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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
二章
28/32

9

「まったくなにやってんだよ。傘もささずに道の真ん中で突っ立ってたら、馬鹿だってすぐに風邪ひくぞ」

 湊人さんによって慶吾さんの店に連れ込まれた私は、大きなタオルを頭から被せられ、まるで大型犬のようにワシワシされていた。

 雨に当たったおかげで、髪も服もびしょぬれになっている。

 湊人さんはまるで本物の犬を相手にしているように乱暴に手を動かす。しかし、私が堪え切れずまた涙をこぼしたのを見て、一度手を止めて私の頬を優しく拭いてくれた。

「何があったんだよ」

 普段は吊り上げている眉を下げ、心配そうに私の顔を覗き込む。

 慶吾さんも何が起きたのか気になっているらしく、心配そうにこちらを見つめていた。

 私は、ポツリポツリと要のバイト先で起こった出来事を話した。

 要のバイトしているカフェに行ってみたら、モデルのように綺麗な狭山さんが一緒に働いていた事。体が少し弱いらしいので、オーナーの頼みで要が彼女を家まで送る事になり、一人で帰ってきたことなどを、つっかえながら説明した。

「要が悪いわけじゃないのは、分かってるんです。でも、どうしても嫌な気持ちになってしまって……。悪い想像ばっかりして、辛くなって……」

 話をしながら、また涙がとめどなくあふれてくる。まるで幼い子どもみたいに泣きじゃくってしまった。

 よく考えてみれば、ここまで泣くほどの事をされたわけではない。でも、たとえバイト先の上司に頼まれたとはいえ、要が他の女性を優先させたこともショックだった。

 慶吾さんも湊人さんも口を挟むことなく私の話を最後まで辛抱強く聞いてくれた。しかし、私が話し終えたときには、ふたりの表情は険しいもの変わっていた。

「なんだそりゃ。お前の彼氏はアホか! そんな女、店のオーナーに任せて帰ってくればいいんだよ!」

 湊人さんが眉を吊り上げる。

「要君は雇われている立場だから、オーナーのお願いを簡単には断れないんだよ。だから、そんな悪し様に言うもんじゃないよ」

 慶吾さんが軽くたしなめるが、湊人さんの勢いは衰えない。

「でも、勤務時間外のことまで強制されるなんておかしいだろ!」

「それはたしかにそうだね。狭山さんがオーナーの親戚なら、身内で解決する問題だと俺も思うよ。でも、なかなか断りづらいのが現実だよね」

 湊人さんは、思い切りしかめっ面をする。

「その狭山っていう女、お前が来てるのを知っていたのに、お前の彼氏を自分の家まで送らせたんだろ? 悪意しかねえじゃん」

「あ、でも、狭山さんは私が要の彼女だって知らなかったんだと思います」

「でも知り合いだっていうことは分かってたんだろ? だったら性格悪いことに変わりないじゃないか」

湊人さんはさっきからだいぶ興奮している。それまで要の立場を理解しているといった様子だった慶吾さんも、だんだん険しい表情になってきた。

「要君は、スミレちゃんだったら約束を破っても許してくれると思ったんだろうね。でも甘いなあ、こんな風に泣かせるんだったら、俺の妹の彼氏とは認められないよ」

 二人とも私のためにすごく怒ってくれている。口をそろえて「彼氏失格」と目を吊り上げているので、そんな二人を見ていたら、少し冷静になれてきた。

「心配かけてごめんなさい。ちょっと予想外のことが起きて頭が真っ白になってました。でも、もう大丈夫そうです」

 湊人さんからタオルを受け取り、自分で髪を拭く。ついでに涙で濡れていた顔も拭くと、気分はかなりすっきりしていた。

 二人が自分のことのように怒ってくれたので、かなり気持ちが落ち着いた。無条件に私の話しを聞いて味方になってくれる存在は本当にありがたい。

 私は二人に頭を下げる。

「今日はもう帰ります。慶吾さんも湊人さんも、話を聞いてくれてありがとうございました」

 私はお店の邪魔にならないように出口へ向かったが、湊人さんが行く手を塞ぐ。彼はものすごく機嫌が悪そうで、彼の眉間には深い皺が何本も刻まれていた。

「そんな濡れた服のままで帰せるわけないだろう。慶吾に送ってもらえ」

「でも……」

「いいから言う通りにしとけ。慶吾、車回して来い」

「了解」

 レジ前のスツールに腰掛けていた慶吾さんがさっと立ちあがる。彼は一度店の奥に引っ込んでから、車のカギを掴んで店を出て行った。湊人さんが言うように、車を取りにいったのだろう。

 慶吾さんが戻ってくるまでの間、私たちは店の中で待っていた。湊人さんが何も言わないので、私も無言で彼の隣に立っていた。

 しばらくして、湊人さんが急に口を開いた。

「スミレは、もっと怒るべきだよ」

「でも、要の立場を考えると、なかなか文句言えなかったんですよ」

 要が狭山さんを送って行くと言ったとき、頭の奥が嫉妬で焼き切れるかと思った。でも、私がわがままを言うことで要の立場が悪くなるのは嫌だ。だから、頑張って怒りと悲しみを飲み込んだ。

「お前は馬鹿だ。聞きわけのいい子になって泣くくらいなら、もっと自分の気持ちを彼氏に伝えるべきなんだよ」

 私は困って何も言えなくなってしまった。

 湊人さんは私に一歩近づくと、まだ雨のしずくが滴る私の髪をぐしゃっと撫でた。

「そんな辛そうな顔させる彼氏なんてやめちまえよ。俺の方がよっぽどお前のこと大事に出来る」

「え?」

 湊人さんは私の頬に張り付いている髪を丁寧に耳にかけた。冷えた頬に触れる湊人さんの指先は、とても温かい。

「大事にするよ。甘やかしてやるし、わがままいっぱい言っても受け止める」

「……でも、湊人さんには、もう慶吾さんがいるじゃないですか」

 こんなときに、いったい何を言い出すんだろう。慰めてくれているにしても、冗談がすぎる。

 湊人さんは私の頬に手を当てたまま、黙っている。

「今の言葉……冗談ですよね?」

 とても真剣な眼差しを向けてくる湊人さんに、私は段々心配になってきた。もしこれが彼の本心からの言葉だったら、私はそれをどう受け止めたらいいのだろう。

 そのとき、店の扉が開いて、慶吾さんが髪に付いた雨粒を払いながら店に入ってきた。

「表に車回してきたよ。あれ――ふたりともどうしたの?」

 ただならぬ雰囲気を察したのか、慶吾さんが不思議そうな顔をする。

「慶吾、俺、お前と別れてスミレを彼女にする。それでもいいか?」

「え? 急に何言ってんの?」

 湊人さんのとつぜんすぎる爆弾発言に、慶吾さんは目を白黒させていたが、湊人さんが冗談を言っているわけではない事が分かると、彼は腕を組んで戸口に寄り掛かる。そして、興味深そうに私たち二人を交互に眺めた。

「ふーん、湊人はそこまでスミレちゃんのことが気に入ったのか――。俺は別に構わないよ。湊人がスミレちゃんと付き合っても」

「え、慶吾さん本気ですか!?」

 私は思わず声を荒げた。まさか、彼が了承するとは思わなかったのだ。

 慶吾さんはにっこり微笑んで頷く。

「もちろん本気。湊人とスミレちゃんが付き合うことになったら、それはそれで似合いのカップルだね」

「え、でも、慶吾さんと湊人さんが別れたら、慶吾さん一人になっちゃいますよ?」

「うん、そうなったら俺は二人をまとめて可愛がるから平気。三人で恋人って言うのも面白いよね。むしろ、その方が色々おいしいかも……」

 慶吾さんは笑顔を浮かべたままだったが、私と湊人さんを見る目つきが急に変わった。それまで人の良いお兄さんの顔をしていたのに、今はねっとりと舐めるように、私たちに視線を這わせている。

 私は一瞬で背筋がぞっとして、慌てて湊人さんから距離をとって拒否の意を表した。

湊人さんと一緒に慶吾さんに可愛がられるなんて、とんでもない。

 湊人さんの気持ちは嬉しいけれど、茨の道へ引きずり込まれるのは勘弁してほしい。二人にたっぷり甘やかされ、居心地の良い檻に閉じ込められてしまったら、いつの間にか心身ともにボロボロにされそうで怖い。

 プルプル小刻みに震える私を見て、慶吾さんが「冗談だよ」と笑った。そのときの彼は、いつもの人の良いお兄さんの顔に戻っていたので、私は少しホッとした。

「俺は冗談じゃないんだけど」

 湊人さんだけは、憮然とした顔で眉を寄せていた。


 慶吾さんの車で青木さんの家まで送ってもらい、私は二人に頭を下げる。

「家にまで送ってもらってすみません」

「俺は君の兄貴なんだから、もっと頼ってもらったっていいくらいだ」

「なあスミレ、俺も明日その店に行くから案内しろよ」

 湊人さんは、今から殴り合いのケンカでも始めそうなほど物騒な表情で私を睨む。もしかして、狭山さんがどんな人なのか見ておきたいのかもしれない。

 私は迷った。湊人さんを連れて行って要の仕事の邪魔にならないだろうか。彼が騒ぎを起こすとは思っていないが、もしかしたらという悪い予感が働いてしまうのだ。

「ちゃんと大人しくしとくから心配するな。お前の彼氏の普段の態度と、その狭山っていう女を見ておきたいだけだよ」

「そういうことなら、店に迷惑がかからない夕方に案内します」

「面白そうだから俺も行くよ」

 慶吾さんがすかさず狭い運転席の窓から乗り出して手を上げる。

「慶吾さん、自分のお店はどうするんですか?」

 私は恐る恐る確認する。つい先日も店を休んで遊園地に連れていってもらったばかりだし、慶吾さんの店は従業員は彼一人なのだ。

しかし、慶吾さんは嬉しそうにパタパタと手を振る。

「大丈夫、自営業って時間に融通がきくんだよ。夕方俺の店で待ち合わせにしようね」

 有無を言わせない迫力でそう約束させられ、けっきょく三人で要のバイト先へ押し掛けることになった。

 その夜、要から一通のメールが届いた。今日一緒に帰れなかった事を謝る内容と、あのあと狭山さんを家まで送り届けただけで、なにも心配するようなことはなかったという説明だった。

 私は、仕方がなかったのだから気にしなくていい、という旨のメールを返した。それ以外に返事のしようがない。要だって進んで私を置いて行ったわけではないし、狭山さんの家に誘われても、きっと断って帰って来たのだろう。

 要は悪くない。ちゃんと分かっているのに、どうしても心の片隅で嫌な想像をしてしまう自分がいる。いっその事、不満を誰かのせいにして爆発させたほうがよほどすっきり出来たのかもしれない。

 でも、誰に? 狭山さんだって悪気があったわけじゃないかもしれないし、要を責めることはできない。

 要の声を聞きたいと思う反面、今日だけは話しをしたくなかった。今彼に電話をしたら、理不尽な事をいってなじってしまうかもしれない。

 どうして素直に、置いていかれて寂しかったと可愛い事の一つも言えないのだろう。自分で自分の可愛げがないところが嫌になってしまう。


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