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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
一章
16/32

16

 放課後、要の爆弾発言はあっという間に他の学年にまで知れ渡ったらしく、すっかり以前の噂は鳴りをひそめているそうだ。帰り支度を終えた由佳理ちゃんが、嬉しそうに噂の上書きが成功したことを教えてくれたので、どうやら要の思惑通りに事態は進んでいるようだ。

 しかし、私の周りは相変わらず不穏な様子でざわざわしているので、不名誉な噂が消えたという実感はあまりない。

 あの要が、みんなの前であれほど派手な告白してきたなんて、今でも信じられない。

 私のところに直接噂の真相を聞きに来る人はまだいないが、この先も突撃されないとは限らない。詳しい話を求められても困るので、私はさっさと荷物をまとめて席を立った。

「ごめん由佳理ちゃん、今日は急ぐからまた明日ね」

「あ、ちょっと待って! 私ももう帰るから、どこか寄っていこう」

 由佳理ちゃんが慌てて追いかけてくる。彼女は普段は委員会の会議があったり、他の学校に通っている彼氏との約束が入っていたりするので、別々に帰ることが多い。しかし、今日は一緒に帰ってくれるらしい。

「うん、いいね。私もお腹空いちゃった」

「よし、うどんでもすすりに行こう」

 どうしてそこでクレープやアイスといった可愛らしい食べ物が出てこないのか不思議でならない。

 でも、うん……今日はうどんの気分だ。湯気の立ち上る熱いうどんを、汗だくになりながら食べたい。

 もしかして、要が一緒に帰ろうと誘いに来るかもしれない。でも、今日だけは彼と少し距離を置きたかった。もっとちゃんと冷静にならなければ、要の前でどんな顔をすればいいのか分からない。

 私と由佳理ちゃんは並んで教室を後にし、釜揚げうどんのチェーン店へと向かった。

 校舎を出るまでは、知らない人たちにじろじろ見られていたが、学校の外へ出るとそんなことも気にならなくなった。


 うどん屋に入ると、冷房が低い唸りをあげていた。外のうだるような暑さを忘れるほどの冷気を浴びる。あー、涼しい。

 店内には数人のお客しかいない。私たちは空いている席に座り、それぞれ好きなものを注文した。私は肉玉うどんで、由佳理ちゃんが頼んだのは山菜うどん大盛りのちくわ天のせというボリュームたっぷりの品だ。

 まだ夕飯には早い時間帯ということもあり、すぐにうどんが運ばれてくる。

「ねえスミレちゃん、ひとつ教えてほしいんだけど」

 由佳理ちゃんはさっそく、ちくわ天をかじりながらこちらに顔を向ける。

「本当のところ、戌井君をどう思ってるの?」

 核心を突いてくるその質問に、私は戸惑った。

「それが、自分でもよくわからないんだ」

「あんなに長い間一緒にいるくらいだから、嫌いではないんだよね?」

「もちろん。でもね、物心付いたときから一緒に育ってきたから、姉弟きょうだいみたいな感覚なんだよね」

 その答えですべてを察してくれた由佳理ちゃんが、箸を止めてまじまじとこちらに目を向ける。

「男として見れないってこと?」

「正直なところ、それもよくわからない。今まではそんなふうに意識したことなかったし……恋愛ってすぐに壊れそうで、なんか怖い」

 恋愛が怖い。そう口にして初めて自分の考えていることが理解できた。そう、私は恋愛が怖いんだ。

 具体的な男女の付き合いというものを想像してみても、楽しいビジョンが浮かんでこない。どうしても、最後に喧嘩別れする未来しか想像できない。

 相手がはっきり決まっていない妄想なら簡単なのに、いざ自分と要が付き合った場面を想像してみると、とたんに不幸な未来しか描けなくなってしまう。

 とつぜん暗い顔をして黙りこんでしまった私に、由佳理ちゃんがやれやれという顔で肩をすくめた。

「スミレちゃんが臆病になる理由もわからなくはないけど、ちょっと考えすぎだと思うよ。まずはお試しでいいから、お付き合いしてみたらどう?」

「でも、要との関係を変えるのが怖い。一度付き合ってダメになったら、もう今までみたいには戻れなくなっちゃうでしょ」

 私が男子と満足に付き合えるわけがない。なにしろ、初対面の人にまで詐欺だと罵られるほど中身が残念なのだ。女の子らしいところなんていまさら要に見せられないし、そんな部分があるのかどうかもよくわからない。

 由佳理ちゃんは肩を落とす私を見て、残念そうにため息を吐く。

「無理に付き合えとは言わないよ。でも、戌井君がどれだけ長い間スミレちゃんの事を好きだったのか、きちんと考えてあげてほしい」

「由佳理ちゃんは、要が前から私を好きだったことをしってたんだね」

「戌井君とはメル友だからね。スミレちゃんになにかあったら、私が彼に報告する係なんだもん」

「そんな約束いつの間にしてたの?」

「んー、中三の頃にはアドレス交換してたよ」

 しれっと告げる由佳理ちゃん。どうやら二人は、思ったよりも昔からの付き合いらしい。

 そういえば、いつだったか教室でお弁当が食べられなくなったときに、由佳理ちゃんが携帯を触った直後に要がやってきたことがあった。きっと、彼女はあのとき要に私の具合が悪くなったことを報告していたに違いない。

「戌井君はさあ、スミレちゃんから片時も目を離したくないくらい心配なんだよ。私はスミレちゃんの味方でもあるんだけど、戌井君のそういうとこを見てるから、どうしても彼の肩も持ちたくなるわけ。お勧めだと思うよ、心変わりしないで、じっと陰から見守ってくれる男なんて他にいないよ」

 要はそんな殊勝な性格ではないような気がするが、たしかに私をずっと見守り、なにかあれば助けに来てくれた。

 由佳理ちゃんは、箸を持ったままうーんと唸っている私を見て、まだ交際をする決心に欠けると思ったのか、ダメ押しとばかりに人差し指を突き出しきた。

「じゃあさ、こういう風に考えてみてよ。戌井君とのお付き合いを断ったと仮定して、彼がその後すぐに別の人と付き合いだしたら、スミレちゃんどう思う?」

「え?」

「スミレちゃん以外の女と登下校したりするんだよ? 放課後デートしたり、部屋に呼んだりするかもしれない」

 要があの海の底のような部屋に、私が見たこともないような綺麗な彼女を招いているところを想像してみた。

 ベッドの上に並んで座り、二人で肩を寄せてアルバムを眺めるところ。暗くなった帰り道は危険だからと、彼女を送っていく要。

 そんな場面を想像しただけで、なぜか心臓のあたりがきゅうっと苦しくなった。

 由佳理ちゃんはなにも言わず、黙々とうどんを食べている。彼女には、私の心の内が分かっているのかもしれない。

 私もなにも言わずに残りのうどんを食べた。なんだか胸がいっぱいになってしまって時間がかかったが、少しすっきりした気持ちになった。

 いつにまにか、もう答えはでていた。


 うどんを完食したあと由佳理ちゃんと別れ、のんびりした足取りで家に帰る。まだまだ外は熱気に包まれているが、少し日が傾いたせいで日差しに勢いはない。

 鞄の中の携帯が震えたので確認すると、母からのメールだった。どうやら今夜は残業で、家に帰ることが出来ないらしい。私は『了解』とだけ返事を打ち返した。

 長くなった自分の影を眺めながら、ついさっき由佳理ちゃんに言われたことを考える。

「要に彼女ができたら……か」

 少し前まで、そういうこともあるだろうと思っていた。要が私のしらない人を彼女に選んでも、特に心を痛めることなどないだろうと考えていた。

 ……甘かった。今日、それがよくわかった。恋愛に臆病でも、いつの間にか好きになってしまうことは止められないみたいだ。私は今まで、それを見て見ぬふりをしていただけだった。

 私は、異性として要が好きだ。

 改めて意識したとたん、以前、近藤さんに言い放った言葉の数々を思い出した。

 あの時は意識せずに言えた言葉は、今思い返してみると嘘もいいところだ。顔から火が出そうなほど恥ずかしい。

 なにが『要が誰と付き合おうとあいつの自由』だ。自分でも気づいていなかった本心では、そんなこと思ってなかったくせに。本当は、内心嫉妬でピリピリしていたくせに。

 ああ、格好悪い。格好悪くて穴掘ってうまりたいぐらい恥ずかしい。

 頭をかきむしって、地面を転がりまわりたくなってきたが、たくさんの人が行き来する場所でそんな事ができるわけもないので、私はできるだけ表情を押し殺し、急ぎ足で家に帰る。

 いまは誰にも会いたくない気分だった。それなのに、家の前にたたずむ人影を見つけてしまった。見たこともない女の人が、私の家の門を背にして俯いている。

 腰まで届きそうなほど長い髪に、花柄のスカートと肩の出たフリルのブラウス姿。年は私よりも上だろうか。しかし、長い髪が邪魔をして彼女の顔がはっきりと見えない。大学生か若いOLのような服装だな、と思った。

 不審な女性を観察していると、彼女が私の視線に気づいて顔をあげた。目鼻立ちが整った綺麗な人だが、思いつめたように引き結ばれている唇には血の気がない。なんとなく、嫌な予感がした。

 女性は黙ったまま動かないので、私から声をかけることにした。

「あの、うちになにか用ですか?」

 私は彼女に近づきすぎない距離を保ちながら、慎重に声をかける。訪問販売の営業にしては荷物が少ないし、彼女の表情が暗すぎるのが気にかかる。

 世の中の不幸せを一身に背負ったように思いつめた顔で私を見つめる女性は、わずかに会釈をしたがやはりなにも答えない。それなのに、一向に家の前から退く気配もない。

 どうしたらいいのかわからず、とりあえず私も会釈を返した。二人とも無言で向き合っていたが、ようやく向こうが口を開いた。

「……石脇スミレさん、ですよね」

「はい、そうです。失礼ですが、どちら様ですか」

 彼女は私の質問には答えない。濡れたような真っ黒な瞳は、瞬きもせずにじっとこちらを見つめてくる。あまりにも熱心に凝視してくるので、私は思わず彼女から目をそらしてしまった。

 初対面のはずなのに、どうしてこんなに不躾に見てくるんだろう。

 少し斜めに首をかしげている様子や、細い手足は彼女を儚げに見せている。それなのに、彼女はこちらを睨んでいると言っていいほどの強い目を向けてくる。

「思ってたよりも、ずっとかわいらしい人なのね、スミレさんって」

 呟く声は小さい。おそらく私に向かって言っているのではなく、ただの独り言なのだろう。言葉だけを捉えれば褒められているはずなのに、その声は暗くて重い。

「たしか高校二年生だっけ? 目と口元があの人によく似てるわ。でも、全体的な雰囲気はお母さん似かな。……写真で見たあの女にそっくり」

 彼女はペラペラとよく喋るのに、自分の名前を名乗ろうとはしない。

 初めて見たときはあれほど儚げだった彼女の雰囲気がすでに消え失せ、今はふてぶてしい女の顔になっている。

「こんなにいい家で生活させてもらって、芳樹よしきさんにも大事にされているのに――あなたは自分が恵まれていることにぜんぜん気づいてない!」

 金切り声をあげて、彼女は悔しそうに顔をゆがめた。

 私は、彼女が口にした芳樹という名前でピンと来た。

「もしかして、あなた片桐さんですか?」

 私の言葉に一瞬身を硬くする女。名前を当てられた彼女は、目に見えて動揺していた。

「私の名前、知ってたの?」

「はい。以前、片桐さんがうちに電話をかけてきたときに、偶然話を聞いてしまったので」

 彼女が口にした芳樹というのは私の父親の名前だ。父のことをそんな風に呼ぶのは、親しい親戚以外に、彼の恋人である片桐さんしかいないように思う。

 父の相手がなんのために家に来たのかなんて考えたくないし、彼女の言い分も聞きたくもなかったが、片桐さんは急に開き直ったように顔を上げ、早口にまくしたててきた。

「なんにも知らないあなたに、私たちの関係を教えてやろうと思って来てあげたのに……。でも、知ってるなら話は早いね。あなたのお父さんは、いま私と一緒に暮らしてるの」

「……そうですか」

「あなたのお母さんとの離婚が成立したら、私たちすぐに結婚する約束なのよ」

 勝ち誇るように片桐さんは胸を張る。もしかしたら、私たちから父を取り上げて得意になっているのかもしれない。

 この人は、こんなことを知らせるために、私が帰って来るまで家の前で待っていたのか……

 私はげんなりした気持ちになってきた。

「父と結婚したければ、どうぞ二人でご自由にしてください。ここに報告に来るほど暇でもないんでしょう? 私はあなたたちのことなんてぜんぜん興味ないので失礼します」

 片桐さんの脇をすり抜けて家の中に入ろうとしたが、彼女がそうはさせまいと私の腕を掴んで立ちはだかる。

「まだ話は済んでない! 芳樹さんと連絡を取るのをやめなさいよ」

「なに言ってるんですか、父とはしばらく話もしていません」

「嘘。ちょうどあなたが学校から帰る時間帯に、彼が何度も自宅に電話しているの知ってるんだから!」

 最近、父と電話で話しをした覚えなんてない。それどころか、もうずっと姿さえ見ていない。最後にどんな会話をしたのかすら覚えていないくらいなのだ。

 片桐さんは私の腕から手を放したが、門の前から退く気はないらしい。私が逃げないように立ちふさがって、こちらを睨みつけている。

「芳樹さんはもうあなたのお父さじゃないのよ。私と新しい家庭を作ってくれるって約束したの。それなのに、いつまでも未練がましくすがりつくのはやめて。私たちの邪魔をしないでよ!」 

 彼女は、私に文句を言っているうちに興奮してきたのか、最後には絶叫に近い声で叫びだした。

 目の前でわめく彼女を見ていたら、体の奥がすうっと冷えていくのを感じた。

 まただ。また「私の邪魔しないで」だ。近藤さんといい彼女といい、どうして自分の思い通りにいかないことが起こると、それを誰かのせいにするんだろう。

 もう、うんざりだ。私だってずっと我慢してきたのに……

 両親に構ってほしかったけど、わがままを言って困らせたくないから、ふたりの帰りをじっと待っていい子にしてきた。それを愚痴ることもなく、誰のせいにもしないで耐えてきたつもりだ。それなのに……

 私はため息を呑み込んで顔を伏せた。長い髪が顔にかかり、こみあげてきた涙を隠す。

 涙なんて流すもんか。それも、妻子があると知りながら父と一緒にいるこの人の前で泣くなんて、私のプライドが許さない。

 しかし、ときには心がくじけそうになる。ぐっと息をつめて涙をひっこめようとしてみても、視界がだんだんとぼやけていく。

 もう駄目だと思ったそのとき、とつぜん私の頭に大きな手のひらが乗せられた。その手は、くしゃくしゃと優しく髪をかきまわした。

 驚いて顔を上げると、そこには私服に着替えた要の姿があった。 

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