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真っ白な柔らかいソフトクリームをひと舐めしながら、私は目の前にそびえたつ観覧車を眺める。慶吾さんと湊人さんが乗ったゴンドラは、もう頂上へ付いた頃だろうか。
二人を待っていると、とつぜん鞄の中のスマホが震えた。見ると、要からメールが届いていた。ちょうどバイトの休憩時間なのでメールをくれたそうだ。
植木君の代わりに入ったカフェのバイトが思ったよりも面白い事、お客もそれほど多くない時間もあるから、暇があったら今度店に来ないかという事が書かれている。
もちろん行きたい。カフェで働いている要の姿なんてそうそう拝めるものじゃないので、張り切って見学に行くつもりだ。
返事を打ち終わると、目の前に人影が落ちていた。慶吾さんたちが戻って来たのかと思って顔を上げると、そこにはまったく知らない人が立っている。
その人がいくつなのか見た目だけでは分からないが、おそらく私よりも年上だろう。髪が肩に触れそうなほど長く、色も金色に近いので絶対に会社勤めではないはずだ。かと言って学生にも見えないので、なんとなく得たいが知れない。
「君さ、ずいぶん前から一人でここにいるよね。お友達とはぐれちゃった?」
「いいえ。連れを待ってるところです」
観覧車に視線を向けると、彼も事情をある程度察したらしい。
「あ、観覧車に乗ってるんだ。君は乗らなかったの? 高い所苦手なの?」
「いえ、一周は一緒に乗ったんですけど……」
ありのままを話すのは難しいので、言葉を濁す。それ以上話しをする気はなかったのに、金髪の彼は「そうなんだー」とか言いながら、ちゃっかり私の隣に腰を下ろした。
「ねえ、良かったら一緒に遊ぼうよ? 君の事を置いて行く友達なんて感じ悪いんじゃない?」
「友達じゃなくて兄です。それに、ここで待ってるように言われましたから」
だから、もう話しかけないでください、というオーラを出したのに、相手は引くどころかますます身を乗り出してきた。
「お兄さんと一緒なんて、どう考えたってつまんないって! もったいないよ、こんなに可愛い子がひとりで座ってるなんて。ね、絶対楽しいから、一緒においでよ」
彼はソフトクリームを持っていない方の私の手を引いて、無理やり立ちあがらせた。
不用意に触れらたことで頭に血が上る。私はすぐに男の手を振り払おうとしたが、もう一方の手には食べかけのソフトクリームがあった。まだ半分以上残っているので、このまま捨てたくはないな、という考えが頭をよぎる。
その一瞬の判断ミスで、男は私の背を押してどんどんベンチから離れようとしている。
「ちょっと、止めてください」
「大丈夫、大丈夫」
何が大丈夫なのかさっぱり分からないが、男は私の話なんて聞こうともしない。こうなったらもう蹴りを入れるしかないと思い、男の脛を狙っていたそのとき、男の肩にポンと誰かが手を置いた。
「うちの妹がどうかしましたか?」
見上げると、男の背後にぴったりとくっついてニコニコとほほ笑んでいる慶吾さんがいた。口調は穏やかで口元はほころんでいるのに、彼の眉間には皺がくっきりと刻まれている。
男は「ひっ」と小さく悲鳴を上げて、慌てて私の手を放した。
眉毛が無く、目の色も左右で違う色をしていて、身長二メートル近い大男に肩を掴まれたら、そりゃ驚いて悲鳴もあげるだろう。慶吾さんの外見は、どう見たって関わったらヤバい人だ。
「すみませんね、お兄さん。うちの妹が何かしましたか?」
「い、いいえ、何もない、です」
「良かった、それじゃあ、さようなら」
慶吾さんは「さようなら」の部分を強調して男の背を押すと、彼は慌てて走り出した。何かされると思ったのだろう。
「おい、大丈夫か? あんなのにホイホイ付いて行くなよ、馬鹿かお前は」
湊人さんが私の無事を確かめるように頭やら背中やらをポンポン叩く。口は悪いが、心配してくれているのだろう。たぶん。そういうことにしておく。
「ありがとうございます。両手がふさがってたから攻撃するタイミング逃して困ってたんです。慶吾さんたちが来てくれて助かりました」
「……あの場面で攻撃しようと思ってたのか。危ないやつだな」
口で言って止まらなかったらもちろん拳で分からせるつもりだ。そう主張すると湊人さんはものすごく残念な顔をした。なんだか憐れんでいるような気配もする。きっと気のせいだろう。
「スミレちゃん、あいつにローキックしようとしてたでしょ?」
慶吾さんが珍しく真面目な口調で聞いてくる。
「はい。よく分かりましたね」
「ずっと後ろから見てたからね。女の子が暴力振るっちゃいけないなんて言うつもりはないよ。こんなご時世だから、どんな危険があるかは分からないし、自分の身を守れるに越したことはない。でも、あの場合はローキックよりも先にやることがあったでしょ」
そう言われて、私は首を捻った。両手がふさがっていたから、蹴りに転じるしかなかったのに、それじゃ駄目だったのだろうか。
答えをだせない私の様子を見て、慶吾さんがため息を吐く。
「まずは大声で助けを呼ぶの! これだけ周りに人がいるんだから、なんでも自分ひとりで解決しようとしないこと。もしあの男がキレて殴りかかってきたらどうするつもりだったの!」
「え、そのときは受けてたちますよ?」
「受けてたっちゃダメ! まったく、要君の苦労が目に浮かぶよ」
しまいには頭を抱えられてしまった。
「スミレちゃんはもっと周りを頼る事を覚えたほうがいい。今は俺もいるし、湊人だっているんだよ。まずは俺たちに助けを求めなきゃダメだ」
「でも、それじゃあ、迷惑かけることに――」
「迷惑かけていいんだよ。俺はスミレちゃんの兄貴になるんだから。湊人だって、もう兄貴みたいなもんだ。そうだろ?」
湊人さんを見ると、彼は無言でうなずいている。
今まで自分で何でも解決するのが当たり前だったので、今もそうしなくちゃいけないのだと思いこんでいた。でも、これからはそんな風に思わなくてもいいのかもしれない。
もう家で一人きりで留守番しているわけじゃないし、慶吾さんや湊人さんだけじゃなく、お母さんや青木さんに色々なことを相談してもいいのだろう。
「ごめんなさい。私、考えが足りなかったみたいです。これからは、気を付けます」
そういえば、つい最近要にもまったく同じことを言われたばかりだ。彼も、ものすごく怖い顔をしてもっと周りを頼れと言っていた。
慶吾さんは少し安心したような顔で何度も頷く。
「分かってくれればそれでいいんだよ。さあ、時間が勿体ないから次のアトラクションに行こうか?」
「こいつ、乗り物ぜんぜんダメなんだよ。揺れるのも回るのも、スピード出るのも全部乗れないんだぜ」
湊人さんは呆れている。私は自他ともに認める遊園地を楽しめない体質の持ち主だけど、そんな言い方はないだろう。
「それならゴーカートはどう? スピードは自分で調節できるし、回らないしそれほど大きく揺れないよ」
ゴーカートと言えば、さっき慶吾さんも乗りたいと言っていたはずだ。自分で操作できるなら、私も酔いを起こさないかもしれないので、彼の案に賛成する。
「私もゴーカートなら乗ってみたいです」
「んじゃ決まりだな」
湊人さんが案内看板を確認して歩き出す。ごく自然な動きで慶吾さんが彼の隣に並んでその手を握ったが、湊人さんはもう慶吾さんを咎めなかった。
二週目の観覧車のおかげで、きちんと仲直り出来たらしい。
「二人とも、仲直り出来て良かったですね」
「まあな……」
湊人さんはあまり嬉しそうじゃない。でも、彼の白い頬が少し赤くなっているので照れているだけなのだろう。
とにかく二人の関係が修復できて本当に良かった。私がそう思ったとき、慶吾さんの手がするりと湊人さんの指に巻き付いていく。ただ手を繋いでいるだけなのに、いけないものを目撃してしまった気分になった。
「そうだね。俺たち、ちゃんと仲直りできたもんな」
「うるさい。お前は黙ってろ」
湊人さんの顔がますます赤くなる。こんな所でいちゃつくのは止めてほしい。藪蛇だったかと後悔したがもう遅い。私の存在なんてまるで忘れてしまったかのように、二人の距離は縮まっていく。
もう勝手にしてくれと思いながら、私は二人の後ろを付いて行った。
たくさん遊んでいっぱい食べて、気づけばもう太陽が傾き始めていた。楽しい時間は過ぎるのが早い。遊園地に長い影が落ちる頃になると、赤や青の綺麗なライトがアトラクションを照らしだした。
「そろそろ暗くなる。今日はもう帰ろうか。あんまり遅くまで遊んでると、親父が怒るから」
慶吾さんが腕時計を見ている。そういえば、青木さんと夕飯までには帰ると約束していた。私も慌てて時計を確認すると、もう五時半を回っていた。
「本当だ、もうこんな時間」
「今日は楽しかった?」
慶吾さんが私の顔を覗き込む。
「はい。連れてきてくれてありがとうございました」
「うん、それなら良かった。俺も楽しかったし」
退園するときに、係員さんが腕に巻いてあるフリーパスポートの輪を切ってくれようとしたが、私はなんとなくそれを断った。この輪を外してしまうのが、なんだかちょっと名残惜しい。
それを見ていた湊人さんが、私の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。遠慮も加減もないからだいぶ痛い。
「また来ような。今度は、目付き悪いお前の彼氏も一緒に誘っていいから」
「はい、楽しみにしてます」
「そのときまでに、お前もう少し三半規管鍛えとけよ。乗り物にも乗れないんじゃ、楽しさ半減だ」
悔しいが湊人さんの言う通りなので黙って頷いた。でも、どうやって三半規管を鍛えたらいいのかな。こんど調べてみよう。
慶吾さんの車に乗り込み、心地よい振動に体を預けていると、いつの間にか眠ってしまった。起こされたときには、もう青木さんの家の前に着いていた。
慶吾さんは運転席から窓を開けて顔を出す。
「今日は俺の我儘につきあってくれてありがとう。俺は自分の家の方に帰るから、こっちにしばらく行けないけど、なにかあったら遠慮なく連絡してね。すぐに駆けつけるからさ」
「はい、今日は色々ごちそうしてくれて、ありがとうございました」
けっきょく、遊園地の料金から飲食代まで彼がすべて負担してくれた。湊人さんは当然にようにおごられていたし、私が財布を出すたびに年下の学生に払わせられないと慶吾さんに怒られたので、私まで彼の好意に甘えてしまったのだ。
「じゃあ、またね」
慶吾さんが手を振り、助手席の湊人さんも片手を上げる。
なんだかまだ、遊園地の余韻が体中に残っている気がして、私は手首の腕環を指でなぞった。初めての遊園地は、思いのほか楽しかった。
それに、あんなに嫌われていた湊人さんと仲良くなれたなんて、今でもちょっと嘘みたいだ。
二人を乗せた車が見えなくなるまで見送ってから、私も家に戻った。




