13
無言電話に脅えた夜から一夜明け、私はいつもよりもだいぶ早い時間に目が覚めた。今日は学校が休みだから、なんとなく損した気分だ。しかし、一度目が覚めてしまったら二度寝できないたちなので、ベッドから起き上がってカーテンを開く。
今日も暑い。まだ太陽は昇りきっていないのに、じりじりと照りつけるような夏の日差しだ。動きやすいジーンズのパンツとTシャツに着替え、とりあえず下に降りて顔を洗う。
まだ誰も起きてこない。今日は母の恋人である青木さんに会う約束の日だが、あれから詳細はまったく聞かされていない。
いつどこへ出かければいいのかさっぱりわからないが、決断の早い母のことだから、そのときの気分でぱぱっと決めているだろう。
「はあ、早いとこ終わらせてほしいな」
憂鬱な気持ちで待ち合わせの時間まで過ごすよりも、さっさと顔合わせを済ませてしまったほうが気が楽だ。
目玉焼きとトーストという簡単な朝食を作っていると、母がリビングにやってきた。寝ぼけた顔で、目が完全に開いていない。
私は母に声をかける。
「おはよう。昨日も帰ってくるの遅かったから、起きてくるのはもっとゆっくりだと思ってた」
「おはよう。今日はあんたに青木さんを紹介する日だからね、時間の確認だけはしとこうと思って。もちろん、他に予定入れてないでしょ?」
「約束したから、一応ね」
私は曖昧に笑う。本当は気が進まないが、いざ再婚するというときに、これからお世話になるかもしれない相手がどんな人物なのか知らないのでは困る。
高校生の一人暮らしは絶対に許してもらえないだろうから、そういった意味でも青木さんとの顔合わせは必要だ。
「よかった。じゃあランチの約束してるから、昼前には家を出ましょ」
「わかった」
母は満足そうに頷いたあと、ちょっと眉を寄せながら私の全身に目を向けた。
「ねえちょっと! 初めての顔合わせなんだがら、みっともない格好で出かけるのだけはやめてね。もっときちんとした洋服あるでしょ」
「……はーい」
母はたいていのことにはおおらかなのに、服装に関してはとても厳しい。初めてお披露目する娘が恋人の目にどう映るのか、気になるのだろう。
「家を出るまでまだ少し時間があるから、お母さんはもうひと眠りしてくるわ」
「うん、おやすみ」
母は寝直すために、欠伸を噛み殺しながら寝室へ引っ込んだ。
私はひとりで朝食を食べ、洗濯だけは終わらせることにした。掃除機をかけると音がうるさくなってしまうので、これはまた別の日にしよう。
昨夜無言電話が来たことを母に話すべきだろうか。ずっと嫌がらせを受けていると知ったら、母はすごく怒るだろう。それとも、嫌がらせをしてくるような人を選んだ父を憎むのだろうか。
両親は昔からそれほど仲が良くなかったが、ここ最近は激しい言い争いをしているところは見たことがない。
なんとなく、そんな二人を見たくないなと思った。だから、無言電話のことは私ひとりの胸の内にしまっておくことにした。
考え事をしながら洗濯物を干し終えると、もう少しで家を出る時間になっていた。
私は着替えをしに自室に戻った。クローゼットを開き、端から順に手にとって考える。
これから母と青木さんがどんな関係になるのかは分からないが、できれば青木さんには好感を抱いてほしい。
具体的には、「よくできたお嬢さんですね」と言わせるのが今日の目標だ。そして、私というコブ付きでも母と結婚したいと思わせなければならない。母の足は引っ張りたくない。
私は少し迷ってから、レースや飾りの少ないシンプルな淡い水色のブラウスと、紺色のひざ丈フレアスカートを手に取った。典型的な優等生スタイルだし、口を閉じていればおとなしく控え目に見えるだろう。
髪を丁寧に梳ってから耳にかければ、親の言うことを素直にききそうな娘の出来上がりだ。まあ、実際に母にあまり逆らったことがないので、そういった意味では私はいい娘だと思う。
「スミレー! そろそろ出かけるよ」
「はーい、いま行く」
私は小さめの鞄を手に取り、母の待つ一階へ降りて行った。
母は細身のキリッとしたパンツスーツを着ている。こういう格好をしていると、家でのんびりしている姿など微塵も感じさせない。どこからどう見ても、隙のないデキる女だ。
私が母のファッションチェックをしていたように、彼女も私の服装をじっと見ていた。
「うん。なかなかいいね。おとなしくて親に逆らわなさそうな、良い子に見えるよ」
さすが私の母親だ。一目で今日のコンセプトを見抜いてくる。
「そうでしょ。青木さんも、これならコブ付きでもいいと思ってくれるかな?」
「さあ、それはどうだろう。でも、今日はスミレが青木さんを品定めする機会でもあるんだからね。あんたが気に入らないっていうなら、お母さん再婚はしない。ただでさえ、本来の順番と逆になってるんだから、慎重にいきたいの」
本当なら、父との離婚が終わってから次のステップに進みたかったらしい。しかし、現在は父とほとんど連絡がつかないので仕方がないらしい。
子どもの私から見ても、離婚前に他の人とお付き合いを始めるのはよくないことだと思う。しかし、母にとってはそれもやむを得なかったのかもしれない。
母には精神的な支えが必要だったのだ。帰ってこない父を待ち続け、私に心配をかけないように気丈にふるまっていた母には、心を支えてくれる存在が必要だったのだ。
だから、私はまだ顔も見たことはない青木さんにほんの少し感謝している。私では母をここまで元気にしてあげることはできなかった。
「わかった。お母さんにふさわしい人か、しっかり審査してあげるからね」
そう言うと、母は力が抜けたようにふふっと笑った。自分の恋人を娘に会わせるので、きっと緊張していたのだろう。
「ところで、どこで待ち合わせ?」
「駅前のイタリアン」
母が運転する車で移動し、レンガ造りの落ち着いた雰囲気の店に到着する。店内は窓がなく少し薄暗かったが、柔らかな間接照明が灯っていて、その暗さがかえって気持ちを落ち着かせてくれた。
個室に通されると、そこにはすでに誰かが座っていた。
「青木さん、お待たせしました」
母が声をかけると、その人は立ち上がって軽く会釈をする。大きな人だ。背が高くて、肩幅が広くがっちりとした体格をしている。
「いえ、そんなに待っていませんよ。僕もいま来たところですから。まずは座りませんか?」
そう言って、青木さんは私たちに席を勧める。大きな体に似合わず物腰が柔らかいので、私は少し拍子抜けした。もっとギラギラした肉食系のおじさんが出てくるのかと思っていたのだ。
「じゃあ、まずは自己紹介を。青木さん、こっちは娘のスミレです」
「はじめまして石脇スミレです」
母が青木さんに私を紹介する。私は借りてきた猫のようにおとなしく頭を下げた。まだ気は抜けないので、たくさんしゃべってボロを出さないようにしなくちゃ。
青木さんは気負った様子も見せず、柔らかく微笑む。
「はじめまして、青木正治です。お母さんからいつもスミレさんのお話は聞いてました。今日は来てくれて本当にありがとうございます。ここのパスタはどれも美味しいから、良かったらたくさん食べてくださいね」
「……はい」
笑顔でメニュー表を差し出してくれたので、私は青木さんの手からそれを受け取った。メニューを選ぶふりをしながら、こっそりと彼を観察する。
微笑んだときに目じりにできる笑い皺とか、身綺麗なのに、少しあか抜けない服装とか。
母を見つめる目が優しいことに好感が持てる。ワンポイント加点。なにより、私にも丁寧な敬語を使ってくれるのには驚いた。こんな小生意気そうな高校生を大人と同等に扱ってくれるのは、それだけ母を大事に想っているからだろう。
どうしよう、すごくいいひとだ。
彼と少し話しをしただけで分かったのは、青木さんは父とは正反対の人だということ。
私の父は男性にしては線が細く、神経質そうな見た目の通り、とても細かいところまで気になる性格をしている。基本的には優しいが、家にいるときは小言が多かった。しかし、青木さんにはそんな雰囲気がまるでない。
「僕にも成人した息子が一人いるんですよ。三年前から家を出て、今は独り立ちしています。駅前で店を構えているんですが、今日はどうしても来られなくて残念がっていました。もし機会があれば、今度息子の慶吾を紹介させてください」
「まあ、慶吾君はお店を経営しているんですか?」
母が身を乗り出した。どうやら、青木さんの息子とはすでに面識があるらしい。
「ええ。セレクトショップっていうんですか? まだまだ小さな店ですが、自分で気に入った物を買い付けて楽しそうに売ってますよ」
「へえ、立派ですね。慶吾君が迷惑じゃなかったら、今度お店に連れて行ってください」
「はい。落ち着いたら一緒に行きましょう」
二人は楽しそうに話をしている。こんなに弾んだ声の母を見るのは久しぶりだ。きっと、母も青木さんのことを大事に想っているに違いない。父に向ける愛情よりも、ずっとずっと深いものを感じる。
私は彼らの会話を黙って聞きながら、じっと考えていた。
母は、この人と一緒になったほうが幸せになれるだろう。まだ学生の私を心配して今すぐ籍を入れることはないだろうけど、きっとゆくゆくは彼と結婚したいと思っているはずだ。
そう考えると、自然と肩の力が抜けた。こんなに幸せそうな二人を見せつけられたら、私には反対する理由はどこにもない。母の嬉しそうな顔を見ると、不思議と笑みもこぼれてくる。
すると青木さんは、急に笑いだした私を心配するような視線を向けてきた。おそらく、彼も気を張っていたのだろう。
「なんだか、安心したらお腹空いちゃいました。デザートも頼んでいいですか?」
「もちろん。たくさん注文してください」
私が青木さんを認めたことを彼も感じ取ったらしい。それはそれは嬉しそうな顔をして店員を呼びとめてくれた。
隣に座っていた母が、彼に隠れてこっそりと耳打ちしてくる。
「ねえ、もう猫かぶるのはやめたの?」
「うん。この人ならお母さんを任せてもいいかなって思ったの」
「……ありがとう」
ほんの少し目元を赤くして、母が照れくさそうに笑った。
その後、会食は和やかに進み、気づけばすっかり青木さんと打ち解けていた。母がいい人だと言うだけあって、彼は始終穏やかに微笑みながら、私や母に気を配ってくれた。
店の外へ出ると、青木さんは名残惜しそうに別れを告げてから帰って行った。
「ねえお母さん、私のことはいいから二人でデートしてきたら?」
「今日はもういいの。スミレと三人で食事できただけでもう十分。それに、お母さんこのあと別の用事があるから」
「仕事?」
「うーん……まあそんなとこかな」
曖昧に流して、母は車に乗り込む。私を家まで送ると言ってくれたが、その申し出は断った。せっかく駅前まできたので、ひとりで寄り道してから帰りたい。
「あんまり遅くならずに帰るのよ」
「分かった。お母さんこそ、晩ご飯までには帰るんでしょ?」
「そうね、なるべく早く戻れるように帰るわ。今日は久しぶりに、お母さんが夕飯作るから期待してて」
母はそう言って車を発進させた。いつもよりテンションが高い。私と青木さんとの顔合わせが成功したからだろうか?
私は一人でぶらぶらと歩きながら、なんとなくこれからのことを考える。両親が離婚したら、青木さんと母と、私の三人で暮らし始めるのだろうか。そうなると、今の家は父の持ち物だから、引っ越しをしなくてはいけない。
そういえば名前はどうなるのだろう。石脇じゃなくて、母の旧姓に戻るのかな? それとも、いっそのこと青木スミレになるのだろうか。
今まで、多少歪な形をしていたものの、私たちは家族という枠組みを維持してきた。それが、一気に変化するときがきた。
急激な変化は恐ろしい。私は、変わるということに慣れていない。家を出るのも、名前が変わるのも、父と縁が切れるのも、すべてが怖かった。さっきまで感じていた暖かな気持ちが、急に冷え込んできた気がする。
ウインドウショッピングをしているはずが、いつの間にか地面ばかり見ていた。だからそのとき、前方から来る人物にまったく気づかなかった。
「あれ、スミレちゃん!」
「え、由佳理ちゃん? 偶然だね、どこ行くの」
二人で肩を並べて歩き出す。由佳理ちゃんは買い物の途中で、これからショッピングモールへ行くところだったらしい。私も一緒に行ってもいいかと尋ねると、彼女は喜んで頷いてくれた。
歩きながら、たったいま母親の再婚相手に会ってきたことを話すと、由佳理ちゃんは目を丸くした。
「どんな人だったの? 年は? 年収は? 結婚歴は?」
「いや、年とか年収とか細かいことは聞かなかったよ。人柄を見極めるだけで精いっぱい」
「なんで聞かないのよー! そこが一番大切でしょ。じゃあ家族構成くらいは聞いたの?」
「成人してる息子が一人いるって言ってた」
「それじゃあ、少なくともバツは一つ付いてるわけだね。この年になってお兄ちゃんができるなんて、ちょっと羨ましいなあ」
由佳理ちゃんは感心したような声を出す。彼女には年の近い妹がいるので、お兄ちゃんというのは珍しいらしい。一人っ子の私には、兄も妹も未知の存在だ。
「もう成人してるらしいし、一人暮らしだからほとんど顔を合わせることはないと思う。青木さんはいい人だったけど、赤の他人と暮らすのはちょっと緊張するよ」
「そうだね。無理しないで、ちょっとずつ慣れていけたらいいね」
「うん」
「もし上手くいかなかったらさ、そのときは私も付き合うから二人でルームシェアしようよ!」
「いいね、それ楽しそう!」
どこに部屋を借りるとか、どうやって親を口説き落とすとか、そういった具体的な対策はなに一つ思いつかないが、私たちは友達と一緒に暮らすという幸せな夢に思いを馳せる。
「テーブルクロスの色はどうしようか」
「それは二人で選ぼうよ。食器もお揃いにしてさ、キッチンはカントリー調でまとめちゃったりするの」
「いいね。そういうの私も好き」
由佳理ちゃんと一緒だったら、きっと楽しいだろうなあ。
道を歩きながら、目に付いた雑貨屋に飛び込み、まだ見ぬ二人の部屋の家具や置物を選んでいく。すごく楽しい。
夢中になって商品を見ていたら、いつの間にか由佳理ちゃんが見知らぬ男たちに話しかけられているのに気づいた。
私たちよりも年上で、なんだか笑顔が胡散臭いチャラチャラした二人組だ。
「これからカラオケに行くんだけど、君も一緒にどお?」
「いいえ、連れもいるので結構です」
「連れって女の子? だったらその子も一緒でいいから行こうよ。部屋代は俺らが出すよ」
「これから予定があるので行きません」
由佳理ちゃんは笑顔を浮かべているが、きっぱりとした口調で断る。そうとう鬱陶しいと思っているのだろうが、彼女は基本的に笑顔を崩さないため普通の人には理解されにくい。
由佳理ちゃんは同性の私からみてもとても可愛いし、いつもニコニコしているから、誘いを断らないように見えるのかもしれない。
しかし、素の彼女は簡単に声をかけてくる連中が大嫌いだった。一度しつこく付きまとわれ、ストーカー紛いの嫌がらせを受けた経験があるせいだ。
「時間がないので失礼します」
由佳理ちゃんが立ち去ろうとしたそのとき、チャラ男の一人が、由佳理ちゃんの肩に手を置いた。
友達のピンチを感じて、私は由佳理ちゃんのそばへ駆けつける。まだ彼女の肩に手を置いている男の手を、パンッと音がするほど思い切り払いのけ、きつく男を睨む。
「友だちに気安く触らないでください」
突然手を叩かれた男は絶句して、驚いた顔で私を見ていた。隣にいた彼の連れも、目をまん丸にして口をぽかんと開けている。
私はそんな彼らを見てさらに怒りが湧いた。きっと、断られることなんて想像すらしていなかったのだろう。
「女の子ひっかけたいのなら、外へ行って違う人を探してください。よっぽど暇な人なら、きっと相手してくれるでしょうから」
「はあ? いきなりお前なんだよ!」
男は顔を赤くして怒鳴った。私はもっと言い返したかったけれど、由佳理ちゃんが素早く私の手を引いて店の外へ飛びだしていた。そして、私の手を握ったまま走りだす。
「もう! スミレちゃんのバカバカ。どうしてそんなケンカ腰なのー!」
「だって……」
「あんな言い方したら、あの人たち怒って追いかけてくるかもしれないよー!」
二人で全力疾走しながら言い合いをする。後ろを振り返ってみると、案の定チャラ男二人組が店から出てキョロキョロしているところだった。
「やばいよ由佳理ちゃん、私たちを探してるのかも」
「だから言ったのにー。いったんそっちの路地に入ろう」
慌てて細い脇道に入り、身を隠すために路地裏に面した小さな店の中に入った。
そこは、装飾品が並ぶ店だった。ゴツイ造りのそれらはどう見ても男物だ。店主は店の奥にいるのか、レジには誰の姿もない。
私たちは商品を見るふりをしながら、声を落としてこっそり話をする。
「ここにいれば、見つからないかもね。しばらくお店の中を見るふりして隠れさせてもらおう」
「うん、ごめんね由佳理ちゃん。私が余計なこと言ったせいで……」
「いいよ。私を助けてくれようとしたんでしょ。スミレちゃんが飛んできてくれたとき、嬉しかった」
そう言ってにこりと笑う由佳理ちゃんの背後に、天使の羽根が見えた気がした。しかし、次の瞬間彼女の笑顔に凄みがプラスされる。
「でも、次こんなやり方したら私もキレるからね」
ドスの利いた声で怒られ、私は身を小さくする。
「はい、ごめんなさい」
「スミレちゃんは女の子なんだから、誰彼かまわずにケンカ売らないの。危ない目にあったらみんな心配するでしょ。今日はそんな可愛い格好してるんだから、もっと大人しくしててよ」
「はい、返す言葉もありません」
チクチクと小言を浴びせられ、私はますます肩をすぼめた。すると、私たちの声を聞きつけたのか、レジの裏のカーテンの奥から、店員と思しき男が現れた。
「いらっしゃいませ」
白いシャツにデニムのパンツといったシンプルな服装だが、びっくりするほど綺麗な顔をした男性だ。肌が白く陶器みたいになめらかで、髪の色も淡いブラウンをしている。どこか中性的な雰囲気を感じさせるその男性は、私たちを見て整った顔を曇らせた。
「なんだ、子どもか。冷やかしなら迷惑だから帰れよ」
面倒くさそうな物言いで、レジ前に置いてあったスツールに腰掛ける。私たち相手に接客する気はゼロらしい。
彼の言うとおり、商品を買う気はまったく無かったのだが、こうもあからさまな態度を取られるとカチンとくる。
「冷やかしじゃないです」
つい売り言葉に買い言葉で、噛みついてしまった。すると、店員は胡散臭そうな目で私と由佳理ちゃんをじろじろと眺め回す。
「ここ、男物しか扱ってないから、お前らが買うようなアクセはないぞ」
「どうして決めつけるんですか! プレゼントを探してるのかもしれないじゃないですか」
そう言うと、店員はますますバカにしたような顔で鼻を鳴らす。
「それなら、なおさらお子様はお呼びじゃない。値札見てみろよ」
店員が、トントンと長い指で棚の上に置いてある指輪を示したので、私は彼の向かいに近寄り骸骨をモチーフにしたシルバーの指輪の値段を覗き込む。
すると、彼は私を避けるようにすっと体を引いた。
特別近づいた覚えはないのだが、わざわざ避けられたことに何となくムッとする。しかし、値札を見て絶句した。
「え、じゅうに、まん……」
「ここの店はお子様のお小遣いで買うにはちょっと高額だろ。分かったら早く帰んな」
いつの間に取りだしたのか、男は口にくわえた煙草に火をつけ、しっしと追い払うしぐさをする。
さすがに気安く手が出るような値段じゃない。私は由佳理ちゃんと顔を見合わせて店を出てきた
「なんなの、あの店員!」
地団太を踏むことで、持って行き場のない怒りを解消しようとしていると、由佳理ちゃんが難しい顔で店を振り返った。
「あの男の人、もしかしたら店員さんじゃなかったかもしれないよ」
「え、どうして?」
「だってあの人『ここの店』って言ってたよ。自分の店なら『うちの店』って言うはずじゃない。それに、きっと女の人が嫌いなんじゃないかな」
由佳理ちゃんは顎に手を当てて考え込む。たったあれだけしか会話していないのに、どうしてそんなことが分かったのかと尋ねると、彼女は得意気に笑みを浮かべる。
「だって、スミレちゃんがリングの値札を見ようと近くに寄ったとき、あの人顔を引きつらせて逃げてたから」
私がなんの考えもなしにケンカをしている間、由佳理ちゃんはそれだけ相手を観察していたとは驚きだ。
由佳理ちゃんは、今出てきたばかりの店を振り返ってじっと見つめている。その視線は、何だか険しい。
「いろいろと気になる人だったけど、あんまり関わらない方がいいかもね。そろそろナンパ男たちも私たちを見失っただろうから、もう行こう」
「うん、そうだね」
私たちは再び表通りに戻り、その日は買い物をして家に帰った。




