運営からのお知らせ
テスタメントの中にある青色の結晶が光り輝くのを見て、アリカは考える。
通常、メニュー画面を開いてもテスタメントが発光することはない。テスタメントが光るのは、メールが届いたり、スキルやステータスに何らかの変化があるときだけだ。
アリカは、光り出したテスタメントを手に持つと、正面にいるバンジを見る。すると、バンジが首から提げていたテスタメントも同様に光っていた。
「いきなり、なんだあ? 俺は何もしてねえぞ?」
「多分、運営からの通知じゃないかな? 不具合についての補償とか、メンテナンスのお知らせとか。僕とバンジさんのテスタメントが同時に光ったし、多分他のプレイヤーも……」
そう言って、アリカが駅前広場を見渡すと、テスタメントが光ることに動揺しているプレイヤーが何人か見えた。どうやらアリカの予想は間違ってはいないらしい。
アリカはテスタメントの下部を捻り、メニュー画面を呼び出す。
その中のメールボックスの項目の上には、手紙のイラストがふるふると震えていた。どうやら、メールを受信すると、このようなアイコンが表示されるらしい。アリカは、メールボックスに触れると受信箱の一覧が開かれる。すると、案の定、『運営からのお知らせ』という件名のメールが一通届いていた。とくに考えず、アリカはメールを読みだした。
~運営からのお知らせ~
プレイヤーの皆様、Paradise Worldをお楽しみ頂き誠にありがとうございます。
Paradise Worldは、皆さま思い描いた別世界への冒険を現実化した、まさに楽園のような世界であります。さて、何名かのプレイヤーは認知しているようですが、全プレイヤーのログインをもって皆様に周知すべきことがございます。それは、この世界は仮想世界などではなく、正真正銘の別世界ということです。
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アリカはそこまで目を通し、愕然とする。
明らかになった不具合についての通知、またはそれについての説明かと思いきや、いきなり意味不明なことを言い出したからだ。
ここが、ゲームの世界ではなく、正真正銘の別世界?
到底、それを信じることはできない。いや、信じるような人間がいるだろうか。アリカは、運営陣はそういう役割を演じて、ゲームを盛り上げているのだと思った。Paradise World のセールスポイントであるその現実味がある美麗なグラフィックを、異世界という言葉で表現しようとしているのだ。
運営の方針について考えることはいくらでもあるが、アリカはひとまずメールの続きを読みだすことにした。
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皆様は、常に異世界での冒険を夢想しています。
その証拠に、昨今の世の中には異世界へと旅立つ物語が多く存在しているでしょう。それは、皆様が異世界で冒険したいという願望の何よりの証拠なのです。我々は、その欲求を、願いを叶えるために楽園の世界を創りだしたのです。
重ねて申し上げますが、ここはゲームの世界ではありません。
草木が息づき、人々が暮らし、生命が生まれ、そして死んでいく、皆様が望んだ現実の世界なのです。
皆様が望む異世界での冒険は、ゲームのような魔術や技能を存分に振るう世界だと考えております。そのため、Paradise World では、皆様がより楽しく異世界での冒険を楽しめるよう、いつかの仕様をβテストより変更しております。
・Paradise Worldは紛れもない現実の世界のため、体力につきましては現実世界の法則に即しています。そのため、HPゲージといった概念は存在しません。致命傷を受ければそのまま死に至る可能性もありますので、十分にご注意下さい。
・ステータスにつきましても、現実の世界ではそのような数値を可視化することはできないため不可視設定です。
・Paradise Worldの要であるスキルに関しましては、経験値の振り当てや設定が必要であるため確認可能です。それに応じて、メニュー画面でも一部無表示となっております。
・ログアウトの必要はないと判断し、メニュー画面から削除致しました。
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「つまり……体力が見えないのも、ステータスが見えないのも、ログアウト出来ないのも……仕様ってこと?」
正確には、アリカの認識は間違っている。
体力とステータスが確認できないのは、現実の世界ではそのような数値を認知することはない。ここが仮想世界ではなく現実世界であるのならば、それもまた当然のことである。しかし、スキルに関してはParadise Worldの世界では当たり前のように認知されているため、本来の仕様通りに設定が可能なのだ。
アリカはメールに書かれている『ログアウトの必要はない』という言葉に戦慄していた。そして、なぜ運営がそのようなことをしたのか理解していた。それは、メールでも幾度も書かれていたことだ。
『私たちは、皆様のために』
そう、運営はアリカ達、プレイヤーが望む世界を創ったといった。
ならばその世界から消える必要もない。
ここは、アリカたちが望んだ楽園なのだから。
運営からのメールはこれで終わりではない。
アリカは意を決して、続きを読み始める。
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皆様が望む世界に来たと同時に、その容姿や能力につきましても皆様の望んでいる現身をご用意しました。これは、皆様への質問の回答をもとに設定致しました。多くの方々が自分の納得のいくキャラクターになったかと思われます。
それでは、有意義な楽園生活をお楽しみ下さい。
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メールはそこで終わっていた。
アリカは自分の身体を見る。
金属で構成された皮膚と筋肉、そして骨格。
何を原動力で動いているのかわからない。何で考えているかもわからない。明らかに生きているとは言えない、機械の身体。
それが機人族。
これが、アリカが望んだ身体?
「違う。僕は……そんなこと望んでは……」
アリカは、一蹴しようとしていた運営からのメール内容を信じていた。
明確な理由はないが、ここが現実の世界、いや異世界であると説明がつくことがが多すぎることをアリカは実感したのだ。
例えば、美麗だと感じていたゲームグラフィック。
ポリゴンの塊であることを感じさせない、凄まじいほどに自然なテクスチャ。
現実世界であるならば、リアルそのものなのだから、美麗でリアルなのは当たり前である。
そしてアリカが瞬殺した三匹の狼たち。
鮮血が舞い、肉片が飛び、苦痛の声を孕んで絶命していった、あの惨憺たる時間。
あれが実際に生きていた狼たちだと考えれば、これがゲームではないと理解すれば、ここが現実世界だと分からされてしまう。
そして、アリカは命を奪ったことを実感する。
自分の手で、機械の腕で、狼たちの骨を折り、肉を引き裂いた感触を思い出す。
自分の掌を見て、あの真っ赤な掌を思い出して、それを気持ち悪そうに拭ったことを思い出す。
しかし、それだけだった。
思い出して、自分が命を奪ってしまったことを認識するだけだった。
それが異常であることを、この世界に来てから自身の内面が変化していることを知るのは、今からもう少し後のことだ。
メールを読み終わり顔を上げると、そこには顔を真っ青にしたバンジの姿があった。
尖った歯をカチカチと鳴らし、自慢の髪の毛を毟るようにぐしゃぐしゃと掻いている。
「嘘だろ? ここが現実? もう、元の世界には戻れない? 俺が殺したのは……ゲームのデータとかじゃなくて……本当の生き物?」
まるで譫言のように、脈絡のない言葉を繰り返し呟くバンジを見て、アリカはまずいと判断する。彼の精神状態が正気ではないのは明らかだった。このままだと、想像できない奇行に走り出す可能性もある。アリカはすぐに駆け寄り、彼の肩を掴んで激しく揺する。
「バンジさん? バンジさん?」
「………アリカ。ああ、アリカか……。お前、メール読んだか?」
「はい。……認めたくは無いですが、認めるしかないようです。ここは、仮想世界ではなく現実世界であることを」
下手に嘘を吐くより、現実を認めさせた方が良い。
これがアリカの判断だった。
現実逃避したところで、状況が好転したりはしないのだ。
「……そっか。はあ……まだデスゲームの方が良かったよなぁ。嫌な予感はしてたんだけど、どこかで『俺っちの気のせいだろ』って楽観的に考える俺っちがいたんだ。昔からこうなんだよ。考えが甘いっていうか、詰めが甘いっていうかさ……」
バンジは薄ら笑いを浮かべながら、先ほど憔悴していた様子とは違い、吐き出すようにして言葉を捲し立てる。正直なところ、アリカはどうして良いかわからない。現実逃避をやめさせたことは正しいと感じてはいるが、それから彼にどんな言葉を掛けて良いかわからなかった。
自分のこと、そしてバンジの様子を気に掛けていたせいか、アリカは自分たちがいる駅前広場がやけに騒がしいことを遅れて気付いた。運営からのメールを読み、様々な憶測と情報が錯綜しているのだろう。怒声を挙げる者、泣き出す者、何も言わずその場に座り込み絶望している者……しかし、誰もがこの世界は現実であることを疑っていなかった。
異常であるほどに、この世界がリアルであることを受け入れていた。
絶望的な現実を受け入れ、そして絶望していた。
しかし、絶望は止まらない。
駅前広場にいるプレイヤーたちのテスタメントが、また一斉に光り始めたのだ。
その瞬間に、駅前広場は混乱と喧噪に包まれた。
テスタメントを首から外して投げ捨てる者もいれば、それを壊そうと踏みつける者もいる。先ほどと変わらず、叫び声や怒声も飛び交っていた。
アリカは、またメニュー画面のメールボックスに触れる。
それは予想通り運営からのメールだった。
~運営からのお知らせ~
Paradise Worldをお楽しみ頂き誠にありがとうございます。
前回の通知より、皆様から多数のご要望が届きました。
それらを加味した上で、本来では秘匿情報であった『種族目標』の達成報酬についてお知らせすることに致しました。
Paradise Worldは多種多様な種族が生きる世界です。
そして、種族ごとに『種族目標』が設定されており、それを達成することが皆様の目標にもなっております。本来であれば、その達成報酬はしかるべき時まで秘匿する予定でしたが、皆様より『元の世界に帰りたい』という要望が多いために、公開することと致しました。
すでにお分かりのとおり、種族目標の達成報酬のひとつは『異世界への帰還』です。
厳密には異なりますが、それが可能であるとだけ述べておきましょう。
この世界を望んだ皆様には必要のない権利かもしれませんが、故郷を懐かしみ帰ることを望む方もいると考え、このような報酬を用意させて頂きました。
皆様の積極的な冒険を心より期待しております。
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運営のメールをそのまま受け取るのであれば、『帰りたければゲームをクリアしろ』ということになる。アリカは、その言葉の意味を考えると、この世界が楽園とは程遠い凄惨な世界になることを直感した。
この世界の種族は、共存する種族もいれば対立する種族もいる。
わかりやすい関係でいると、魔人族と人族は古代より対立し、現在でも戦争状況であるという設定だ。機人族であるアリカには断定できないが、人族の種族目標には『魔人族の排除』である可能性が高い。それはつまり、人族のプレイヤーが魔人族のプレイヤー殺すということだ。
元の世界へ帰るために、プレイヤー同士で争え。
それが運営の慇懃無礼な言葉の裏に含まれている内容だと、アリカは感じていた。
二通目のメールはまだ終わりではない。
アリカは、その続きを読み始める。
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さて、種族について触れましたので、ここで皆様の種族について詳しく説明が必要かと思われます。ここでお知らせするのは、皆様が対立する敵対種族の関係性についてです。自分を狙う種族について知っておいた方が今後の方針に必要であると考え、情報を公開することに致しました。
なお、下記の文面は皆様の種族により異なります。
運営メールにより、自分たちの種族の情報が他種族に漏洩する心配はありません。
〈プレイヤーネーム:アリカ〉
〈種族:機人族〉
敵対種族:無し
しかし、すべての他種族から敵と認知されている。
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「取り囲めっ!」
そこまでアリカがメールを読んだところで、駅前広場の喧噪を一掃する大声が響き渡った。
アリカが驚き顔を上げると、十数人の衛兵が自分を取り囲んでいることに気づいた。
その奥に、より頑強そうな鎧に身を包んだ男が立っていた。立ち位置といい、その厳格な佇まいといい、恐らくはあの男がこの兵士たちの上官に値する人間なのだろう。
アリカはテスタメントのメニュー画面を閉じると、その男に対して向き直る。
男はアリカを睨むと、先ほどの大声と同じ声量を叩き付けてくる。
「機人族め……何が目的でこの街に来たっ!?」
「目的……? 情報収集だけど……」
「嘘を吐けっ! この世界の敵めっ!」
世界の敵。
その言葉と、メールでの文面を思い出しつつ、アリカは周囲から襲い掛かる兵士たちに対して、戦闘の構えを取った。