新世界への誘い
異世界冒険記が書きたくなり、突発的に思いついたものを書いた物語です。
しばらくはプロローグが続きます。
泣き虫な自分が嫌いだ。
男なのに、すぐに泣いてしまう自分が嫌いだ。
弱い心の自分が……嫌いだ。
昌はその目に涙を浮かべながら、自分を嫌悪する。
涙で視界は滲み、頭は発熱してるかのように熱くなる。
奥歯が恐怖で震え、呼吸も荒くなる一方だった。
「心配すんな。俺がいる」
昌の横に立つ大柄な男、伏見仁はそう言って不敵に笑った。
それはまるで、獲物を見つけた獣のような獰猛な笑みだった。
二人は、通りから離れた路地裏で数人の学生に囲まれていた。
昌と仁が共通の趣味で談笑していたところに、いきなり男たちが現れたのだ。
彼らの何人かは、頭髪を派手な色に染め上げ、改造した制服を着用していた。そして、その手には金属バットや木刀などが見える。男たちは無意味にそれらを素振りしては、昌と仁を威嚇していた。この状況を幾度も経験している仁はそのような威嚇に怯えることはないが、彼の横で震える昌にとっては効果は抜群だった。
目に涙を浮かべている昌の姿を見て、男たちは愉快そうに笑う。自分たちに怯え、恐怖に震えるその様子に、彼らの嗜虐心が刺激されたのだ。
「何あいつ? 男のくせして泣いちゃってんの?」
「ウケるんですけど? あんなに怯えちゃって子犬みたい」
「大丈夫でちゅよー? 俺たちが用あるのはそっちのお兄ちゃんの方でちゅからねー? 君は半殺し程度で終わらせてあげまちゅよー?」
男たちの一人、鼻ピアスの男の発言により、彼らは一斉に笑った。
それは、仁にとっては友人である昌を馬鹿にした不快な行動であり、彼が動くのに十分な理由だった。
「昌、俺の後ろにいろよ」
「え?」
仁は、自分の前で腹を抱えて笑っている鼻ピアスに、一歩で距離を詰める。
呆気に取られた男は慌てて手に持った木刀を振り回すが、仁はそれを腰を落とすことで躱す。しかしそれは回避行動ではなく、次の攻撃への予備動作だった。彼は低姿勢から一気に体を跳ね上げ、その隙だらけの顎に右拳を綺麗に合わせた。カウンター気味に、仁のアッパーカットが金髪鼻ピアスに炸裂した。足が地面を離れたかと思うと、そのまま背中からアスファルトへ倒れる。周りにいた男が鼻ピアスに駆け寄ると、意識を失っていたことがわかった。
その事実に、周囲の男たちに余裕が消える。
顔から笑みが消え、緊張感が周囲に漂う。
仁は、鼻ピアスが持っていた木刀を拾い上げて、中段に構える。
そして自分を囲む男たちを脅した。
「てめえらもこうなりたくなかったら、とっとと消えな。言っとくが容赦はしねえぞ」
「調子に乗りやがって……てめえ一人でこの数相手にできると思ってんのかよ!」
「伝説もここまでだぜ……狂犬!」
男たちは一斉に仁へ襲い掛かった。
数の有利を十分に生かし、多方向からの同時攻撃だった。
しかし、一対多数の状況においても仁は冷静さを失わない。
彼らが動き出す前に、木刀で前方にいた金髪男の顔面を強打した。男がその痛みに悶絶している隙に、背後で昌を襲おうとしている一人を蹴り飛ばす。突然二人の仲間がやられたことに身体が委縮し、動きが止まった男の脇腹を木刀で薙ぎ払う。
一瞬の交錯で、三人の男たちが地面に横たわっていた。
意識を失うほどではないが、明らかに立てる様子ではない。
数の有利があり、場を支配できたはずの男たちは、すでにその半数を失っていた。
そのときには、彼らは狂犬の尾を踏んではいけない理由を、身に染みて体験していた。
「まだやんのか? ああん?」
木刀を向け、仁は睨みつける。
それだけで彼らは戦意を失った。
手に持っていた凶器を手放すと、地面に横たわる仲間たちを放って一目散に逃げていく。
脅威が去ったことを仁は確認すると、必要が無くなった木刀を適当に放り投げた。そして、後ろにいる昌を見ると彼は案の定泣きじゃくっていた。
「じ、仁……僕、ごめんね…」
「なんでお前が謝んだよ。悪いのは襲ってきたこいつらじゃねえか。それに、謝るのは本当は俺のほうなんだぞ」
彼らの狙いは、狂犬と呼ばれて調子に乗っているであろう仁の粛清であった。
昌はそれに巻き込まれただけであり、客観的に見ても昌に非があるとは思えない。逆に、売られた喧嘩を全て買い、こうして狙われる原因をつくった仁が悪いといえるだろう。
「でも、僕……仁が襲われているのに何もできなかった」
仁はその言葉に、ため息を吐く。
昌の気持ちは嬉しい。
しかし、暴力というのは非難されるべき所業であり、糾弾される行動である。それなのに、この泣き虫な少年は仲間のためならそれも仕方ないと思っている。それが優しさ故なのか、それともどこかおかしいのか、仁には判断がつかない。
「ほら、いい加減泣き止め。さっさとここからずらかるぞ。警察が来たら面倒なことになるしな。明らかに過剰防衛だ」
「あ、そっか……うん……行こう」
昌は涙を腕で拭うと、仁の後ろをついていく。
二人は路地裏から去り、人ごみの雑踏へと消えて行った。
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「ばっかじゃないの!?」
少女の第一声は、二人の顔が顰めるに十分な声量だった。
そして、少女もまた、自身の感情を表現するのに必要な声量だと思っている。しかし、目の前の大柄な男は、面倒な奴に絡まれたとうんざりな顔をしており、それが少女の怒りを増長させる原因となった。
再び息を吸い込み、怒声を放つ。
「本当に、ばっかじゃないの!? 仁!」
「わかった。わかった。俺が悪かった。素直に謝ってるだろ」
路地裏から逃げた二人は、まっすぐに昌の家に来ていた。
両親が共働きということもあり、日中は家には誰もいない。友人と遊ぶには適した環境だと思いきや、なぜかそこには昌の幼馴染の東雲神船の姿があったのだ。仁が怪訝に感じると、彼女は「昌くんから呼び出されたんだけど?」と言って、持っていた合鍵を仁に見せてくる。どうやら、昌は仁だけでなく神船にも話があったらしく、こうして合鍵を渡していたようだ。
昌が仁を連れて来るだけなら問題はない。しかし、神船は昌の目元が赤くなっていることに気づき、仁がまた自分の喧嘩に昌を巻き込んだことを察し、彼女の説教が始まったというわけだ。
「ごめんね、ごめんね、神船ちゃん……」
気づけば、自分が怒られているわけではないのに、また昌は目に涙を溜めていた。どうやら、自分を守ってくれた仁が糾弾されていることに対して心を痛めている様子だった。神船は、昌がすぐ泣くことを知っているが、十七年経った今でも慣れはしない。神船は吊り上げていた眉毛が、急に大人しくなり、おろおろして昌に寄り添う。
「昌くんは悪くないから……。泣かないで……?」
「ちょっと、女子ぃ。昌ちゃん泣かせないでよー!」
「あんたは黙ってなさい!」
仁のふざけた言葉に、金切り声を挙げる神船。
そのやり取りを見て、涙を流しながらも微笑む昌。
それが三人のいつものやり取りだった。
しばらく、神船の長い説教タイムが始まり、仁はそれを正座の状態で黙して聞いていた。心から反省しているわけではなく、単純にいつもと説教の内容が同じだからぼうっとしていただけである。神船の言うことは三つに大別できる。それは「優しい昌くんを喧嘩に巻き込まないで」「人畜無害な昌くんに喧嘩をさせないで」「お人よしな昌くんに心配させないで」だった。過保護かっ! と仁はいつも心の中で突っ込むが、それを口に出せば説教はさらに長くなるので決して言うことはない。当の昌はというと、仁と同じく正座しながら説教を聞いていた。なんでも、喧嘩は自分だけの責任ではないから自分も反省するとのことだ。不真面目代表の仁からしたら、その真面目すぎる行動理念には感服するのみだった。
「……まあ、今日はこんなもので良しとしてあげる。それで? 今日はなんで遊びに来たのよ」
「友達の家に遊びに来ちゃ悪いのかよ?」
「だって、いつもはあっちで会ってるじゃない。昌くんとあんたって家が遠いんだから」
あっち……というのは、三人の共通の趣味であるVRMMOの仮想世界のことである。
ゲームの技術は日々進歩しており、近年ではついに仮想世界の構築が実現した。それは、第二の世界といってよいほど現実的であるのが特徴だった。自分たちの分身……つまり仮想世界での自分の体は随意的に動き、その応答性も現実そのものである。そして、様々な人とコミュニケーションが可能となる新規のツールとしても注目されている。すでにゲームだけでなく、企業や医療機関、さらには政府までもが有効的な利用方法を模索しているのが現状である。
三人は共通のVRMMOで遊ぶ仲であり、仁と神船の二人は昌の勧めで始めた。
ゲームなどしたことがない二人であったが、昌の誘導や教えもあり、今ではすっかり熱中している。
電話で話せばいいものの、わざわざ仮想世界にログインするほどにその世界が身近になりつつあるのだ。事実、昌と仁は、最低限な連絡はメールのみで済ませ、その他の会話は仮想世界で行っている。『訊きたいことがあるんだけど』とメールがくれば『ログインする』と返信する感じだ。
「まあ、別にあっちで話しても良かったんだけどよ。こいつが見せたいものがあるっていうから来たんだよ」
「うん! ちょっと待っててね……」
昌は正座から立ち上がると(ちなみにかなり痺れていた様で、一歩踏み出すのに三分ほど時間を必要とした)、自分の部屋から一冊の雑誌を持ってきた。まず、二人に見せたのは雑誌の方からだった。その雑誌は、最新のゲームなどの情報を発信している昌の愛読書だ。彼はそれを開くと、冒頭にある特集ページを見開きで二人に見せてきた。
「二人とも、これ知ってる?」
「ああ。話題になってたな。新型のフルダイブゲームデバイスの専用タイトル。たしか Paradise World だっけか? 『楽園の世界』って、なんだか胡散臭い名前だよな」
「私も知ってるわ。新世代型のゲームエンジンで創られた最高レベルのリアル度を追及したゲームよね?」
二人の言葉に、元気よく頷く昌。
自分の領分、つまりはゲームの話になると意気揚々と話し出すのが彼の特徴だった。さっきまでうじうじと泣いていた彼とは打って変わって、今は楽しそうに饒舌に喋りだす。
「ゲームのPVとかβテストの体験談のブログとか読み漁ったんだけど、仮想世界とは思えないほどにリアル指向らしいんだ。グラフィックや物理計算はもちろん、NPCの会話だって自然そのものらしいよ」
その言葉に、仁は口笛を吹く。
純粋に「やるなあ」と感嘆したのだ。
今までのゲームであると、NPCつまりは仮想世界の住人とのやり取りはプログラムに決まって会話することが多い。表情が変わったり、声色が変わったりするが、基本的につくりものである事実が拭えないのだ。それが良い味を出していると主張するプレイヤーもいるが、仁は可能であればNPCとの会話を楽しみたいと思っていたのだ。
「ふーん。それで? どういうゲームなの? やっぱりMMO?」
「そうだね。種族をランダムに割り振られて、種族ごとの目的を達成するために、戦争や貿易、それに開拓などを行っていくらしいよ。戦闘だけじゃなくて、本当に生きているっていう感じを表現したかったんだって」
Paradise Worldは主に五つの種族に分類することができる。
それらは、人族・魔人族・獣人族・妖人族・水人族だ。その他にも、数種のレア種族があるらしいが、それらの情報はβテストでは出回ることはなく、確かな情報はない。
プレイヤーは、各種族ごとに設定されている『種族目標』を達成するために、種族一丸となってParadise Worldの世界を生きていくことになる。ある者は戦闘職として魔物を倒し、ある者は生産職として物資を創る。ときには、種族間で戦争が勃発したり、貿易摩擦が生じることなどもあるらしい。それらの苦難を越えて、『種族目標』を達成できた種族だけがParadise Worldでの勝者となる。
「それで、勝者になったらどうなるんだ? 何か貰えるのかよ?」
「まだ明かされてないんだよね。でも、それも当然じゃないかな? それに、βテストでも種族目標は教えられなかったらしいし、きっとサービスが開始するまでは隠す情報は多いと思う」
βテストでは、街の外へと繰り出すことはできず、ただ街の中を散策するだけで終わったらしい。それでテストになるのか疑問の声もあったが、情報を意図的に隠しているのだろうというのがネットでの意見を占めていた。つまるところ、まだ不明な点が多い、未知な世界のゲームなのだ。
「なるほど。昌がそれを楽しみにしているのはよくわかったわ」
神船が、腕を組んで昌を三白眼の瞳で見ていた。口元はにやけ、得意げな表情をしている。昌はその顔に身を少し引くが、背中のソファがそれを阻害した。神船はというと、その表情のまま昌に言う。
「つまり、一緒にこのゲームをやろうっていうことね」
「う、うん。でも……ちょっと違うかな」
神船はうん? と首を傾げると、昌は彼女の様子を見ながら言う。
「僕は、このゲームをやってみたい。でも二人が今の仮想世界が気に入ってるなら、それを無碍にはしないつもり。だから、二人がどうしたいか……訊きたいなって」
今、三人が遊んでいる仮想世界は、この三人が揃って初めて遊んだ世界でもあるのだ。そのため、思い入れはある。せっかく育てた自分の分身から離れることにも抵抗があるかもしれない。あっちの世界で知り合った友人も多いため、たくさんの人と別れることにもなる。
だから、昌は二人が嫌だと言うのであれば、自分も諦めるつもりだった。自分が誘った手前、二人を放っておいて他のゲームに行くことは無責任だと思った。彼らしい責任感のある行動ともいえるだろう。
「どうする?」
昌の問いに、仁と神船は考える素振りを見せる。
しかしその表情は明るく、とくに深く考えているようには見えない。
「どうするったってなあ……」
「決まってるわよね」
仁と神船が顔を合わせると、仁は鼻で笑い、神船はくすりと微笑む。
言葉にしなくとも伝わることに、ほんの少しの羞恥を感じながらも、二人はおろおろと狼狽えている友人に対して言った。
「お前がまた新しい世界を見せてくれるんだったら、それを断る理由はねえだろうよ」
「それに、昌くんがしたいって言うほどのゲームにも興味があるしね」
二人の言葉に、表情が明るくなる昌。
そのコロコロと変わる友人に苦笑する二人。
この瞬間、三人はParadise Worldへと旅立つことを決意した。
いまだ全貌が見えない新しい世界への希望を抱き、三人がまず取った行動は。
「バイトするか」
「バイトしなきゃね」
「お母さんの仕事手伝えば給金もらえるかな……」
新型のフルダイブゲームデバイスとソフトウェアの購入費の工面だった。
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