後編1
二話完結予定が三話になりました。
物欲に欠けたままの物色では冷蔵庫から隠されたお宝を探し出せるはずも無く、娘は手ぶらのまま洗い物をしている母の背後にある食卓へと移動する。そして、三脚ある椅子の一つに腰を掛けた。そこが、娘の定位置である。
母は洗い物を続けながら、娘に背中を向けたまま話を続ける。
「ねえ、みいちゃん、よくさぁ”人生”なんて言葉を使ったりするじゃない。一人の人間の一生を語る時とかにさぁ。
母さんは、この”人生”ってものは、何気に川の流れのようなものに乗っているんじゃないかって思うのよ。
運のすご~く良い人って、簡単には乱れない強い流れに乗っているんじゃないのかって思うのよ。
強いと言っても別に激流ってことじゃないのよ。緩やかであっても、深~い一本の溝の流れみたいに、目的地に向かって真っ直ぐに導かれる様な流れって言うか、そんな感じ。
でもって、その流れは幸運へと続くの。
まあ、その逆もあって、運悪く行先が不幸だったら、むっちゃ最悪の流れになっちゃうんだけど・・・」
「ふ~ん」
何を言い出すんだろうと言った顔で、つまんなそうに母の後頭部を見つめる娘。
それに対して母は、そんな気の無い返事を耳にしても娘の方を振り返ろうともせず自分のペースを崩さずに話を続ける。
「でも、どんなに強い流れでもね、その中の少しづつを何度も外れてしまうと、いずれは大きな流れ自体までもが折角の深い溝から外れて、あらぬところに向かって流れてしまう気がするの。
そして、一旦外れた流れはそうは簡単に戻りはしない。努力や苦労だけではね。母さんはそんな気がしてるの。
だから、決してどんなに小さくなことでも”あら、ラッキィー”なんて思えることが続いたら、決して怠けることなく掴み続けなきゃいけないと思うわけよ。その流れから外れないように。
それは、きっと幸運に向かう流れに乗ってるはずなだから」
「へー」
「もしね、”どうせまた簡単に同じ幸運が直ぐに来るんだろう”なんて甘んじてしまって、掴めるはずの幸運を何度も簡単に見逃していたら、いずれは幸せな人生から外れてしまうと思うの。
だから、みいちゃんには、一つ一つの幸運を大事にして、一生懸命掴みに・・・」
「意味わかんないし」
朝礼の校長先生の話を聞くように、一応は我慢して聞こうとは思っていたのだけど、どこまでも訳のわからない話が続きそうな予感がして、母の話に水を向けてみる。
一方、その娘の言葉を素直に受け取った母は、何とか自分が今まで感じた教訓を娘に聞いてもらいたいと、簡単な話に置き換えてみようかと思考を巡らす。
「ああ、そうね難しかったわね。
ん~、そうね~例えば財布の中の小銭を使い切ってしまったら、お札を使わなければならなくなるでしょ。要は財布の中身を減らさないようにしなきゃいけないってこと。んっ、あれ?」
途中まで語ってみたところで、自身でもに何を言ってるんだか分からなくなって来てしまい、言葉を詰まらせ、首を傾げる母。それに、
「もう、能書きはいいから、早く初恋の話教えててよ」
難しいことは言わなくていいと言わんばかりに、ため息交じりにそう言う娘。
「そ、そうね」
やっぱり分不相応な例え話は自分には無理だったかと、肩を落とす母。
余裕を見せた”(炊事の)ながら話”も自分らしくないと感じ、洗い物をを終えて夕食の支度を始めていた手を一旦止め、食卓を挟んで娘の向かいに腰を掛ける。そして、小さく咳払いを一つすると、それっぽい前置きは全文削除し、
「・・・そうそう、二人が学級委員になったところからだったわね」
懐かしの我が初恋物語を本文から始めることにする。
気分新たに始めた筈の母の顔が、まだちょっと赤いのは、分不相応な頑張りの残像かもしれない。
「うん、そう」
頷く娘は、待ちくたびれた顔を嫌味っぽく母に向ける。
「じゃあ、続けるわね。
それからのね、母さんは、毎日がすっごく楽しくなっちゃって、学校へ行くのが楽しみで楽しみで、学校に行ったら行ったで、今度は帰りたくなくて、少しでも長く居たくなっちゃってさ。
特にね、委員会とか放課後残っての相談ごととかがあって一緒の時は、話し合いをそれとなく長引かせるよう工作したりとかしてね、ハハ。
まあ、そんな毎日がソワソワする日が続いたわけよ」
懐かしい楽しき日々のことを思いだして、あっという間に気分は一新。赤かった顔も一杯の柔らかい笑みに変わる。 学生の娘から見ても分かり易い性格である。
「で、母さんは”告白”はしなかったの?」
いとも簡単に遠慮く”告白”何て言葉を使って突っ込んで来る娘。それには、母の柔らかな笑みも緊張を呼び簡単に崩壊してしまう。
「こ、告白? そ、そんなの、言える訳ないし・・・小学生だったし・・・」
と、座ってる椅子から軽く腰を浮かせて慌てて裏返った声で否定する。小学生の娘に言われて小学生だった言う咄嗟の言い訳に少し反省。そこから”落ち着けと”自分に言い聞かせ中途半端に浮いた姿勢を元に戻す。
「・・・っていうか、その時はそんなこと、告白なんてこと考えもしなかったのよ。
取り敢えず、いつまでもそのままが続けばいいなって思ってただけだったの」
「ふ~ん、そうなんだ」
意外と簡単に納得した様子の娘。
てっきり、どんくさいと責められるかと思っていた母は、咄嗟の言い訳が通じたことに安堵する。
「で、今でも一番心に残っている思いでは、その時は凄く寂しくもあったんだけど、学校から一緒に帰った時のことかなぁ・・・。
一日のお別れの時間じゃない、それだけに気持ちが昂るのかしらね。まあ、別れって言っても、休み以外は明日また会えるんだけどね」
「家は近かったの?」
「それが遠かったの。
距離にしたら、そうね~100mくらいかな、二人の共通した通学路は。そこからは180度反対方向。その男の子は右へ、母さんは左へって感じ。
でも、たった100mだけども、一緒の時間があってすごく良かっなぁって、今でも思うのよ。
朝はさ、小学校1年生の時から一緒に登校していた、他のクラスだけど近所の友達と一緒だったから、その100mで会えるようになんて、なかなか時間を合わせられなくて。
それでも、毎日ドキドキしながら家を出で、友達にバレない様にキョロキョロしながら行くの。そして、偶に見かけたりなんかしちゃったら、もう一日がハッピーになりそうな気がして。
おかしいわよね、その後直ぐに学校で会えるのにさ。
普段の帰りは菜乃葉おばさんと一緒に帰らなきゃならないから、毎日は一緒には帰れなかったんだけど、それでも委員会とか学校行事がある時は一緒に帰ったのよ。まあ、その時もいつも二人っきりとは限らないんだけどね。でもね、極力二人っきりになる努力は母さんもしたわけよ。エヘヘヘ」
またもや、すっかり気分は子供頃に戻りふやけ顔になる母。
「ねえ、なんで毎日一緒に帰らなかったの?
ぶっちぎっちゃえば良かったじゃん」
母の照れ笑いを無視して、またもやいとも簡単に突っ込む娘。なので、母もふやけた顔を元に戻し応える。二度目の突っ込みともなれば、少しは落ち着いて考える心の余裕も出来ている。
「それはさぁ、周りの目が気になるじゃない。クラスのみんなから何て思われるかとか心配でしょ。それにさ、応援してくれた菜乃葉おばさんのことを、無碍になんて出来ないし」
と言ってから、それは今思いついたばかりの言い訳のような気がして来て、当時のことを再考してみる。
「ん~いや、それも勿論あったけど、一番じゃないかも。
どっちかと言うと、もし、その男の子に何とも思われてなくて、近づき過ぎて、避けられたらって思ったのが一番だったかもしれないかな。
だけど、実際はその男の子も、同じ気持ちじゃなかったかと思うのよ。
これは、決して母さんの身贔屓じゃないわよ。今、客観的に振り返ってもそう思う。
だってね、さりげなく一緒に学校を出るように合わせてくれてたと思うし、100メートルをすご~く時間を掛けて一緒に歩いてくれたり、その男の子から途中で立ち止まってくれて、話し込んだりもしたんだもん」
”でしょ?”とばかりに、肯定を促して娘の顔見ると、
「だったら、そうかも」
あっさりと、納得してくれる素直な娘に母はご満悦。
「でも、一緒に遠回りまですることは出来なかったの。なんかわざっとぽい気がしてね」
「うん、分かる気がする」
食卓に両肘を立て顔を乗せる娘。顔が迫って来る分、なんだか気持ちが噛み合って嬉しくなってくる。 母も娘に合わせて同じように両肘を立て顔を乗せる。すると、直ぐ傍に迫った娘の顔が、いつの間にか真剣な顔つきになっていて、ちょっと気恥ずかしい感じがする。
でも、それも含めてもなんだか心地がいい。話したいことも勝手に頭に浮かんでくるのも、何だか不思議な感じがする。
「で、その100メートルの丁度半分くらいのところには、小川流れていて、小さな橋が架かっていたの。そこまで来ると、もう半分来ちゃった~どうしようなんて思ったりして。でも、そんな気持ちがバレないよに強がって、そっけないフリをしたりしてさぁ・・・。
まあ、そんなこんなで、ドキドキした楽しい学校生活を送ったわけよ。
ほら、小学校6年生は最上級生だから、色んな学校行事の準備で主役となる訳よ。クラス内の話し合いや委員会も大いし、二人で遅くまで残れると言うイベントも結構あったの。
春はね、風が心地よかった。運動会もあって、二人とも脚が早かったからリレーの選手で頑張ってさ。疲れた足取りでぶらぶらと、その道を歩くの。それがまた良くてさぁ。
夏になると、盆踊りや夏祭りもあるし、これからどんな楽しいことがあるんだろうって、ウキウキしちゃったり、でも、夏休み会えないなぁって心配したり」
「ってことは、夏休みはずっと会えなかったんだ」
「まあ、そこは夏休み前に色々とクラス内でイベントを作ったりして、それでもってイベントの時にまたイベントを計画したりで、何回かはね・・・」
「上手くやったんだ」
「まあね!良いクラスだったし」
「あ~あ、なんだ、もう楽しそう」
「”なんだ”って、なによ。
母さんにだって楽しい思い出があたっていいじゃない」
それに頷き、
「悪くないと思う」
茶化さず真面目に応える娘。
そんな風に真面目に言われると、かえって気の利いた返す言葉も思いつかない。
しょうがないから咳払いでごまかし、話を先に進めることにする。
「で、秋になって、学芸会の時期がやって来たのね。
当然、各クラスの学級委員は大忙しなわけよ。実行委員として活躍しなきゃならなかったから」
「じゃあさぁ、一緒に帰る日も増えたんだよね」
「それが、増えるには増えたんだけど、そこで、ちょっと引っ掛かることが起こったの」
<後編2につづく>