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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
一章
7/32

7

 窓辺からギラギラと照りつけるような日差しが降り注いでいる。窓際にいるだけで肌がピリピリと焼かれていく。

「おーい日直ー、このあと七組で授業だから、ここにある地図ぜんぶ運んどいてくれー」

 眠気がピークに到達する午後イチの授業をなんとか目を開いたまま乗りきると、教壇にいた地理の先生が声をあげた。彼が指さしているのは、授業で使ったばかりの地図の束だ。

 今日の日直に当たっているので、黒板に立て掛けてある丸めた地図を持ち上げた。

「あ、意外と重い」

 布製の地図とはいえ、その両サイドには鉄の留め金が付いているので予想以上に重たい。おまけに、長さが私の目線の高さまであるため、持ち上げたときにバランスを崩して少し後ろによろけてしまった。

 倒れそうになった私の背を、後ろにいた誰かがちょうどいいタイミングで受け止めてくれた。驚いて振り返ると、そこにはもうひとりの日直である臼井君が立っていた。

「石脇さんがひとりで全部運ぶのはきびしいよ。そっちのは俺にかして」

 そう言うと、ひょいひょいと私の手の中からいくつかの地図を奪い取る。

「七組まで行くんでしょ。さっさと行って早いとこ終わらせよう」




 私たちは、地図を両手に抱えて並んで廊下を歩く。

 臼井君は落ち着いた雰囲気をした眼鏡男子だ。フレームレスの眼鏡は、肌の色が白くて華奢な体つきの彼にとても良く似合っている。

 臼井君とはあまり話したことはないが、休み時間でも声を荒げることもなく、いつも静かに本を読んでいる印象が強い。かといって友達がいないわけでもないらしく、昼休みには男子生徒みんなで行われるサッカーに参加していることもある。

 彼は真面目で穏やかで、クラス委員なんかを快く引き受けそうなタイプの秀才に見える。

 彼が本当に見た目通りの委員長器質を持っているかは分からないが、女子に重たいものを持たせるのを良しとしない優しい性格であることはわかった。

「ありがとう。ほとんど臼井君が持ってくれてるけど、重たくない?」

「大丈夫。石脇さんよりは力あるつもりだから」

 こうして並んでみると、頭一つ分だけ彼のほうが背が高い。柔らかそうな色素の薄い茶色の髪が、歩くたびにサラサラと揺れている。首を傾けなくても目線が合うって疲れなくていいな。

 見上げるほど背が高くなってしまった幼なじみと無意識のうちに比べている自分に気付き、憂鬱な気分になった。

 今朝の出来事を思いだすと、みぞおちの辺りが重くなる。おまけに、今から地図を届けに行くのも要と近藤さんがいるクラスだ。

「石脇さん。もしかして調子悪いの?」

「え、どうして?」

「だって、辛そうな顔でため息吐いてたから」

「私、ため息なんて吐いてた?」

 驚いて顔を上げると、臼井君が真顔で頷いた。

「すごく重たそうな感じだった」

「そっか、完全に無意識だったよ。気をつけるね」

 せめて学校にいる間くらいは楽しい気持ちで過ごすようにしよう。家に帰れば、嫌でも両親の離婚の事を考えて気持ちが沈んでしまうのだから……

 臼井君はしげしげとこちらを観察するような視線を送る。

「でも――石脇さんって、なんかため息が似合うよ」

「え?」

 思わず臼井君を見返すと、彼は相変わらずの真顔でこちらを見ていた。

「いや、変な意味じゃなくて、なんていうのかな――憂い顔が似合うっていうか、様になっているっていうか」

「そんなこと初めていわれた」

「女優にもさ、笑った顔よりも少し物憂げな表情をしているほうが奇麗に見える人っていると思うんだ。石脇さんは、そういう感じなんだと思う」

「そうかな」

 そんなこと言われたこともないので、どう反応していいかわからない。私があまりにも困った顔をしていたので、臼井君もつられたように難しい表情を作る。

「別に大した意味はないから、そんな深く考えないで。ただ、あんまり人前でため息は吐かなほうがいいかもね」

「どうして」

「周りの男どもからよこしなな目で見られるのは嫌でしょう」

 照れる様子も見せず臼井君がそんなことを口にするので、私はなにをいわれたのか一瞬理解できなかった。冗談かなと思ったが、それにしては笑えないし、罰ゲームにしてはギャラリーがいない。

 けっきょく、どういう意味かと聞き返すのもおかしいと思い、さっきの発言は聞き流すことにした。そうしなければ、彼と気まずくなって話もできなくなってしまう。

 放課後には、今日一日のまとめとして、ふたりで日誌を書くと言う日直の仕事が残っているのだ。



「失礼します」

 七組の扉を開き、臼井君が遠慮なく教室へ入っていく。私も彼のあとに続いたが、他のクラスに入っていくのは少し緊張する。

 さっと全体を見渡すと、廊下側の後ろの席に要の姿があった。彼は私に気づくと、驚いたように目を丸くした。

 とつぜん入ってきた私たちに驚いた七組の生徒たちがざわつく。そんななか、坊主頭の男子が臼井君に手を振る。

「おーい臼井じゃん、お前なにやってんの?」

「日直の仕事。地理の先生に頼まれて地図を運んできたんだよ」

 ふたりは気安い口調で話をしている。一年のときに同じクラスだったのか、はたまた同じ中学出身なのかはわからないが、親しい間柄らしい。

 私は彼らの邪魔にならないように黒板の横に地図を立て掛け、臼井君たちの会話が終わるのを待っていた。彼を置いてひとりで戻るのは薄情な気がしたのだ。

 すると、後ろから肩をトンと叩かれる。驚いて振り向くと、そこには近藤さんが立っていた。

「朝はどうもー」

 相変わらずの笑顔だが、目は笑っていない。むしろ機嫌が悪そうな感じがする。

 彼女に「どうも」と言われるのは変な感じだったが、とりあえず会釈だけは返しておく。

 すると、近藤さんは顔を近づけて私の耳元で囁く。

「今朝、石脇さんと別れたあとに要君に叱られて反省したんだ。やっぱり、朝早くにお家に突撃したのは迷惑だったかなって」

 登校しているときには楽しそうに並んで歩いていたが、要は近藤さんに家に来てほしくないことをきっちりと伝えていたらしい。だから、彼女の笑顔が不満そうなのだろうか。

 そして、私はすぐにそのわけを知ることになる。近藤さんは含みのありそうな笑みを浮かべたまま、顔を近づけてこう続けた。

「それからね、要君は明日からひとりでもちゃんと起きれるから、誰も部屋に来てほしくないっていってたよ。残念だったね、これで石脇さんも出入り禁止だよ」

 唇の端だけ吊り上げて笑う彼女を見ていると、自分が許されないなら他の女も許さない、という近藤さんの心の声が聞こえてきた気がする。

 私も要の家への出入りを禁止したことで、彼女はようやく朝の突撃を諦めたのだろう 。

「そう。わかった」

 やっぱり私が思った通りの展開になった。彼女からそれを伝えられたのがちょっとだけ想定外だったが、これで良かったのだと思う。

「……なんなの、その余裕ぶった態度」

 ところが近藤さんは、私が悲しんだり悔しがる顔を見せなかったことが面白くなかったらしい。すれ違いざまに私の足の甲をぎゅっと踏みつけ、そのままドンと突き飛ばしてきた。

 どちらもそれほど強い力ではなかったが、私は予想もしていなかった攻撃に驚いて大きくよろけた。足を踏まれていたせいで踏みとどまることができず、後ろに倒れてしりもちをつく。

「痛たた」

 床に打ち付けたお尻が痛い。どこかで椅子がガタンと倒れる音が聞こえてきたが、いまはそれどころではない。

 近藤さんは憎い敵を見るような目で私を睨みつけ、なにもいわずにその場から離れてしまった。

 とつぜんの悪意に対して、すぐに反撃できる人は意外と少ないと思う。しかし、なにも言い返せずにやられっぱなしになってしまったのは悔しい。

 ギリギリと歯ぎしりをしながら、背を向けて去っていく近藤さんの後ろ姿を見つめていると、誰かが横から手を差しのべてくれた。

「大丈夫?」

 声をかけられてようやく正気に返る。見上げると、臼井君がこちらに手を出していた。

「立てる?」

「あ、ありがとう」

 素直に彼の手を取り、注目を浴びていることに気づいた私は素早く立ち上がった。

 休み時間ということもあり、一部始終を見ていた生徒は少ない。しかし、あれだけ格好悪く黒板の前で転べば、トラブルがあったとほとんどの生徒たちに気付かれている。

 私は人の目を避けるため、臼井君の手を握ったまま彼を廊下へと連れ出した。

「はあ、変な汗出た」

「石脇さん大丈夫? 近藤との間になにがあったのか知らないけど、転ぶときに手を付けなかったから、けっこう強く打っただろ」

「うん、でも思ったよりも痛くないから平気だよ。さっきはありがとう」

 臼井君には笑顔を向けてお礼を述べたが、しばらく七組の教室に近寄りたくないほど、私の気持ちはむしゃくしゃしていた。

 どうして私がこんなことに巻きこまれなきゃいけないのだろう。私は要の幼なじみとしてこれからもあいつとうまく付き合っていきたいのに。

 そこに近藤さんの意見はまったく関係ない。彼女の機嫌を伺い、虫の居所が悪ければ八つ当たりされるなんてもうごめんだ!

「それならよかった。もうすぐチャイムが鳴るから早く教室へ戻ろう」

 臼井君に促され、ハッと我にかえる。すると、七組の教室から鬼の形相で飛び出してきた要の姿が目に入る。

「スミレ!」

 駆けつけてきた要の眉間には、深い皺がくっきりと刻まれている。これはそうとう機嫌が悪い。

「お前、大丈夫か! なんであんなことになったんだ!」

 よほどいらついているのか、要の声は怒り混じりだった。

「別に、たいしたことじゃないよ。近藤さんに、今朝あんたがいったことを報告されたから、分かったって返事したら突き飛ばされただけ」

 むしろ、どうしてたったあれだけの会話で近藤さんがあんなに怒ったのか、私のほうが知りたいくらいだ。

 それを聞いた要も、たったそれだけではどちらが悪いのか判断しにくかったのか、さらに眉間に皺を寄せて首をひねる。

「とにかく、私たちはもう自分のクラスに帰るよ。次の授業が始まるから、要も教室戻れば」

「放課後一緒に帰るぞ。話がある」

「今日は無理。日直だから」

 断ったとたん、これ以上ないくらい要の眉間がギュッと狭まり、目付きが険しくなる。

「終わるまで待っててやる。逃げるなよ」

 反論する間もなくそう言い放ち、要は教室へと戻って行った。「逃げるな」なんて言い方をされると、まるで果たし合いでも申し込まれたみたいだ。

 こんなに一方的に取りつけられた約束なんてすっぽかしてやろうかと思ったが、本当に大事な用事だったら困るので、日直の仕事を終えたら七組に顔を出してみよう。

 そう考えたところで、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

「石脇さん急ごう。六時間目が始まる」

 私と臼井君は慌てて廊下をかけ出した。

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