黄昏の乙女
遅くなってしまいました
申し訳ないです
パラディミスに到着した汽車の外観を見て、多くの人が驚いた。
繊細な女性たちは悲鳴を挙げ、幾多の危機を乗り越えて来た旅人たちはその惨状に目を疑う。しかし、一番驚いたのは乗客たちだろう。自分たちが乗っていた車両の上に、蜘蛛の脚やその体液が撒き散らされた跡がはっきりと残っていたのだから。
知らない内に蜘蛛に襲撃され、そして知らない内に撃退されていた?
乗客たちは顔を見合わせ、そして首を傾げる。
夜中ずっと起きていた車掌でさえ、その異変に気付くことは無かった。
騒ぎを聞きつけた兵士たちは、乗客や車掌に事情を訊く。
その中、だれも汽車に近づかないように警護していた兵士の一人が、口を開ける。
「あれって……ヴァイオレントスパイダーの脚じゃないか?」
隣にいた同僚の兵士は、彼の言葉を聞いて汽車の天井に突き刺さっている蜘蛛の脚に注目する。まるで、針金のような毛に、規格外の大きさ。確かに、あの強靭な脚ならばあり得る話ではない。
「……でも、あいつらって巣に潜り込んだ獲物を狩るんだろう? だったら、走っている汽車を襲う道理がない。それに、あんなバカ強い蜘蛛に勝てる奴なんて、いるわけないだろう?」
「じゃあ、この状況をどう説明する? あれはヴァイオレントスパイダーじゃなければ、なんだっていうんだ。間違いなく、あれはオジュヌス山脈の大蜘蛛だよ。そして、誰かが人知れず交戦して……乗客たちを護ったんだ」
確信めいた兵士の言葉に、同僚は首を傾げる。
あれが大蜘蛛であることは、これからの調査ですぐにわかることだ。それはどうでもいい。しかし、問題は誰が戦ったのかということだ。乗客たちの服装を見るに、商人や旅行途中の家族、それに学士や旅芸人のような者しかいない。誰も、戦えるような武装をしている者や魔術師のような人物が見当たらないのだ。
「高速で移動する汽車の上だ。戦えるとしたら、乗客しかありえないぞ」
「そうなんだよなあ。……あ、途中で降りたんじゃないか? 汽車の上から飛び降りれば、ここにいないことに説明がつく」
「はあ!? なんだよ。そんな超人いるわけないだろ。それなら、まだ蜘蛛たちにやられて汽車から落ちた方が納得できる」
「ああ、それでもいいな。ていうか、鋭いなーお前。さてさて、俺たちの推理が正しいかは乗客名簿を見ればわかることだ。後で確認しようぜ」
しかし、二人の兵士がわざわざ確認する必要は無かった。
乗客名簿を見るまでもなく、車掌が二人の乗客が消えたことを覚えていたからだ。全身を黒い外套に身を包んだ小柄な少年と、派手な黄色いローブに身を包んだ少女のペアは、彼の記憶に鮮明に焼き付いていた。あんなにも目立つ二人だというのに、乗客たちの中にその姿が見えない。
そのことを事情聴取をしていた兵士に話すと、名前を訊かれた。
証から得られた身分情報が映し出される名簿を取り出し、車掌は二人の名前を呼び上げる。
「ええっと……少年の方はアリカ。そして少女の方は…エトワールですね」
そのとき、車掌と兵士の会話を遠巻きに聞いていた一人の男性は自分の耳を疑った。警護に当たる二人の兵士の話が正しければ、エトワールは蜘蛛たちの戦いに巻き込まれて……汽車からその身を落としたことになる。
しかし、それはあくまで推測だ。確定事項ではない。それにしても、わからないことが多すぎる。なぜ、蜘蛛は汽車を襲ったのか。エトワールはどこに消えたのか。そして彼女と同じように消えたアリカという少年は何者なのか。
男は、自分だけではまとまらない状況に苛立ち、野次馬の中から抜け出す。そして、そのままクランハウスへと直行することを決めた。今なら、エトワールからの報告を聞くためにほとんどのメンバーがそろっているだろう。それならば、この不可思議な状況について誰かが突破口を開いてくれるかもしれない。
自分たちの仲間が、突如として汽車から姿を消したのだ。
事態は一刻を争うのかもしれない。
そして、伝えなければならない。
自分たちが敬愛する騎士に、エトワールが消えたことを教えねばならない。騎士と彼女は仲が良かった。女性同士ということもあるが、年齢が近いこともあるのだろう。一人で抱え込むあの人は、よくエトワールだけに胸の内を告白していたようだ。だからこそ、彼女が危機的状況であることを、伝えなくてはならない。
人ごみの隙間を縫うようにして、男は駅から出て行った。
一心不乱に、仲間たちに会うことしか頭に無かった彼は、すれ違う一人の少年に気付かなかった。いや、例え意識していたとしても、とくに思うことは無かっただろう。ただ、そのまるで雨合羽のような黄色の外套に全身を包んだ異様な風体だけは、記憶に残るかもしれないが。
少年は、野次馬を遠巻きに観察していると、男の後を追うようにして駅を出た。
すでに、ここに用事は無い。
自分は、自分のために目的を果たすだけだ。
少年……アリカは、人知れず首都パラディミスへと足を踏み入れた。
その手には、光が失われた証が握られていた。
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パラディミスは人族の首都であるが、現在は戦争の気配が漂っていることもあり、多くの人々が訪れる。その中には、森に棲む妖人族や厳しい環境の中に身を置く獣人族の姿もあった。ファンタジーの世界では定番であるエルフやドワーフ、それに犬や猫のような耳を頭に生やした人間を、アリカは初めて見た。これが、ふざけた異世界ではなく、純粋なゲームであったら心から感動していたことだろう。
地面は硬い石畳。そして、立ち並ぶ煉瓦の家。
それはトーテルと変わらない建築文化であり、その練度にも差が無いように思える。いや、石工技術に長けたトーテルの職人の方が、良い仕事をしているとも思えるほどだ。しかし、やはり首都というのは都会なのだろう。田舎にはない、自動車や単車といった乗り物が往来を駆けている。空を見上げれば、大型の気球船が空を泳いでいる。これらが、現実世界と同様の技術で生産されているのかはアリカにはわからない。しかし、自動車や単車には排気ガスを排出しておらず、気球船はその場所から全く動くような気配がない。どうやら、アリカが知らない未知の技術である可能性の方が高いようだ。
まるで祭りのように騒がしい大通りには、見たことが無い武器や防具、そして回復道具といったものが露店に並んでいた。それを見て唸る戦士や商人たち。ときには、値切り交渉が始まり、十の位まで交渉が長引いたときには、多くの観衆がそれを見守っていた。
エトワールが祭りのようだと表現した意味が分かる。
戦争が近いというのに、皆が陽気に騒いでいるのは確かに異常だともいえなくはない。しかし、それはアリカの事情には関係のないことだ。拍手が巻き起こる露店の脇を通り抜け、アリカは再び歩き始める。
アリカは、レイヴンが表示しているマップ情報を頼りに街を歩く。これは、最初から入手したものではなく、アリカが歩き、レイヴンが近くした地形情報を地図として表示しているのだ。レイヴンの知覚範囲は、まるで空を飛ぶ鴉のごとく広い。そのため、大通りを歩いているだけでもマップは完成していくのだ。
それと同時に、アリカは基地跡の情報を求めていた。
レイヴンの指し示す方角に歩き、目的地周辺には辿り着いたが、そこはパラディミスの城壁が見えるだけのただの平原であり、基地らしき建物は発見できなかった。機人族が世界を攻め入ったのは遥か古代の話であるために、現在は地形が大きく変わってしまい、基地が別の場所に移動したと考えられる。
地面の中に埋もれてしまった場合が厄介だが、否定できる可能性でもない。ひとまずは、それらしき建物がパラディミス周辺に無いか調査し、地中探索は最後の可能性だ。
一時間は歩いただろうか。
首都というだけあってパラディミスは広く、まだ三分の一も踏破していない状況だ。現在は、首都の顔ともいえる大通りから離れた下町を散策している。ごく普通の民家が立ち並び、悪く言えば騒がしい大通りとは違い、そこは静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。道端で話す人族たちも、どこかゆとりがあるように思える。
こんな住宅街に、基地の情報なんてあるわけがない。
アリカはそれは重々承知だったが、なんとなく下町の雰囲気が気に入ってしまったのだ。すでに陽は傾きつつあり、寂しげでしかし温かい斜陽が、下町を包んでいる。民家の中からは、夕食の調理が始まり出したのか、小気味よい調理の音が聞こえて来た。嗅覚が無いアリカではあるが、もし彼に備わっていたとしたら、その匂いに誘われて大きなお腹の音が聞こえたことだろう。
アリカは、走りゆく三人の子供たちの姿を見つける。
腕白そうな男の子が戦闘を走り、その後ろを細身の男の子が必死に追いかけている。立ち止まっては歩き出すを繰り返すが、何とか付いて行っているようだ。そんな彼を心配だと感じているのか、一人の女の子が細身の彼の傍にいた。そして、どんどん先に行く男の子に対して怒っているようにも見える。
「ふふ……何だか僕たちみたいだ」
アリカは自然とその子供たちの後を追いかけた。とくに意味は無いが、彼らが一体どんな関係なのか見守りたいという欲求があったのだ。
辿り着いたのは、住宅街の空き地に造られたと思われる簡素な公園だ。数本の細い幹が周りを囲むようにして立ち並び、いくつか花壇らしき場所も用意されている。それらを鑑賞するために設置されたベンチがあり、これでは子供たちが遊ぶ公園というよりは、自然公園といった方が正しいだろう。
西日はこの公園も寂しげに彩り、すでに遊ぶ時間は終わりを告げていた。しかし、子供たちは、そんなことは知らない! と言わんばかりに公園の中で元気に遊んでいる。アリカは、彼らの死角となる木の陰に座って様子を窺っていた。
すると、彼らがただ遊んでいるだけではないことに気づいた。
子供たちは、公園の入り口の方を幾度か振り返っては見ていた。そして、誰かの人影が見えるたびに顔を輝かせ、しかしその人がそのまま通り過ぎると肩を落とした。
「誰かを、待ってる?」
順当に考えれば、親だろうか?
夕食が始まってもおかしくはない時刻になり、親が迎えに来ても不思議はない。しかし、それにしては何だか落ち着きが無いように思える。普通は、親が迎える来るとは、つまり遊ぶ時間が終わりということなので、待ち遠しいとはならないはずだ。こんなにも楽しそうに遊んでいるのだから、尚更だ。
「あ、お姉ちゃん!」
腕白な子の大きな声が聞こえる。
すると、三人の子供たちは一斉に公園の入り口に現れた彼女に向かって走り出した。どうやら、彼らの待ち人とは、彼女のことらしい。木陰から観察を続けると、その女性の顔が見えた。
お姉ちゃん、といった表現は実に正しいといえる。
二十代だろうと感じられる健康的な若さが感じられ、それでいて年上らしい優雅な雰囲気を纏っていた。太目な眉毛とやや吊り上がった瞳は、彼女の凛々しさを際立たせる。それでいて眉毛は長く、厚い唇からは女らしさも伝わってくる。軽くウェーブがかかった亜麻色の長髪は、夕陽により一層その色を濃くし、風に揺れていた。
大人しい色のロングスカートに白いシャツというシンプルな風体であり、とくにお洒落に力を入れているようには見えない。ネックレスやイヤリング、そしてブレスレットといった装飾品も身に着けてはいないようだった。
子供たちは彼女を囲むようにして集まり、彼女はそれを見て楽しそうに微笑んでいた。それと同時に、どこか寂し気な印象をアリカは感じた。どこか遠いところを見ているような、心ここにあらずといった感じだ。
「お姉ちゃん、遊ぼう?」
「鬼ごっこしよーぜ!」
「駄目よ! もっと大人しい遊びにしましょ」
三人の子供たちに引かれるまま、彼女は公園内に入った。
今にでも喧嘩に発展しかねないほどに、彼らは互いに顔を突き合わせていた。とくに、女の子と腕白な男の子の相性が悪い。細身の彼は、間に挟まれてあわあわしているだけだ。
「ほら、喧嘩しないで? 残念だけどお姉ちゃんも遊ぶ時間は無いんだ。この後に用事があってね。だから、今日はみんなに会いに来ただけなの。ごめんね?」
身を屈めて、子供たちと目線に合わせた女性は、そう言って苦笑する。子供たちの反応はそれぞれだ。少年は不満を口にし、少女がそれを諫める。細身の彼がその間に入り、二人の喧嘩を止めていた。それが、いつもの流れでありこの三人の関係性だと知っていたのか、女性はそれを慈愛の笑みで眺めていた。ほんの少しの間お喋りをしていたが、最後には女性に別れを告げて、子供たちは公園から去って行った。
公園には、女性とアリカの二人きりだ。
しかし、アリカはもちろん姿を隠しているため、女性は公園には自分しかいないと感じていることだろう。
彼女は、夕日に照らされて全身を温かい光に包まれていた。
まるで光の波の中に彼女だけが立っているような光景だ。それに逆らうこともなく、全身に夕陽を受け止める。それが心地よいのか、彼女は目を閉じて微笑んでいる。
その姿はまさに、黄昏の乙女。
エトワールがそう称していたことを、アリカは当人を見て納得した。
彼女こそが、純白の騎士であり、黄昏の乙女に違いない。
まさか、このような住宅街で出会うとは思っておらず、その偶然にアリカは驚いていた。
それと同時に、彼女の姿にどこか懐かしさを感じていた。それは既視感に……いや、人違いの感覚に近い。後ろ姿が似ていた間違った。あるいは服装が似ていて間違った。と、同じように、知人と似ている気がしてならなかった。しかし、彼の記憶に年上女性の知人はいない。
自分の記憶がどこか壊れたのか?
と、頭の中のコンピュータの不調を疑い始める。
このとき、アリカは彼女から気が逸れていた。だからこそ、その不意打ちにも驚くことになる。
「それで、そこにいる子はかくれんぼの途中なのかな?」
彼女は、アリカが隠れていた木の後ろから自分を覗き込むようにして立っていた。突然のことに驚きつつも、彼女と目が合う。自分の存在がばれていたことも驚きだが、アリカが気付く前に接近されたいた事実の方が、彼にとっては重大だった。
「あれ? もしかして私の言葉わからない? えーっと……」
目が合ったが反応のないアリカに対し、彼女は思い出せる限りの言葉を思い出し始めた。思ったよりも子供らしい言動に『意外だ』という印象を抱くと、アリカは未だに頭を抱えている彼女に話しかける。
「いえ……突然でびっくりして……まさか、ばれているとは思ってもなかったし」
「え? ああ、うん。だって、君のその黄色い外套は凄い目立つもん。私の知り合いにも同じような色のローブ着ている子がいるから印象も強いしね」
木の根元に座っていたアリカは立ち上がる。
彼と彼女の身長差は大きく、小柄な躯体のアリカは完璧に見上げる姿勢になる。それを配慮したのか、彼女は子供たちと話しているときと同じように、アリカと同じ目線までに腰を落とした。
「それで? 君はここで何をしてるの?」
「……実は、道に迷っちゃって」
嘘は吐いていない。
目的地である基地跡の手がかりを探して、アリカはパラディミスを散策していたのだ。そして、マッピングに夢中になっていたら、関係のない住宅街まで来てしまった。帰ろうにも、道がわからない状況だったのだ。
アリカの言葉に、彼女はくすりと笑う。
「そっか。それじゃ、お姉さんと一緒に家に帰ろうか」
「あ……家は、なくて……。その、僕は……」
アリカは見せた方が早いと思い、外套の隙間から自分の証を彼女に見せる。この証がプレイヤーであることの証明であるのならば、これでアリカが彼女と同じプレイヤーの一人だとわかるだろう。アリカの思惑通り、証を見たと同時に彼女の融和な表情が硬くなり、すべての事情を察したかのように頷く。
「なるほどね……。ひとまず、今日は私たちのところに来なさい? その後、知り合いにあなたのことを相談するから」
「え? ああ、いや……そこまでしなくても」
「大丈夫。任せて? これでもお姉さんは人族のトッププレイヤーなんだから!」
家がないことだけを説明しようとしたアリカだが、まさかそこまで配慮されるとは考えおらず狼狽する。子供たちとの会話を見るに、彼女が優しい性格であることは想像できたが、そこまでお人好しとは思っていなかったのだ。
「でも、ほら……お姉さんは、何か用事があるって言ってたし。僕は一人でも大丈夫だから」
「子供が遠慮しないの。ほら、行こう? 用事はすぐに終わらせるから」
外套を掴まれるようにして、アリカは彼女に連れて行かれる。
エトワールといい、どうしてこうもお節介が多いのだろうとアリカは考えるが、その答えがわかるのはもう少し後のことだ。流されるがままに、アリカは彼女の後をついて行くことになる。
住宅街を抜けて、再び大通りへと戻るときに、ふと彼女から話しかけられる。
「そうだ、君、名前はなんていうの?」
「……アリカ、です」
実名を言うか迷った。
汽車から自分とエトワールが消えたという話が広まっているのは駅で知っており、今後動きづらくなるかとも思ったが、同姓同名だと強く言えばどうとにでもなると判断したのだ。
それに、自分がアリカだと言っていないと、不安にもなる。
「そっかー。アリカちゃんか」
エトワール同様、黄昏の乙女もアリカの容姿から性別を勘違いしていた。それを否定しようかとも考えたが、アリカは少年だという情報が広まっていることを思い出す。ならば、騙し通す方が都合が良いだろう。
「うん、覚えたよ。それで、私の名前はね――」
アリカはずっと疑問があった。
それは、エトワールたちのクランの名前『NFC』だ。
FCは『ファンクラブ』であることは明白であり、それでは『N』は一体何の略称なのだろうか、と。単純に考えれば、自分たちが推す対象の頭文字である。では、黄昏の乙女は『N』から始まる名前なのか……と、想像していた。
そして、それは的中していた。
しかしそれは、予想外の方向に逸れていた。
「ノア。私の名前はノアっていうの。よろしくね、アリカちゃん」




