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幼なじみは噛みつき魔  作者: 山石コウ
一章
12/32

12

 臼井君は私の家の近くまで送ってくれた。彼はきちんと家の前まで送ってくれようとしたのだが、私が断ったのだ。

 彼と別れたあと、のろのろと家の中へ入り、リビングの床にペタンと座る。

 なんだか何もやる気が起きない。突きつけられた現実が受け入れがたく、頭が上手く働かない。

 ハッと気づいたときには、だいぶ長い時間が経過していたらしい。部屋の中はもう夕暮れの色に染まっていた。窓も閉めきっていたため、肌が汗でベタついている。

 軽くシャワーを浴びて時計を見ると、もうそろそろ夕飯の時間になっていた。

「ああ、そういえば要がご飯食べにくるって言ってたっけ」

 何時に来るのかしらないが、急いで支度をしなければ間に合わない。冷蔵庫の中を覗いて、食材を確認する。

 まず目についたのは牛肉。ピーマンもある。そして、あらかじめ細切りになっている筍も野菜室の奥から出てきた。そういえば、今度チンジャオロースを作ろうと思って材料を揃えておいたのだった。

 ちょうどいいので、今日のメニューはそれに決定。あとは、チンゲン菜と卵のスープでもあれば要も文句もないだろう。

 エプロンを身につけて台所に立つ。料理をするのは嫌いじゃない。慣れないうちは材料を切るのにも一苦労していたが、いまでは一通りの事を手早くこなせるようになった。

 中華鍋に細切りにしたピーマンとタケノコと牛肉を入れて中火で炒める。牛肉は、あらかじめ酒と塩で下味を付けておいたものだ。

 ジュワジュワという美味しそうな音があがる。シャキシャキしたタケノコとピーマンの食感と、味の染みた牛肉が白いご飯によく合う。

 チンゲン菜と卵のスープを作り終えたタイミングで、インターホンが鳴った。モニターで確認すると、小さな紙袋を手に持った要だ。

「鍵は開いてるから上がってきていいよ」

 お玉を持ったままそう告げると、なにやら不機嫌そうな要がむっつりと黙ったまま、口を真一文字に結んで入ってきた。最近彼はこんな顔をしてばっかりだ。

「いらっしゃい。なに怒ってるの?」

「鍵かけろよ、物騒だな」

「要が来るって言うから開けといたのに」

 そうでなければとっくに施錠している。幼い頃から鍵っ子だったのだ、危機管理能力はけっこう高いと思う。

 要は持っていた紙袋を私に差し出した。

「これ、冷蔵庫にしまっといて」

「あ、プリンだ。どうしたのこれ?」

 中身は、コンビニで売っているプリンではなく、ケーキ屋で売っているような瓶に入ったプリンだった。

「土産。ご馳走になってばかりだと悪いだろ」

 一応気を遣ってくれているらしい。要が好きなゼリーではなく、私の好物のプリンを選んでくるあたり、彼にしてはなかなか頑張った方だと思う。

「ありがと。ご飯食べたら一緒に食べよう」

 お礼を言って冷蔵庫にプリンをしまう。それまでの欝屈とした気持ちが、少し軽くなった気がした。

「腹へった。もう飯できてんの?」

 要はチンジャオロースの匂いに誘われるようにキッチンに入ってきた。大皿に盛られた料理を見ると、いそいそと素手でつまんで口に放り込む 。行儀が悪いと叱る暇もないほど素早い動きだった。

「あ、美味い」

 ひと口食べて、要の目が丸くなる。そんな彼の様子を見ると、なんだか嬉しくなってしまう。こうして直接褒められるのは悪い気はしない。

「できてるなら早く食おう。ほら、お前は飯よそえよ」

 大皿を右手、取り皿を左手、さらには自分の箸を口に咥えた要は、いそいそとダイニングチェアーに座った。よく見ると私の分の箸や取り皿も用意してくれている。

「スミレ早く」

「はいはい。大盛りにする?」

「もちろん」

 待ちきれないというように、要は箸を手にして座っている。お腹を減らした大型犬に長時間「待て」をさせている気分になってきた。

 要は昔からよく食べる。由佳理ちゃんもあの細い体の中のどこに? と思うことがあるが、要の食べっぷりは豪快で迫力がある。

 たくさん作ったはずのチンジャオロースが、あっという間に要の大きな口の中に消えていく。要の家は食費が大変なことになっているのだろうな、と変な心配をしてしまうほど、彼の食欲は凄まじい。

「どうしたスミレ、食わないと無くなるぞ」

「私はそんなにお腹減ってないからいいの。要こそいっぱい食べなよ」

 私がそう言って箸を置くと、要は眉を寄せて食べるのをやめてしまった。

「やっぱりお前少し変だぞ」

 箸を離さないままだったが、要は私の顔をじっと見つめる。もう頬のミミズ腫れは引いているはずなのに、要の目は鋭く私に突き刺さる。まるで、少しの異変も見逃さないとしているようだ。

 こうなってしまったら、彼の追及をかわすのは難しい。私はおとなしく、校舎裏で近藤さんと話したことや、臼井君に送ってもらった際に目の当たりにした私たちの噂のことを打ち明けた。

「近藤に呼び出されたのか……よく殴り合いにならなかったな。お前血の気が多いから、すぐに反撃するかと思った」

「なにそれ。いくら私だって、自分よりも小柄な女の子に暴力振るったりしないよ失礼な」

「俺のことはすぐ蹴るくせに」

「あんたは特別。頑丈にできてるんだから、ちょっと叩いたり蹴ったくらいじゃ、痛くもかゆくもないでしょう」

 そう言うと、要はなぜか口許を綻ばせた。いまの言葉のどこに喜ばせる要素があったのかわからない。

 要は箸を置いて私の座る椅子の横に片膝をついた。

「叩かれた頬、よく見せて」

 ほとんど腫れは治まったはずなのに、要はなぜか熱心に頬を見ている。無言で左の頬を差し出すように向けてやると、彼は真剣な眼差しでじっと傷を探る。

「なるほど。よく見ればうっすらと赤い線が見える。痛かったか?」

「そうでもない」

 あのときは興奮していて、痛みよりも熱しか感じなかった。いまも触らなければ特に痛むことはない。それよりも、私の頬を覗き込んでくる要の顔が近すぎて、さっきから落ち着かない。

 うっかり「戌井に舐めてもらうの?」という臼井君の言葉を思い出し、私は視線を要からそらした。一度意識してしまうと、要の視線に晒されていることが、どうしようもないほど恥ずかしくなってくる。きっと、私の顔は赤くなっているに違いない。

「とにかく、別になんともないからもういいでしょ!」

 もうお終いとばかりに、私はプイとそっぽを向くと、要はやれやれと言いたげな顔で自分の席に戻っていった。

「痛くないならよかった。それじゃあ、さっきから様子がおかしいのは、噂の方を気にしてるのか。どんなことが書いてあったか覚えてるか」

 要の質問に、私は無言で頷いた。忘れようとしても忘れられないほど、はっきりと覚えている。拡散させる人たちに悪意はないのかもしれないが、好奇心むき出しで品のない内容を彼に伝えられるわけがない。

 それなのに、要はポケットからスマホを取り出して、私の方へ突き出した。どうやら「見てみろ」と言いたいらしい。

 身を乗り出して覗き込むと、そこには、臼井君に見せられたのとは違う画面が映っていた。しかし、似たような内容が並んでいる。

「これは大勢でメールのやり取りができるアプリだけど、今日の夕方あたりから、急に増えてきた。俺のところにもけっこう回ってきてる」

 要の声は落ち着いている。これだけ好奇の的にされているのに涼しい顔だ。

「なんで要は平気なの? あんな噂流されて気持ち悪くないの?」

「気持ち悪いよ。俺たちのことをよく知りもしないくせに、勝手にあれこれ噂流すやつらなんて一人残らずぶちのめしてやりたい。でも、臼井が言っていたように、噂を流した犯人を特定することは難しい」

 そう言って、要は悔しそうに唇をかみしめた。

「それに、ここまで話が大きくなったら、犯人を見つけることに意味はない。たとえ、犯人の目星がついていても……」

 要も犯人は近藤さんだと睨んでいるのだろう。たしかに彼女はすごく怪しいが、彼女がやったという証拠がない。

「近藤を追及して嘘の噂を流したことを認めさせても、ネット上のすべてのメールや書き込みを消して回ることは無理だ」

「そうなの?」

 私が驚きの声を上げると、要は疲れたように肩を落としてため息をついた。

「お前は機械音痴だからSNSのことなんてなにも知らないだろうけど、情報を共有するのなんてほんの一瞬で出来る。それなのに、どこまでも広まっていくんだよ」

「へえ」

 なんだか怖くなってきた。情報が独り歩きして、もう誰の手にも負えない怪獣に進化してしまったみたいだ。

「この機会に言っとくけど、スミレはもっとスマホの機能とか勉強しとけ。こないだ番号交換したときにメモとか渡してくるからびっくりしたわ。もっと簡単にできるから、ちゃんと見てろよ」

 要は充電中の私のスマホを勝手に持ってくると、自分のスマホに近付けた。いったいなにをしているのかと思って見ていたが、どうやらそれだけでお互いのアドレスも交換できているらしい。なにそれすごい。

 言葉もなく驚いていると、憐みのこもった目線を向けられた。馬鹿にされているのが手に取るようにわかったのでムッとした。

「そんなの知らなくても生きてけるからいいの! それより、犯人見つけられないなら打つ手ないじゃない」

「いや、このくだらない噂が吹き飛ぶくらいの新しい爆弾を投下しようと思ってる」

「爆弾?」

 なんの事かわからない。首をかしげて聞き返すと、要はニヤリと唇をつり上げる。

「いま流れてる噂より、もっとみんなが食いつきそうな話題をあえて提供するんだ。おそらく、臼井も同じようなこと考えてるんじゃないかな」

 なるほど。みんながもっと興味があることで気を引いて、噂を上から塗り替えようというつもりなのか。しかし、そんなに上手くいくだろうか。

 不安を感じている私の気持ちを察した要は、安心させるように深く頷く。

「大丈夫。たぶんうまくいくよ。でも、スミレにはここで俺の案に乗るのか、臼井の世話になるかを選んでもらう」

「そうなの?」

 みんなで協力することはできないのだろうか。その方が心強いし、色々と知恵も出し合える。そう言ってみたが、要は首を横に振る。

「どちらか一人決めてくれ。スミレは俺と臼井、どっちを信頼する?」

 私は要の質問に困ってしまった。二人とも、とてもいい人でどちらも信頼できる人物だ。

 要はなかなか答えを出せない私を焦らせることもなく、再び口を開く。

「質問が悪かったか。じゃあこうしよう。俺と臼井、この先どっちと一緒にいたい?」

「それなら、要がいい」

 臼井君はいい人だ。最近仲良くなったばかりだが、クラスメートが困っているというだけで、力を貸してくれようとするくらい彼は親切だ。

 若干、趣味のために興味を持たれているような気もするが、それを差し引いてもおつりがくるほど彼は優しい。

 臼井君の優しさをありがたく思っているはずなのに、私は要以外の人を選べない。それほど要の隣にいることが当たり前になってしまっていた。

「そうか、わかった」

 要は大きな手で口許を隠し、そっぽを向きながら何度も頷いている。

 その仕草があまりにも不自然だったので、私はこっそり彼の顔を覗き込んでみた。すると、要は日焼けした浅黒い肌を耳まで赤く染めていた。きっと、躊躇うことなく私が要を選んだので照れているのだろう。

 なんだか妙なところでうぶな反応を見せるので、こっちも困ってしまう。からかうには絶好のチャンスだが、それをするとこっちもダメージを負いそうなのでやめておいた。

 そういえば、今でこそこんなに偉そうになってしまった要だが、昔は私と手をつなぐとすぐに顔を赤くしていたことを思い出した。赤面症は治ったと思っていたのに、ふとした瞬間に出るものなんだな、と懐かしくなった。

「それじゃ、噂の方は俺がなんとかするから」

「うん、ありがと」

 お礼を言うと、要は私に聞こえるか聞こえないかの小さな声でボソッと付け足す。

「まあ、最初のうちは今より騒がしくなると思うけどな……」

「なにそれ、今なんて言った?」

「いや、こっちの話」

 要の独り言を聞き逃さなかった私は、すかさずテーブルに身を乗り出した。しかし、要は素知らぬ顔で私から目を逸らし続ける。

 なぜか、すごく嫌な予感がしてきた。

「どこでどんなことをするつもりなのか、ちゃんと私に分かるように説明して!」

「いや大したことじゃないから気にすんな。近藤と違って、俺は本当のことしか言うつもりないし」

「なにをどういう風に言うつもりなの!」

「この話はもう終わり。飯冷めるから早く食っちまおう」

 そう言うと、またご飯をかき込み始める。その後、いくら私が追及しても彼はのらりくらりとかわし続け、けっきょくなにを企んでいるのか教えてくれなかった。



「じゃあ、俺そろそろ帰るわ。ごちそうさんでした」

「うん、お土産ありがと」

「噂のこととか近藤のこと、あんまり気にせずに早く休めよ」

「わかってるよ。おやすみ」

 食後のプリンまでしっかりと二人で味わったあと、要は皿を洗いを手伝ってから自分の家へ戻って行った。私は寂しい食事をしなくて済んだことに内心感謝しながら彼を玄関まで見送る。

 ひとりきりになった我が家は、とつぜん広くなったような気がした。

 それでも、自分を気にかけてくれる人がひとりでもいてくれるので、普段よりは寂しい気持ちにはならない。

「さてと、もうさっさと寝る用意しちゃおうかな」

 少し早いけどパジャマに着替えようと思ったそのとき、家の固定電話が鳴った。母が連絡してきたのかと思い、私は受話器を手に取る。

「はい、石脇です」

 相手が名乗るのを待ったが、なにも言ってこない。完全に無言を貫いている受話器を耳に当てながら、急に指先が冷えていく。

「もしもし、あなた誰なんですか」

 無言。

「もういい加減にしてください。すごく、迷惑してるんです」

 そう言って耳を澄ませてみても、受話器の向こうからは何の音も聞こえない。

 私は口を開いて慎重に言葉を選ぶ。もし私の予想が正しければ、この受話器の向こうにいるのは……

「もしかして、あなた片桐さんですか?」

 そう訊ねたとたん、ブツリと回線が途切れた。ツーツーと鳴っている受話器を電話に戻し、私は息を吐いた。

 あの慌てようで確信した。電話をかけていたのは父の浮気相手である片桐さんで間違いない。おそらく嫌がらせが目的だろう。

 本当は母にプレッシャーを与えたかったのかもしれないが、あいにくこんなに早い時間では母はまだ家に帰っていない。

「なんかもう、全部どうでもいいや……」

 込み上げそうになる熱い涙を必死に押しとどめ、私は膝を抱えてうずくまった。さっきまで要と夕食を食べたことが、まるで私が見ていた都合のいい幻だったような気がしていた。

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