汽車に揺られて
アリカは車窓から見える夜の平原を眺めていた。
といっても、空に上る月が見えるだけで、あとは黒い影だけしか見えない。レイヴンの【情報支援】による暗視効果があれば、この闇夜の平原の景色を愉しむことができるが、その必要はない。アリカはただ見ているだけであり、その行動にそれ以上の意味は無いからだ。
少し、意識を変えれば景色以外のものも見えて来た。
その窓ガラスには、おぼろげながら自分の顔も映っていた。車内が明るく、外が暗いために窓ガラスがまるで鏡のような役割を果たしたのだ。
現実世界の自分とは全く違う顔を見て、アリカは自問自答する。
これで良かったのか、と。
現在、アリカは、石壁の街トーテルから離れて、エトワールに連れられて首都パラディミス行きの汽車へと乗っている。
このままでは意味の分からないままに雨合羽女に誘拐されてしまう! と、アリカは抵抗しようかと考えたが、書店で買った地図を見て考えを改めた。
エトワールの隙を見て地図を広げ、レイヴンにそのマップデータを記録させた。そして、彼女が持っていた過去のマップデータと照らし合わせたところ、目指すべき基地はパラディミス周辺にあることが判明したのだ。遥か昔の地形であるため、明確な位置はわからないが、パラディミスの近くにあるのは間違いない。
そのため、アリカは抵抗せずにエトワールと供にパラディミスを目指すことを決めた。
駅で街を出る際には、同じように証を駅員へと見せて、切符代を支払うことになる。エトワールはすでに、アリカと自分の分を購入しており、二人は個室にてパラディミスまでの旅路を楽しむことになったのだ。
アリカは、再び自分の顔を見る。
自画自賛のようだが、それがまるで自分の顔とは思えないほどに可憐だった。エトワールの趣味は理解できないが、たしかに可愛がられるような造形であるのは確かだ。
今回、アリカがパラディミスへ行けたのは、これを利用したからだ。
自分の容姿でエトワールを惹きつけ、その善意を利用した。
アリカ自身にそういった狙いは無いが、汽車に乗っている現状こそが事実だ。
そして、アリカは自らを問い質す。
「エトワールさんが僕のことを可愛がってくれる気持ちにつけ込んで、それを利用するような真似をして……それで、いいのかな?」
『合理的だと思われます。星光魔術師は、マスターを自発的に連れて行くと発言しました。ならば、現在のマスターの置かれている状況は、星光魔術師にとって望んでいたことです』
独り言で呟いた言葉に対して、レイヴンは冷静に反応する。
別段、誰かからの答えに期待していたわけではなかったため、アリカはレイヴンのその言葉に戸惑う。彼女は、善意を利用したわけではなく、『エトワールはパラディミスにアリカを連れて行きたい』そして『アリカはパラディミスに行きたい』という二人の目的が一致しただけに過ぎない、と言いたいのだ。
利己的な狙いはなく。
ただの偶然の一致。
簡単に言えば、『ちょうど良かった』というわけだ。
「そう考えれば、そうかもしれないけど」
アリカの中の昌がそれを許すわけがない。
誠実な彼は、恩返しを望む。
「……どこかで、恩返しする必要があるかもね」
「ん? 何か言いました? アリカさん」
飲み物を取りに行ったエトワールが個室に戻って来た。
彼女の両手には、地方の名産である葡萄によく似た味のジュースが並々と注がれている。しかし、その色は黒に似た濃厚な色ではなく、まるで水のように透き通っていた。エトワールはそれをアリカに手渡すと、もうひとつを自分の口元に運んだ。
「これ、私のおすすめなんです。よければ、どうぞ?」
「うん。ありがとう」
礼は言うが、アリカに食事をする機能は無い。
そのため、それを口に入れることはない。
エトワールもそのことについては気にしていない様子ではあるが、アリカは必要以上に警戒してしまう。飲むフリだけでもしようかと思うが、やはりこの身体では飲食をすることに抵抗がある。そもそも、口から食物を取り入れた場合、それがどうなるかは彼自身も確認していないのだ。
「アリカさん? どうかなさいました?」
「いや……どのくらいで、着くのかなって思って」
咄嗟に話題を反らそうと、アリカは再び暗い車窓の外を見る。
遠くに見える山の影に向かって、アリカたちが乗っている汽車が走って行くのを感じる。あの山を越えれば、パラディミスなのだろうか? 彼はレイヴンと供に見た地図を思い出し、そう考える。
「明日の朝には着いていますよ。パラディミスはトーテルと比べれば大都会ですからね。ふふ、多分アリカさんも驚くことが多いと思います」
「大都会……。たしか、パラディミスって人族の首都なんだよね? どういったところなの?」
この世界における大都会というのが想像しにくいということもあるが、多くの人々が住んでいることは容易に考えられる。世界の敵であるアリカは、少しでも街の情報を得ておきたいと考えた。
「そうですね……。では、私の知っている範囲でお教えしましょう」
夜も更けた汽車の中、エトワールの話は始まった。
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首都パラディミスは、人族の拠点ともいえる場所だ。
荘厳と歴史を感じさせる『パラディミス城』には、人族たちの指導者である王族たちが住み、日々繁栄のために政に力を入れている。とくに、人族と領土が最も近い魔人族との対立に関しては、過剰といえるまでに対策を講じている。
近年では、対魔人族のための戦力補強として新兵を勧誘している。そのため、腕に自信のある傭兵や旅人たちがパラディミスに集まっている。戦争が勃発するという噂は、戦う者たちだけでなく、商いを担う者たちも引き寄せている。戦争には、武器、防具、薬などの多くの物資が必要となり、商人たちにとっては稼ぎ時でもあるのだ。
それらを見越した上なのか、王族たちは首都に通じる陸路、航路のインフラを整えていた。トーテルから走る汽車もその内のひとつであり、それにより多くの物資と人材の確保が可能となっていた。
「緊迫した状況だというのに、首都は毎日のようにお祭り騒ぎですよ。ああいうのは、あまり好きではありません」
車窓から見える夜の草原を眺めつつ、エトワールは言った。
その横顔はどこか寂しげで、何がを卑下するかのような含みがあった。それにアリカも気づいてはいたが、深く追及することはない。いや、訊けなかったというのが正しいだろう。二人が出会ってまだ半日しか過ぎていないのだ。だというのに、そんなデリカシーの無いことが出来るわけがない。
「かといって、戦いが回避できるわけでもありません。私たちの種族目標を達成するためにも、戦争は避けられませんしね」
「……種族目標」
アリカたちがParadise Worldへと降り立ったあの日。
運営と名乗る存在は、各種族に設定されている種族目標を達成できれば、その種族はゲームからログアウトできる手段を得られるといった。そのため、各種族は自分たちの目標達成を大義名分と掲げて行動しているのだ。
例え、それがプレイヤー同士であったとしても。
相手が、友人、知人だとしても。
元の世界に帰るために、戦い、出し抜き、蹴落とし、奪う。
それが、Paradise Worldの現状だった。
残酷で、冷酷で、自分の信念を貫くにも力が必要な世界。
こんな世界でエトワールはアリカを護るという。
そして、彼女が護るべき人がパラディミスにもう一人いるのだ。
「その……エトワールが護りたい人って、どういう人なの?」
「おお! よくぞ訊いてくれました!」
高揚とした表情で、前のめりになってアリカに近づくエトワール。どうやら、エトワールにとって、その人は自慢できる、いや自慢したくて仕方がないといった尊敬できる人物らしい。自分のことではないというのに、腕を組んで得意げに話すその様子は、ある意味微笑ましいといえるだろう。
「本来であれば、私などが護るなんて烏滸がましいんです。あの方は人族の中でもトップレベルの実力者であり、私たちを導く方でもあります」
「なるほど……では、エトワールはその人のクランの一員だったり……?」
Paradise Worldには、同じ目的を持つ仲間たちの集団として『クラン』をつくるシステムがある。これは、アリカが眠っている間に運営から告知された情報だ。クラン結成にはいくつかの条件があるが、その分メリットも大きい。何より、有名なクランとなればその知名度が上がり、その発言力も強まる傾向がある。そのため、人気なクランには入団希望のプレイヤーが多く、クランとしても有能な人材を欲するために敷居が高い。
その人が人族トップレベルの実力者であるならば、クランとしての知名度も高く、入団するために必要な条件も高く設定されているだろう。ともなれば、エトワールの実力もそれに恥じないものだと考えられる。
アリカの言葉を聞いたエトワールは、少し残念そうな顔をしていた。
「いえいえ、残念ながらあの方はクランには入らないソロプレイヤーですので。何度か私たちのクランにお誘いはしているのですが、頑なに断られてしまいまして……」
「え? じゃあ、エトワールが入ってるクランって……?」
「はい! 私たちはその方の盾となり、その方の剣となる……非公式ファンクラブ……通称NFCです!」
予想外な方向性のクランに、アリカは思わず呆れる。
しかし、ファンクラブができるほどに知名度があり、人族の実力者でもあるその人物にアリカは興味が沸いて来た。現在の最前線に立つ人間のレベルを知っておきたいということもあるが、エトワールがご執心な人がどういった人物なのか純粋な興味もある。
「……どういう人なの?」
「そうですね……。皆さんは、よく『純白の騎士』と呼んでいます。ですが、私はあまりその呼び名は好きではありません。個人的には……『黄昏の乙女』……の方が好きですかね」
「あ……女性プレイヤーなんだ」
アリカの呟きに、エトワールは「当たり前じゃないですか」と鼻を鳴らす。
「私が男なんて野蛮な生き物のファンになることなんてありません。私はあの人の、美しい容姿、凛とした佇まい、そしてあの優しさが……大好きなんです。本当は私たちなんて、あの人にとっては重荷であり邪魔な存在かもしれませんが……それでもお傍にいたいと思わせる人なんです」
「そうなんだ……。そんな立派な人なら僕も会ってみたいよ」
アリカの思いに嘘は無い。
エトワールがそこまで敬意を表する人に、実際に会ってみたかったのだ。しかし、アリカは機人族だ。人が多く集まる場所に長居するわけにはいかず、人との接触も最低限に抑えるべきである。
「そうですよね! じゃあ、私の方で会える日を訊いておきますね!」
「待って。ちょっと、待って」
失言だった。
エトワールの前で、彼女が愛する人に愛する人が会いたいと言うのであれば、引き合わせると考えるのが当然なのだ。一度、彼女の中で決まってしまえば、それを覆せる方法をアリカは知らない。
「でも……そんな、僕なんか弱小が、そんなトッププレイヤーと会うのはちょっと……緊張しちゃうかな。気持ちだけで嬉しいよ」
「いえいえ、私が敬愛するあの方は、人によって態度を変えるような小さい器ではありませんよ。多分、にこやかな笑顔で迎えてくれるはずです。多忙な人ですので時間は制限されるでしょうが、きっと楽しい一時を過ごせますよ!」
やはり駄目だ。すでに逃げれる状況ではない。
アリカは、ひとまずこの問題はパラディミスに着いたときに対処することにした。
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エトワールの話によれば、目的地に着くのは明日の朝方のようだ。
遠くに見えた山の向こうにパラディミスがあり、深夜から明け方にかけては山越えとなるらしい。山道は蛇行が多く、健やかに寝れる環境は言い難くなる。そのため、寝るとしたら山に入る前が最適だ。
そのことを説明したエトワールは、個室に備え付けの毛布をアリカに手渡す。
それを受け取ると、二人は自然と簡素なベッドに寝転んだ。エトワールが自分のベッドにアリカを運び込もうとしたが、彼はそれを巧みに躱して何とか事なきを得た。
睡眠を必要としないアリカであるが、エトワールはただの人族であるために必要不可欠だ。そして、自分が人族以外とばれないためにも、こうして睡眠をするフリをしなくてはならない。ただ考えているだけの時間はアリカにとっても退屈であるため、しばらくは視覚情報に現在の地図を映し出して情報を集めていた。しかし、それも次第に飽きが生じ、アリカは毛布の中で何度目かわからない寝返りを打つ。すでにエトワールは寝静まっている様子であり、小さな寝息が聞こえて来た。
右も左もわからない、何も知らないアリカを助けてくれた小さな女の子。
街で男を一方的に蹂躙していた様子には驚いたが、それさえ目を瞑れば、礼儀正しくて面倒見の良い子だ。その分、自分が男だとばれたときの反動が恐ろしいが、身体に触れられなければ明るみになることでもない。しばらくは、彼女とは友好的な関係でいたい、とアリカは考えた。
汽車が大きく揺れる。
どうやら険しい山道に入ったらしく、床に伝わる振動も強くなる。
そこで、ふと思いついたことがあり、アリカは小声でレイヴンに尋ねる。
「こんな山道走って……魔物は襲ってこないの?」
『魔物は、原則的には自分たちよりも強い相手に対しては観察する傾向があります。マスターが乗車されている汽車という乗り物は、速く、硬く、魔物たちの手に負えるものではありません。彼らもそれを知っているために、無駄に命を散らすことはないでしょう』
たしかに、汽車と正面から突撃しようと考えるような存在はいない。
魔物たちも、敵わない相手であることを本能的に感じるということだろう。
しかし、気になるのは原則という言葉だ。つまりは、例外があるということ。
『そもそも、魔物の正式名称は合成獣です。彼らは、他種族たち殲滅のために造り出された機人族の生物兵器であり、機人族以外のすべての生物を対象として襲撃するようにプログラミングされています』
「え……魔物って、機人族が創った存在だったの……?」
『はい。しかし、彼らを大量生産するために繁殖機能を付加したのが失敗でした。子を産むにつれ、その子供たちに植え付けた『機人族には従属する』という命令が薄れ、今では制御できない状況です』
親のすべてが子供に引き継がれることはなく、そのため合成獣たちを縛っていた命令も薄れていき、完全な暴走状態となった。それは確かに機人族の失敗ともいえるだろうが、結果的には魔物たちは現在までに多くの種族の命を奪っているために、成功ともいえるかもしれない。
この事実をどれほどの人が知っているかはわからないが、魔物を創り出した存在が機人族だと明るみになれば、現在でも厳しい風当たりがさらに増すことになるだろう。しかし、流石は世界を滅ぼそうとした種族だ。世界という想像できないスケールで、何千、何万人の人たちを今も苦しめている。
世界の敵……という言葉は、案外正しいのかもしれない。
「それで……魔物が人を襲う例外って……?」
『ひとつは、魔物の自我が完璧に失われているときです。つまりは、完璧な暴走状態であり、生物を襲うという本能しか残されていません。そして、もうひとつが――』
そこでレイヴンの説明が途切れ、瞬時にアリカの視覚情報に近辺のマップデータが映し出される。そして、赤く明滅するいくつもの点がこちらに向かっているのがわかった。
赤い点については、説明はいらないだろう。
『マスター。複数体の生命体がこちらに向かって接近しています。恐らくは、魔物です』
「……よし、迎撃しよう」
了解。
頼れる相棒の言葉を聞き、アリカはそっとベッドから立ち上がる。陽気な隣人に心配をかけないために、彼女を起こさないようにそっと部屋を出る。
すでに車内の明かりも消え、完璧な暗闇が空間を塗りつぶしている。アリカは外套である夜の帳のフードを深く被り、背中からレイヴンを取り出した。この闇の中でも、赤い瞳のような宝石が不気味に輝いて見える。腰元の矢筒には多くの矢が装填され、すでに戦闘の準備は万全だ。
「さてと……早速、恩返しの時間だね」
自らの赤い瞳の残光を闇夜に残し、アリカは車内から完璧に消え去った。




