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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
二章
24/32

5

 朝、目が覚めて周りを見渡し、いつもの自分の部屋じゃない事にまず驚いた。

 そうだった。昨日、青木さんの家に引っ越して来たんだった。

 淡いオレンジのカーテンがかかった部屋をぼんやり見つめる。いつまで青木さんのお家にお邪魔するのか分からないが、ここが昨日から私の新しい部屋だ。

 部屋の隅にはまだ荷ほどき出来ていない段ボールが積まれていて、前の部屋から持ってきた勉強机の上には整理しきれていない本が積み上がっている。荷物をすべて解いてしまうと、次に引っ越すときに大変かもしれないので、必要な物を見極めて箱から出し、あとはそのままにしておくつもりだ。

 そんな事を考えていたら、枕元に置いていたスマホが震えた。見ると、要からのメールが届いている。

 まずは昨日のお寿司のお礼から始まり、今日から一週間、友人の植木君の代わりに彼のバイト先に通うことになった事が書かれていた。なんでも、植木君が足を怪我したためバイトに出られなくなったせいらしい。

 メールの最後には、『せっかくの夏休みなのに、いきなり予定を合わせられなくてごめん。働いた分の給料はしっかりもらえるらしいから、全部終わったら何かおごる』と締めくくられていた。

 会えないのは寂しいが、そういうことなら仕方がない。せめて、バイトの邪魔をしないことを条件に、要が働く姿を見に行っていいかと返信すると、しぶしぶ了承してくれた。どうやら駅前の個人経営のカフェで働くらしい。

 時計を見ると、もう九時をとっくに過ぎていた。こんなに遅くまで寝坊したことなんてなかったのに、どうして目が覚めなかったんだろう。やっぱり、昨日の引っ越し作業で疲れていたのかもしれない。

 部屋で着替えを済ませて一階へ降りる。すると、ポロシャツ姿の青木さんがリビングでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。今日は日曜日だから仕事はお休みらしい。

「おはよう、スミレちゃん。よく眠れたかな?」

「あ、おはようございます。はい、ぐっすり眠れました」

 青木さんは、やっぱり今日も少し残念スタイルだ。ベージュのポロシャツと黒いスラックスという組み合わせはいいけれど、ポロシャツがスラックスの中にしっかりとしまわれているのがちょっとダサい。でも、そのあか抜けない感じが逆に安心できる。

「おはようスミレ。今日はずいぶんゆっくりね」

 キッチンから母が顔をのぞかせた。エプロンを付けて、その手にはフライ返しが握られている。なんだか新妻みたいに張り切っている。

「ごめん、寝坊しちゃった。お母さんが朝ごはん作ってくれたんだね」

「そうよ。お母さん、これからは料理も洗濯も頑張るからね。部署の異動希望も秋には通りそうだし、今度から仕事減って早く帰ってこられるようになるんだ」

 それは初耳だ。おそらく青木さんと同居することになったから、家事を積極的にやり始めるつもりなんだろう。

 フライ返しを高々と掲げて宣言する母を、青木さんが温かな目で見つめている。私、お邪魔なんじゃないだろうか……

 なんだかリビングに居づらい雰囲気になってしまったところで、慶吾さんがあくびをしながら入って来た。

「おはよー。みんな早いね」

 慶吾さんは眠そうな目を擦りながら、どっかりとソファーに座った。彼の着ている真っ黒なシャツの胸元はざっくりと開いていて、そこから鎖骨の下辺りに黒い模様が覗いている。どうやら、タトゥーを入れているらしい。

 よく任侠映画で目にするような多彩で渋い和彫ではなく、黒一色で幾何学模様のようなスタイリッシュなものだ。怖いというよりもカッコいいイメージだろうか。

「おはよう慶吾君。コーヒーでも淹れましょうか? 目が覚めるわよ」

「ああ、ありがとうございます京子さん。お願いします」

 母は慶吾さんのタトゥーに驚いた様子も見せず、お湯を沸かし始める。慶吾さんがもう成人して家を出ているせいなのか、母はあまり彼に干渉しない。

「スミレも座って。朝ごはん持ってくるから」

「ありがとう」

 こんなにかいがいしく母に世話をされるのはずいぶん昔の事のようで懐かしい。仕事の量を減らして家に居られるようになるなら、これからも一緒に食事をする機会も増えるかもしれない。

 母が運んできてくれたコーヒーと少し焦げた目玉焼きを食べていると、同じメニューを平らげていた慶吾さんが話しかける。

「スミレちゃん、今日の予定は?」

「とくにありません。まだ部屋の片づけもちゃんと出来ていないので」

「それじゃあさ、これからちょっと俺に付き合ってくれない?」

 いったいどこに? と尋ねる前に、リビングにいる青木さんが眉を寄せて新聞から顔を上げる。

「慶吾、お前がスミレさんを連れまわすのはあんまり感心しないな」

「親父が心配するような場所には連れて行かないし、ちゃんと夕飯までには家に帰すから心配要らない。スミレちゃんだって、ずっと家に籠っているより、少し外に出かけた方がいいよね?」

 慶吾さんはそう言うと、意味ありげな視線を投げかけてくる。きっと私の同意が欲しいのだろう。

 私はちょっと考えた末、彼の申し出に頷いた。せっかくの日曜日なのだし、新婚夫婦のような雰囲気の母と青木さんを二人きりにしてあげたかった。

 青木さんは渋い顔を崩さなかったが、私が行きたいと言っているのでそれ以上反対しなかった。その代わり、母に心配をかけないように早めに家に帰ってくることを約束させられた。


「さてと、どこに行こうか」

 朝ごはんを食べ終え、慶吾さんの車に乗り込んだところでこの一言。

「え? 行くあてがあったんじゃないんですか?」

「じつはなんにも考えてないんだ。スミレちゃん、どこか行ってみたい所ある? せっかくの夏休みなんだから、少し遠い所だって連れて行ってあげるよ」

 そんな事を言われても急には思いつかない。首を捻って考えていると、慶吾さんは「とりあえず車走らせながら考えようか」と言ってエンジンをかけた。

 ちなみに、慶吾さんの車は黒に近い紫色で、車高がやたら低い。バンパーなんて、ほとんど地面スレスレだ。車に詳しくない私にはよく分からないが、普通では見かけないようなゴテゴテした飾りも付いているので、もしかしたら改造車なのかもしれない。

 もしも私が免許を持っていたら、絶対に公道では近づきたくないタイプの車だ。

 慶吾さんは皮張りのハンドルを片手で操作しながら、機嫌良さそうに窓を開ける。空気が車内を通り抜け、少し汗ばんでいた額に涼しい風が当たる。

「今日は天気もいいし、遠くまでお出かけしたくなるねえ」

「慶吾さん、そういえば今日はお仕事行かなくてもいいんですか?」

「んーあんまりよくはないんだけど、今日は臨時休業ってことで。その日の気分で店の開け閉めを決められるのは、自営業の強みだね。それより、これから遊園地に行こうか」

「え、遊園地ですか?」

「そう、遊園地。嫌い?」

 慶吾さんにそう問われて、私はちょっと考え込んだ。実は、私は遊園地に行ったことがない。家族ではもちろんのこと、友達同士でもなぜかそこへ行こうとは思わなかったのだ。

 自由になるお金も少なかったから、入場料やらフリーパスに高いお金を払うよりも、街で買い物をしたり美味しい物を食べたりする方がお得だと思っていた。

 行ったことがないと正直に答えると、慶吾さんは目を丸くした。

「え、行ったことないの? え、一度も?」

「はい」

「よし、分かった。今日はなにがなんでも、お兄さんが遊園地に連れて行ってあげよう!」

 慶吾さんはなぜか急に張り切りだし、車はぐんぐんスピードを上げる。

 そんなに加速したら、違反になるんじゃないかと思うと、すごくハラハラした。

 そのとき、ダッシュボードに置いてあった慶吾さんの携帯が鳴る。

「あ、悪い。今運転中だから、代わりにスミレちゃん出てくれない?」

「え、私が出ていいんですか?」

 慶吾さんに電話をかけたはずなのに、知らない女がでたら、先方は驚くんじゃないだろうか。しかし、慶吾さんはまったく気にならない様子で「早く早く」と私を急かす。

 私は恐る恐る震える携帯を手に取り、通話ボタンを押す。

「はい、青木慶吾の携帯です」

 電話の相手が私の声を聞いて一瞬怯んだ気配がした。やっぱり、びっくりされてしまった。

 しかし、沈黙していたのはほんの一瞬で、電話口の向こうから怒りを含んだ声が聞こえてきた。

『お前、誰だよ。これは慶吾の携帯だ。勝手に人の電話にでてんじゃねえよ』

「あ、慶吾さんは運転中なので私が代わりに出たんです。もし急ぎなら伝えますので――」

 用件をお願いします。と言うはずだったのだが、その前に電話の相手が怒鳴りだした。

『いいからさっさと慶吾に代われよ!』

 電話越しとはいえ、思い切り怒鳴られて耳がキーンとする。私が困っているのを察した慶吾さんが、私の手から携帯を取り上げる。

「もしもし、代わりました。――なんだ湊人か。そうだよ、今車で移動中」

 なんとなく聞き覚えのある声だとは思っていたが、電話の相手は湊人さんだった。どうりであんなに怒っていたわけだ。私が慶吾さんの妹になるのが気に入らない彼は、私が慶吾さんの周りに居るだけで不機嫌になる。

 どうして、彼はあんなに心が狭いのだろう? 黙って立っていればモデル顔負けのルックスなのに、湊人さんは慶吾さんの事になると全く余裕がなくなってしまう。

「今日はスミレちゃんとデートしてくるから、店に行くのは夕方過ぎだな。……ええ? お前も? 分かった分かった、悪かったよ」

 慶吾さんは電話を切ると、とつぜん車の方向を変えた。

「悪い。ちょっと寄り道するわ」

「どこに行くんですか?」

「湊人拾いに行く。俺がスミレちゃんと二人きりでいるのが嫌だって、めちゃくちゃ怒ってるんだよ」

 困っているような口調だが、慶吾さんの口元はニヤけていて、なぜか少し嬉しそうだ。私は、なんだかその顔に少し違和感を覚えた。

「もしかして慶吾さん、わざと湊人さんに嫉妬させてませんか?」

「あれ、バレちゃった? 恋人にやきもち焼かれるのって、気分いいよね」

 今まで、湊人さんが異常に嫉妬深い性格をしているのだと思っていたが、もしかすると原因は慶吾さんの方にあるのかもしれない。わざと私と二人きりでいることを湊人さんに伝えたのだとしたら……

「ずいぶん、変わった愛情表現ですね」

「ほんとねー。自分でもちょっとどうかと思うんだけど、好きな子ほどいじめちゃうんだよね」

 まったく悪びれもせずに慶吾さんは肩をすくめる。

「湊人さん、かわいそう。今ごろすごくイライラしながら待っているんでしょうね」

 慶吾さんたちがどんな付き合い方をしようとも口を出す気はなかったのだが、ついつい口が滑ってしまった。

 風の音でもかき消されなかった私の言葉を聞いて、慶吾さんはピアスの開いた口元をニッと吊り上げる。眉毛がないせいか、その顔はどこからどう見ても悪人だ。

「俺わがままだからさ、湊人には一日中俺のことを考えていてほしいんだ。でも、さすがに四六時中俺の事を気にしてくれってお願いしたって難しいだろう? だから、湊人には嫉妬してもらうことにしたんだ。そうすれば、あいつは今なにしているんだろう、ってずっと意識してもらえるだろう?」

 あー、やっぱり厄介なのは慶吾さんの方だった。

 私は何も言えなかった。慶吾さんに思い通りに操られている湊人さんが、本当にかわいそうに思えてならない。

 慶吾さんの運転する車は、一軒の古いアパートの前で止まった。二階建てで、塗装の剥げかけた赤い手すりのついた外階段。どこにでもあるような普通のアパートだ。

 慶吾さんが携帯を取り出して電話をかけると、二分と経たずにアパートの一室から湊人さんが出てきた。

 彼は恐ろしく整った顔を不機嫌そうに歪め、こっちにやってくる。そして、助手席に私が座っているのを見たとたん、彼の形の良い眉が吊り上がった。

「邪魔、後ろに移動して」

 ドアを開けて顎で後部座席を示す。

「あ、ごめんなさい」

 私は急いで助手席から降りた。恋人の車の助手席に、自分以外の人間が座っていたら誰だって気分が悪いはずだ。うっかりしていたとはいえ、言われるまで気づかなかったのは失敗だった。

「湊人、そんな言い方はちょっと大人げないんじゃないか? スミレちゃんが先に座っていたんだからさ」

 慶吾さんがやんわりと湊人さんをたしなめる。一見正論に聞こえるが、湊人さんを嫉妬させるのが目的だと分かった今は、彼の言葉を素直に受け取れない。

 私はさっと身を引いて首を振った。

「慶吾さん、今日は別行動にしましょう。せっかく誘ってもらっておきながら申し訳ないですが、湊人さんにまで迷惑かけたくないので、私はここで失礼します」

 二人の邪魔はしたくない。それに、これ以上湊人さんに嫌われるのも嫌だし、やきもちを焼かせる材料になる気もない。

 私はぺこりと頭を下げて歩き出そうとしたが、すぐに強い力で腕を引かれた。振り返ると、湊人さんが怖い顔のまま私の腕を掴んでいた。

「お前を追い出したいわけじゃない」

「……でも」

「いいから乗れ。道路のど真ん中でこんな押し問答させられる方が迷惑だ」

 有無を言わさず後部座席に押し込められ、間髪いれずに慶吾さんが車を発進させた。

「逃げようと思っても駄目だよ。今日のところは諦めて、お兄さんたちと遊園地で楽しい思い出を作ろう」

 慶吾さんが妙に楽しそうに笑う。

「どうでもいいけど、なんで慶吾がこのガキを遊園地に連れて行かなきゃならないの?」

 湊人さんは不機嫌な顔を隠そうともしない。私と慶吾さんに付いてきてくれるらしいが、どうしてこうなったのか納得しているわけではないらしい。

「だって、スミレちゃん一度も遊園地に行ったことないって言うんだよ。これは未来の兄として連れて行ってあげなきゃと思うだろう」

「お前が一緒に行ってやることないだろ。こいつにも彼氏がいるんだから、そいつが連れていってやればいいんじゃないのか?」

「ああ、そういえば要君も一緒に行きたいって言うかな? もし連絡付くなら、今から彼も誘っていいよ」

 慶吾さんはそう言ってくれたが、私は首を横に振った。

「要は、今日は急な用事が出来たそうです。友達が足を怪我したから、彼のバイトを代わりに引き受けたってメールがありました」

「あちゃー、要君も間が悪いね。それならしょうがない、やっぱり俺たちだけで行こう」

 もう何を言っても慶吾さんは私を遊園地へ連れて行くと決めているらしい。それなら大人しく彼の好意に甘え、人生初の遊園地を楽しんでみよう。

 窓の外には、だんだん近づいてきた巨大な観覧車が見える。それがゆっくりと回っているのを見ていたら、少しだけわくわくした気持ちになった。

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