闇夜の蹂躙
長いです。
お時間があるときに、どうぞ。
アリカはレイヴンに尋ねたことがある。
君は、一体何ができるのか? と。
それに対しての返答は、至って平凡で面白くもなく、そしてコンピュータらしい言葉だった。
『マスターが望むことならば、何でも出来ます』
それは、明らかに誇張した表現であった。
言い換えるのであれば、彼女はアリカの要望に限りなく沿った結果を出すということだ。彼女は弓であり、出来ることと出来ないことがあることは、アリカも理解している。しかし、それでは、本当に相棒が優れている、つまりは彼女の真価を知ることができない。
そのため、訊き方を変えてみる。
具体的には、何が得意なの? と。
すると、やっとアリカが知りたい答えが帰って来たのだ。
『情報支援、です』
そして、現在。
光が無い夜の中、アリカは汽車の上に立ち、視界に表示されている敵の赤い点を見る。レイヴンが感知した範囲内では、その数は全部で十五。すべてが、進行方向の左から迫って来ていることがわかる。
「レイヴン、暗視モード」
『了解。暗視モードに切り替えます』
レイヴンの言葉が脳内に響き渡った瞬間に、アリカの視界が開ける。正確には、闇に隠されて見えなくなっていた周りの景色が明瞭に認知できるようになったのだ。
この暗視モードは、アリカに備わっている機能ではなく、レイヴンの【情報支援】によるスキルの一部である。このスキルは、レイヴンの優れた知覚機能を働かせ、アリカの行動と判断に対して支援を行うものだ。レイヴンは、アリカの視覚情報や聴覚情報に介入することが可能であるが、それらはアリカの許可無しに行うことは禁止されている。
視界に表示されている赤い点の進行速度と自分の位置を照らし合わせると、あと数分で接触することがわかった。厄介なことに、魔物たちは十二両ある車両を同時に狙うように広く展開しており、すべての敵を迎撃することは困難だと判断できる。
「じゃあ、こっちから仕掛けよう」
『了解』
相棒の返事を聞くと、アリカは列車から飛び降りた。
慣性の法則に従い、彼の身体は汽車の速度を維持しながら地面と接触する。しかし、それで彼の足が粉砕することも転倒することもなく、すでに岩である地面を削りながら着地した。そのまま、速度を緩めず、彼は汽車とほぼ同等の速度で並走を開始する。右には汽車、左にはまるで壁のように反り立った岩肌がある。その間にはわずか一メートルしかないが、アリカは冷静に走り続ける。
岩肌の上方を見れば、それが崖であることがわかる。つまり、魔物たちは崖の上から飛び降りて、汽車を襲撃しよう考えているわけだ。魔物にしては戦略的だと感心するが、思い出せば、あの森で遭った狼たちもアリカを囲んで優位に立とうとしていた。つまり、魔物には獲物を狩るための知性が本能的に備わっているということだろう。
「……油断は禁物だね。レイヴン、本気でいこう。【情報支援】開始」
『了解。これより、【情報支援】を開始します』
アリカの声に応えて、レイヴンはその赤い瞳のような宝石の光を明滅させる。
彼は【情報支援】を開始するように、レイヴンに指示をした。ならば、今までは情報支援をしていなかったのか? それは違う。暗視モードも、生物感知も、すべてアリカの指示により行ったものだ。
常にマスターの要望に対して最適な結果を出すレイヴンであるが、その弱点はマスターの指示がないと動かないことにある。指示したこと以外の勝手な判断はせず、常に待機の状態を続行する。例え、マスターが危機的状況にあったとしても、指示が無い場合はレイヴンは黙殺するのだ。
事前に指示を与えておけば、常にある程度の情報支援を行うことができる。魔物の接近を知らせた【生物感知】と残存エネルギーの具体的な数値のデータ表示はデフォルト設定にしてある。
しかし、アリカが【情報支援】のコマンドを発声したとき、レイヴンの動作パターンは変化する。
現在、彼の視界には、デフォルトである魔物感知のマップ映像と残存エネルギーの他に、弓矢の残存数、熱感知による魔物のホログラムのイメージ映像が表示された。
アリカはそれらを確認すると、軽く跳ねて岩肌へと左脚を引っかける。そして、そのまま僅かな突起や隆起を足場にして、反り立った岩肌を駆け上がった。地面を走っていたときと比較しても、その速度が落ちることはない。そして、崖の上へとアリカが辿り着いた瞬間に、矢筒から〈合金の矢〉を番い、視界に表示されているイメージ映像を貫くようにしてその矢を放つ。
アリカと魔物の間には、未だに二十メートルの距離があった。
しかし、アリカの視界に表示されていたイメージ映像のシルエットとその魔物の姿は完璧に一致しており、彼の放った弓矢は、空を切り裂いてその魔物の命を刈り取った。
一瞬、魔物の群れの動きが止まる。
自分たちの先陣を切っていた一体の同胞の命が、何者かによって奪われたからだ。しかし、それは一瞬であり、同胞の亡骸を乗り越えて前進を再開する。
その間に、アリカは魔物たちの姿を視界に捉えていた。
彼らは、巨大な蜘蛛だった。
軽自動車と同じくらいの大きさの大蜘蛛が、その八本の足を機敏に動かして汽車へと向かっているのだ。全身にまるで針金のような鋭い毛が見え、大きい腹には赤い斑点のような模様が見える。八個ある単眼の下には獲物の命を食い破る鋭い牙があり、そこからは獰猛な肉食獣の唾液のように体液を撒き散らしていた。
『敵の姿を視認。【電子書庫】より該当データを検索。検索完了。表示します』
「見る暇がないよ。音声で説明して」
『了解。合成獣の個体名は、ヴァイオレント・スパイダー。蜘蛛でありながら群れを形成しており、自分たちの巣に迷い込んだ生物を捕食する習性があります。蜘蛛の特徴である蜘蛛糸は頑丈であり、切断は至難です。また、口部より分泌される体液は獲物を溶かす性質があります』
レイヴンの説明は、アリカに警戒を促すものだった。
彼は、糸と溶解液に注意することを自分に言い聞かせると、次の矢を番う。
すると、蜘蛛たちの身体に赤いポインタが示された。それは、蜘蛛の頭部と腹を一直線に貫く軌道を示しており、彼らの弱点であることが容易に想像できる。これは、あの基地で犀の機獣に対しても行ったレイヴンの支援であり、その判断が正しいことは身に染みて覚えている。
アリカに接敵するまでに、なるべく数を減らしておく必要がある。
彼と蜘蛛たちの距離はすでに十メートルを切っており、十全な姿勢で矢を放てる機会は一度きりだ。それを知っているからこそ、アリカは〈合金の矢〉を番わなかった。レイヴンのために創られた、彼女自身の切り札でもある〈鴉爪〉をアリカは番い、そして放つ。
鴉爪の性能はシンプルだ。
貫通力に優れ、決して折れない。
そう、何体もの獲物を仕留めても止まることがない、鴉の爪だ。
アリカが放った狙いの道は、見事に一体の蜘蛛の頭部を、腹を貫く。
しかし、それでは止まらない。いや、止まれない。
続いて、後続の蜘蛛にも鴉爪は命中し、貫く。
その後ろも、後ろも、後ろも! 速度を落とすことなく、貫通していく。
計五体の蜘蛛を貫通して、鴉の爪は闇夜に消え去った。
無論、この威力はレイヴンの逸脱した弦の張力と、その力を引き出せるアリカの膂力があってこそだ。
そして、レイヴンの最大威力を持ってして壊れない矢は、鴉爪だけだ。自らの名前を分け与えているのは、それは彼女の性能を十全に発揮する弓矢であるに違いない。
十五体いた蜘蛛たちは、アリカの二射により、その数を九体までに減らした。
しかし、その進軍が止まることはない。
再び、同胞の亡骸を乗り越えて、仲間の命を奪った憎き人間の命を奪うために駆けていく。無論、最終的な目的は、あの汽車の中にいる大量の人間たちだ。しかし、そのためには、自分たちの接近に気付いたこいつを殺さなくてはならない。次々に同胞たちを殺したこいつは危険だ。
九体の蜘蛛たちは、一斉にアリカへと襲い掛かる。
その脚を、牙を、体液を、蜘蛛糸を使い、アリカを殺そうと試みる。
しかし、アリカは彼らの行動を察知していた。だからこそ、アリカは再び駆けだしたのだ。いや、駆けるというと語弊があるだろう。なぜなら、彼は蜘蛛たちの方を向いたまま、たった一度だけ跳躍しただけなのだから。
右足で踏切り、後方へ向かって飛躍。
それにより、アリカに対する攻撃をすべて回避した。
脚も、牙も、体液も、蜘蛛糸もだ。
空中にいる時間はわずか一秒にも満たなかっただろう。しかし、アリカにとっては、それは一体の生物を終わらせることができる時間だ。
身を翻しながら、アリカは矢筒より〈合金の矢〉を番う。
そして、一体の蜘蛛の口へと矢を放ち、彼はそれを意図せずに喰らってしまった。矢は、頭部から腹部へと埋もれる様にして、蜘蛛の体内の臓器を引き千切り、絶命へと追いやった。
地面へと着地すると同時に、また矢を番う。
そして、彼らを一瞥し、声に出して言う。
「あと……八体」
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レイヴンの【情報支援】は、アリカの発声コマンドによりその真価を発揮する。
マスターの指示に関係なく、自らで状況を判断し、的確な情報をマスターへと伝えるようになるのだ。
例えば、闇夜であると判断した場合には暗視モードと熱感知による敵のイメージ映像。
自分の武器である弓矢の残存数と、適切な矢の選択、そしてその【自動補給】。
標的のデータの検索と開示。そして、それによる弱点の割り出しと視界表示。
矢を放つときの風の動きの検知と、相手の行動パターンの予知。
すべてが、レイヴンの【情報支援】によるものだ。
これは、状況判断するもう一人の人間がいるようなものであり、射手の死角が無くなると同意義だ。アリカは、レイヴンから伝えられる情報を噛み砕き、自分の指針として行動する。レイヴンは、アリカの行動から次に自分がすべきことを判断し、それをアリカに伝える。
極論として、【情報支援】中のアリカとレイヴンは無敵だ。
レイヴンの予測とアリカの行動判断を上回らない限り、彼らに攻撃を当てることさえ出来ないだろう。
しかし、その力にはデメリットがある。
レイヴンの動力源は、アリカ自身だ。
基地内であれば、基地のエネルギーを動力にすることが可能だ。しかし、西部第三基地を離れた今では、彼女の動力はアリカ自身を頼るしかない。そして、【情報支援】は、常に周囲の情報を読み取り、知覚し、判断し、アリカに伝えるために、そのエネルギー消費が激しい。加えて、戦闘中であると、アリカ自身の激しい動作にエネルギーを大きく消費する。
身体を換装した現在の状況であっても、レイヴンの【情報支援】が可能な時間は三分が限界だ。
制限時間を無視した場合、強制スリープモードへと移行する可能性が高くなり、アリカ自身の命が危うくなる。さらに、アリカが負傷し、エーテルが体外へと漏洩することがあればさらに時間は短縮されるだろう。
【情報支援】は、彼を危機的状況へと追いやる可能性がある諸刃の剣でもあるのだ。
しかし、繰り返すが、【情報支援】中の二人は無敵だ。
万が一にも、魔物たちに後れを取ることは無い。
現に、アリカは八体いた蜘蛛の数を三体までに減らしていた。
崖の上を走りつつ、背後を見ずに撃ち出した弓矢で二体。
崖から飛び降り、アリカを追いかけて空中へと飛び出した蜘蛛たちに対し、背後を振り向き放った弓矢で二体。
そして、汽車に乗り移れず、自重によってその身を潰した哀れな蜘蛛が一体だ。
アリカは、汽車の上で三体の蜘蛛と対峙していた。
当初の予定であれば、背後より汽車を追走する蜘蛛たちを射貫いて終わらせるつもりだった。しかし、彼らの執念ともいえる異様な追撃により、汽車へと同乗する結果となった。崖の上で全員を殺せれば良かったのだが、その場合はアリカの汽車への再乗車が不可能となる。
自らの保身のためにも、アリカは汽車へと帰る必要があったのだ。
軽自動車と同等の大きさである蜘蛛たちは、見た目通りかなりの重さがあるのだろう。彼らが動くたびに、汽車の天井が軋むような音が聞こえる。それにより、蜘蛛たちの存在に気づく乗客がいるかもしれない。そして、蜘蛛たちと対峙する機人族の姿が露見するかもしれない。夜の帳という外套で姿を隠すといっても、戦闘中は完全に全身を覆うことは不可能だ。彼の白銀の肢体が少しでも見えれば、機人族と看破されることは大いにあり得る。
「だからこそ、速攻で仕留める!」
【情報支援】の活動限界まで、残り三十秒だ。
アリカは視界に映る全ての情報を、その一瞬に束ねた。
幸運なのは、三体全員の標的がアリカにあることだ。
これで乗客を狙われたならば、アリカ自身も窮地に追い込まれることになる。いや、正確に言えば、機人族のアリカにとって、自分とは全く関係のない乗客の命などどうでもいいと思っている。そもそもの行動理由が、親切なエトワールに対する恩返しだからだ。しかし、自分の中の昌の感情が、それを許さない。
破壊を目的に造られた存在である機人族が。
無関係の命のために戦っている。
自己存在の矛盾を孕んだ壊れた人形こそが、アリカだった。
三体の蜘蛛は、一両に一体ずつ乗っている。
蛇行の多い山道、そして高速で移動を続ける汽車の上では、弓矢で狙いをつけることが難しい。
しかし、それは普通であるならばの話だ。
機人族のアリカと、その相棒であるレイヴンに常識は通用しない。
アリカは、迷う事無く、最も近い蜘蛛を射貫いた。
風も、汽車の軌道も、すべて計算に入れた一射だ。
力が抜けたのか、蜘蛛は汽車の速度に耐え切れずに落車し、その大きな身体を地面に叩き付けて爆ぜた。
続いて二体目、と矢を番ったところで、アリカの視界には得体の知らないものが映っていた。
それは蜘蛛の糸だった。
一体目の蜘蛛が落車したと同時に、残りの二体は蜘蛛の糸を尻より放っていたのだ。まるでホースから飛び出る水のように、辺りに散らすようにして撃ち出したのは、風や汽車の動きが急激に変わったとしても確実にアリカへと命中させるためだろう。彼らの目論見通り、アリカは蜘蛛の糸をその身に受けることになる。
それはアリカ自信も動揺した攻撃だった。
なぜならば、レイヴンが蜘蛛の糸に対する警告を行わなかったからだ。
どういうことだと、彼女を問い質す前に、アリカはその理由を知った。
「【情報支援】が終わってる……」
残存時間三十秒が尽きる前に、【情報支援】は強制終了していたのだ。
暗視モードが消え、アリカの視界には闇夜しか映らない。
限界が訪れる前に、必要な安全性を保つために、レイヴン自身が自らのスイッチを切ったのだろう。
その結果、アリカは二体の蜘蛛の攻撃をその身に受けることになった。
蜘蛛の糸は、彼をその場に縫いつけるように、その行動を制限していた。腕に、脚に、頭へと命中した蜘蛛の糸は、アリカがもがくほどに絡み、その強度を増していくように感じる。レイヴンの情報通り、アリカが全身に力を込めたところで、糸が断裂する気配はない。矢筒から矢を取り出し、その鏃で切断を試みるものの、伸縮するだけで切れはしない。ならば、〈鴉爪〉だと、準備しようとしたところで、アリカは自分に肉薄する二体の蜘蛛の存在に気づいた。
八つの単眼が、アリカを睨みつける。
いや、二体だから十六の単眼だ。
彼らの頭部から見せるその口は、アリカを余裕で飲み込むほどの大きさがある。
そして、その口からは溶解液をまるで涎のように垂らし、車両の天井を溶かしている。
「待って……。頼むから、それだけは……!」
アリカの視界が、蜘蛛の咥内で埋まる。
それしか見えない。
気づけば、彼の肉体は蜘蛛の中に収まっていた。
溶解液が全身に降り注ぎ、身体からは焼けるような音が聞こえる。
蜘蛛はその脚を器用に使い、アリカを自らの咥内へと追いやる。
彼の全身を体内へと導き、同胞を殺した相手への復讐は終わった。
さて、後はこの乗り物内にいる人間たちを捕食するだけだ。
と、動き始めようとしたとき、蜘蛛は異変を感じた。
経験上、すでに獲物は溶解液により肉塊と化しているはずだ。
柔らかい肉がさらに柔らかくなり、まるでゼリーのような食感を味わえる。それが堪らなく美味しく、次の獲物を狩り立てる衝動になる。
しかし、どうしたことか。
この獲物はおかしい。
すでに溶解液は十二分に浴びせているというのに、まだ硬い。
いや、硬すぎる!
そう、まるで人間ではなく鉱物のような頑強さを――。
と、蜘蛛の本能が危機を感じたときには、すでに遅かった。
蜘蛛の背から、弓矢の鏃のが飛び出る。それと供に、体液が飛び出し、蜘蛛はまるで金属同士が擦れたような悲鳴を挙げる。蜘蛛が捕食した相手は、それで躊躇するような存在ではない。一気にその鏃を引き抜き、蜘蛛の背を断裂する。
溶解液が噴水のように辺りに飛び散り、その中心から矢を番った少年が現れる。
全身から焼けたような音を立てながらも、その白銀の肢体は全くの無傷。
彼の髪すらも焼けていない。
同胞の死を認知した最後の一体は、雄叫びのような声を挙げながら、アリカへとその脚を鎌のように振り下ろす。通常の生物であれば、その一撃で肉が割け、骨が折れるだろう。針金のような毛さえも、致命傷になり得る一撃だ。
しかし、機人族には通用しない。
彼らの必殺の武器である溶解液も、必死の脚による攻撃も。
アリカには、意味がない。
蜘蛛の脚の攻撃を、わざと自身の頭部で受ける。
体重が乗った一撃であり、アリカの足元にある汽車の天井が変形し、歪む。
しかし、それで蜘蛛の動きは止まった。
そして、漆黒の中であっても外すことは無い。
「これで、終わり……!」
手から離れた弓矢は、吸い込まれるようにして蜘蛛の咥内へと侵入し、体内を引き裂く。
まるで最後の抵抗かと言わんばかりにアリカへと溶解液を吹きかけると、その場で崩れ落ちる様に絶命した。
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すべての蜘蛛たちを倒し終えたアリカは、その死体を汽車から転がり落とした。
蜘蛛たちの死体は汽車の速度によってトマトのように潰れ、地面にその妖怪液を散乱させていた。
視界に映る赤い点がすべて無くなったことを確認すると、アリカは汽車の天井に大の字になって横たわった。
彼には疲労が存在しない。しかし、先ほどの戦いは疲れた気がしてならなかった。
アリカは、倒れたまま証を起動させて、装備画面を呼び出す。
すると、案の定、アクセサリに装備していたはずの〈夜の帳〉が消失していた。
「だから……それだけはっ…! って思ったんだけどなあ」
自分の身体が溶解液に耐えれることは予測していた。
そして、外套である〈夜の帳〉が溶けることも、また予測していた。
体内へと導かれ、まるでアリカを護るようにして全身に溶解液を浴びてしまったの外套は、すでにその繊維一本すら溶け切っていた。
自分の存在を隠すちょうど良い隠れ蓑が無くなり、アリカは途方に暮れる。
そして、それをアリカに与えたあの名も知らぬ遺体に申し訳ない気持ちになる。
「まあ、仕方ないかな……」
これで、エトワールへの恩を返したことにしよう。
この姿を、彼女に見せるわけにはいかない。
突如、汽車よりアリカが消えたことに彼女は驚くかもしれない。
しかし、置手紙などの手がかりを残せば、絶対にエトワールはアリカを追跡し始める。まるでアリカを崇拝するかのように慕っていた彼女だからこそ、その行動が容易に想像できる。
だから、何もしない。
汽車が山を越えたら、そのまま飛び降りれば良い。
基地はパラディミス周辺にあるのだから、必ずしもパラディミスへと辿り着く必要はない。
それで、自分と彼女の縁は終わりだ。
と、アリカは空に浮かぶ星々を眺めつつ思った。
星。
星の光。
連想するのは、あの少女の星光魔術だ。
一度しか見ておらず、しかもそれはアリカ自身がかき消した魔術だ。
しかし、綺麗だと思った。
ステッキの周りをくるくると回る星も、それが飛来して生じる輝線も、空へと消え去る光の粒子も、すべてがアリカを魅了するほどの美しさがあった。可能であれば、もっと彼女の魔術を見てみたいとも思うほどに。
もっと、彼女と供にいたいと思うほどに。
目を瞑れば、星は消える。
光は無くなる。
しかし、それでいい。
自分は世界の敵であり、世界の闇ともいえる鴉だ。
星の光は、自分には眩しすぎるのだ。
繰り返すが、現在レイヴンの【情報支援】は終了している。
アリカの視界に映るのは、デフォルト設定である現存エネルギー量しかない。
よって、アリカに近づく存在に、彼は気づかない。
目を瞑っていたアリカは、無防備で、無神経で、無警戒だ。
だから、彼女がそこにいることにも、傍にいることも気付けない。
「アリカ……さん?」
声がして、初めて目を開ける。
レイヴンを再度強く掴み、転がるようにして声の主と距離を開ける。
そして矢を番える前に……彼女だと気付いた。
アリカが美しいと評した星の光をステッキに灯し、汽車の上までやって来た少女。
雨合羽のようなローブに身を包んだ、不思議な少女。
自分の目の前にいる存在に、エトワールは驚愕の表情を露わにしていた。
星の光は、闇夜であってもアリカの全身を照らしていた。
その、人形のように美しき白銀の肢体を。
全身が、蜘蛛の溶解液に塗れ、未だに焼けるような音がする全身を。
アリカが、機人族だと知らしめる現実を、星の光は照らしていた。
アリカは、震える彼女を前にして思う。
ああ、だからその光は眩しすぎるのだと。




