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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
一章
2/32

 放課後、私は制服姿のまま本屋へ立ち寄った。雑誌コーナーで立ち読みを始めてから、もうかれこれ二時間くらい粘っているだろう。店員の顔からだんだん笑顔が消え、店の外はだいぶ暗くなっている。

 でもまだ家に帰りたくなくて、たいして興味もない雑誌を手に取った。ペラペラとページをめくり、面白くなさそうな記事を読みとばす。

 そろそろ足も疲れてきたし、さっきから後ろを通りすぎる店員の咳払いも険しい雰囲気になっている。ここで時間を潰すのはさすがに限界かもしれない。

 私は足元に置いていた鞄を掴んで本屋から出た。行くあてがないので、足は自然に家の方へと向いてしまう。

 嫌だな、本当はまだ帰りたくない。

 私は自分の家があまり好きじゃない。正確には、一人きりで家にいるのが苦手なのだ。

 私の家は駅から歩いて十五分。二階建てで日当たりは良好。草むしり不要な総タイル張りの庭付き一戸建て。客観的に見てもなかなかいい家だと思う。でも、一人きりで過ごすには広すぎる。おまけに、最近は夕方になると無言電話が頻繁にかかってくるようになった。

 相手に心当たりはあるのだが、証拠がないのでどうしようもない。なにしろ非通知でかけてくるし、向こうはなに一つ声を発しないので、誰かを特定するのは難しい。

 広い家でひとりの夜を過ごすのは心細い。父も母も仕事が忙しく、平日はほとんど二人の顔を見ることはない。娘の私の目から見ても仲がいいとはいえない彼らは、お互いはち合わせしないよう、わざと家を空けているのかもしれない。

 父はもとより、近頃では母も出張の回数増えてきた。昔はどんなに遅くなっても家に戻って来ていたのに、今では会社に泊まることもある。

 家に帰った私は、すぐに明かりのスイッチに手をのばす。玄関や廊下の照明もすべて灯し、少しの暗がりも光で塗りつぶす。こうしないと、一人きりの寂しさに押し潰されしまいそうになる。

 カーテンを閉めるために窓辺に立つと、ふと向かいの家が目に入った。明るいオレンジ色の光がこぼれている。私はなんとなく、彼の家を見てホッとした。まるで寒い冬に暖炉の炎を見たときのように、胸の内が温かくなる。

 要の家はうちとはまるで違う。きちんとした家族が揃う温もりを伴った光だ。

「要のおばさんのご飯、美味しかったな」

 以前、要の家でご馳走になった大皿に盛られた湯気の立ち上る料理を懐かしく思い浮かべる。高校生になるまでほとんど毎日お世話になっていたので、すっかりおばさんの料理がお袋の味になってしまった。

 私はそっと自分の家のカーテンを閉め、対面キッチに向かった。すべての明かりを点け、広い室内を見渡す。彼の家に負けないくらい明るいのに、心の奥ではなぜかむなしい気持ちがしていた。

 母はきっと、私が寝てしまう時刻まで帰ってこないだろう。父はもうずっと前から、月の半分も家に帰ってくることはない。どうやら父には、こことは別に帰る場所があるらしい。

そのせいで母の帰りはますます遅くなる。最近では、母も新しい人生のパートナーが見つかったと言っていた。世間にはこんな話はありふれているし、私が幼いころから二人は不仲だったから、別に今さら驚くことでもない。



 二階の自分の部屋で着替えを済ませてから、リビングに戻ってぼんやりとテレビを眺める。お昼に食べたお弁当の箱を洗わないといけないのに、立ち上がるのが億劫だ。

 そういえば、そろそろ夕飯を作らなければいけない時間だ。でも、なにもする気がおきない。一食ぐらい抜いても平気だろうか。

 そんな事を考えていたとき、来客を告げるインターホンが鳴った。一瞬体が強張ったが、電話の呼び出し音ではないことに気付いてホッと息を吐いた。

「はい。どちら様ですか」

「俺」

 ディスプレイを見ると、インターホンのカメラを見下ろしている幼なじみの姿が映っている。ダメージジーンズによくわからない柄のシャツを身につけ、手にはビニール袋を持っている。ダルそうに体を傾けている様子は、深夜のコンビニ前にたむろしている不良連中の見本のようだ。

「どうしたの、なにか用?」

「うん、大事な用。とにかく鍵開けてくれ」

 私は玄関のドアを開いてやった。そのとたん、要は「おじゃまします」と言って遠慮なくリビングまで上がり込んでくる。

 幼いころから行き来をしているので、我が家は彼にとっても勝手知ったる家なのだ。リビングにどっかりと腰を下ろし、コンビニの袋からなにかを取り出している。

 中学生になってからは私の家に遊びに来る機会も減っていたが、ここ最近になって、彼はこうしてたまに訪ねて来るようになった。

 すっかり成長した幼なじみを不思議な気持ちで眺めていると、彼はテーブルの上に買ってきた商品を広げ、真剣な顔をして私を見上げた。

「さっきコンビニで弁当買ったんだけど、オムライスの中身がガーリックライスだったんだよ」

「それで?」

「だから、今すぐチキンライスのオムライス作ってくれ」

 わけが分からない。なぜ彼はそんな理由でうちにやって来て、オムライスを作れと強要してくるんだろう?

 私は駄々をこねる小さな子供を相手にするつもりで、偉そうにソファーにふんぞり返っている要に語りかける。

「中身がガーリックライスでもきっと美味しいよ。好き嫌いしてないで、自分の家に帰って残さず食べなさい」

「嫌だ。俺はオムライスの中身はチキンライスしか認めない」

 要はソファーに腰をおろしたまま、微動だにしない。相手は人の腕に平気で噛みついてくる野犬のような男だ。私の優しい言葉なんてまったく耳に入らないらしい。

 そんな要の態度に、瞬時に頭に血が上る。自慢ではないが、私だってけっこう短気な方なのだ。

「あんたのオムライスの好みなんて知らないよ! それに、買ってきちゃったそのオムライスどうするのさ」

 要は親の仇でも見るかのような目付きでコンビニのオムライスを睨みつけている。

「それはお前にやる。今夜の夕飯にでも食べろよ」

「いらないよ! 要の食べかけのオムライスなんて!」

 パッケージに入ったままのオムライスには、くっきりとスプーンの跡が付いている。おそらく、一口食べて中身に気付いたのだろう。自分の食べかけを人に寄こしてくるなんて、なんて奴だ。

「スミレ、好き嫌いは良くないぞ」

「要がそれを言うのはおかしいよね」

 どうあっても、彼はコンビニのオムライスをお下がりとして私に与え、自分は私に作らせたチキンライスの方を食べるつもりらしい。

 言いだしたらテコでも動かないので、今回は私の方が折れることにした。なんでもいいからさっさと作って追い返そう。

「わかった。これから作ってあげるから、できあがるまでちょっと待ってて」

「肉多めでよろしく」

 ちゃっかりリクエストしてくるあたりが図々しい。でも、嬉しそうな笑顔は屈託がなく、普段は強面のくせになんだか可愛らしく見えた。

 キッチンに入ってまずは材料を確認。あ、ご飯を炊いてなかったから冷凍ご飯を使うしかないかな。

 チキンライスは、みじん切りの玉ねぎに鶏肉とご飯をたっぷりのバターで炒める。鶏のもも肉は気持ち大きめに刻み、ケチャップはご飯を入れる前に投入して余計な水分飛ばしておく。

 バターとケチャップの混じるいい香りがしてきたせいか、リビングでテレビを見ていた要がチラチラとこちらを見ている。対面キッチンなので、お互いの様子が丸わかりだ。

 そのとき、リビングの隅においてある電話が鳴った。

 完全に油断していた私は、キッチンから動けずにその場に固まった。いつまでも電話に出ようとしない私を不審に思ったのか、要が立ち上がる。

「出なくていいのか?」

「あ、いや、出た方がいいんだけど……」

 口ごもる私を見てなにかを感じ取った様子の要は、受話器を取って耳に当てた。

「はい。石脇です」

 そしてしばらく黙り込む。要の眉間の皺がみるみる深くなり、なにも言わずに受話器を元の場所まで戻した。おそらく、相手はいつもの無言電話の人だったのだろう。

「相手、なんにも喋んなかったぞ」

「うん。最近夕方になるとよくそんな電話がくるんだよ。最初のうちは私も相手に文句言ったりしてたんだけど、なに言ってもほとんど手ごたえがなくて、だんだん気持ち悪くなってきちゃったんだ」

 普段は負けん気の強い私だが、見えない相手からこういった嫌がらせを受けるのは、精神的なダメージが大きい。無意識に手が震えて冷や汗が出てきた。

 勝手な想像だが、おそらく犯人は父の不倫相手なのではないかと疑っている。しかし、それを家に帰ってこない父に言うのは無理だし、母に相談するのも要らぬストレスを与えてしまいそうで嫌だ。

 なんとなく要に弱っていることを知られるのが恥ずかしくて、私はなんでもないふりをして料理を再開した。

 家に帰ってこない両親の仲は、こどもの私から見ても冷え切っていると思う。きっと、離婚も秒読みの段階まで来ているのだろう。二人はなにも言わないけれど、なんとなく寒々とした空気を感じ取ることはできる。

「大丈夫か」

 不意に気配を感じて振り返ると、私のすぐ後ろに要が立っていた。私の顔を覗き込むように顔を寄せて屈みこんでいる。

「びっくりした。火を使ってるんだから脅かさないでよ。危ないな」

「お前、今なに考えてた」

 要はフライパンを持つ私の手に自分の手を重ね、もう片方の手でコンロの火を消す。ポッと小さな音を立てて消えてしまう炎を見つめたまま、私は顔を上げられずにいた。

「なんにも考えてないよ。オムライス作ってるんだから向こうでおとなしく――」

 待ってなさい。と言う前に、要の手が私のうなじにかかる長い髪をそっと退かした。自分よりも高い体温を持つ指に触れられ、私は思わず肩をすくめた。

 要が小さく息を吐くと、むき出しにされたうなじに息がかかって鳥肌が立った。

 ずいぶん近い距離にいる。そう考えた次の瞬間、肌に柔らかいものが当たった。そして、ゆっくりと皮膚に食い込んでくる固いなにか。

「いたっ」

 カリッと噛まれ、思わず悲鳴を上げる。すると、噛みついたことを詫びるように生温かくて湿ったものがうなじにすりつけられた。舌で舐められたのだと分かったとたん、ぞわっとした感覚が全身を駆け巡る。

 軽く吸われている皮膚がピリピリとした刺激を伝えてくる。全身が総毛立つ感覚は、風邪を引いたときの悪寒にも似ているが、これはもっともっと危ういものだ。下手したら、仲の良い幼なじみという私たちのこれまでの関係が、ガラリと変わってしまうかもしれない。

「やだ、やめて」

 恐怖を感じて肘で要の体を押すと、やんわりとした吸引が止まった。濡れた唇がゆっくりと離れていくが、置き土産のように吐息を落とされてまた鳥肌が立った。

「ほんともう無理。なんなの、なんで急にこんなことするの!」

 怒りと羞恥で声が震えた。文句の一つも言ってやろうと振り返ると、穏やかな笑みを浮かべている要の瞳と私の視線がぶつかる。

「そんなに怒るなよ。少しは元気出ただろ」

「この馬鹿犬!」

 カッとして要の頬めがけて手を振り上げるが、それは彼の手によって捕まえられてしまった。

「うお怖え。すぐキレるなよ、狂暴女」

「うるさい駄犬。これ以上なにかしたら、要のおばさんに全部言いつけるからね」

「はいはい。言われなくても今日はもう近づきませんよ」

 あっさりと私の手を放した要は、リビングに戻ってその辺に転がっていた新聞を読み始めた。その顔に動揺や照れはまったくない。

 私だけが意識させられてしまったみたいで、すごく悔しい。私は憮然とした表情でコンロの火を付け直し、怒りにまかせてフライパンを振り始めた。その後、味付けは怒りにまかせて適当にしたので、チキンライスはケチャップが全体に行き渡らずにムラができていた。ざまあみろ!

 できあがった料理をだすと、要はスプーンも取らずにじっとそれを見つめている。なんだか困ったような表情だ。

「なに? 食べないの」

「ケチャップかけてほしいんだけど」

「ああ、忘れてた」

 冷蔵庫からケチャップを取り出して、トロトロ卵の上にサッとそれをかけてやる。

「はい。召し上がれ」

「……なんだよこれ」

「え?」

「ケチャップで『バカ』とか……お前は小学生かよ」

 横暴な幼なじみに一矢報いるために、ケチャップで彼の悪口を書いてやったのだ。これくらいの意趣返しなんて可愛いものだ。

 私は要から視線を外し、とぼけた顔でコンビニのオムライスを口に運ぶ。

 要はじろりと私を睨んでから、『バカ』の文字が描かれたオムライスを無言で頬張る。見た目はともかく、味は気に入ったらしい。スプーンをかき込む彼の手は止まらない。

 なんとなくそれを嬉しく思いながら、要が買ってきたガーリックライスのオムライスを食べた。

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