機械の身体
アリカが目覚めると、そこは見慣れぬ部屋だった。
屋内であることは間違いないが、そこは異質な場所だった。わかるのは、床は石……というよりは、何か金属のように硬いものであること。そして、それは床だけでなく天井、そして壁までもが同じ材質であった。床には見たことのない金属片や、電子部品と思われるコード類が散乱している。極めつけに、部屋の扉と思われる設備には取手は存在せず、まるで重たい自動ドアのようにも見えた。
アリカは、未だに覚醒しない頭で考える。
おかしい、と。
Paradise Worldの世界観は、基本的には剣と魔術のファンタジーだったはずだ。
近代的な科学技術は存在せず、あるとしても第一次産業革命と同程度の技術、つまりは蒸気機関車や蒸気船のようなものだけだ。しかし、アリカの瞳に映るそれらは、明らかこの世界の科学文明を超越している未来の物だ。
アリカは疑問を感じながらも、仰向けの姿勢から立ち上がることにする。
左肘に体重をかけて上体を起き上がらせ、アリカは初めて自分の身体を目にした。
そして、ようやく寝ぼけた頭が覚醒したのだ。
いや覚醒せざるを得なかった。
その目に映る自分の脚と思われるそれは、機械で出来ていたのだ。
まるでSF映画に出てくる人型ロボットのように、機械の部品で脚が構築されている。そのフォルムは人の脚とそっくりではあるが、関節部分に球体が見えることから球関節の身体だとわかる。急いで、その他の部位を確認すると、手も、腕も、胴も、腰も、首も全て機械の硬さを感じた。唯一、顔と髪の毛だけは元の身体のような柔らかさを感じるが、耳だけはまるでヘッドホンに小型アンテナを付けたような部品となり、本来の耳は消えて無くなっていた。そして、首元には現実世界で装着した『テスタメント』と同様のネックレスが掛けられていた。
「まさか……。これが僕の種族?」
疑問を口に出したところで、声の異変にも気づく。
その声は、肉声ではなくてまるで機械が造り出した音声のようだった。さらに、元の声よりも高くか細い声であり、まるで女声のようにも聞こえる。
その思考が頭に浮いた瞬間に、アリカは自身の身体を再度確認した。
まずは胸部だ。金属の手で触れると、同じく金属の平らな装甲があった。そこに凹凸はなく、最悪の展開を免れたことを理解する。そして気になるのは、やはり下腹部だった。そっと手を伸ばすと、そこには何もなかった。考えてみればあたり前であるが、排泄などは機械に不要なため、それらの役割を果たす器官は存在しないのだ。
あれがあるわけでもなく、そしてあれがあるわけでもない。
機械の身体となったアリカに、性別という区分は存在しなかった。
別段、ショックを受けた様子はないアリカは、ひとまず立ち上がることにした。しかし、右足に体重をかけようとした瞬間に、膝からがくりと折れて再び地面に倒れてしまう。不思議なことに、倒れたという衝撃は感じるが、そこに痛覚はなかった。
物に触れた感触はあった。
自分自身を視ることができた。
そして声を聴くことができた。
どうやら、触覚、視覚、聴覚は機能していることは確からしい。触覚は身体の表面から、視覚は眼球から、聴覚のみ取得箇所が不明であるが、聞こえている分には困ることはない。しかし、機械には必要のない情報からか、触覚の一部である痛覚は遮断されているようだ。
自分の身体を知りつつも、アリカは右膝の球関節を見る。
すると、球体がひどく損傷しているようだった。これでは、アリカの体重に耐え切れずに、すぐに膝が折れてしまうのも頷ける。
「困ったな。歩けないのは厳しいよね」
犬のように四足で歩く方法もあるが、ずっとそのままというわけにはいかないだろう。それに、その状態であると全ての手と足が塞がっているために日常生活を送ることはできない。
アリカは、今の状況をもっと知る必要があると感じていた。
自分が目覚めた部屋は一体何なのか、そしてここはどこなのか。自分は一体、どういった種族なのか。
わからないことは多く、探索しなければならない。
「脚……修理できないかな」
『可能です』
アリカの聴覚に、無機質な女声の声が聞こえてきた。
転移宮にて出会ったイデアとは異なり、抑揚が感じられず聞き取りづらい。しかし、確かに聞こえてきた声は、アリカの疑問に答えていた。
「誰? どこにいるの?」
アリカは天井を見上げて、どこからか聞こえてきたその声の主に対して再度疑問を投げかける。すると、天井の隅にあったスピーカーらしきものから、あの声が聞こえてきた。
『私の名前はレイヴン。ここ、西部第三基地のナビゲーションAIです。現在は地下五階の情報統括室にて、この基地の管理及び皆様の支援をしております』
スピーカーの調子が悪いのか、レイヴンと名乗ったAIの音声にはノイズが含まれていた。抑揚の無い声と合わさって聞き取るのは至難と感じられたが、アリカはそれをすべて理解することができていた。それに対して軽く疑問を感じるが、アリカは深く考えることはない。
レイヴンは、ここを基地といっていた。
つまりは、自分たちのような機械が住んでいた場所ということだろう。
ならば、知りたい情報が多くあるはずだと考えた。加えて、自分と同じ境遇の人もいるかもしれない。
それらのことを知るためにも、まずは右膝の修理が先だ。
「レイヴン、どうやって修理できるのか教えて?」
『同階層の第一研究室にある整備台を使えば可能です。……電脳書庫よりスペア部品の在庫を確認。数量、品質、ともに問題ありません』
レイヴンは必要な情報を伝えてきた。
つまりは、この階層のどこかにある第一研究室を目指せば良いということだろう。
アリカは壁に手を添えて、慎重に立ち上がった。少しでも右足に体重をかけるとバランスを崩すので、左足に重心を傾けている。このまま左足だけを使って移動するのは苦労するだろうが、修理するためには仕方のないことだろう。
「レイヴン。道案内頼める?」
『了解。……ユーザの現在の居場所から第一研究室までのルートを検索しました。視覚情報に映し出します』
レイヴンがそう言い終わると同時に、アリカの視界には変化が訪れる。
目の前の扉に、青い光が明滅しているのだ。試しに、首を左へと回転させて扉とは全く違う方向を向くと、すでに扉は見えていないというのに、視界の端に青い光がある。再び扉を見ると、青い光は扉の中心へと戻って行った。
これを辿れということだろうか?
レイヴンは、ルートを検索し、視覚情報に映し出すと言っていた。つまりは、この光はレイヴンがアリカに見せているものであり、言葉の通りであればレイヴンは第一研究室までの道順を教えているのだろう。
アリカは目の前の扉までゆっくりと移動する。
青い光は変わらず扉に張り付いたように明滅していた。初見では、まるで自動ドアのように見えたが、アリカが近くに立ったところで変化はない。動力が切れているのか? と考えるが、レイヴンというコンピュータが稼働しているのだからその可能性は低いだろう。扉は両開きのようで、扉というよりは隔壁のような重量があるとアリカは感じていた。
アリカは試しに、扉を引っ張ることにした。
右膝を損傷している今では、右方向へと踏ん張ることはできない。そのため、左肩を壁に押し付けて支点にし、そのまま左腕だけで扉を引っ張った。力を入れるが、扉はびくともしない。さらに力を込めようとすると、腕と肩の球関節から軋むような不快音が聞こえてくる。慌てて扉から手を放して、アリカはその場に尻もちをついてしまった。痛みは無いが、部屋から出れないことには問題だった。
こういうときは、やはり頼るしかない。
「レイヴン。この扉開けられない?」
『少々お待ちください……。扉の機能は正常です。中心部のコンソールに触れてください』
コンソール?
レイヴンの言葉を頼りに扉の中心部分を見ると、なにやら葉書くらいの大きさの平板が設置されていた。アリカは再度立ち上がり、そのコンソールにそっと掌を置く。すると、緑色の輝線が下部から上部へと走り、アリカの掌の情報を読み取っていく。輝線が消えると同時に、コンソールより機械音声が聞こえてくる。
『生活支援型汎用機人。個体名アリカの認証を確認。扉を開きます』
そして、アリカが引っ張ってもびくともしなかった扉が、金属が擦れる重低音を響かせながらゆっくりと開いていった。扉に張り付いていた青い光は、その先へと進み、左のほうへと消えていく。そして光が動いた軌跡には、まるでヘンゼルとグレーテルが帰り道のためにパンを落としたかのように、青い輝線がしっかりと残っていた。といっても、これは実際に青い光が宙を飛んでいるわけではなく、レイヴンがアリカの視覚情報に投影しているナビゲーションにすぎない。
扉が開き終えたことを確認すると、アリカは壁に手を添えてゆっくりと室内から出た。
先には廊下らしき通路が左右に広がっており、自分が出た部屋と同じようなものがいくつも並列して造られているようだった。金属の光沢が見える床には埃が積もっており、すでに何年も放置されていたことが窺える。さらに観察を続ければ、天井、そして壁も、すでに何十年も放置したかのような損傷や劣化があった。
「僕は……一体、どういった存在なのだろう」
あまりにリアルなグラフィックに忘れそうになるが、これはゲームの世界なのだ。そして、アリカは数ある種族の中でも、公式情報にはないレア種族を引いてしまったようだ。
ファンタジーの世界に、近未来の身体をした種族。
なかなかに胸躍る展開ではあるが、すでに人が住んでいないような基地の様子を見て、アリカは警戒していた。レア種族と響きはいいが、その中には性能がピーキーで使いにくい、いわゆる不遇種族というのもある。もしかしたら、自分はそれを引き当てたのではないか? と、考え始めていた。
「ひとまず、状況確認と探索は脚を直してからだな」
視界に残された青い輝線を辿り、ゆっくりとアリカは歩き出した。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
第一研究室は、アリカが目覚めた部屋から歩いて十数分のところにあった。
といっても、これはアリカが右足を引きずるようにして歩いた結果であり、本来であれば数分で辿り着くことができる距離だったのだろう。
青色の光は、その部屋の扉に張り付いて明滅していた。
アリカはコンソールに手を触れると、先ほどとまったく同じ機械音声が聞こえて、扉が開き始めた。すると、青い光はそこで霧散し、どこかのスピーカから『目的地に着きました。案内を終了します』とレイヴンの声が聞こえてきた。車のカーナビのような台詞に小言を漏らしたくなるが、よく考えればレイヴンはナビゲーションAIなのだ。同じような言い回しになるのは当然のことだろう、と納得した。
研究室に入ると、その中心にはまるで手術台のような物体が鎮座していた。そして、その上部、つまりは部屋の天井には、ロボットアームと思われる六つの腕が折り畳まれるようにして設置されていた。その他、研究室だといわれるだけのことはあり、何の用途に使うか判断できない機材が多く設置されていた。しかし、確かなのはレイヴンが言っていた整備台とは、この手術台のようなものなのだろう。
「レイヴン、どうすればいい?」
念のため、レイヴンに今後の行動方針を訪ねると、すぐに反応があった。
『整備台に仰臥姿勢で待機してください。後の操作は私が行います』
その言葉に、アリカは言葉を失った。
ここまで案内してもらったことには感謝しており、今後も様々なことを訊くことがあるだろうが、まさか自分の身体を修理するほどの機能があるとは思わなかったのだ。自分自身をナビゲーションAIと呼称していたことから、文字通り道案内に制限されたものだと勘違いしていた。
それらの疑問を、整備台へと移動しつつ訊いてみると、レイヴンの返答は簡単なものだった。
『私は、ユーザの皆様が健康的で幸福的な生活を享受するために造られました。そのため、この程度の機械操作であれば私でも可能です』
どうやら、身体の修理というのはナビゲーションAIにとってもこの程度の技術らしい。
有能なAIに感謝しつつ、アリカはついに整備台の上に寝転がることに成功した。右脚を使えないという状況は思ったよりも困難であり、体勢を徐々に変えてやっとの思いで辿り着いたのだった。
「じゃあ、レイヴンお願いするよ」
『了解。解析開始します』
上部に折り畳まれた六つのロボットアームの中心から、カメラのようなレンズが姿を見せる。そして、アリカの掌から情報を読み取ったものと同種と思われる緑色の輝線が彼の全身に走る。まるでマッドサイエンティストから人体改造を受ける気分だな、と考えていると、自分の身体が自由に動かせないことに気づいた。どうやら、整備中に動いて手元が狂わないようにするためだろうが、どのような技術であるかはわからない。
『解析完了。これより整備を開始します。終了まで一万八千秒必要としますが、スリープモードへ移行しますか?』
一万八千秒という数値に、アリカは驚いた。
つまりは五時間だ。
どうやらアリカの身体は右膝だけでなく、節々が疲労しているようだった。レイヴンはそれらを解析し、部品と交換を計算に入れて必要な時間を計算したらしい。スタートダッシュから大分遅れてしまうことになるが、これからのことを考えれば仕方の無いことだと判断した。
恐らくスリープモードというのは、人間でいう睡眠状態。いや、この場合は麻酔で寝ている状態のことを指すのだろう。五時間も待つのは苦痛かもしれないが、自分の機械の身体がどのように変わるのか興味はあった。そのため、レイヴンには「大丈夫です」と答えた。
『了解。それでは整備を開始します』
アリカの上部にあるロボットアームたちが機敏に動き出し、アリカの身体へと手を伸ばし始めた。
率直に言えば、あまり気分の良いものでは無かった。
現在は聴覚と視覚以外の情報が遮断されているためか、痛覚はもちろんのこと触覚さえ感じない。しかし、それで良かったとアリカは感じていた。興味があったアリカでも、ロボットアームたちによって自分の手足が次々と外さされていく感覚を味わいたくは無かったからだ。まるで意思を持っているかのように動き回る腕たちは、簡単そうにアリカの手足を外し、それをゴミ箱らしき箱に投げ捨てていた。僅か数十分の付き合いとはいえ、自分の手足をぞんざいに扱われた光景には戦慄した。
失った手足の代わりに装着されていく新品の手足は、前と同じ球関節のものだった。同じく、前と同タイプの部品ではあるが、文字通りの新品なのだろう。ロボットアームたちのモータ音を聞きつつ、次第に完成していく自分の身体の様子をアリカは眺めていた。眺めるといっても、今は首すらも曲げられない状態であるため、視界に映るロボットアームたちの姿から想像するのみだ。
整備は手足だけでなく、胴体やなんと頭部まで及んだ。このときにはスリープモードにしておけば良かったと後悔したが、整備が始まってからレイヴンに質問しても返答がないことから、すでに遅いと判断し覚悟を決める。胴体は胸部の装甲を外し、新しい装甲へと取り換えただけだ。悲惨なのは頭部の方だろう。額から頭を切断されたように、頭部が取り外されたのだ。その他、眼球や口部、その咥内までロボットアームの手は伸びて来た。主に、洗浄や整備だったようだが、アリカはその間に行われたことを正確に把握できていない。気を失うということはなかったが、自分が何をされているのかを知りたくは無かったからだ。
整備は、レイヴンの宣告どおり一万五千秒、つまり五時間で終了した。
ロボットアームが元の場所に収まり、レイヴンは『整備が終了しました』とだけ答える。AIに罪はないが、できればスリープモードを強く推して欲しかったと思うアリカだった。
身体に感覚が戻ったことに気づくと、アリカは整備台から身を起こした。そして、自身の身体の動きが違うことに気付く。
何よりも、動きが軽いのだ。
以前は古く、劣化した部品を使っていたことを強く実感した。
身体の変わりように感嘆したアリカは、自分の容姿についても気になっていた。新しい身体となった自分は、このParadise Worldでの自分はどのような見た目か知っておく必要はあるだろう。
「レイヴン、僕の姿を客観的に見る方法はないかな? 鏡とかあれば良いんだけど」
『先ほど解析した情報を、ユーザの視覚情報に映し出すことは可能です』
レイヴンの言うことが理解できなかったが、少なくとも自分の容姿を確認することは可能そうだった。アリカは深く考えず、レイヴンに「じゃあ、それお願い」と指示した。再びレイヴンが端的な答えを返したと思うと、アリカの視界の中心に枠が現れ、一体のロボットの立体映像が映し出された。
先ほど、自身で確認したように、どうやら自分に性別という概念はないらしい。
男性とも判断できるし、女性とも判断できる中性的で幼い顔つき。肌の部分は白く、大きな赤い瞳はやや吊り上がっていた。毛髪は黒く、肩口まである。先ほどまではまとまりがなくボサボサであったが、整備によって美しい艶が出ていた。そして、頭部より下。つまり身体部分は想像していたよりも人間に近いフォルムだった。全体には白銀の装飾を施し、所々に黒のラインや部品がアクセントとしてデザインされている。球体関節の存在が人間とは違うことを意識させるが、すらりと伸びた手足に細い胴体であるため、この身体の上から衣服を着用すれば人間としても通用するだろう。身長は、昌よりもやや高め、恐らくは百七十前半といったところだろう。体重は……機械の身体であるため想像できない。
「まあ……悪くないかな」
強い人になることを目指すアリカにとって、女性らしい顔つきと音声だけが不満であった。望むのは、屈強な身体をした高身長の男だったのだが……一度創ったキャラクターを変えることは出来ないので諦めることにしよう。それに、キャラクタークリエイトはランダムであるため、すべてが望みどおりになるとは限らない。その中でも、整った容姿を引き当てたので当たりと判断して良いだろう。
「それじゃあ……まずは近くの街にでも行こうかな」
当初は、基地内の探索や調査を行う予定だったが、五時間経過した今では、アリカは街に出てParadise Worldの空気を知りたくなってきたのだ。正午よりサービスを開始し、約六時間が経過した今ならば多くの人が街にいるに違いない。探索はその後で、気が済むまでゆっくりとすれば良い。
加えて、仁と神船たちの存在も気になる。同じ種族ならその場で出会えただろうが、異なる種族の場合は中立エリアに辿り着くまでは会うことはできない。三人は全員が『人族』を希望していたが、それはアリカがレア種族を引き当てたことによって叶わぬ夢となってしまった。今後のことを話し合うためにも、中立エリアに急行し二人と合流するのは急務なのだ。
「レイヴン、出口まで案内頼んで良い?」
『了解しました。ルートを視覚情報に映し出します』
レイヴンの言葉と供に、青い光が視界に現れる。
アリカは、十全となった自分の脚で床を踏みしめ、軽い足取りで光が描いた軌跡を追いかけて行った。