前世の話
この作品に出てくる蝿の王はベルゼブブとは関係ありません。
本当に蝿の王です。悪魔ではなく蝿の王。
私は笹田慎二、エリートサラリーマンとして名高い笹田慎二。(大嘘)
突然だが、前世の話をしようと思う。
まぁ私の前世は、はっきりいって、ゴリラだったんだ。ゴリラゴリラゴリラってヤツだ。そのときの名前は、タラッタ・タッター。
多くのチンパンどもを従えていた。
森の番人オランウータンでさえ、この私には頭が上がらなかったようだった。
そんな真の王たるこの私にも、終わりの時が訪れるのだ。
――森林伐採、密猟、外来種の繁殖。
これら全て、人間の仕業だった。
チンパンズの中には、人間を敵視するものもいた。オランウータンなどは、人間共を捕って食おうと言い出す始末。
彼らの気持ちがよくわかった。現に私も苦しい思いをしている。
しかし、私には、人間を責めることなど、できやしなかったのだ。
人間だってイキモノだ。
ゴリラが果実などを食うように、人間は大量の残飯を廃棄処分する。
チンパンジーが歯を剥き出しにして発狂するように、人間は戦争を行う。
オランウータンの矮小な雄が雌に強姦をするように、人間もそれを行うだろう。
その全て、この世に生まれてしまった者たちが、死ぬまで生き続けるということなのだから。
ただ、人間は我らと違って、かなりかわいそうな奴らだ。
故に、着物が必要だ。道具が必要だ。武器が必要だ。
別に人間が悪いわけじゃあない。仕方ない。
そんなコトにようやく気が付いたのは、私が人間として生まれ変わったときだった。
ゴリラだった頃は、それはもう人間を憎んでいた。
この手でぶっ殺してやろうと、この手で粉砕してくれようと、毎日のように闘志を燃やしていたのを覚えている。
あるとき、チンパンの一人が言った。
「人間の村を潰してしまおう。そこには、水も食料もあるはずだ。我々森の者たちが救われるだろう」
――と。
その言葉に、誰も反対しなかったし、みんな賛成していた。
ただ一匹の蝿を除いて。
その蝿は、森の中では神様のような存在だった。
ゴリラである私の方が、権力もあったし、なにより強かったが、その蝿は、誰からも、誰よりも崇め奉られていた。
本来、蝿とはあらゆるモノたちから、忌み嫌われる存在なのである。
しかし、蝿の王である彼は、命のストックを2つ持ち、鋼のような体は羽ばたくたびに、甲高い音を撒き散らした。
そのような希少な存在は、いつだって神格化されるものなのだ。
蝿の王は、糞にたかっている。
その糞は、フンコロガシが運んできたものだった。
フンコロガシは、ゴリラに潰された。
戦場を、のんきに転がっていたからだ。
ゴリラは、今まさに人間の村に攻め込もうと息が荒い。
それを見て、蝿は唇を噛む、なんてことはできない。なぜなら蝿には唇はないのだから。だけどまあ、そんな心境。
蝿の王といえど、非力なものだ。黄金の翅が何の役に立とう。三つの命をどう生かそう。
―――ゴリラの投擲が見える。
狙うは狩人。得物は木の枝。
されど、ゴリラが手にしたその武器は、もはや魔槍の威力。
本来、木の枝なんてものは、子供のチャンバラごっこに使われるオモチャのようなものだ。それを核弾頭に変えるだけの力を、このゴリラが持っていただけのこと。
彼もまた王だ。霊長の王者として森林に君臨するゴリラ。
その名も、“タラッタ・タッタ”。
ならば、それを止めるのは同じ王である自らのみなのだと。
蝿は黄金の翅をすり減らし、シンバルのような金属音を打ち鳴らし、飛んで行く。
否、飛んでいるというより、これは、発射されていると言ったほうが、そのスピードを伝えるには似合っている。
ゴリラの投擲は、見事に蝿の腹を貫いた。
その蝿は、ジャングルの中では神様のような存在だったが、あっけなく、枝に刺されて一つの命を失った。
蝿がゴリラの投擲を止めるなど、まずありえない話だったのだ。
投擲された枝は、疾風を生み、突き進む。蝿を乗せたまま、狩人の腹に突き刺さる。
発射された弾は、雷鳴を鳴らし、爆ぜた。その精密射撃は、ゴリラの額を抉り取る。
「うほおおおおおおおおおおおおおお」
「いがああああああああああああああ」
対立する二つの砲台は、まったく同時に倒壊した。
蝿に言わせれば、どちらも偉大な救世主だった。
ゴリラは、消えつつある森林を、多くの動物達を救ってきた。
狩人は、山間の集落を襲う猛獣達を仕留め、人間の生活に貢献してきた。
大切なものを守るために立ち上がった者達が死んでいくのが、たまらなく悔しかっただろうに。
それから少しあとのこと、蝿は狩人の体内で復活を果たし、そのまま暴れまわる。
蝿が何をしているかというと、死肉を腐らせる運動。
勿論、狩人を憎んでいるからではない。気が狂っているからではない。
この戦争は、里の人間と森の生物との全面戦争。
故に、この英雄の体がチンパンジーの玩具にされるのは避けたかった。そうなるまえに、跡形もなく腐敗させて、ちょうどこの場所に埋葬するのだ。二人の英雄を同じ場所に。
――戦争は苛烈を極めた。
両軍共に満身創痍でない者はいなかったのだから、そこがどれだけの地獄だったか嫌でも知らされてしまう。胴体のまんなかに風穴を開けた農夫。頭が擦り切れた大蛇。首から上が見当たらない娼婦。左側だけになった大熊。こぼれおちる臓器。ありえない。とんでもない。あってはならない。目眩がする。
これが地獄か? 否、ここは一ヶ月前まで深緑のジャングルだった場所だ。
それが地獄か? 否、そこは多くの生物に構成されていた場所だ。
この場所は地獄ではない。されど、この惨状は地獄でしかない。
限定的に地獄が再現されているだけに過ぎない。それがジャングルにとっての救い。
本来の地獄ならば永遠に地獄であり続けるが、ここはいつか、かつてのジャングルを取り戻すだろう。
どれだけの時間を費やしても、必ず、元の姿に戻るだろう。
蝿の王つえー