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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
二章
25/32

6

 遊園地に到着すると、慶吾さんはさっそくチケット売り場に並んで、私たち三人分の入園チケットと乗り物のフリーパスを買ってくれた。

 さすがにおごりは気が引けたので鞄から財布を取り出すと、慶吾さんは筋肉で盛り上がった肩を落として悲しげな目をした。

「俺が誘ったんだからさ、何も言わずに受け取ってよ。今日は俺、スミレちゃんと湊人に金出させる気ないよ」

「でも……」

 納得できないのでお金を出そうとすると、湊人さんが無理やり私の手から財布を奪い取り、鞄の中へ戻してしまった。

「いいから、ありがたくもらっておけよ。こいつの店、ああ見えてけっこう繁盛してるから小金持ちなんだよ」

「そうそう。普段は店が忙しいから、こんな風に遊びに連れていける機会はもうないかもしれないんだから、遠慮しないで」

 二人にそう諭され、私は慶吾さんにお礼を述べた。左手に巻いてもらったフリーパスの腕環がなんだか嬉しい。

「それじゃあ、行こうか」

 慶吾さんを先頭に、はりきって三人で入場したまでは良かったのだが、なぜか慶吾さんがあっさりと人ごみに流され、はぐれてしまった。

 黒づくめの大きな背中を目印にしていたのに、それが視界からいきなりパッと消えてしまったのだ。私は慌てて辺りを探したが、彼の姿はどこにも見あたらない。いい年をした大人が、こんなに簡単に迷子になるのかと驚いた。

「湊人さん、どうしましょう。慶吾さんを見失っちゃいました」

「あの野郎……またはぐれたのか」

 忌々しそうに湊人さんが舌打ちする。慶吾さんがはぐれるのは、どうやらこれが初めてじゃないらしい。

 湊人さんは携帯を取りだして素早く電話をかける。もちろん、慶吾さんにかけているのだろう。しかし、いつまで待っても繋がらない。

「あいつ、絶対許さない」

「待ち合わせ場所を決めて、二手に別れて探しますか?」

「いや、それだと全員バラバラになるかもしれない。面倒だけど、このまま固まって探そう」

「分かりました」

 アトラクションに一つも乗らないうちに、こんな事になってしまってすごく残念だ。でも、慶吾さんとはぐれたまま遊びに行くわけにもいかない。それに、慶吾さんがいなくなってしまったせいで、湊人さんがものすごく不機嫌になってしまった。

 ずっとイライラしているし、とても焦っているようにも見える。おそらく、湊人さんの目の届かない所で、慶吾さんが何をしているか心配なのだろう。

 目だけは慶吾さんを探しながら、私は湊人さんに話しかける。

「慶吾さんって、よくいなくなったりするんですか?」

「あ? なんで?」

 湊人さんも目を皿のようにして黒いシャツを探しながら返事を返す。

「だって、さっき湊人さんが『またはぐれた』って言ってたので」

「あいつ、しょっちゅういなくなるんだよ。そもそも極度のマイペースだし、興味ある物見つけたら連れのことなんてすっかり忘れるんだ。そのくせ、ようやく見つけたら悪びれもせずに『来るのが遅い』とか言うんだよあいつ。ほんと始末に負えない」

 疲れた様子で湊人さんがため息をこぼす。写真集にしたくなるほど艶のある憂いを帯びた表情だ。でも、慶吾さんに振り回されてなんだか少し気の毒に思えた。

「慶吾さんと付き合うの、辛くないですか?」

 湊人さんの横顔を見ていたら、自然とそんな質問が飛び出てしまった。私は慌てて口をつぐんだが、もう遅い。

 湊人さんは一瞬ムッとしたように私を睨んだが、なにかを諦めた表情で肩をすくめた。

「辛い。ときどき、なんであんなのと付き合ってるのか分からなくなるんだ」

「すごく生意気な事言いますけど、湊人さんが慶吾さんを追いかければ追いかけるほど逆効果なんじゃないでしょうか? たまには、湊人さんの方から慶吾さんを振り向かせてもいいと思います」

「無理だな。俺が慶吾を追いかけるのをやめたら、そのまま関係が終わるだけだ」

「そんなことないですよ!」

 慶吾さんがわざと彼に強烈な嫉妬心を芽生えさせるのは、きっと湊人さんの心が他へ向くのを防ぐためだ。湊人さんは信じられないくらい綺麗だ。彼に近寄ってくる人は、きっといっぱいいるだろう。彼ほど整った外見の持ち主だったら、それは男も女の関係ない。

 慶吾さんは、そんな人たちに目が向かないように、わざと彼の心を乱して自分の存在を刻みつけようとしているのだと思う。

「慶吾さんは、湊人さんが思っているよりもずっと湊人さんのことが好きなんだと思いますよ。だから、そんなに必死にならなくても大丈夫です」

「お前になにが分かるんだよ」

「慶吾さん本人からそう聞きました」

 私がさっき車内で聞いたことをしれっと暴露すると、湊人さんはちょっと嬉しそうに口元を緩めた。こんなおかしな好かれ方なのに、彼はそれでも嬉しいのだろう。

 彼らがそれでいいなら、別にこれ以上口を出すこともないかな。

 そんなことを考えていたら、視界の端に真っ黒い服装の人物を見つけた。

「あー、見つけた!」

「どこだ!」

 私が指をさした先には、四人の女性グループに交じってオープンカフェでお茶を飲んでいる慶吾さんがいた。楽しそうに同じテーブルについて、話に花を咲かせている。

 それを見た湊人さんからものすごい負のオーラが立ち上った。肩をブルブルふるわせ、唇をきつく噛みしめている。

 湊人さんが怒るのも無理ない。四人グループはみんな綺麗な格好をしたお姉さんたちで、あきらかに慶吾さんを大歓迎しているように見える。おまけに、慶吾さんが口を開くたびに彼の肩を叩いたり、膝に軽く触れたりとボディータッチが激しい。慶吾さんはそれを嫌がる素振りもない。

 カフェから少し距離がある場所で、湊人さんが足をとめた。

「もう、知るかよ……」

「湊人さん?」

 彼は拳を握りしめて、慶吾さんを見つめている。彼の顔は青白く、能面のようになんの感情もない。

「もうやめた。慶吾なんて、もう知るか」

 そう言って、湊人さんはそのままくるりと向きを変えて歩き出した。

 私は遠ざかっていく湊人さんを追うべきか、慶吾さんに知らせるべきか一瞬迷ってしまった。しかし、ダッシュしてカフェへ駆け込み慶吾さんの目の前に立ちはだかると、彼の顔に思い切り平手打ちをぶちかました。

「きゃあ! 何この子!」

「ちょっと慶吾、大丈夫?」

 お姉さんたちが騒ぎだすが、私は彼女たちには一瞥も与えず、慶吾さんを睨みつけた。

「慶吾さん最低です! 自分がどれだけ残酷なことしてるか、ちゃんと自覚してください」

「スミレちゃん。びっくりした……」

 慶吾さんは本当に驚いているのか、目をまん丸にして私を見上げている。

「これじゃ湊人さんがかわいそう。私、こんなに頭にきたの初めてです。もう湊人さんを慶吾さんには返しません! 私がもっと素敵な恋人を紹介します!」

 自分でもなにを言ってるのかよく分からなくなってしまったが、とにかく腹が立って仕方がなかった。

 激情のままに慶吾さんを罵って、言いたいことを言い終えた私は一目散にかけ出した。まだ湊人さんは遠くに行っていないはず。今ならまだ彼に追いつけるだろう。

 人ごみであふれかえる遊園地で、ようやく湊人さんの白いシャツを見つけた。私は彼に駆け寄り、その裾を夢中で捕まえた。

「うわ。なんだよお前」

 湊人さんは、とつぜんすがり付いて来た私に驚いてじろりと私を睨む。でも、その目にはいつもみたいな力がない。

「湊人さん、私と一緒に遊んでください」

「……嫌だ。今お前に構ってる余裕ない」

 すげなく断られるが、私は諦めずに粘る。

「駄目! 今一人になったら絶対辛くなります。お願いします。ちょっとでいいから遊んでください」

 私は湊人さんのシャツの裾を捕まえたまま、駄々をこねる子どものように引っ張り、出口へ向かう湊人さんの足を止めさせた。

「うわ、めんどくせえ」

「面倒でもお願いします。だって、湊人さんを一人にしておけない」

「……分かったよ。ちょっとだけだ」

 湊人さんは心の底から鬱陶しそうな顔をしていたが、私が梃子でも動かないと悟るとようやく首を縦に振ってくれた。

「ありがとうございます!」

「そういえば、お前遊園地初めてだったな……。なんか乗りたい物あるのか?」

 まだ気乗りしないはずなのに、湊人さん私の希望を聞いてくれる。私は嬉しくなってこくこくと頷いた。

「ジェットコースター!」

「一発目にそれかよ」

 湊人さんは呆れ顔だ。でも、私はジェットコースターがいいと譲らなかった。激しい乗り物に乗った方が、湊人さんもさっきの出来事を忘れられるんじゃないだろうかという浅知恵も含まれている。

「仕方ない、コースターはあっちだ」

 両手をポケットに突っ込み、湊人さんが歩き出す。まだ顔色はあまり冴えないが、さっきよりも少し表情が戻って来たように思う。

 私は振り返りもせず先を歩く湊人さんに置いて行かれないように、彼の後を追った。


「お前、へなちょこにもほどがあるだろ」

「面目ない」

 今、私たちはコースターから少し離れたベンチに座っていた。うう、気持ち悪い、ちゃんと地面に足を付けているはずなのに、ずっと足元がグルグルしている気がして目が回る。みんなこんな恐ろしい乗り物を楽しめるなんてすごいな……

 私は生まれて初めて乗ったジェットコースターで目を回し、途中から乗っていた時の記憶がなくなっていた。とにかく体をめちゃくちゃに振り回されたせいで、内臓がシェイクされたかと思った。

「飲み物飲めるか?」

 湊人さんに冷たいお茶を手渡されたのでありがたく頂く。

「お前、絶叫系苦手なら無理して乗るなよ」

 肩を落とし、げっそりした顔でお茶を口に含む私を眺めながら、湊人さんはしみじみとした口調で呟いた。

「いえ、自分でもこんな風になるなんて思ってもみませんでした。見てる時は楽しそうだと思ったんですけどね」

「まあ、初めて乗ったんだから仕方ないか」

 園内には楽しそうな音楽が流れ、カラフルな風船を持っている子ども連れの親子や、手を繋いだカップルたちが通り過ぎる。誰もがみんな楽しそうだ。私たちみたく、浮かない顔で肩を落としてベンチに座っている人なんていない。

「スピードの出ない乗り物ならどうだ? コーヒーカップとか、メリーゴーランドは子どもでも大丈夫だぞ」

「回転系の物は、ちょっと難しいと思います。子どもの頃、ブランコでも酔ったことがあるので」

「……ほんと、遊園地向いてないよ、お前」

 湊人さんが呆れ顔でため息を吐いた。

「すみません」

「別にいいよ、俺もあんまり乗り物得意じゃないし」

 そう言って湊人さんはベンチの背もたれに首を預けて空を見上げた。私も下を向くのをやめ、一緒になって空を見上げる。

 今日も言い天気だ。抜けるような真っ青な空に、ソフトクリームのような入道雲が浮かんでいる。それを見ると、ああ、夏だなと感じる。

「湊人さん、ごめんなさい」

「ん? なにが?」

「少しでも湊人さんの気持ちを紛らわそうと思ってたのに、逆に迷惑をかけてますよね」

「そんなのお前が気にする事じゃない。――それに、お前がまぬけなせいで思ったよりも辛くない。十分役に立ってるよ」

 湊人さんはポケットからハンカチを取り出し、私の額に浮かんでいる汗を拭ってくれた。

 私が驚いて見返すと、湊人さんはずいぶん穏やかな顔付きになっていた。

「お前のおかげで、だいぶ頭冷えた。ありがとな」

「慶吾さんのこと、許すんですか?」

 二人がこのままケンカ別れするのは私だって望まない。でも、私たちが必死になって彼を探している最中、他のお姉さんたちと仲良くお茶を飲んでいた慶吾さんのことを考えると、そう簡単には許せない。

「あいつは、ああいう奴なんだよ。良くも悪くもマイペースだし、人懐っこいからすぐ相手の懐に飛び込んでいける。それを束縛することは、俺には出来ない」

「でも――」

「俺は慶吾のそういう物おじしない部分が好きだし、そのおかげで助けてもらったことがあるから、あいつに変わって欲しいとは言えないんだ」

 湊人さんは私にそんな話をすることをちょっとためらっているようだったが、ポツリポツリと身の上を話してくれた。

「俺さ、女ばっかの家で育ったんだ。母子家庭なうえに姉が三人いて、男は俺ひとり。姉たちとは年も離れていたから、ものすごく可愛がられたよ。俺がこうして欲しいと思う前に、母親か姉が先回りして全部やってくれるんだ。だから家にいる間は、小学校に上がるまで自分の着替えを一人でした記憶がないほどだった」

「それは、すごいですね」

「うん。でも、だんだん成長するにつれて干渉されるのが鬱陶しくなった。勉強の事、友人の事、しまいには片思いの相手のことまで口を出されて嫌気がさしてきた。そんなとき、姉の友人が家によく遊びに来てたんだ。彼女はおおらかでよく笑って、細かいことはまったく気にしないような人だった。俺は中学生で、向こうは大学生になったばかりだって言ってた。度々顔を合わせるようになって、俺はどんどん彼女のことが好きになっていった」

 私は相槌も打たずに湊人さんの告白を聞いていた。彼は初めから男の人が好きなのだとばかり思っていたので、密かに驚いていた。

 湊人さんは遠い目をしながら口を開く。

「俺さ、自分が人より容姿がいいのは分かってたから、その人にすぐ告白したんだ。そしたら、いいよってあっさり頷いてくれた。嬉しかったよ。彼女は俺がどうしたいのかちゃんと聞いてくれたし、彼女の意見もきちんと伝えてくれた。でも、俺の家以外で彼女に会うことはなかった。いつも俺の家に来たがった。俺も別に外へ遊びに行かなくてもいいと思ってたから、一緒に映画見たりゲームしたり、たまに寝たりしてた。そのうち、なんかおかしいと思って外で会おうと提案してみたんだ。でも、彼女は絶対に外では会ってくれなかった」

「え、どうして?」

「彼女には、ちゃんと本命の彼氏がいたんだよ。俺はちょっとつまみ食いのつもりで付き合ったんだそうだ。まあ、大学生から見たら中学生なんて所詮ガキだよな。俺、それを知ったとき吐いちゃってさ。実は今でも軽くトラウマ」

 湊人さんは、うんざりしたような顔でため息を吐く。

「たった一回の失恋ぐらいで情けないと思うけど、それ以来、女が苦手になった。そうしたら、だんだん他人自体が苦手になってきて、高校の時なんてほとんど人嫌い寸前だった。それを治してくれたのが、慶吾だったんだ。あいつ、人の都合なんてお構いなくグイグイ来るだろ? それぐらい強引に距離を詰められると、逆に感覚が麻痺して、いつの間にか人嫌いが治ってたんだ」

 湊人さんは話をしているうちにその時の事を思い出したのか、嬉しそうな、それでいて困ったような複雑な笑みを浮かべた。

「その後は、もういっきにその道に引きずり込まれた感じだな。俺は男が好きっていうより慶吾が好きなんだよ。だから、浮気症でどうしようもない人たらしでも、あいつが俺の事を嫌いにならない限りあいつを許すよ」

「湊人さんは、本当にそれでいいですか?」

 一日に何度も嫉妬して、糸の切れた凧みたいにフラフラする慶吾さんに振り回されて、本当にそれで幸せなの? 私はそう聞きたいのをぐっとこらえた。

 湊人さんは仕方なさそうに笑う。

「まあ、好きだからな」

 そんな顔でそんな事を言われると、もう何も言えない。

「じゃあ、慶吾さんに愛想が尽きたら言ってください。湊人さんだけを一途に好きになるような人を私が紹介します」

 拳を握って力説したら、なぜか湊人さんに笑われた。ギャグだと思われたのだろうか。私が本気で良い人を紹介したい事を告げると、ようやく笑いが治まった。

「お前がどんな人を紹介してくれるのか知らないけど、その時が来たらちゃんと連絡するよ」

「絶対ですよ。あ、その時は男の子と女の子、どっちがいいのか教えてくださいね」

「分かったよ」

 適当にあしらわれている気もするが、湊人さんが少し笑ってくれたのでよしとしよう。

「さて、少し顔色もよくなってきたことだし、お前が乗れそうなアトラクション探しに行くか」

 湊人さんが私の顔色を確かめてから立ち上がる。彼は遊園地のパンフレットを広げ、私でも楽しめそうな乗り物を探していた。

 たしかに、もうすっかり気分は良くなっている。これなら、速くない乗り物なら乗れるかもしれない。

 私も立ち上がって遊園地のパンフレットを覗き込む。

「あ、これなんかいいかもしれませんね」

「それがイケるならこっちはどうだ?」

 二人で額を寄せて話し合っていると、いつの間にか第三の人物の声が紛れ込む。

「えー俺はゴーカートに乗りたいな」

 驚いて顔を上げると、そこには慶吾さんの姿があった。いつの間に合流していたのか分からないが、私と湊人さんの肩を抱き、一緒になってパンフレットを覗き込んでいる。

 湊人さんは、慶吾さんが悪びれる様子も見せないことにイラッとしたのか、無言で肩に回された慶吾さんの腕を払いのける。

 私も彼と同じ思いだったので、肩に乗せられている慶吾さんの手を思い切り叩き落とした。それでも慶吾さんは、私たちの無言の圧力にもめげずニコニコしている。

「いやー、気づいたら二人がいなくなってるんだもん、参ったよ」

「よく俺たちの前にのこのこと顔を出せたな」

「ほんとですよ。私たち、すごく心配してあちこち探したんですよ。それなのに、慶吾さんは私たちのことなんか探しもしないで、他のグループに紛れてお茶飲んでるなんて」

 今思い出しただけでもイライラしてくる。慶吾さんは反省なんて微塵もしてない。その証拠に、ぜんぜん悪い事してませんって顔をしている。

「行こう、スミレ。この馬鹿はもう放っておけばいいよ」

 湊人さんがそう言って私の手を取って歩き出す。彼の提案に異論はなかったので私も連れられるまま歩き出した。

「あ、待ってよ二人とも。置いてかないで」

 慶吾さんが後を追ってくるが、湊人さんは振り返りもしない。それどころか、どんどん歩調を速めているので、私は付いて行くのが大変だった。

 私たちは一言も口を利かず、競歩でもしているのかというスピードで歩いている。しかし、手を引かれながら観覧車の真下へ来たとき、私はついつい立ち止まってしまった。

「スミレ、どうした?」

 湊人さんが怪訝そうに私を振り返る。

 私は口を半開きにし、首を垂直に見上げていた。今まで遠くからしか見たことなかったが、観覧車の大きさに驚いた。真下から見ると、信じられないくらい巨大で、ゆっくりと音もなく回っているのがすごく神秘的に見える。

「観覧車、乗ってもいいですか?」

 湊人さんにそう尋ねると、彼は「いいよ」と言って頷いてくれた。

「じゃあ、三人で乗ろうか!」

 後から追いついてきた慶吾さんが、ちゃっかり会話に混ざってくる。私は初めて観覧車を間近で見たことに興奮してそれどころではなかったし、湊人さんも仕方がないという顔で慶吾さんの同乗を許した。

 幸いそれほど行列もできていなかったので、私たちはすんなりと順番を迎えた。乗降口に三人で並んで立ち、ドキドキしながら乗り込むタイミングを待つ。緑色のゴンドラが音もなく滑り込み、係員さんの合図で素早く乗り込んだ。

 固いシートの座席に座って外を眺めていると、私の隣に湊人さんが座った。慶吾さんの隣に行かないのかと不思議に思って彼の顔を覗き込むと、不機嫌そうに眉を寄せたまま視線を逸らした。

 まだ慶吾さんを許したわけではないらしい。それもそうだ。もしも私が要に同じ事をされたら、どんなに謝られてても、しばらく腹の虫が治まらなくて要の顔なんて見たくもない。それに、慶吾さんは一度も私たちに謝っていすらいないのだ。

「ねえ、なんで湊人もそっち側に座るの?」

 慶吾さんは湊人さんに声をかける。怒っているのを承知でそんな事を聞くので、湊人さんの表情がますます険しくなった。もしかして、慶吾さんは湊人さんを怒らせたいのだろうか?

「お前の隣にはしばらく座りたくない。っていうか、顔も見たくない。観覧車降りたら俺はスミレとその辺回るから、お前はまたナンパでもしてろよ」

「悪かった。俺が大事なのは湊人だけだよ」

「その割には、好みのタイプの女を見つけると、すぐに愛想よく寄っていくよな」

「本当にごめん。もうしないよ」

「できもしない約束なんて、するだけ無駄なんだよ」

 どうやらこのやりとり、もう何度も経験しているらしい。それでも、慶吾さんは懲りずに湊人さんを置いて他の女の人の元へ行ってしまうのなら始末に負えない。

 湊人さんは決して慶吾さんと視線を合わせようとせずに窓の外を見ていたが、とつぜん、くるりと私の方を振り返った。

「スミレの言う通り、慶吾とは別れてお前のお薦めの友達紹介してもらうかな」

 真剣な顔をしているが、よく見ると唇の端がちょっともち上がっていて、笑うのを堪えているように見える。今度は湊人さんがやきもちを妬かせたいらしい。

「年下でも構わないなら、ちゃんと真面目な人を紹介できますよ」

 話を振られた私は、神妙な顔で頷いた。すると、慶吾さんが「高校生と付き合ったら、条例に違反するんじゃない……?」と口を挟んできたが、湊人さんのひと睨みで黙った。

 私はそれほど顔が広いわけじゃないが、本気で彼氏を欲しがっている真面目な友人はけっこう多い。ほんの一瞬だけ、臼井君の顔が頭をよぎってしまったが、彼を紹介するのは止めておこう。臼井君にも趣旨変えをお願いしなければならなくなるし、私がこんな話を彼にするのはデリカシーがなさすぎる。

 しばらく誰も口を開くことなく、ゆっくりと下降する外の景色を眺めていた。いつの間にか、私たちが乗っているゴンドラはてっぺんを通り過ぎていた。

 乗り込んだ時と同じように、ゴンドラは音もなく乗降口に差しかかる。係員さんが扉を開けてくれたので、私が一番に外へ出る。その後二人も続くものだと思ったのに、ゴンドラから降りようとする湊人さんの腕を慶吾さんが掴み、湊人さんを再び中へ引きずり込んだ。

「あ、ちょっと!」

 係員さんが慌てていたが、慶吾さんは湊人さんを座席に押し込める。

「すいません、もう一周お願いします。スミレちゃん、ごめん少し待ってて」

 慶吾さんが申し訳なさそうな顔をして、再び扉の鍵を閉めた。

 私はびっくりして何も言えず、ただ口を開けたまま二人の乗ったゴンドラを見送ることしかできなかった。慶吾さん、ゴツイ体つきなのにあんなに素早く動けるなんて、ちょっと驚いた。

 置いて行かれたものは仕方がないので、私は大人しく二人の帰りを待つことにした。

「一周するのに約十五分か。結構長いな」

 ただ待っているだけでは退屈だ。私は近くにあった売店でソフトクリームを注文してベンチに腰掛けた。慶吾さんたちが乗っている緑のゴンドラを探してみたが、真下からではどれがどれだかわからない。

 あの二人は、一度お互いが納得がいくまで腹を割って話し合ったほうがいいと思う。案外似たもの同士なところもあるし、なんだかんだ言って、二人とも相手が自分の事がどれほど大事なのか確認したいだけなんだと思う。

 嫉妬してほしい慶吾さんと、嫉妬深い湊人さん。加減を間違えなければ、きっと二人は破れ鍋に綴蓋のようなベストカップルになれるんじゃないだろうか。


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