絶体絶命
辿り着いた通路の先には、上階へと通じる梯子があった。
青い光も梯子の上を指し示している。
アリカは自分の左脚を右脇に抱え、左手と右脚だけを使ってゆっくりと梯子を登っていく。すでに、その動作は登るというよりは跳ね上がると言った方が的確ではあった。そして、梯子が終わり、天井を塞いでいる扉を開けると、目的地がある地下五階へと辿り着いた。
「……随分、長くあそこにいた気がする」
そう感じるのも無理はない。
色々なことが起こり、緊張の連続だったのだから。
アリカは自身の視界に移る青い光の先を見る。
どうやら同じ階層であってもここから離れた場所にあるようだ。
左脚を杖にして立ち上がり、壁伝えにしてゆっくりと歩き出す。その姿は、まるでこの世界に来たばかりのアリカと同じだった。驚くべきことに、あれからまた一日も経っていない。そうだというのに、アリカはすでに死を意識させられた戦場を駆け抜けて来た。
恐らく、全プレイヤーの中で最も過酷な一日を過ごしたのは彼だろう。
そして早くもその苦労が報われようとしている。
ついに、青い光がある扉の前で止まってるのを確認した。
つまりは、その部屋こそがアリカの目的地である情報統括室なのだろう。心が逸くが、左脚が無い事実には抗えず、移動には時間を要した。
しかし、それがアリカにとっては幸運だった。
仮に五体満足でこの階層に辿り着き、そして目的の扉を見つけたのならば彼は一目散に走って行っただろう。周囲に注意もせず、その扉を開けてレイヴンと対面し、権限をグレードアップすることしか頭に無かっただろう。
その場合、アリカの身体は彼によってバラバラに粉砕され、確実にスクラップ場行きとなったはずだ。
アリカは目的地の手前十メートルあたりの十字路で、小休憩を挟むことにした。
肉体的疲労は無いが、右脚で跳ねるように移動するのは関節部分に負担をかけるのだ。加えて普通に歩くよりエネルギーの消費が激しく、適度な休憩を必要とする。
十字路に辿り着き、壁に背中を預けてそのままその場に座り込む。
そして、左脚の杖を脇に置いて、残った右脚の様子を見ようと視線を下に向けたとき。
通路全体を塞ぐような壁が、アリカの脇を駆け抜けて行った。
それは、アリカが休憩を挟まなければ確実に直撃していたであろう攻撃だった。
通り過ぎたその物体が副次的に生じた風をその身に受けつつ、アリカは慌てて壁に手を突いて立ち上がる。そして、一体何が起きたかを確かめるために、物体が直進して行った通路の先を覗き込む。
それは、機獣だった。
スクラップ場にいた機獣が狼ならば、アリカの目の前で興奮したように震えているのは犀と表現するべきだろう。狼の細い骨格だけの体躯とは違い、全身を分厚い装甲で固めており、しっかりと肉付けがされている様子だった。ただし、その中身は肉ではなく金属の塊ではあるが。そして、その犀には足が存在せず、代わりに巨大な身体の下には戦車の履帯のように車輪がいくつも並んでいるのが見えた。地面には履帯が床を削り取ったような跡が残っているため、まず間違いなくあの巨体はそれで移動していることがわかった。頭部と思われる部分にカメラは無く、まるで槍のような円錐状の金属の塊がある。そして、それだけじゃない。首周りには、この通路を塞ぐほどの大きな壁のような板が装着されていたのだ。先ほど、アリカはが犀が壁に見えたのはこれのせいだろう。
レイヴンが言うには、あのカメラ狼たちは警邏機獣らしい。つまり、主な任務は周囲の警戒であり戦闘ではない。しかし、目の前にいる機獣は、明らかに戦闘に特化した個体だ。
「この状況では……勝てないね」
そう言って見るのは、自分の左脚である。
通路を駆け抜けた速度からして、かなり高速移動が可能だと考えられる。両足を揃っていても避けられるかわからないというのに、それが片足しかないのでは回避は不可能といっていいだろう。
だとすれば、取るべき行動はたったひとつ。
「情報統括室に、逃げ込む!」
アリカは即座に十字路を飛び出し、青い光に向かって走り出した。
右足で床を蹴ると同時に、左脚の杖で加速を促す。すでに壁に手を置いた安全策は取らず、今は速度だけを優先して動いていた。
可能な限り速く動いているつもりではあるが、それでもあの犀の移動速度には劣っている。しかし、それはアリカも承知の上での行動だった。彼には、『あの犀がすぐには追うことはできない』という確信があった。
通路を塞いでしまうほどの巨体と、あの突進速度であれば、アリカの身体は容易に砕け散るだろう。しかし、ここは基地の廊下であり、その道幅は犀には狭すぎたのだ。あれでは、簡単にはあの巨体を旋回することは出来ない。つまり、アリカ目掛けて突進する準備をするには時間を要するのだ。
その隙に、わずかに生まれた時間に、情報統括室へと逃げ込む。
それがアリカの作戦だった。
しかし、彼はよく考えるべきだった。
この世界に来てから、アリカは自分の想像を越える出来事をいくつか経験したはずだ。例えば、それは自分の身体のスペックの高さであり、機獣たちの強さであり、機人族が世界の敵であるという事実だ。
ならば、戦闘に特化した機獣が、世界を滅ぼそうとした種族が創り上げた兵器が、自分の想像以上の攻撃をすることを、アリカは考えるべきだったのだ。
アリカに聞こえたのは、まるでエンジンを起動させたかのような強烈な爆発音だ。
空気が破裂したかのような轟音が、アリカの全身を叩く。
そして、次の瞬間には、階層全体が震えるような特大級の衝撃がアリカを襲った。その衝撃と何かが破壊されたような音は次第にアリカへと近づいて来る。
その方向を振り向いたときには、すでに遅かった。
アリカの右後方の壁が突如爆発したかのような破砕し、その奥に見えたのは鋭い槍だった。それは紛れもなくあの犀の角であり、真直ぐアリカへと迫って来る。
犀が狙っているのは、アリカの心臓だ。
「……っ!?」
反応が遅かった。
判断が遅れた。
そのため、行動があまりにも稚拙だった。
回避行動が取れず、アリカはとっさに左脚を盾にした。
犀の角はいとも簡単に左脚を貫き、その衝撃でアリカは後方へと吹っ飛ばされる。そのまま〈光炉〉を貫かれなかったのは、とっさに後方へと跳んだためだろう。
受けた衝撃を利用して、そのまま遠くまで移動した。
そこまでは良い。
問題は、跳ね飛ばされた先には壁があったことだ。
そして、あの巨体が生み出した力を全身に受けたことだ。
地下一階からスクラップ場へと落ちたときの衝撃、いやそれ以上のダメージがアリカを襲っていた。再び頭にノイズが走り、残った右脚と両腕に深刻な痺れを生じる。視界情報も砂嵐のように乱れ、こちらへ向き直ろうとする犀の姿もあやふやで不明瞭だ。
アリカは自分の浅薄さに呆れていた。
なぜ、犀が通路しか通らないと錯覚していた?
道が無ければ、それを切り拓いて壁を突貫してくるに決まっているだろうに。あの犀にはそれが実現できる性能があることは、容易に想像できたことだ。
後悔しても始まらない。
アリカは、乱れた視界の先で、犀がこちらに角先を向けるために狭い通路の中で旋回しているのが見えた。このまま突進が直撃すれば、それこそ全ての終わりだろう。しかし、身体を動かそうとしても自由に動くのは右腕くらいのものだった。それ以外は、まだ深刻なダメージから復旧できていない。
武器として、杖として扱ってきた左腕は、先ほどの攻撃によりふたつに砕け散っていた。これではもうどちらの用途として使うこともできないだろう。
身体が動かなければ、武器もない。
状況は絶望的だ。
だが、しかし、ひとつだけ良いことはあった。
それは後方へ吹き飛ばされたことにより、目的地の情報統括室の目前まで来れたことだ。すでに、扉のコンソールは手が届きそうな位置にある。仮に両足が健在で、動ける状態であるならばすでに室内へと入ることができただろう。
いや……機獣が壁を突き破って突進してきた姿を見る限り、仮に情報統括室へと逃げ込んだところで状況は変わらない。逃げたとしても、扉を壊されて追い詰められるのが結末だろう。
「じゃあ、倒せっていうのか、この状態で、あれを?」
それは無理な話だ。
視界情報も悪く、思考さえノイズによってまともにできない。そればかりか、左脚は完全に破壊され、残った左腕右脚もすでに限界が近い。まだ無事だといえるのは、唯一動ける右腕と庇った急所の頭部と胸部だけだ。
機獣は、ついに角先の狙いをアリカに定めた。
そして、ほんの少し後退する。それは助走をつけるためか、それとも陸上選手のクラウチングスタートのように、前進するための力を溜めているのか。どちらにしろ、アリカを滅ぼすための準備であることに変わりはない。
アリカは、その様子を視界の端に捉えつつ、残った右腕でテスタメントのメニュー画面を開いていた。この状況で何を呑気なことをしているんだと、自分でも思っていたが、身体が動けない以上、残った右腕で出来ることを探すしかない。その結果が、テスタメントからメニュー画面を開き、自分が持っている情報を整理することだった。
しかし、時間は無い。
この状況を打開できる情報など、自分にはあるのだろうか。
それは、わからない。
今までの昌であったら、こんな状況は、現実だろうとゲームであろうとすぐに諦めていただろう。そんなときに彼の尻を叩くのは、いつも仁という友人だった。
彼はどんなときにも大胆不敵に笑っていた。
その危機こそが楽しくて堪らないという顔で、自分たちが獲物だというのにまるで捕食者のような獰猛な笑みが彼には似合っていた。そういうときの仁はとにかく強かったことを、アリカは覚えている。彼の真似をして無理矢理にでも笑いたいが、この身体にそんな機能は備わっていない。
「つくづく、融通の利かない身体だ」
そう呟いたのが決戦の合図だったのか。
床を削るような勢いで履帯を回し、壁のごとき巨体と、槍のような角をアリカに向けて、犀の機獣は全速力で直進する。周囲の壁に傷をつけながら、けれど速度はまったく緩めず、むしろ加速していく。
アリカは、地面に座り込んだままテスタメントを操作する。
彼は、スクラップ場で左脚を犠牲にした苦肉の策を再度使うことを決めた。装備画面から脚防具を外すと、床には右脚のパーツがごろりと転がる。これでアリカは完璧に動けなくなったが、むしろそれで良かった。右手で右脚を手に取り、それを芯が通っているかのように伸ばすと、向かってくる槍に対して構える。
その右脚もまた、まるで槍のようだった。
直進し、突き破る暴虐の槍。
ただ構え、打ち砕く迎撃の槍。
アリカの狙いは至ってシンプル。
悪く言えば、計算度外視の運任せの一発勝負だ。
相手がすさまじいスピードで迫って来るのであれば、その速度を利用するしか勝つ方法は無い。つまり、愚直な直進攻撃を逆手に取ったカウンターによる、必殺の一撃だ。
彼がその場から動けない以上、あとは構えるしかない。
もちろん、アリカ自身がノーダメージというわけにはいかないだろう。その槍を自分の手で持っている限り、結局機獣の攻撃が腕に伝わるのだから。
だから、アリカは、右脚を床に刺した。
爪先を犀に向けて、床に対して三十度くらいの角度をつけて突き刺した。
これでアリカの攻撃は終わりだ。
後は、壁に背中を預けて、勝敗の行方を見守ろう。
そして出来れば、仁のように不敵に笑っていたかった。
すべての準備が終わったアリカは、ただ迫りくる壁と槍を見るだけだ。
まるでアリカというスクラップ品を、圧潰してスクラップにするかのように、機獣の壁は迫っている。アリカが床に突き刺した迎撃の槍さえも気に留めず、一心に走って来る。
「僕も……お前みたいに自分という存在を持たない機械としてこの世界に来れたら、どれだけ楽だったんだろうね。与えられたプログラムに沿って動くだけの、ただの人形だったら……こんなことにならずに済んだもしれないのに」
アリカと機獣の距離はもう十メートルもない。
「いっそのこと、ここで壊れて終わってもいいかなって思う。どちらにしろ、こんな身体で一生を過ごすよりは良いよ」
槍先が、アリカの頭に目掛けて迫って来る。
直撃したら貫通どころじゃない。
おそらく、破砕するほどの威力がある。
「だけどさ、どんなに諦めようとしても、やっぱり生きたいって思うんだ。元が人間だからかもしれないけど、生きて、生きてまた……心の底から泣いてみたいなぁ……」
機獣の角槍と、アリカの右脚の槍は、衝突が避けられない位置にある。
暴虐の槍と迎撃の槍が、交差して――。
機獣の巨躯は壁にめり込んでいた。
床に刺さっていた右脚の槍は、その姿を根元から消していた。
機獣は壁を突き破り、その半身を室内へと押し込んでいた。
脚の無い彼が、その攻撃を避けれることはない。
直撃。それが現実だった。
どうしようもない、現実だった
アリカは、勝負に負けた。




