた。

「帰るぞスミレ。提出するだけなら、臼井ひとりでもいいだろ」

「だから、そんなわけにはいかないってさっきから言ってるでしょ!」

「いや、俺ひとりでも十分だから、石脇さん先に帰っていいよ」

 臼井君が手早く荷物をまとめ、日誌を持って立ち上がる。

「でも――」

「いいから任せて」

「ごめんね、でもありがとう」

 気のいい笑顔を浮かべて手を振った臼井君は、日誌を小脇に抱えて教室を出ていった。

 要のせいで彼によけいな気を遣わせてしまった。彼に申し訳なく思っていると、要が私の鞄を投げてよこした。

「ほら、もう帰るぞ」

「乱暴だなあ」

 二人で並んで教室を出た。日誌を書きあげるのが遅くなってしまったせいで、校舎には人の影はない。まだ辺りは明るいが、なんの物音も聞こえてこない廊下はどことなく不気味で、私は隣を歩く要に少しだけ近づいた。

「なあ、スミレはあいつと仲いいのか?」

「臼井君のこと?」

「お前、手を触られても嫌がってなかっただろ。普段から仲いいのか?」

 いつも言いたいことは遠慮しない要だが、いまは珍しく歯切れが悪い。なんだか娘の素行を心配する父親のようだ。

「臼井君ときちんと話をしたのは今日がほとんど初めてだから、仲いいかと聞かれてもなんとも答えられないなあ。別に嫌いじゃないけど、あんまり深入りはしたくないタイプかな」

 じっとこちらを見つめてくる臼井君の目を思い出し、ちょっと肩をすくめた。完全に観察者のそれになっているのが少し怖い。本人に悪気はないのかもしれないが、まるで実験動物にでもなったような心地になるのだ。

「じゃあ、今度からは気を付けろよ。やたらと触ってくるようだったら、思いっきり蹴り飛ばせ。そういうの得意だろ」

 何度も蹴り飛ばされている要がそういうと、若干嫌味に聞こえてくる。私は適当に相槌を打った。

「はいはい、わかりましたよ。それより、話ってなに?」

「……近藤のこと」

 要はため息交じりにそう切り出した。自分からいい出したくせに、あまりこの話題に触れたくないように見える。

「さっきうちのクラスに来たとき、近藤になんかされてただろ。スミレにはぜんぜん関係なかったのに、俺たちのことに巻きこんで悪かった」

 そう告げる彼の視線は足元を見たまま、私のほうを見ようとしない。

 要にこんなふうに謝られても、ちっとも嬉しくない。それどころか、「関係ない」という単語が妙に癇に障った。

「別に大した怪我もしなかったから気にしてない。でも、本当なら近藤さんが謝りにくるのが筋じゃないの? どうして要が彼女のために謝るの?」

「それは……」

 要は言葉に詰まる。そんな彼を見て、私はますます苛立った。

「近藤さんのやらかしたことの責任を背負ってやるほど、親しい間柄になったの? それとも、あんたと近藤さんの二人の問題だから、部外者はこれ以上関わってくるなっていう意味?」

 思いつくままに声を荒げると、要は驚いた顔で固まった。いつの間にか、私たちの歩みは止まっていた。

「もしそういう意味で言ったなら、もう安心していいよ。今度から、二度と二人の邪魔はしないから」

「ちょっと待て。お前、なに怒ってるんだよ」

 私は要をその場に残し、早足で歩きだす。なぜか要に裏切られたような気持になって悔しかった。

 要を好きだという近藤さんの気持ちは、私が介入するべきことじゃない。でも、彼女の強引な手口は正直かなり目に余る。だから私は、頼まれたわけではないが、要の防波堤の役割を引き受けようと思ったったのだ。

 でも、どうやらそれは余計なことだったらしい。よく考えれば、近藤さんくらい可愛い女子に言い寄られて、嬉しくない男子の方が少ないだろう。きっと要も、あそこまでまっすぐに好意を寄せられれば、悪い気はしなかったのかもしれない。

 なんだ、いらないことしてひっかき回していたのは私のほうか……。これ以上余計なことをする前に気付いてよかったかもしれない。

「ちょっと待てって!」

 振り返らずに歩く私を引きとめようと、要は腕を伸ばした。しかし、私はスルリと彼の腕をかいくぐり、そのままどんどん進む。

 すると、要も歩調を速めて隣に並んだ。追いつかれた私は、彼の顔も見ずに走り出した。

「待てよスミレ。なんで逃げるんだよ!」

「逃げてない! そっちこそ付いてこないでよ」

「俺の話はまだ終わってない。最後まで黙って聞け」

 逃げる私と追いかける要。もうこのときはどちらも全力疾走だった。 

 要にとっては、まだ話が終わっていないのかもしれないが、私にはさっきの「関係ない」という言葉だけで十分だ。これ以上要の口から他人行儀な言葉を聞かされて、寂しい気持ちになるのは嫌だ。

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