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悪しき夜に生み出された祝福の白は、闇をも貫く救済の光となる

作者: 春庭

 「……ふぅ」


 私は本日何度目になるか、そして生涯で何度目になるかわからない、その余韻と後悔とが深くマーブル模様を形成した、清廉にして醜悪なその吐息を吐き出した。


 しかし今日は――否、今日だからこそか、その吐息には醜悪さばかりが篭っているように、吐き出した当人である私にすら感じられた。


 理由は明白だった。

 というよりも、それ以外に理由があるはずもない。


 私の目は、二度三度ためらったのちに決して見たくもない、しかし二日も続くその日付へと向けられる。


 師走。

 二十四日。二十五日。


 事もあろうに、今年はその忌まわしき二日間が土日に来てしまうという最悪の年だ。

 しかしそれ故に会社は休みであり、発狂しそうな精神をアルコールで中和しつつ業務に向かい、再度アルコールを注入して正気を失ってからイルミネーション煌めくおぞましい家路を歩かなくてもよいというのは、どこか複雑な心境だった。


 

 しかし私は退屈だった。


 こんな時は、ネットなるものを閲覧してはならないということを、私はこれまでの生涯で痛いほどに学んでいる。我々が一人寂しくこの二日間を過ごす(それ以外の日も一人なのだが)ことを嘲笑し煽りに来る者がいるのはまだいい。私とてネット生活は長い、そんなものは吐くほど見ている。


 しかし真に問題なのは――「彼女できない部」だの「もてない部」だのを嬉々としてやっているような連中が跋扈しているような腐った場所ですら、この二日間には人がめっきり減ってしまうのが、目に見えてわかってしまうということである。


 これこそが私の精神を深く穿ち、この二日感は絶対にネットに触らないようにと誓った由縁だった。


 しかしネットに繋がらないパソコンなど、できることは一気に少なくなる。


 私の文机の横に据え置かれた屑入れの中で、白色の液体が染み込んだ白色のティシューが蓄積し、こんもりと山のように盛り上がり部屋の匂いを軟体動物門頭足綱十腕形上目のホイル焼きにすると美味しい生物のものに染め上げていくのは、なるほど道理だろう。

 


 私の生命の断片が画面の中の体温なき存在に励起され、他ならぬ私の手によって柔らかなティシューの上へと放出されている傍ら、私のあずかり知らぬ所ではきちんと三十六度の体温をもった存在によってその誕生を促され、弾性をもった袋の中に――もしくは肉壁によって構成された檻の中に放出されているという事実が、一縷の穢れすらなき私の魂を地獄の底にまで叩き堕とし、天界への復讐を誓う魔王さながらの気分にさせるのだ。


 苦節三十年、私は生まれてからずっと、この痛みを胸にこの忌まわしき二日間を乗り越えてきた。

 

 そこには呪いがあった――幸せな者よ、地獄に墜ちよと。


 そこには祈りがあった――同胞に祝福あれ、悦びを知らぬ者に幸あれと。


 「む……」

 

 私は台所に酒のツマミを取りに行こうと立ち上がり、少しよろめく。

 聖夜とはいえ、少し飲みすぎたか――そう自嘲の念を浮かべたその時、私は気づいた。



 文机の横、私の生命を存分に撒き散らした屑入れの中――蠢くモノがあったのだ。


 

 夢でも見ているのかと思って目を擦る。

 しかし夢ではない――私の遺伝子の半分を受け継いだそれは、ぶくぶくと膨れ上がりその体積を増していくのだ。


 ――その瞬間、私の脳裏に電撃が走った。


 

 この呪われし二日の間には完全封印を施されているテレビの電源を、私はまた躊躇しながらも点ける。



 ――私の予想は的中していた。


 

 私の家の屑入れで発生した怪奇現象は、全国各地、それどころか全世界で発生しているのだとニュースが報じている。

 死人すら出ている始末だ。

 

 それも、共通点は配偶者のいない、独り身の男性の家でのみ――なおかつ被害者は休憩・宿泊できる施設を利用していた者たち。もはや言い逃れができようはずもなかった。


 予想は確信へと変わる――全世界に偏在する我らが同胞の間で、同じことが起こっている。


 

 そう考えると、私は不意に目頭が熱くなるのを感じた。

 無理もない、一体誰が私の、いや私たちのこの歓喜をなじることができるだろうか?

 古来より、それこそ石器時代から連綿と続いてきた、疎外者の、敗北者たちの祈り――


 ――それが今この時、歓喜と共に産声を上げようとしているのだ。

 私はもはや良心になど従わない。自制心など掃き捨てる。

 それらが我らに一体何をもたらしてくれた? 我らに悦びを与えたか?

 ――否。

 

 断じて否、である。

 今こそ、我々が叛逆の狼煙を上げるときなのだ。

 

 そして私は湧き上がるこの戦意と同時に――下腹部が熱くなるのも感じていた。

 


 私には――親である私にはわかる。

 彼らもまた、私の肉体という檻を破り、この世界に生まれ出づる瞬間を今か今かと待ち受けている。

 私は――否、私たちは迷わなかった。

 

 直接確認せずとも、全世界にいる同胞たちが同じ行為に全身全霊を捧げていることがわかった。

 そこには言葉で言い表せぬぬくもりと悦びがある。

 その対象がたとい体温なき存在であっても、それは間違いなく祝福なのだ。

 私たちはその瞬間、間違いなく声でもなく文字でもなく、魂同士で繋がっていた。



 「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」



 膨れ上がった屑入れの中のそれは、今やその貌を変容させていた。

 カエルの前身のごとき姿を手に入れたそれは、しかし彼らほど知性が低くはない。


 彼らは自らの敵を、言われるまでもなく本能で理解している。魂に刻まれた記憶は、決して消えはしないのだ。

 そして彼らは――私の息子は、窓ガラスなどという脆弱な隔壁はたやすく突破し、生まれた意味を見つけに行った。




 

 ――そして、私達は年を超えた。


 


 世界に遺ったのは、我らが同胞と我らが息子たちだけだった。

 

 

 かつて、著名な生物学者であるチャールズ・ダーウィンはこう言った――




 


    最も強い者が生き残るのではなく、


     最も賢い者が生き延びるのでもない。


      唯一生き残るのは、変化できる者である。





 彼の言が正しいとするなら、我々こそが変化を柔軟に受け入れ、進化の先に至った存在ということではないだろうか?



 私は同胞たちと勝鬨を上げ、抱擁を交わし、友情を確かめあった。

 


 しかし――そんな日々にも、終わりは来る。



 

 「木村さん、木村さん!」

 「……あ、ああ。勝吾か」


 随分と長い間眠っていたようだ。

 息子のように可愛がってきた青年に声をかけられるも、起き上がるだけの体力は残ってはいなかった。


 

 あれから七十年が経過した。


 世界は荒廃し、人類は増えることは決してなく、減り続け滅亡を待つだけの存在となっていた。

 無理もない。

 我々は酷く傲慢だった。

 高望みを続け、これは私にはふさわしくないと言い続けた結果がこれだ。

 気づけば世界は我々とその同胞、そして『息子』たちだけとなっていた。


 男だけでは生命を生み出すことはできない――当たり前のことだ。


 どうして私達は、そんな簡単なことにも気づけなかったのだろう?

 それが意に沿わないことでも、我慢して、目を瞑って、ずた袋でも被せて乗り切る――それだけで良かったのに。


 私達は致命的に間違えていた。

 そして間違いを正す機会はもう、ない――



 「……木村さん、いや、父さん! 死なないでくれよ……あんたがいなきゃ、寂しいよ……」

 私の皺だらけになった顔に、ぽたぽたと温かな雫が落ちる。



 ああ、と思った。

 私の目からも涙がこぼれる。

 溢れ出したそれは、止まってくれそうになかった。

 私は後悔ばかりしてきた。

 世界を滅ぼしたこと。

 人類を滅ぼしたこと。


 でも、それでも――こうやって誰かに死を悼んでもらえるのなら、私の人生もそう捨てたものではなかたのではないだろうか?



 ――私は。

 静かに闇の中へ沈んでいく感触。


 しかしその闇は黒くない。

 まるで羽毛のように柔らかく、母親のように温かく、天国のように清い――






 ――私は、幸せだった。

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